「朱い詰問」

 ゴーダム公が平伏へいふくし、バイトンの安寧あんねいねむりを祈願きがんしている間、いつの間にか星々をかくそうと夜空の一面をおおい、月をもそのおくに閉ざした暗雲をゴーダム公があおいだ時、静かな雨足の音がかなでられた。


「あ…………ああ…………?」


 サ――――…………と静かに、小さく雨が降る。小雨にも足りない、霧雨きりさめよりも少し大きいかという雨がゴーダム公のかみを、顔を、服を本当にうすらしていく。


 上空の風にかれて雨雲が運ばれていった夜空が晴れ、雨がむまでに数分とかからない。もしかしたら、一分の半分にも満たない時間かも知れなかった。

 それはただの、偶然ぐうぜんに降った通り雨と解釈かいしゃくするのが普通ふつうで、妥当だとうだろう。


 それをわかっていながら、ゴーダム公は思った。


「――天が、泣いてくれた…………」


 そのなみだを呼んだのはだれなのか。

 それは今、自分が目の前にしている存在だろう。

 ゴーダム公爵こうしゃく騎士きし団の『ひつぎ』に眠る英霊えいれいたちが、泣いてくれた。


「――偉大いだいなる先達せんだつたちよ、厚く、厚くお礼申し上げる」


 ゴーダム公のこしが直角にまで曲がり、その頭が『騎士の棺』に深々と下げられた。


「バイトンのれいを、よろしくぐうたまえ。騎士団の現団長として、ゴーダム公爵家の当主として、これ以上の感謝はない……ありがとう…………」


 とむらうという行為こういは結局、弔われる側ではなく、弔う側にとって意義があるのだ――それは合理的な考えではあるが、同時にさびしい考えでもある。

 人間は、命がきても人格は残る。それをどうあつかうかが問われているのだ。


「そうだろう、バイトン……。わたしも、死んだあとにも自分のことを誰かに覚えていてもらいたい……かたいでもらいたいと思っている……。だから人は名をのこそうとするのだ……。お前の名も、永く永く遺してやる。安心して眠れ……」


 今一度瞑目めいもくし、ゴーダム公はきびすを返した。もう、館を空けてかなりの時間がっている。これ以上不在でいることは望ましくない。


明日あしたは……また、この場所に足を運ばなくてはならないしな…………」


 わずかに濡れた道を、ゴーダム公はやみの暗さにまぎれながら足早に歩いた。



   ◇   ◇   ◇



 ニコルはきゅうしていた。


 普通ならもう、とっくに寝床ねどこいていてもおかしくない時間、そんな深夜に林の中からるようにして現れたサフィーナに、よりによって目撃もくげきされてはならない姿を目撃されてしまった――。


 そのことに気持ちがのどまでし上がってきて、息をすることさえできなくなっていた。


「ニコル、どうしてあなたはこんな時間に、こんな場所にいるのですか?」

「サ……サフィーナ様こそ! このような場所に、おひとりで!」


 あわててニコルは周囲を見渡みわたす。サフィーナの側にはお付きの人間――そもそも普段ふだんからお付きの人間などつけていないが――もなく、その手にはランプさえ持っていない。


ともりさえお持ちでないとはどういうことです! 危険にもほどがあります!」

「ですけれど、今夜は月明かりが明るいですから、夜目をかせれば危なくはないと思いましたから。いちいちランプを持つのも面倒めんどうですし」

「早くお館にもどりましょう! サフィーナ様、ぼくが同行いたしますから!」

「あら、ニコル、その馬は――」


 小首をかしげて見せたサフィーナの言葉に、ニコルは心臓が止まる感触かんしょくを覚えた。


「バイトン・クラシェル騎士の馬ではないのですか?」

「っ…………!」


 ニコルが手綱たづなにぎっている馬の持ち主を正確に当ててみせ、ニコルのはだが音が立つかと思えるほどの勢いで冷たいあせき出す。


「こんな時間に、バイトン騎士とどこかお出かけを? でも、バイトン騎士がいなくて馬だけがあるということは、どういう……?」

「サ…………サフィーナ様…………」


 ニコルの口が空回る。言い訳をしようにも上手うま理屈りくつが頭の中で出てこない。この林の中で出くわしてしまっただけで、ニコルは自分がめられてしまっていることを理解し、理解したがゆえに何の手立ても打てなかった。


 きわめつけは、ふっと夜空が暗くなった直後にた。

 木々の間からえ隠れする月にいつの間にか暗雲がかり、青白い光がさえぎられた直後に、薄い雨が降ってきたのだ。


「きゃっ」

「わっ!」


 冷たい雨を体に受けた拍子ひょうしにサフィーナが甲高かんだかい声を上げ、びはねるようにしてニコルの体にきつく。ニコルにそれを受け止めないという選択肢せんたくしはなく、サフィーナの髪に鼻先をませられるような間合いで公爵令嬢れいじょうの体を受け止めた。


 頭上に張り出している枝葉を屋根にして、雨をやり過ごす。


 雨はそれほど長い時間を降らなかった。おそらく三十秒と少しくらいで、通り雨というにも短いそれはすぐに止んでいった。


「サ、サフィーナ様、おはなれください」

「離れなくてはいけませんか?」

「いけません! そ――そもそも、どうしてサフィーナ様がこんな時分、こんな場所に」

「今夜は何故なぜ胸騒むなさわぎがして、なかなか寝付ねつけなかったのです」


 受け止めたサフィーナのかたをニコルは放していたが、サフィーナはそんなニコルにぴたりと体をくっつけたままだった。


「お父様とうさまも何故か、げるようにして外に出かけられましたし」

「か……閣下が……」


 体を濡らす汗がますますむ。風に冷やされたそれで風邪かぜを引きそうな予感さえした。


「それで、ニコルにお話相手になってほしくてニコルの部屋へやを窓からのぞいたら、いないんですもの。街の方に出て行った気配はないと門番も言ってましたし、出かけるとしたらこちらの方かなと思って、探していたのですよ…………あら?」


 少女の鼻がかすかに、ほんのわずかに鳴る。ニコルに向けられていた視線が下がり――今までぴたりと体をくっつけていたサフィーナが、自分から二歩、後ろに下がった。


におい…………」

「臭い……?」


 ニコルの心臓が鷲掴わしづかみにされたのは、次の瞬間しゅんかんだった。


「――血の臭いが、しませんか?」

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