「作戦と覚悟」

 ニコルを背に乗せたレプラスィスは、全速で草原の中を走っていた。

 とうげ坂を下りきったあとは、馬にとって走りやすい無限の野だ。青々としげる草の中を、青毛の若々しい馬が若々しい少年騎士きしを乗せてまっすぐに、ただぐに走る。


 それは野を渡る一陣いちじんの、さわやかな風そのものだった。

 風にされ、風に乗り、風としてニコルとレプラスィスは進む。その方向と速度に一滴いってきらぎもない。ただただ、遠く、速く、一直線に走った。


「すまない、レプラー。君をこんな速さで走らせて」


 すべてのかみと服を向かい風の中になびかせるニコルの眼差まなざしもまた真っ直ぐだ。


「今は本当に一分一秒がしいんだ。君に負担をかける、本当にすまない……」


 レプラスィスはそれにこたえない。応える必要もない。この愛する少年を背に乗せて走ることができるのは、彼女かのじょにとって喜びそのものだった。速度がかれの望みなら、どこまでも速く走ってやろうという気概きがいに心が満ちていた。


「――ぼくはゴッデムガルドに来る前、故郷の王都で乗馬の練習をしていたんだ」


 高速度に乗ると震動しんどうを感じなくなる。縦の震動に対して横移動の距離きょりが長くなるからか。実際、レプラスィスは飛ぶように四本のあしを動かして走っていた。


「そこで僕の練習に付き合ってくれた馬が、ロシュ……ロシュネールっていう馬だった。彼女もいい馬だった……やさしい馬で、僕の練習に本当によく付き合ってくれた……。彼女のおかげなんだ、僕が君にすんなり乗ることができたのも……」


 農耕馬の類であるロシュネールは、やはり戦う馬として生まれ育てられ訓練されてきたレプラスィスとは決定的なちがいがある。そういう意味で、レプラスィスは騎士が乗る馬としては理想の形そのものだった。


「いい走りだ――いや、素晴すばらしい走りだよ、レプラー。僕は君の背に乗れたことを本当に光栄に思う。騎士を志してよかった。これだけでも、幸せな思い出になる……」


 ニコルが目指していたのはウディエム伯爵はくしゃく領に向かうエメス夫人たち一行ではなく、その一行と別れた二つめの鉄橋のたもとだった。

 今さらエメスたち夫人の一行に合流してその中の一騎として加わっても、大勢に影響えいきょうはない。

 ――それよりは。


「それよりは橋のたもとに陣取じんどって、盗賊とうぞく団を足止めしてやる」


 それがニコルの判断だった。


「橋に障害物を仕掛しかければ拘束こうそくできる。迂回うかいされるにしても時間をかせげるのは間違まちがいない。僕ひとりでどれだけやれるかが問題だろうけれど……やらないよりは、マシだ」


 もう太陽が午後のかたむきに入っている。夕刻までには二時間あまりほどはあるだろう。一時間か二時間を稼げば、エメス夫人たちの一行は安全な街に入ることができる。少なくとも、速度が出ない装甲そうこう馬車を追跡ついせきされてだだっ広い野原で取り囲まれる危機は回避かいひできる。


「僕にその時間が稼げるかどうかだ。そのためには用意の時間がいる。レプラー、たのむよ。君の脚が僕の最大の武器なんだ。僕を乗せてけて、駆けて、駆けてくれ、レプラー」


 手綱たづなにぎり、前にびるレプラスィスの首に自分の上体をわせるように傾けたニコルが願い、レプラスィスが応える。

 一体となった人馬は後方に大きくふくらむ土煙つちけむりを巻き上げながら、無人の野を駆けつづけた。



   ◇   ◇   ◇



 二時間をかけて歩いてきた距離をものの十数分で駆けもどり、ニコルは鉄橋のたもとにたどり着いた。


 馬蹄ばていひびきのとどろきは遠くからも聞こえていたのか、その尋常じんじょうではない気配にいやな予感を覚え、橋のたもとの近くに広がる小さな集落の住民が出迎でむかえのように表に出ている。


 レプラスィスが歩を止める前にニコルはその背から飛び降り、群がっている十数人の人々の前で声を張り上げた。


「ゴーダム公爵こうしゃく騎士団の者です! 皆様みなさまうけたまわりたい! 今日きょう、まだこの地に盗賊団はやってきていませんか!」

「と、盗賊!?」


 寝耳ねみみに水、という顔でおどろいてみせた住民たちの反応にニコルは安堵あんどする。まだ盗賊たちは目の前にある橋をわたっていないということだ。


「この橋に向かって殺到さっとうしようとしている盗賊たちを遠くから視認しにんし、い戻ってた者です! 皆様に協力を願いたい! 集落の責任者はいらっしゃるか!」

「いるよ」


 その声――住民たちの垣根かきねの向こうから聞こえた幼い声に、ニコルは目を開いた。


「おいらがこの集落の責任者だよ」

「…………君が? 君みたいな子供が?」


 住民たちの垣根を割って前に出てきたのは、十歳前後くらいにしか見えない男の子だった。となりにいる中年の住民の息子むすこだと言われれば納得なっとくしてしまえるような、そんなにいい服も着ていない、そこらへんにいくらでもいそうな普通ふつうの子供だった。


「あんちゃんご挨拶あいさつだなぁ。あんちゃんだっておいらといくつも違わない子供じゃんか。騎士見習いっていうことは、成人の十六歳になっていないかもっていうことなんだろ? 近衛このえ騎士みたいだけどさ」

「あ――――」


 ニコルは思わずえり徽章きしょうを手でかくしてしまいそうになる。徽章の意匠デザインでニコルの身分を見抜みぬいてみせたのは、この年頃としごろの子供にしてはできすぎなくらいだった。


「おいらは正真正銘しょうしんしょうめいの集落の責任者だぜ。とうちゃんが不在だから臨時だっていうだけだけどさ。んで、この集落に盗賊団が向かっているっていうのは、マジなん?」

「ああ。だから物資と労力の提供を求めたい。橋に障害物を仕掛けて盗賊団の進行をおくらせる。物資は――――」


 ニコルは家々が点在し、その間を畑がめる集落の全景を見渡みわたした。ややはなれた場所に全体がくずれ、ぺしゃんこにつぶれているような一軒いっけん家がある。


「あのこわれている一軒家いっけんやは?」

「あれは古くなったから解体の途中とちゅうさ」

「じゃあ、あの廃材はいざいを橋の方にまで運んでほしい。盗賊団が押しせてくるまでもう時間がないんだ」

「よーし、じゃあ集落総出だ! みんな出てこい! あの廃材のありったけを荷車に乗せて橋のたもとに運ぶんだ!」


 男の子の号令に住民たちが動き出す。この男の子が集落の責任者であるということを如実にょじつに証明する、統率とうそくが高く取れているとしか思わせないすみやかな動きだった。


「――あと、弓を持っている方がいれば借り受けたい! ありったけの矢も!」

狩人かりゅうどのシュクなら出かけてますよ」

「勝手に借りちまえばいいんだよ、緊急事態きんきゅうじたいなんだから。弓も矢も全部運んじまえ――橋のたもとでいいんだよな、騎士見習いのあんちゃん」

「ニコルだ。ニコル・アーダディス騎士見習いだ、少年」

「少年じゃないよ、おいらはマデクだ。あんちゃんだって少年じゃないか」

「そうだった。よろしく、マデク」


 マデクと名乗った少年とニコルは握手あくしゅする。マデクはニコルの手を握手で受けながら、もう片方の手で鼻の下をこすり、前歯がけている口で笑ってみせた。



   ◇   ◇   ◇



 鉄橋は集落の住民の数十人によって群がられ、綺麗きれい掃除そうじされていた橋桁はしげたに大量の廃材を置く作業でいっぱいになっていた。


「橋桁の上では廃材は積み上げなくて結構! たてにされないよう、人が這っても隠れられない高さにしてください! 馬の脚に邪魔になり、駆け抜けられないようにすればいいんです!」


 それにはんして、橋のたもとのやや手前側では、人がしゃがめば頭まで隠れてしまえるほどの高さに廃材を積み上げる作業が行われている。体を横にすればギリギリ橋に入れるほどの隙間すきまだけが空けられ、馬では容易にえられない工夫くふうがなされていた。


「この糸を欄干らんかんめぐらせばいいんですねー!」

「張られた糸が足首の高さにくるようにお願いします!」


 住民がかかげて見せたのは、王都を出発する際にフィルフィナからゆずけた丈夫じょうぶな糸だ。大振おおぶりの熱したやいばたたらないと切断できないほどに頑丈がんじょうな糸が、落下防止の策である両際の欄干に巻かれることで橋桁のやや上に張り巡らされる。


 指示を飛ばしながらニコルは借り受けた弓のつるを切り、橋で張り巡らされているものと同じ糸を新しい弦として弓に張る作業にいそがしかった。


「なぁるほど。橋を馬で渡ることを盗賊たちにあきらめさせて、歩いて渡ってくるのを弓でねらつってことか。あんちゃん考えたな」

「橋ならはばせまく広がって展開できないし、隠れるところもない。僕ひとりで相手をはばもうとしたら、こんな手段しかない」

「ゴメンよ、うちからは兵隊は回せないんだ。戦いは素人しろうとばっかりでロクな武器もない。戦えるのは父ちゃんが連れて行っちまった。この辺りでも盗賊さわぎが多いんだ」

あやまることはない。住民を守るのは僕たち騎士の仕事だ」


 ニコルは弓の弦を張り終わり、指で弦をいて強度を確かめる。今までに聞いたことのない種類の高い音がしてそれが周囲の人間たちを驚かせ、マデクが思わず言葉を漏らした。


「よく飛びそうな弓だなぁ」


 ニコルが立つ阻塞バリケードの内側には、集落中から集めてきた百本の矢が集められている。矢筒やづつに収められたその数に、ニコルは不安を覚えることしかできなかった。


「百本か……相手は二百騎、矢で全滅ぜんめつさせることはできっこないな……」


 相手に押し切られて橋を渡りきられれば、あとはむすぶしかなくなる。

 百数十人とまともに斬りいをして勝てるはずない――が、ニコルの心は決まっていた。


「レプラー」


 ニコルは少し離れた場所で休んでいるレプラスィスの元に寄った。全速力で十数分を駆けたレプラスィスの息は上がっていて、もう少しの時間をあたえないと走ることもできなさそうだった。


「よくここまで付き合ってくれた。ありがとう。僕は君に、本当に感謝しているよ……」


 少年の手にほおでられ、レプラスィスはまたたく。少年の物言い――いや、言葉よりも少年が微笑ほほえんでいる表情のおくの言いよどみを覚えて、人間なら首を傾げそうな表情を見せた。

 この少年はとんでもないことを言い出すという予感は、次の瞬間しゅんかんには、的中していた。


「――だから戻るんだ、レプラー。今から一人ひとりで、ゴッデムガルドまで戻ってくれ」

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