「封の中」

 レプラスィスを早けの速度で走らせ、ニコルは午前の駐屯地ちゅうとんち敷地しきちを走った。


「ニコル!? お前!?」

「失礼します!」


 明るい金色のかみを風にそよがせながら駐屯地を駆ける少年の姿に気づいた騎士きしたちが、一様に目を見開いて声を上げていく。数日前に追放宣言を受け、一昨日深夜に姿を消した少年が今、目の前を堂々と走っている――それにおどろかない者はいなかった。


 その一人一人ひとりひとり挨拶あいさつをする時間も手間もしく、ニコルは首だけで最大の敬意を示しながらレプラスィスを走らせる。長距離ちょうきょりの行軍を経たにもかかわらず、この少年を背にして走ることに至上の喜びを覚えているレプラスィスの走りは軽快だった。


 駐屯地の領域に入ってから、何十人という騎士たちに会釈えしゃくかえしながら走ること一分――宿舎などの建物が集まっている区域に進入したニコルは、主計局しゅけいきょくの建物の近くでレプラスィスを減速させ、まだレプラスィスの足が止まらないうちにその背から飛び降りた。


「ニコルさん!?」

「オゼロさん」


 建物の前で大きなたるを転がしていた少年が大きな声を上げる。ニコルは知っているその声と姿に安堵あんどの息をらした。


 バイトン小隊に所属し、バイトン正騎士に直接仕えている小者の少年オゼロがあせだくになっている顔をそでぬぐっている。レプラスィスの手つなを引いてニコルはかれの元に歩み寄り、ここまでほとん休めなかった足をようやく止めることができていた。


いやだなぁ、オゼロで結構ですよ。ですが、あなたは騎士団から追放されたというもっぱらの話だったのに……騎士団の中でそのことを話題にしない人間はいないほどでしたよ」

公爵こうしゃく閣下からおゆるしをいただき、処分を解いていただきました」


 ニコルは羽織ったコートのえりについた徽章きしょうを示した。つばさを背に生やした獅子ししが左を向いているゴーダム騎士団所属を示す紋章もんしょうりとして彫られている。これをゴーダム公自らの手で襟からがされた時、自分の内臓をかれたような喪失感そうしつかんを覚えたものだった。


「それは、よかった……。マルダムさんもくなられた今、バイトン正騎士の下でまともにつく騎士見習いの方がいなくなったところでした」

「あの二人ふたりは相変わらずですか」

「まあ、相変わらずです」


 ダクローとカルレッツの名前を出さずに二人は苦笑くしょうし合った。


「それで、この処分が解かれたむねをバイトン正騎士に報告しようと参った次第しだいです。――バイトン正騎士はどこにいらっしゃいますか?」

「ちょうど仕事が一段落したところで、裏手の方でしょう」

「ありがとう。――すみませんが、このレプラスィスに水を飲ませてあげてください」

「それくらいはお安い御用ごようですよ。これを運んだら水桶みずおけに水をんでますから、ここにつないで置いてください」


 愛想あいそ良くオゼロは微笑ほほえみ、樽を転がしながら倉庫の方に向かっていった。


「レプラー、ちょっとここで待っていてよ。厩舎きゅうしゃにはすぐ連れて行ってあげるから。えずのどうるおさないとね……」


 小さく喉のおくを転がすような声を上げてレプラスィスがニコルのほおに鼻をこすりつける。自分の気持ちを伝えようとするレプラスィスの仕草に思わず声を上げたニコルは彼女かのじょの顔をひとつで、長い行軍で乱れた服を正して気をめた。


 胃の奥に心を落とす心持ちで気持ちをえ、足を進ませる。その先にある主計局の裏手が、ニコルの戦いの場だった。



   ◇   ◇   ◇



 主計局の人気ひとけのない裏手に足をれたニコルが見たのは、いつも休憩きゅうけい用に使っているだろう小さな椅子いす腰掛こしかけ、ふところから取り出した口琴ハーモニカを口に当てようとしていたバイトンのつかれた顔だった。


「バイトン正騎士」

「――ニコル?」


 どちらかというと細い目をいっぱいに見開かせたバイトンが、呼びかけてきたニコルの存在に表情を固まらせる。いないはずの人間を見たような――いや、いないはずの人間を見たバイトンはそのまま十数秒、言葉をまらせて硬直こうちょくしていた。


「驚かれましたか」

「驚いた……驚いた。お前、幽閉ゆうへいされたろうからもいなくなったと聞いて、もう王都にもどされたものだと…………お赦しが出たのか? しかし、ゴーダム公爵は今、アーデスの港町に視察におもむかれていると聞いていたが……」

「ついさっき、お戻りになられています。ぼくも同行していました」

「…………どういうことだ?」


 いつもは冷静なバイトンの脈拍みゃくはくが速まっていることが、ニコルの目からもわかる。追放されたはずのニコル、まだ遠方にいるはずのゴーダム公爵がそろって今このゴッデムガルドにいるという事実の説明をバイトンの表情が求めていた。


詳細しょうさいはのちに正式発表があるとのことです、僕の口から申し上げるのは問題があるでしょう。この場では遠慮えんりょさせていただきます」

「あ、ああ…………」

「僕は今日きょう一日休暇きゅうかをいただいたのち、明日あしたから通常任務に復帰します。バイトン正騎士にはその旨をお知らせにあがった次第です。そして、バイトン正騎士には、これが」


 ニコルはポケットから一通の封書ふうしょを取り出した。


「――これは」


 不可解を表情でうったえるバイトンが反射的にそれを手に取る――ふううすろうで固めた封緘ふうかん命令書だ。ゴーダム公爵家の紋章が小さくかたどられた蝋は、それがゴーダム公爵本人にしか発行できない証明を意味している。そして、それは一度封を解いてしまえば元に戻せない。


 ゴーダム公がその内容をほかの人間に漏らしていない限り、今この瞬間しゅんかん、その封書の内容を知る者はゴーダム公爵以外に存在しないのだ。


「ニコル、お前はこの封書の中身のことを……」

「僕は閣下から、これをバイトン正騎士におわたしすることだけを命じられました」

「……そうだろうな。愚問ぐもんだった」


 バイトンはその封筒ふうとうを受け取り、宛名あてな先が間違まちがっていないことを何度か読んで確かめていた。


「受領後、ただちに開封かいふう、か…………」

「自分はそれに同封どうふうされている受領書を持って帰るよう、厳命されています」

「――そうか」


 細めた目を数秒閉じ、次に開いてバイトンは封の蝋を剥がした。蝋の破片はへんひざこぼれるのもかまわず封を切り、一枚目の紙片しへんを取り出して広げた。胸にしていた鉛筆えんぴつを手にしてそれに署名をし、ニコルに差し出して返す。


「ありがとうございます」

「いや…………」


 命令通りに命令書を手渡てわたしたことを証明する受領書を懐に入れ、ニコルは一礼した。

 バイトンはふるえる手でもう一通の紙片を取り出し、三つ折りにされていたそれを広げる。


「――――」


 小刻みに震える指と同じ調子で震える目でその短い文面を追ったバイトンのくちびるが反射的に開けられ、唇の隙間すきまから細い息が漏れた。

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