「三百メルトの殺し間」

 橋は戦略にとって要衝ようしょうとなる。

 人が容易にわたることができない川やほりけられた橋には人が集まる。だいたいにして橋はせまく細く、少人数でも防衛しやすい地形となっているのがほとんどだ。


 えればそれは、大人数でも攻撃こうげきしにくいということだ。


「止まれー!」


 街道かいどうくし、街道からあふれるほどの規模の騎馬きばの群れ――乾燥かんそうした空気に砂煙すなけむりを巻き上げながら東進してきた覆面ふくめんだらけの盗賊とうぞく団の一行は、深い峡谷きょうこくに渡された鉄橋の前で停止した。


 目の前に、頑丈がんじょうそのものな鋼鉄の鉄柱が二本、巨人きょじんあしのようにそそり立っている。これも容易に切断することはかなわない鋼鉄の鉄線を編んだつなが対岸に向かって渡され、向こうで同じく二本の鋼鉄の支柱につながれていた。


 長さ三百メルト、はば五メルト強のばし型の鉄橋だ。大型の馬車二台分ほどの幅は、人なら六人ほどが横に並びながら通ることができるだろう。馬にまたがったままなら五騎分か。


 横に十騎、縦二十列ほどの隊形を組んで走っていた騎馬群がもたつくように橋の前に集まる。隊形を変えなければ橋を渡ることができず、その隊形を変えるには少し面倒めんどうな段取りが必要なのだが、ひとりの盗賊が早速さっそく橋桁はしげたの上に広がる異常に気がついた。

 


「橋桁の上の一面に、障害物が置かれています!」


 障害物、と聞いて一団がざわめく。


「馬でえられないことはないですが、無理に走らせると脚をくじかせます」

「出口側がふさがれてる! 退かせることはできそうだが!」


 黒い覆面姿ふくめんすがたの盗賊たちが自分が乗っている馬を止めるのに少し難儀なんぎしていた。今まで早足の速度で走っていた馬たちが調子をくるわされ、その場にピタリと静止できないのを、手綱たづなを引っ張ったりして必死に制しようとしている。


 そんな中、たったひとりあかい覆面で頭の全部――目以外をかくしている人物が、馬群の外を回って馬を歩かせ、先頭の側に寄った。


「向こうに戦闘せんとう部隊はいそうか?」

人気ひとけはありません!」

「防衛部隊がいるわけではないのか」


 橋桁の上は家屋を解体した残骸ざんがいのような柱、レンガ、屋根、古い家具、壁板かべいたを積み上げたものが、馬を走らせれば相当な頻度ひんどんでしまうくらいの密度でめられている。同じもので築き上げられた阻塞バリケードが橋の出口を塞いでもいるのが見えた。


 この橋の通行を妨害ぼうがいしようとしている意図は明らかだったが、それにしては守備しようとする兵士やらがいないのは奇妙きみょうなことだった。橋の付近以外は障害物になるようなものはなく、人数が隠れられそうな様子もない。


わたしたちの存在に気づいて時間かせぎをしようとした? それにしては、こんなものをバラまいても少し足をおくらせるだけだろうに。……まあ、いい。横五列になって渡れ。渡りきったらまた全速だ。獲物えものが街か村に着くまでには、追いついて背後をおそわないとな」


 そこそこの訓練がなされているのか、まごつきは見られるものの、広い平野から細くしぼられた橋に騎馬群は入って行く。人が小走りで進む速度を取るとなると、横五列が限界だった。もう一騎いっきが加わると、となりとの接触せっしょくに気を取られて動きが悪くなるだろう。


 つまりそれは、橋桁のはしから端までを埋め尽くしているということだ。


「――だから、横にはけられない。後ろに反転するのも無理だ。前に来られるのなら、来ればいい。さて…………」


 橋の付近で唯一ゆいいつ隠れることができる場所、橋の東側で盗賊たちの行き先を塞いでいる阻塞そそくかげで、廃材はいざいを積み上げた隙間すきまから橋桁をにらんでいたニコルが動いた。


 ニコルは置いていた弓と矢を手にし、阻塞の上の方には頭を入れられるくらいに空けられている隙間――射手が隠れながら外に向けて矢を放つことのできる|矢狭間はざま《やざま》に矢の先端せんたんを通して、弓のつるき絞った。


 通常の弓なら射程は三百メルト、ここから対岸に届くギリギリの距離きょりはある。だがそれは単に届くというだけで、放たれた矢はその瞬間しゅんかんから空気抵抗ていこうと重力の影響えいきょうを受けて落下する。矢が放物線をえがくのはそのためだ。


 空気の抵抗に阻まれた分だけ矢は直進する力を失い、目標に当たった時の威力いりょく減衰げんすいする――目標に命中した際、戦闘力せんとうりょくうばえる威力が期待できる有効射程は百メルトほどだというのが常識だった。


「フィルの弓がどれだけ飛ぶかはまだわからないし、ためしとおどしをねて目の前に落とすようにするか……障害物に足を取られていては、こちらに突進とっしんしてくることはできないはずだ。さあ、何分もたせられるか…………」


 延々考えていても仕方がない。距離を詰められすぎては、いくら速度をいでいるとはいえ相手の殺到さっとうまれるだけになる――素直すなおにそうさせないために、小細工はいくらかしてあるが。


「……世界でいちばん優秀ゆうしゅうな射手に弓を仕込しこまれたんだ。弟子でしとしては、師匠ししょうの名をけがすわけにはいかない……これが最初で最後の弓の実戦となるのか。感慨深かんがいぶかいな……」


 冗談じょうだんめかしながらこの一射が自分の死の始まりだということにニコルはくちびるみ、おどはじめる自分の心臓を声にならない声でしかりつけ、狭い矢狭間からねらうべき目標を見据みすえた。


 距離は二百五十メルトほどだろうか。橋をゆっくりと進む先頭の盗賊――頭を狙えば胸に当たるだろう。致命傷ちめいしょうになる威力はのぞうすだったが、のない隘路あいろの中で遠方から飛び道具で狙われているというのは、十分な恐怖きょうふになる。


 その、意思をくだくべき一射目をニコルは渾身こんしんの力を込めて引き絞った。


「どうせ、いつかは死ぬんだ。――フィル、ぼくに力を。リルル、僕に勇気をくれ……」


 ふたりの愛する少女の像を一瞬いっしゅんまぶたの裏に映してニコルは、矢のを力の限りにつまむ指を放した。



   ◇   ◇   ◇



 最初の不幸が男がこの世の最後に感じたのは、橋の出口を塞いでいる阻塞そそくの真ん中で何かがギラリと光った、その印象だけだった。

 それが何であるかを理解はできなかった。する時間をあたえてもらえなかったのだ。


 馬の背に乗り、足元に横たわるわずらわしい障害物を跨がせながら横五列になって橋をゆっくりと進む盗賊団の一行の最前列、その真ん中の男の頭が、突如とつじょとして粉砕ふんさいされた。

 粉砕されたとしか形容できなかった。


「っ――――」


 な果肉にたっぷりと水分をふくんだみずみずしい果実がにぎりつぶされたように、見えない巨神きょしんこぶしにそ何の前触まえぶれもなく突然とつぜんなぐり砕かれたかのように、覆面に包まれていたはずの頭部が真っ赤な血と肉片にくへん脳髄のうずいの限りをぶちまけて破裂はれつした。


「うえぁぁぁぁ――――――――!?」


 犠牲者ぎせいしゃ両隣りょうどなりを馬で進んでいた盗賊たちの目が、覆面のおくで限界までに見開かれる。その〇・一秒後には、最初の犠牲者の真後ろ、第二列の真ん中に位置していた盗賊の頭部も同じように砕け散った。


「ぐあっ!!」


 悲鳴を上げることもできずに頭部をばされたふたりのさらに後方、第三列目の盗賊の額に矢がさってそのやじりが完全に埋まり、覆面の中で白目をいた盗賊が馬上から転げ落ちる。


 そのすさまじい惨状さんじょうの一連を通して盗賊たちは初めて、これが前方からの矢の攻撃であることを知った。


「な…………なんだこりゃあ!!」


 たった一射で仲間が三人即死そくしし、そのうちの二人ふたりが頭を砕かれて首から上を綺麗きれいになくすという凄まじい状況じょうきょうに盗賊たちの体と心が、恐怖にこおいた。死人になったのではないかと錯覚さっかくするほどの悪寒おかんが全身をけた。


「にっ…………」

「逃げろぉ!!」


 先頭の数列の盗賊たちが馬首をひるがえさせて後ろに退こうとする。だが、橋を埋めている後列が存在する限り、橋を引き返すことなど不可能だった。


 事実、人のかべの向こうで起こった異変を理解していない後列がすぐに対応できるはずもなく、突然に引き返そうとこちらに向かってくる前列の行動を理解できずに馬と馬を、体と体を激しくぶつけさせて混乱の極地におちいる。


 後列を蹴散けちらせるものなら蹴散らして橋を引き返したい前列の立場とすれば、次の瞬間に頭を吹き飛ばされるのは自分たちなのだ。死神しにがみかまが首にかっている冷たさに凍えきり、一秒後にはおとずれるかも知れない死から逃れたい一心で人馬の波をけようとする。


 たった三人が死んだだけで、百人の盗賊と百頭の馬が足をかけている橋は恐怖の旋風せんぷうの真ん中にたたとされていた。


「な…………!」


 驚愕きょうがくしていたのは盗賊だけでなく、矢を放った本人であるニコルも同様だった。


「なんて威力なんだ…………!?」


 放った矢はまさしく一直線に――盗賊三人がたてとならなければどこまで飛んでいくか想像ができないほどの速度と軌道きどうで飛んだ。確実に音速はえていたという認識にんしきがあった。


 同時に、弓の達人であるフィルフィナが、街の中では弓矢でなく拳銃けんじゅうたよっている理由も理解する。弓の携帯けいたいが街では目立ちすぎて話にならないというのもあるが、いくらか力の加減ができたとしてもこんな威力のものを街中でつわけにはいかないだろう。


 拳銃は仕込んだ火薬の量しか威力を発揮しない。弓の達人でありながら拳銃を愛用するフィルフィナの判断には合理性があったのだ。


「こ、こんなに力があるなら、ちゃんと言ってくれればよかったんだ! 説明がひかじゃないか! まったくもう、フィルは!」


 いきどおりと喜びがごっちゃになっている、自分でもわけのわからない感情に興奮しながらニコルは二本目の矢をつがえる。


 少年の心にあった悲観的な感情は、一本の矢がち砕いてくれた――あとはこれから、どこまでやれるかという問題だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る