「分かれ道の誤算」

 一台の装甲そうこう馬車と二台の幌馬車ほろばしゃを真ん中に置いて隊列を組む三十騎あまりの重装備の騎士きしたちが、早朝のゴッデムガルドを発して東に向かっていた。


「はあ」


 矢だけでなく銃弾じゅうだんかえすほどの厚い装甲をほどこした装甲馬車は四頭の馬にかれ、やや早け程度の速度で太い街道かいどうを進む。その前後左右を、銀色の重い甲冑かっちゅうに身を包んだ騎士たちが守護するように囲む――例外は、多少いたが。


何故なぜわたしまで駆りされることになったんでしょうかねぇ」

「お前、自分が騎士見習いの立場だって忘れてないか?」


 この最近、ゴーダム騎士団駐屯地ちゅうとんちに顔を出すことさえめずらしくなっていたカルレッツが甲冑を着けない身軽な軍服姿で馬に乗り、そんなカルレッツの横に着くダクローもまた似たり寄ったりの格好で馬をあやつっていた。


「別に戦うわけじゃねぇ。お前のけんだれも期待してねえよ」

「次の橋をわたれば引き返せるんですよね? ももの内側がれて痛いんですよ。早く帰って湿布しっぷりたいもんです」

「情けねえな。まあお前が馬に乗れているだけでもまだアレか」

「馬に乗れるとモテますからね」

「本当にロクでなしだ」


 装甲馬車に乗るエメス夫人とサフィーナを護衛する仰々ぎょうぎょうしい一行は、ゴーダム公爵こうしゃく領をけるために東へ東へとひたすら街道を進む。一本の広い大河にかる橋は午前中に渡り、午後の太陽が真上から西にかたむいたころ、目印のひとつである二本目の橋が見えてきた。


「この一行がウディエム公爵領に着けるのは明日あしたの夕刻くらい。おれたちは先行してゴッデムガルドに今日きょうの夜までにはもどるってわけだ。これでも俺たちは楽な方だ」

「夜までに着けますかね? もう七時間は行軍してますよ?」

「近道の峠道とうげみちを選べばな。あの重い装甲馬車じゃえられないからほとんど迂回うかいするようなこの街道を通ってるんだ。結構険しいから、お前のうでで馬を越えさせられるかどうかはわからんがな」

「……あんまりめないでくださいよ。これでも一応、騎士団の入団試験には実力で受かっているんです」

「当たり前だ。自慢じまんになるか」


 ぶつくさと不満げな声をらす二人ふたりは、隊列からややはなれた後方を着いて進んでいる。治安の悪化が不安視されているゴーダム公爵領内を通行する際の、少しでも危険を減少させるためのおまじないのような存在だった。


「はあ」


 一方、護衛されている装甲馬車の中からもため息は聞こえていた。


「どうしてニコルはバグスまで着いてきてくれないのかしら」


 厚いとびらに着いた厚い窓を開け、暗い馬車内に明かりと風を入れているエメス夫人がその隙間すきまからため息の音を時折漏らしていた。


「お母様かあさま、仕方ないです。あんな破廉恥はれんちうわさが立ったばかりですし、少しゴッデムガルドを離れた方がいいのです」


 くもぞらの表情を見せるエメス夫人の横で、余所行よそいきのドレスをまとったサフィーナがたしなめるように言う。しかし、むすめのそんな言葉も母の表情を晴らすことはできなかった。


「別にそんな噂が嘘八百うそはっぴゃくだっていうのはすぐにわかることでしょう。あの人だってそれをわかっているからニコルを近衛このえに引き立てたのですよ。誰が妻を寝取ねとった若い男を厚遇こうぐうするものですか」

「閣下のご命令です。申し訳ありません」


 愛馬レプラスィスの体を馬車にぴったりと寄せるようにして並走させるニコルは恐縮きょうしゅくした顔で頭を下げる。本来この位置につく立場ではなかったが、道中ことあるごとにエメス夫人がニコルを呼ぶため、なしくずし的にそこがニコルの定位置となっていた。


「あなたがあやまることはないのですよ、ニコル。まあ、あなたが近衛になって館にめてくれることはうれしい……声をかけようと思えば届く距離きょりですからね。朝昼晩とニコルの顔が毎日見られるのだと思えば、まあ、一週間別れるくらいは我慢がまんできるかしら……。でも夫もずるいものです。結局自分がニコルを手元に置いていたいからこんな差配さはいをするのだわ」

「お母様だってニコルを側に置きたがるではないですか」

「私はこのゴーダム公爵領内においてはニコルの母親代わり、いいえ、母親そのものなのです。母が息子むすこを手元に置いて何が悪いものですか。ああ、ニコル、もうすぐ別れてしまうのね。あなたをさびしがらせて母は申し訳ないわ……」

「ありがとうございます、お母様。ニコルはお母様が戻られるまでに、領内の治安回復に、お帰りが少しでも安全になるよう努力します。道中、お母様もお気をつけください」

「ああニコル、あなたはなんていい子なんでしょう。今、この手できしめられないのがくやしくてなりません」

「……お母様、ニコルに向かって身を乗り出すと危ないからおやめください」

奥様おくさま、もうすぐ鉄橋にかります。れますので中で体を固定してください」


 馬車をはさんでニコルの反対側についたアリーシャが声をかける。


「不満はあたしだって同じ……どうしてニコルの直属の上官なのにあたしがバグスまで行かされて、ニコルがゴッデムガルドに戻るのか……直属の上官と部下だったら、二人一緒いっしょの行動が原則のはず…………」

「アリーシャ、何か言いましたか?」

「……いいえ、何も……」


 寂しげにアリーシャがうつむいた時、一行の先頭が鉄橋に差し掛かる。はば三百メルトはある深い峡谷きょうこくに架けられた橋は頑丈がんじょうな鋼鉄製で、橋桁はしげたも厚い木の板がき詰められ、おのとしてもびくともしない強度を想像させた。


 高さ三十メルトほどはあると思える二本の鉄柱がそれぞれ岸のはしに打ち立てられ、そこからこれも鋼鉄製の太いなわが対岸に向けて渡されている。その太い縄から垂らされた無数の鉄線によって橋桁がられている立派に過ぎる吊りばしだった。


 大型の馬車が対向で二台、余裕よゆうで擦れちがえる幅の橋桁を一行は進む。アリーシャの警告とは裏腹に、重い装備の騎士の列や重量級の馬車のすべてが橋桁に乗っても、橋桁はそれほど揺れはしなかった。


「この橋を渡りきれば、ぼくたちはゴッデムガルドに取って返します。お母様、サフィーナ様、どうかご無事で」

「ああ……務めとあればいたかたない……。ニコル、母はなるべく早く帰ってきますからね。それまで寂しさで泣かないように……」

「お母様、泣きながらニコルの手をにぎろうとしないでください」


 橋を渡りきった対岸の少しおくでは、街道沿いに小さな村――いや、集落が存在していた。橋の管理をしている集落の住民たちが、街道を進む騎士たちの一行を物珍ものめずらしそうな目であおぎ、中には群がってくる子供たちがいて、アリーシャが丁寧ていねいにそれを追い散らした。


「おい、ニコル。ここが反転地点だ。そろそろ戻ろうぜ」

「……ええ」


 ダクローとカルレッツが馬を止める。帰りはこの二人と一緒になるのかと思うとニコルは多少重い気持ちになったが、別々に帰るわけにもいかなかった。


「アリーシャ先輩せんぱい、僕たちはここで別れます。お二方ふたがたをよろしくお願いします」

「ああ、任せておけ。お前も帰りは気をつけてな」

「ニコル、ゴッデムガルドに着いたらバグスの街てに手紙を出すのですよ! ちゃんと着いたことを伝えるために!」

「何言ってるんです、お母様は。そんな手紙が着くころには私たちは向こうを離れてます。ニコル、母の言うことをいちいち真に受けないでいいですからね」

「サフィーナぁ!」

「あ、ははは……では、お二人とも、ご無事で…………」


 馬を止めたニコルたちが見送る中で、装甲馬車を中心にした一行はさらに東へと進んでいく。その姿が遠くなったころに、ふううとダクローが太い息を漏らした。


「んじゃ、帰るか。帰れば任務完了かんりょうだ」

面倒めんどうですねぇ。ここからとうげ越えですか」

「お前は少しは働け。――ニコル、ここから南に下るぞ」

「南、ですか?」


 まだゴーダム公爵領の地形にくわしくないニコルは南に視線をやった。標高はそんなに高くないが、するどい角度の山頂を形作っている山がやや遠くに見える。方角としてはその山のやや西側にゴッデムガルドが存在するはずだった。


「あの山頂の向こう側は少し低い峠道になってる。そこを越えれば、三時間は時間を短縮してゴッデムガルドに戻ることができる。まあ、馬で越えるにはギリギリの険しさだがな」


 ダクローは地図を広げてニコルに地形を確認かくにんさせた。山をけて川を渡るため、自分たちがかなりの距離を北なりに迂回してきたことが地図からもわかる。


「お前も暗い中で野営なんてしたくないだろ。メシを食うひまを省いたら、日が暮れる前に戻れる。公爵閣下もそれを計算してこの行程を組まれたんだろうからな」

「別に、峠行きをこばむ理由もありません。着いていきます」

「そうか。素直すなおなのは美点だな。ま、俺たちは気にくわないだろうが、だからってわざわざケンカすることもねえ。仲良く行こうや」

「そうですね…………」


 先導するように――というか、勝手に進み出したダクローとカルレッツのあとをニコルはレプラスィスに追わせる。三人が乗った馬は先ほど渡った鉄橋を渡らず、橋が架かっていた川に沿って築かれた道を歩き、南下した。


 やや遠くにあった山が次第しだいに近づいてくる。峠越えをきらう旅人ばかりなのか、馬車が一台ほどしか走れないほどに細い道は整備が行き届いておらずれていた。そもそもこの先が馬車では越えられない山であるから仕方がなかったのかも知れないが。


 お気に入りの少年を背にすることができているレプラスィスが、上機嫌じょうきげんで歩を進める。が、その背に乗せられている少年の方はややかたい表情を見せていた。


「――胸騒むなさわぎがするんだ」


 ニコルがこぼした言葉に、レプラスィスが首をわずかに横に振り、その大きく丸い目をぎょろりと動かしてニコルを見やった。


 あたえられた任務は半分はこなした。あとはゴッデムガルドに戻り、予定の地点を公爵夫人の一行が無事に通過したことを報告するだけ――のはずだったが、ニコルは自分が何か重大な手落ちをしてしまったという思いにとらわれていた。


「なんだろう……何か僕は見落としをしていたか……?」


 一行と別れた鉄橋のたもとの方向に目を向けるが、鉄橋の輪郭りんかくさえももうとっくに視認しにんできない距離が開いている。近くにあるのは徒歩で峠を越える旅人を相手にする小さな宿場村くらいで、人の活気などはほとんど皆無かいむなのが不安を加速させた。


「戻った方がいいんじゃないでしょうか」

「今戻ってんじゃねぇか。寝言ねごとか? 寝言ならて言えよ」

「いや、奥様とお嬢様じょうさまの元へです」

「はあああ?」


 こいつは何を言ってるんだ――ダクローの顔が本気でそう語っていた。


「それこそ寝言だろ? 何で今さら向こうに戻らなきゃならねぇんだ。もうかなり距離が離れてるだろうが。あれから二時間は進んでるんだからよ」


 太陽は西の方角に大きく傾き、午後の日差しも半ばに差し掛かろうとする頃合ころあいだ。ここで引き返して一行に合流する意義を見つけられず、ダクローは顔をゆがめるだけだ。


「戻りたきゃ勝手に行けよ。お前がわけのわからないことでフラフラしているって報告させてもらうだけだぜ」

「ああ、モタモタしてないで進みますよ。暗い道を進みたくはないですからね」

「はい…………」


 その二人のげんにニコルは逆らえなかった。実際、二人の言う方が正しいと思えたからだ。

 自分の予感に根拠こんきょなどない。だが、それがわかっていながらニコルは自分の感じた悪い予感を捨てられなかった。


 そんなニコルが自分のかんが正しかったことを確認したのは、三十分あまり後の、峠越えの最中だった。

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