「帰還、そしてまた戦い」

 逃亡とうぼうに失敗した盗賊とうぞくたちは何人かいた。橋の上でゴーダム公にばされたが死亡にまでは至らなかった者、ニコルに馬上からはらわれて落馬したまま気絶していた者――その全員が捕虜ほりょとして捕縛ほばくされ、戦闘せんとう終了しゅうりょうして時を置かずして尋問じんもんがなされた。


無駄むだだったな」


 予想はしていたという顔でゴーダム公はニコルにため息を聞かせてしまった。


「集団は常に移動していて決まった拠点きょてんはなし。普段ふだんは商隊に偽装ぎそうしているという確証は得られたが、予想の範疇はんちゅうだ。今回、襲撃しゅうげきに失敗して逃亡したあとの合流地点も知らされていないとた……本当にあの頭目に付き従うだけの集団なのだな」


 レマレダールの街の中心にある政庁本館の一室、とびらの前でゴーダム公は額にかかったかげを消せない表情でぼやく。それをニコルは直立不動の姿勢で聞いていたが、扉の向こうからひっきりなしに聞こえてくる怒声どせいと悲鳴に顔がゆがむことだけは防ぐことができなかった。


「しかし、これだけでも一歩前進だ。今までの虱潰しらみつぶしに行い、すべかわされてきた哨戒しょうかいが無意味ではなくなる。実際に騎士きし団とかち合ってしまえば、戦闘力せんとうりょくが低い連中は簡単に壊滅かいめつさせられる。こちらの行動を全て先読みできるという奴等やつらの最大の武器がふうじられた今、そのままあきらめて地下にもぐってしまうかも知れないが……」

「閣下、それで……盗賊団に騎士団の作戦を知らせていた人物がわかったのですよね?」

「特定はできた。あとは本人の口から白状させて逮捕たいほするだけだ」

「それで…………閣下…………」


 ニコルは自分が言おうとしている言葉を頭にかべて、心臓が高鳴りこめかみにあせが浮くのをはっきりと感じた。

 自分が聞こうとしているのは、騎士団内部の人間の名前だ。


 自分が生活の場にしている騎士団に裏切り者がいて、もしかしたら知人かも知れない――いや、その可能性が存在することは今まででも認識にんしきとしてあった。しかし、それがだれであるかということをほとんど確信として名前を聞かされるのは、また別の話だった。


 ニコルが問いかける口もよどむ。しかし、これからゴッデムガルドに取って返し、くだんの人物を逮捕しなければならないのだ。

 これ以上被害ひがいが拡大するのを防ぐために、一刻も早く。


 だから、戦いが終わってもほとんど休む間もなく、朝をむかえる前にレマレダールの街をたねばならない。急ぎに急げば、日がのぼって数時間った午前のうちにはゴッデムガルドに帰還きかんできるだろうというのが二人ふたりの算段だった。


「わかっている。お前も知りたいのだな。その人物の名前を」


 甲冑かっちゅうにこびりついた返り血を落とすひまもないゴーダム公が、レマレダールの街の役人たちに見送られる中を歩き出す。予告も何もなく突然とつぜん領内の最高責任者がやってきて、奇襲きしゅうをかけた盗賊団をい払ったことに官僚かんりょうの誰もが理解が追いついていなかった。


「ニコル、お前にはすまないがもう一働きしてもらわねばならん。だから、お前にはその名前を告げよう。――しかし、わかっているな?」

「は……はい…………」


 こめかみがひくつくのをおさえられないニコルは、それでもうなずいた。聞けば後悔こうかいするとわかってはいたが、聞かなければ何も始まらないのだという認識があった。


 政庁本館から出る最後の扉をゴーダム公が開ける。玄関げんかん前にはガルドーラとレプラスィスが待機しており、その首の下には大きな水桶みずおけと飼い葉が置かれていた。

 二頭は二人が現れたことを知ると、鼻先をんでいた水桶から顔を上げる。


 馬たちの小さないななきを耳にしながら、ニコルは、舌には重い言葉を口にしていた。


「周囲には、決してらしません。おくびにも出しません。秘密は、厳守します……」

「よく言ってくれた。お前の口のかたさを信じよう。その、裏切りの第一級の容疑者はな」


 愛馬のガルドーラにまたがり、ゴーダム公は馬首をひるがえさせる。ニコルもまたレプラスィスの背に飛び乗ってそのとなりに並び、二人並んで明け切らない東の夜空に目を向ける中、ゴーダム公の苦い声がこぼれた。


「――バイトンだ」

「――――」


 ニコルの心臓に、見えない銃弾じゅうだんが突きさった瞬間しゅんかんだった。



   ◇   ◇   ◇



 日が昇り、人々が今日きょうもいつもの労働に精を出し汗をき出してきたころ、ゴッデムガルドの大通りを結構な速度で走る二騎の騎士の姿に、道行く人はおどろいた。


 一人ひとりは、この公爵こうしゃく領を治めるゴーダム公爵その人。

 そしてその公爵のやや後方について従うもう一騎の姿が、人々ののどから驚愕きょうがくの音色をしぼさせていた。


「ニコル!?」


 様々な事情で街の人々に名前と顔が知られ出しているニコルの存在を認めて、事情にくわしい街の人々が大通りのわきさわぎ出している。少年が行った一週間の行状だけで、飲み屋での話題に事欠かないくらいだった。


 騎士団追放という重い処分を下した公爵本人が側にいるのだから、ニコルはゆるされたのだろう――そんな想像を人々は胸の中で巻き起こすが、風のように走る二人にそれを問いかけることはできなかった。


「ニコル、わかっているな」


 ゴッデムガルドを大通りに沿って西から東にくように愛馬を走らせ、石畳いしだたみ馬蹄ばていが打つ音を背後に置いていくゴーダム公が馬上からニコルに語りかけていた。


駐屯ちゅうとん地に帰ったらバイトンの元におもむけ。自然ていよそおってな」

大丈夫だいじょうぶでしょうか……」

「処分が解かれたから、直属の上司にそのむねを知らせに挨拶あいさつにいく――しない方が不自然だろう。別に芝居しばいをする必要はない。封緘ふうかん命令書をわたすのさえ忘れなければいい」

「はい」

「気を強く持て。いつものようにえば大丈夫だ」

「――はい」


 いつものように。

 レマレダールからゴッデムガルドまで引き返すこの数時間、一度短い休憩きゅうけいを入れただけで走り通しになっており、さすがにガルドーラとレプラスィスも疲弊ひへいの色を見せている。


「レプラー、もう少しで休ませてあげられる。あとちょっと、がんばって」


 馬上で絶えない震動しんどうられながら、たてがみをでてくれる相棒の存在にレプラスィスは小さく一鳴きし、ゆるみがちになる速度を保った。


「戦いだな……」


 ゴッデムガルドの市街地をけ、ゴーダム公爵の館の全貌ぜんぼうが目の前に見えてくる。そのおくがゴーダム公爵騎士団の駐屯地だ。


 そこでいつもの業務についているバイトン正騎士とどう対面するのか。

 ゴーダム公の言葉を受けながらも胸に渦巻うずまく不安が払えないニコルが、馬上でもう一度固唾かたずを飲んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る