「少年騎士の決断」

 ダクローが先導するように進むとうげの道は相当の傾斜けいしゃがあり、やはり旅人が敬遠するほどには険しいものだった。


「これじゃあ、馬車は無理だな……荷物を背負っている人間にも厳しいくらいだ」


 ニコルは漏らす。山は禿げ山でほとんど木が植わっておらず、道に根も張っていないから足を取られるということもない。だが、きつい坂道が延々と続くのには閉口した。


「レプラー、大丈夫だいじょうぶかい? ぼくは下りた方がいいかな?」


 急がせるのも悪く、人間の歩みと変わらない速度しか出させることができないレプラスィスにニコルは呼びかける。が、レプラスィスは鼻を鳴らしながらそれに首を横にる。

 人を背に乗せるのが馬の矜持プライドだ、と鼻を鳴らす音で言っていた。


「ま、険しい分近道だ。多少しんどい思いをする価値はあるぜ」


 低い山といってもそこそこの標高がある。北側に視界が開けている峠道とうげみちからは、平野が広がるゴーダム公爵こうしゃく領が遠い距離きょりまで望めた。はるか足元で別れる形で二本の川が北に向かってび、遠くに二つの橋がそれぞれの川にかっているのが確認かくにんできる。


 午前の時間に自分たちがわたってきた橋だ。早朝にゴッデムガルドを発した自分たちは、ゴーダム公領の中で円をえがくようにして夜の手前でゴッデムガルドに帰ることになる。


「――レプラー?」


 レプラスィスの様子がおかしいことにニコルは気づいた。耳をまっすぐ立てて異常にふるわせ、何かをさぐっているかのように方向を変えている。馬が耳を人間より動かせるのは知っていたが、それでもニコルが疑問に思うほどに変な動きをしていた。


「何か……聞こえるのかい?」

「おい、ニコル、どうした」


 レプラスィスに向かって話しかけているニコルの声が聞こえたのか、先頭を行くダクローが乗っている馬を止める。手綱たづなを必死にあやつってそのしりについているカルレッツも同じく馬を止め、ふうと息をいていた。


「レプラスィスが何かを聞きつけているようなんです」

「レプラスィスが? 何か聞こえるか?」

「馬は人間と聞こえる音の領域がちがうと言いますからね」


 自分がまたがっている馬よりつかれた顔を見せているカルレッツが、上がっている息を整えながら言った。


わたしたちに聞こえない何かが聞こえるんでしょう」

「レプラー、それが何か教えてくれるかい?」


 レプラスィスはニコルの問いに答えるように、その首を北の方に向けた。相当に高い視点から望めるゴーダム公爵領の景色けしきに、三人が一度に視線を投げかけた。


「何も変わったものは見えやしませんよ」

「…………何か変だな」

「え?」


 あっけらかんと言い放ってみせたカルレッツが、相棒であるダクローの真剣しんけんな表情に首をかしげる。ニコルの意見にダクローが同調するのが不思議に思えたのだ。


地響じひびきのような気配が……するな……うん?」


 目というより、額の感触かんしょくで異変を感じ取ろうとしていたダクローが視線を定めた。


「川と川の間の平原……街道かいどうの上か、砂煙すなけむりが見えるな」

「砂煙? ――ああ、確かに……」


 うっすらともやがかかるように見える砂煙らしきものにニコルも眼差まなざしを向ける。目に神経を集中していなければ見逃みのがしてしまうかというくらいのうすさではあったが、確かに視覚として感じられるものだった。


 小さく薄い綿毛のように景色の中に埋没まいぼつしているそれが、西から東に向けて動いているように見える。その動いている方向が、ニコルの悪い予感をさらに加速させた。


「あんな砂煙を上げられるものといったら、なんだ?」

「私、双眼鏡そうがんきょうを持ってますよ」

「あ? そんな便利なものがあるんなら、早く出せ」


 馬のこしにくくりつけた荷物ぶくろからカルレッツが大振おおぶりの双眼鏡を取り出し、馬から下りたダクローがそれを半ばうばるようにして乱暴に手にする。

 ニコルもまたレプラスィスから飛び降り、二人ふたりの元に身を寄せた。


「――騎馬きばだな」

「騎馬?」


 ニコルは思わず聞き返していた。騎馬があの砂煙を立てているというのか。遙か遠くからうっすらとだが肉眼で視認しにんできるとすれば、かなりの大規模なものだ。


「騎馬の集団だ。あの辺りを哨戒しょうかい部隊が展開しているっていう話は聞いてないな」

「――ちょっと、貸してください」


 言うやいなや、ニコルもまた思わず乱暴にその双眼鏡を手にしている。自分の脳裏のうりぎった悪い予感に、背中が粟立あわだつような悪寒おかんを覚えていた。


 砂煙が視認できた地点に双眼鏡の視野を合わせる。大きさの割りには性能がいい双眼鏡なのか、焦点しょうてんを合わせれば相当に遠方のものでもくっきりと見ることができる――。


「…………っ!?」


 ニコルののどけるほどに引きつり、きしむような音を上げた。砂煙を上げている騎馬たち、東に向かって激進げきしんしている集団の先頭に、見覚えのある姿を見ていたからだ。


「――盗賊とうぞく団だ!!」

「はああ!?」


 砂煙をくようにして走る騎馬団の先頭を行くのは、馬に跨がるあか覆面ふくめんの人間だった。

 全身の血管を流れる血がすべせてしまうかのような、一瞬いっしゅんの深い寒気にニコルは全身を激しく震わせる――夜のレマレダールで、拳銃を発砲はっぽうされた瞬間しゅんかんを思い出す。


 あの時、ゴーダム公が甲冑かっちゅうの胸の装甲そうこう銃弾じゅうだんを受け止めてくれなければ自分はどうなっていたかわからない。その銃弾を放った本人の姿が、遙か遠くを走っている姿を肉眼でとらえてしまったのだ。


「あの街道は、僕たちがさっき通ってきた街道です! あの盗賊団は……奥様おくさまとサフィーナ様の馬車を追ってるんだ!!」

「なにィ!?」


 ダクローとカルレッツの顔色がその言葉だけでさおに変わる。


「二百騎はいる! レマレダールで見た時よりも倍の数だ!」


 つばを飛ばしてさけんだニコルは双眼鏡を投げて返すと、レプラスィスのあぶみに足をかけた。


「おい! どうする気だ!」

「決まってるでしょう! 道を引き返して奥様たちに合流します! 盗賊団がせまっていることを伝えないと!!」

「やめとけ!!」


 こめかみに血管を浮かせてダクローが叫んだ。


「二百騎だと!? おれたちがもどったところで騎士きしは三十騎程度、開けた平地で八倍以上の敵と戦って、勝てるわけがねえ! しかもただの戦闘せんとうじゃねえ! 奥様とお嬢様じょうさまを守りながらの戦いだ! 行ったら死ぬぞ!!」

「じゃあどうするんですか!!」

「見なかったことにすりゃいいだろうが!!」


 手綱を振るおうとしたニコルの手が止まった。


「俺たちは命令で本隊と別れたんだ! したわけじゃねえよ! ここであの盗賊たちに気づかなかったとしても、何の不自然もねえんだ! ――俺たちは何も見なかった! ゴッデムガルドに帰って口をつぐんでいりゃ、何の沙汰さたも下らねえよ!」

「じゃあ仲間たちはどうなるんです!!」


 ニコルもえた。


「あの勢いじゃ、奥様たちの一行は背後から奇襲きしゅうを食らって壊滅かいめつしかねません! 全滅ぜんめつの可能性だってあります!! 仲間を……仲間たちを救わないと!」

「しょせん他人だろうが! 何をのぼせてんだよ!」

「わ……私は行きますよ!! もう付き合ってられません!」


 カルレッツはその場に双眼鏡を投げ捨てると、もう見えている峠の頂上に向かって馬を走らせる。れた道に大量の砂ぼこりを立て、今までののろかった歩みがうそだったかのように姿を消した。


「――付き合わなくていいよ。勝手にしろ、クズが」


 あきれながら見送ったダクローは大きな舌打ちをひびかせる。侮蔑ぶべつの形がくちびるに現れていた。


「ダクロー、あなたも行けばいいじゃないですか」

「お前を連れて行くって言ってるんだよ!」


 人気のない峠道に怒声どせいが響き、自分の興奮をじるようにダクローは声を落とした。


「な、冷静になれ。死ぬぞ。行ったら、確実に死ぬ」


 なだめるようにダクローは言う。まるでへりくだるようなその表情が奇妙きみょうに見えて、ニコルは思わず注目してしまった。


「命をける義理なんてあるのか? まだ騎士団に入ってから一ヶ月もっていないっていうのに、十四さいの身で死ぬと決まった戦いに付き合って、心中する気か? ――俺と一緒いっしょに来い。俺もだまっててやる。そうすりゃ、明日あした布団ふとんの中で起きられるんだ。……向こうに行ってみろ、二度と明日の太陽なんて拝めないぞ。お前、故郷に家族を残してるんだろうが。お袋を泣かせる気か? 友達ともだちだっているんだろ?」

「…………」


 ニコルが思わず閉じてしまったまぶた、その裏に無数の親しい人々の顔がかびがる。

 母や祖母、実家の界隈かいわい可愛かわいがってくれた兄貴分たち、弟分のようなまだ幼い子供……そして、微笑ほほえんでいるフィルフィナと――。


「リ…………」

「俺もお前が好きじゃねえけどな、死んでしまえなんて思ってねえよ。生きてる方がいいに決まってるだろうが。だから考え直せ。考え直せば、明日からも生きてられる。せっかく拾った命だろうが。大事に――」

「リルル…………」

「うん?」


 ニコルの唇かられた音が聞き取れなくて、ダクローは馬上のニコルの顔を下からのぞきむようにした。


「……でも、奥様もサフィーナ様も、アリーシャ先輩せんぱいも……仲間たちもいるんだ……」

「おい」


 あやしい雲行きにダクローは声を上げ――そして、それが現実になったことを知った。

 ニコルが手つなを引き、レプラスィスの馬首をめぐらせる。峠の頂きの向こう側ではなく、今自分たちが上ってきた下り坂の方に。


「僕は行きます。奥様たちを助けに行きます」

「なっ…………!」

「あなたはどうか行ってください。うらみはしません……じゃあ!」


 手綱を大きくしならせてレプラスィスの首筋を打ち、ニコルは前に向かってレプラスィスを走らせる――盗賊団が向かう方に、仲間の騎士たち向かう方に。

 その迷いのない疾走しっそうに、ダクローは叫んだ。叫ぶしかなかった。


「ニコル――――!!」


 少年と少年を乗せた馬の姿はあっという間に遠ざかっていく。後ろを振りかえりもしない少年騎士に愕然がくぜんとし、呆然ぼうぜんとしたダクローは自分の馬の手綱をにぎりしめたまま、その場でくした。


「――死ね! 勝手に死ね! ……なにが騎士のほこりだ! 死んだらなんにもならねえじゃねえかよ! せっかく助かる命を……クソ馬鹿野郎ばかやろうが!!」


 罵倒ばとうの限りを吐き出し、自分がなみだを流していることにようやく気づいてダクローはそれをそでで乱暴にぬぐると、馬に飛び乗って走らせた――ニコルとは、違う方向に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る