「西の空の向こう」

 冷たく湿しめった地下の牢獄ろうごくでの時を、ニコルはほとんどねむたおして過ごした。

 実際、つかれていた。

 一週間弱におよぶ行軍、初めての戦闘せんとう、そして友であるマルダムの死。


 そのすべてを心で受け止め、整理し、体の疲労ひろうを取り除くには長い眠りが必要だった。


 ゴーダム公から直々に追放をわたされたのは、とってさほどの衝撃しょうげきにはなっていない。

 自分でも奇妙きみょうなことだったが、期待していた献立こんだてが別のものにすりわっていたくらいの残念さしかなかった。


 この事態の展開がかも違和感いわかんが、後の展開を何となく予感させたのかも知れない。

 自分でも今までにこんな長く眠ったことはないという時間を、ニコルは眠って過ごした。


 ろうの冷たい気温とやや高い湿気しっけは快適とは言いがたかったが、新品の布団ふとんがその分を補ってくれて、数十時間を通してニコルは眠りつづけた。適度に薄明うすあかるい蛍光石けいこうせきの光が逆に眠気ねむけさそってくれたというのもあったのだろうか。


 いくつか断片的だんぺんてきな夢を見たような気もするが、次の夢を見る時には忘れた。


「う…………」


 そんなニコルを覚醒かくせいさせたのは、鉄のとびらじょうが外から解かれた音だった。

 がしゃん、と金属が落ちる音がひびき、ニコルの目が同時に開く。

 きかけた蝶番ちょうつがいが悲鳴を上げるようにきしみ、厚い扉がゆっくりと開いていく。


 ニコルがのっそりと体を起こせる時間をかけて扉は開け放たれ、その向こうに全身を真っ黒い外套がいとうかくしたひとりの人物が立っていた。

 大柄おおがらな体だが不自然に背を丸め、頭の全部をフードの下に隠して口元しか見せていない。


 手にの長い大鎌おおかまを持っていれば、死の世界に人をいざなやみ眷属けんぞくにも見えただろう。


「――来い」


 低くれきった音がのどおくの方かられたような声に、ニコルはうなずいた。軍靴ぐんかいて立ち上がり、布団の上にかけていた上っ張りを丁寧ていねいに広げる。

 そのニコルの動作を見届けてから、黒い外套の男はかえり、螺旋らせん階段に足を向けた。


 自分のこしけんがないことにかすかなうすさむさを覚えながら、ニコルも後に続く。階段の最初の段をむ時、胃にさるような空腹感にニコルは喉の奥から漏れそうな声をんだ。


 螺旋階段を上りきり、建屋から出ると、外は真っ暗だった。

 ややはなれたところにゴーダム公爵こうしゃく邸宅ていたくが見えるが、窓には明かりのひとつもいていない。満月に近い月が天空にかがやいていて、地面に薄くかげができるほどに明るかった。


 黒い外套の男がゆっくりと邸宅の庭を歩いていくのにニコルも続く。館の裏口にかるが、警備しているはずの衛兵の姿はそこに認めることができなかった。


 ゴーダム公爵ていから離れ、人気のない道を進む。冷たい風がく音だけが耳にさわり、それ以外は虫も鳴かない静かな深夜の時間だった。


 二分ほど歩いた道の先に、一台の馬車がまっていた。

 少し大きな馬車だ。体躯たいくの大きな二頭の馬がつながれ、馬車の前部が座席、後部が荷車となっていてそこにはほろがかけられている。


 つながれている馬の一頭がニコルの方をチラチラと見て小さくいななく。その声を聞きながら黒い外套の男は御者台ぎょしゃだいすわり、ニコルもまた座席の扉を開いてり込んだ。

 ニコルが席に座った震動しんどうを合図にして外套の男は手綱たづなを振るい、馬車を発進させた。


 前を照らす鉱石の照明が明るい光を大きく投げかけている。ほどなくゴッデムガルドの大通りに差し掛かり、人がひとりも歩いていない真夜中の舗装路ほそうろを馬車は結構速い速度で進んだ。


 ニコルの背中で、荷車に積まれた荷物がガシャガシャと鳴っている。金属の重量物だろうか、とニコルはその音の調子でぼんやりと思った。


 夜を走る馬車はゴッデムガルドの街をけ、街道かいどうに出る。夜のシンとするどい寒気にニコルはふるえ、席のすみに丸めてあった毛布をかたからかけてその中で体を小さくした。


 ニコルからやや離れた御者台で二頭の馬をさばき続けて走らせる外套の男は、一言も言葉を口にしない。座席のニコルからは一段低い御者台に座った男の肩から上が見えるだけで、男は一度も後ろを振り返ろうともしなかった。


 ニコルもまたたださない。街道の細さから、この馬車が自分を王都に送るつもりはないのだということだけがわかっていた。自分を王都に追放するなら北の本街道ほんかいどうを進むはずなのに、この馬車は明らかに最初から西に向かっているのだ。


 その違和感が自分のぼんやりした予想に段々と合わさってくるのを感じて、ニコルはいつしか全身の力を抜いて、暗がりの向こうに照射される光の中にかびがる景色けしきを楽しむ気持ちにさえなった。


「――あ」


 足元の編み上げのカゴがあるのをニコルは見つける。体をかたむけてそれを手に取り、ひざの上に乗せてふたを開くと、中には白いパンと何かの飲み物をめたびんが入っていた。

 きゅるるる、とニコルのおなかが悲鳴を上げる。そろそろ空腹も限界だった。


「あの……」


 沈黙ちんもくの時間も限界だとばかりにニコルは、馬を走らせ続ける男に呼びかけていた。


「これをいただいてもよろしいですか? ――公爵閣下・・・・

「…………気づいていたのか?」


 御者台の男がフードを外しながら後ろを振りいた。

 前照灯から漏れるあわい光の中に、ゴーダム公の横顔が浮かんだのが少年の視界に入った。


「いつ、気がついた?」

「閣下が牢の扉を開けられた時です」

「最初からか?」


 ゴーダム公が心底情けなさそうな顔を見せる。ニコルが気の毒になるほどだった。


「閣下は自分の体格を小さく見せようと、不自然に体を丸めておられましたし……声も無理に変えられてました。それに、この馬車につながれた馬は閣下の御馬おんばガルドーラと、ぼくのレプラスィスです。――ね、レプラー」


 馬車をいて走り続ける二頭のうちの一頭、ニコルに対して視線を送り続け、小さくいなないていた青毛の馬が少しだけ首を横に振り、その大きな丸い目でニコルの姿を見てうれしそうな声を上げる。


「遠目にはわかりませんでしたが、前照灯の光でようやくわかりました。これだけ材料がそろえば十分でしょう」

「…………それなら早く指摘してきしてくれればよかったのだ。もう出発して数時間はつ」

「そうですね…………」


 ニコルは窓から身を乗り出し、背後の東の空を見やった。地平線の向こうがあかはじめている。日の出が近い気配がそこにあった。


「僕を追放するというのは、うそなのですか?」

「お前がダクローにりかかり血の一滴いってきでも流させていたら、本当に追放物だったがな」


 苦笑くしょうがゴーダム公の口元から漏れる。フードは頭から外し、もはや正体をいつわるつもりはないようだった。


「お前の了解りょうかいを取らずにこうするのは悪いと思ったが、周囲をだまし続けなければならない事案だ。まず知っておいてもらいたいのは、わたしは公式にはアーデスの港町に向かっていてそこで視察を行っているということになっている。ゴッデムガルドを留守にしているということだ」

「はい」

「そして、お前もゴッデムガルドから追放され、騎士きし団からは外された人間ということになっている・・・・・・・・・・

「……本当は、そうではないと」

「当たり前だ。これくらいのことでいちいち団員を追放していたら、騎士団から人間がいなくなる。別の人間に私もそう言われて山ほど非難された。まったく疲れた」

「よかった……」


 ニコルの口元から、心底の安堵あんどの息が漏れた。


「多分こういうことではないのかもと思っていましたが、やはりそうでしたか……本当によかった…………」

「安心してくれるのはまだ早いぞ。どうして私がこんな面倒めんどうくさいことをしてお前をこうやって連れ出したのか、そこまでは考えてないだろう?」

「――盗賊とうぞく団の討伐とうばつがらみですか」


 またもゴーダム公の口元がゆがんだ。問いかけたなぞなぞを瞬時しゅんじ喝破かっぱされた気まずさがそうさせた。


「後ろに積んでいるのは甲冑かっちゅうと武器ですね。音の種類でわかります」

「お前にはかなわんな。まあ、それが必要な事態ということだ。……もう少し明るくなったら馬車を駐めて食事にしよう。私も腹が減ったからな。その時に、くわしい説明をする」

「はい」


 騎士団追放の話が消えた安堵はあったが、同時に戦いが待っていることを知らされてニコルの心がまる。

 向かう西の先どんな戦いがあるというのか、ニコルはその方角をまっすぐに見据みすえた。

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