「橋の上の対峙」

 一歩、バイトンが自分の宿舎を出ると、天空のてっぺんに鎮座ちんざする月がまぶしいくらいの光を下界に投げかけていることに気づいて彼は視線を真上に向けた。


「満月か」


 深夜。

 自分のかげがうっすらと地面に映されていることが何故なぜ可笑おかしくなってバイトンは笑うと、数秒の間、夜空にかぶ青白い顔の月を見つめた。


 大きなズダぶくろを背にかかえ、旅装束たびしょうぞくをマントの中にかくした青年の姿があわい光の中に直立する。こしに差したけん塗装とそうがれた地金を見せ、それが小さく光を反射していた。


「――いや、少し欠けているか。欠けゆく月だ、お前は……そうだろう?」


 月はこたえない。

 問いかけを無視されたことが愉快ゆかいであるかのようにバイトンはまた微笑ほほえみ、ひとつのともりも絶えてしまっている宿舎群の中を歩き出した。


 駐屯ちゅうとん地を守備している最低限の衛兵以外、ほぼすべての人間が深いねむりにしずんでいる時刻だった。特に宿舎群の近くはうろついている人間もいない。街に面している駐屯地の入口、ゴーダム公爵こうしゃく邸宅ていたく周辺を固めている方面の方は、まだ灯りが灯っているはずだった。


 バイトンが足を向けたのは、その反対の方向だ。ゴーダム騎士きし団駐屯地は西の方面を街と接しており、東の方面には森を抱えている。駐屯地の東を囲むように大きく湾曲わんきょくしている川があり、それが天然の境目を作っていた。


 その川に唯一ゆいいつけられている橋を目指し、バイトンは歩く。途中とちゅう厩舎きゅうしゃ群に立ち寄り、自分に割り当てられている馬を一頭引き出し、その手つなを引いてさらに歩いた。

 十五分ほど歩くと建物の気配も消え、深い林の間を通る細い道だけがバイトンをむかえる。


 小川というには少しはばのある川が小さく音をかなで、バイトンは架かっている橋――馬車二台がギリギリちがえる幅ほどの木の橋の半ばをみ、そこで足を止めた。


「やはりおいででしたか」


 かえらず、自分の背中にバイトンは問いかけた。

 一呼吸を待ち、声を投げた方向の先で大きな赤いほのおが燃え上がって辺りを照らす。

 軍服を着た壮年そうねん大柄おおがらな体格の男の姿がひとつ、炎の明るさの中に浮かびがった。


「バイトン。軍紀違反だな」


 赤い光に焼かれているような姿を見せているのは、ゴーダム公爵そのひとだった。


わたしはお前に休暇きゅうかの取得を命じたが、駐屯地の外に出る許可は出していない。申請しんせいもされていないからな」

「騎士団を裏切っている私に、軍紀違反も何もないでしょう?」


 バイトンは振り返らなかった。ただ、手綱を引いて連れていた馬の背をし、自分が立ち止まる中で馬だけを先に橋をわたらせた。


「こちらに足を向ければ、閣下がいらっしゃると思っていました」

「全て承知というわけか」

「閣下とて、私とおひとりで対面されたいがために、あのような暗号めいた命令書を送ってきたのでしょう。閣下の考えのなさり方はよく理解しているつもりです」

「残念だが、ひとりではないぞ」


 そのゴーダム公の言葉に応えるように、バイトンが目を向けている方向――橋の出口の向こうで、ゴーダム公がとなりにしているのと同じほどの大きな炎が燃え上がった。

 炎の色の中に、やはり軍服姿のニコルが浮かび上がった。


 バイトンがはなした馬をニコルは無表情で受け止め、小さく押しやって道のわきに退ける。その間、厳しい色をたたえた目はその視線の先にバイトンを一瞬いっしゅんたりとものがさず、固く閉じられた口元は少しもゆるむことはなかった。


「ひとりであれば、私は橋の向こう側にいる」

「……そうでしたね。私が迂闊うかつでした……しかし、これで全員ということですか?」

えずな。あのバイトン・クラシェル正騎士が、騎士団の作戦情報を盗賊とうぞく団に渡していたなどという事実を大っぴらにするには、かなりの勇気がるのだ。わかるだろう」

「それは……ある意味光栄なことというか……」


 橋の真ん中でくすバイトンに向かいゴーダム公とニコルが歩を進め、バイトンを橋の中にめる形を取る。

 入口と出口をふうじられ、バイトンはふぅぅ、と細い息をらして微笑んだ。


「それで、事情は話してくれないのか、バイトン」

「申し訳ありませんが……」


 バイトンの背からズダ袋がすべるように下り、ポスンと音を立てて橋の上に置かれる。

 そのまま青年の足がゆっくりと前進し、ニコルとの距離きょりはじめた。


「私もこうするしかないのですよ」

「――バイトン正騎士!」


 ニコルがわずかに腰を落とし、剣の柄に手を置く。身構えずにただ歩くバイトンの体から静かな威圧感いあつかんにじて、自分を突破とっぱしようとする気配に緊張きんちょうが走っていた。


「あなたは本当にぼくたちを、騎士団を裏切っていたんですか!」

「今、私の口からそう言ったろう。現実を瞬時しゅんじ見極みきわめて理解しないと、死ぬぞ」

「…………何故そんなことを!!」

「事情を話せば、お前は私をゆるしてくれるのか?」


 橋桁はしげたに足をかけないゴーダム公は、ひとりの部下とひとりの元部下が対峙たいじする光景を傍観者ぼうかんしゃのように見つめている。そのふたりのやり取りに、自分が介入かいにゅうすることはできないといましめているかのようだった。


「私がやったことは、盗賊団による数十件の被害ひがいを招いたことだ。どれだけの人々が財産を失い、傷つき、時には命を失ったか私も把握はあくしきれないほどだ。わかるか? この罪の大きさを……」


 十歩の間合いを取ってバイトンが止まる。ニコルは剣をくのを躊躇ためらっている間に好機を逃したことを知った。バイトンは剣の柄に手をれてさえもいないが、それでもバイトンの方が抜刀ばっとうは速いだろう。


「そしてマルダムの死にも、私は無関係ではない。かれの死は『まぼろしの盗賊団』の跳梁ちょうりょう刺激しげきされ、ほかの盗賊たちが活発化したことが原因だ……私がマルダムを殺したようなものだ」

「っ!」


 ニコルの心の中に、僚友りょうゆうの笑っている顔と死化粧しにげしょうに白くられた顔が浮かんで消えた。


「どうだ、ニコル。私はマルダムの本当のかたきだ。お前はそんな私を赦せるか?」

「……赦せない」


 カッ、と血の温度が増す感触かんしょくにニコルはふるえ、その興奮の勢いを持ってして腰の剣を抜きはなっていた。感情のとばしりが神経を焼くように走り、指先までを熱くする。いかりの力が少年の心と体を奮い立たせ、そのかたから見えない炎をき上げさせていた。


「赦せるものか! あなたがしたことは全て取り返しがつかないことだ! それなのに、騎士団から逃げ出そうとしている! あなたを逃がすわけにはいかない!」

「それで、私の前に立ちはだかるか。ニコル、忘れていないだろうな――私とお前の剣技けんぎの差は、天と地の開きがあることを。二十四人をころしたという事実にっていると、自分から命を捨てることになるぞ」


 バイトンの手が腰の剣に触れる。その自然な動きにニコルは反応できない。余裕よゆうを持たせているバイトンの動作のことごとくにすきがないのだ。


「――閣下、私を背中からお斬りにならないのですか」


 バイトンは一度も振り返らず、背中にいるゴーダム公に向かって語りかける。そんなバイトンに、剣を抜きもしていないゴーダム公は静かに応えた。


「ニコルは一騎討いっきうちを望んでいる。この尋常じんじょうの立ち合いに、ふたりがかりでひとりを斬るということは無粋ぶすいだろう。私はニコルの意志を尊重する」

「その結果、ニコルが死んでもいいと?」

「そうなったら、ニコルの仇は私が取る」

「……わかりました」


 バイトンは意識の全部を前にするように、視線の全てをニコルにだけ注いだ。


「――そういうことだ、ニコル」


 柄をにぎった剣を抜かないバイトンの姿勢に、ニコルはかつて道場においてバイトンが披露ひろうした、木剣ぼっけんで木剣を溶断ようだんしてしまう、異常な剣速けんそくの抜きちをおもい浮かべた。あの時ち斬られた木剣の代わりに、今、自分の胴体どうたいねらわれているのだ。


 木剣であれほどの切れ味を見せる斬撃ざんげきが、真剣しんけんで行われればどうなるか。ニコルは何通りかの予想を立てるが、自分の真剣で防ごうとしても、剣ごと自分が斬りかれる結末しか思い浮かべられなかった。


「ニコル、今ならまだ間に合う。そこを退け」

「……断ります」

「退くんだ。お前が私の行く手をはばもうとしても、さらに無駄むだな人死にが増えるだけだ。私もこれ以上だれかが死ぬのを望むものではない。だから――」

「断ると言ってるだろう!!」


 死のやいばそのものとなって立ちはだかるバイトンを前にし、ニコルは震えた。だが、後ずさることはなかった。

 足の裏から大地に根をき立て、恐怖きょうふを勇気ではらうひとりの騎士となって立っていた。


「僕の使命はあなたを逃がさないことなんだ! その使命を果たすことなく退くなんてことはできない! 僕はまだ卑小ひしょうの身とはいえ、ゴーダム騎士団の一員だ! 一合いちごうも剣を交えずに退くなんてことをするくらいなら、この徽章きしょうを自分で破り捨てる!」

「――残念だ…………」


 柄に触れていたバイトンの手が、柄をゆっくりと握りめる。剣気がそこからあふれ、抜いていない刃から殺気が噴き上がりはだに触ってくる感触にニコルは全身の鳥肌とりはだを立てた。


 勝負は一瞬で、決まる。

 一度の踏み込みと一度の振り抜きが確実に、命を断ち斬るだろう。

 それがニコルかバイトンか。ふたり共には、考えられない――。


「お前とは短い付き合いだったな……。お前を一目見て、きっといい騎士になると確信した……期待していた……」


 バイトンの沈む腰とひざが足首に力をめ込み、瞬足しゅんそくの速度を生み出す源泉となる。


「成長したお前の姿をこの目で見たかったが、それがかなわないのが残念だ……」

「――――っ!」


 満ちた闘気とうきが臨界に達し、爆発ばくはつに転じる。

 その瞬間しゅんかんを同時に感じ取り、ふたりの騎士の姿がたがいに向かって、疾走はしった。

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