「ゴーダム公の憂鬱な午後」

 その日の午後のゴーダム公爵こうしゃく執務しつむ室には、訪問者が多かった。


「失礼します」

「またか」


 執務机にすわるゴーダム公は、紙の束をかかえて執務室に入って騎士きし団副団長のオリヴィスの姿に頭を抱えようとして、ギリギリのところで手を止めていた。


「ニコル・アーダディス騎士見習いの減刑げんけい嘆願書たんがんしょをお持ちいたしました」

「そのテーブルの上に積んでおいてくれ」

「…………これは?」

「お前が持ってきたものと同じものだ」


 執務室の真ん中に置かれているソファーつきのテーブルの上には、紙の束がどっさりと積み上げられていた。大人おとなでも数回に分けて抱えて運ばないと退かせられない量だ。


おそかったな。お前が真っ先に来るものだと思っていた」

「結構な量がありますね。わたし以外にもニコルの嘆願書を書いている者がいるのですか」

「ニコルが幽閉ゆうへいされた……私がニコルを幽閉した話はもう、ゴッデムガルドの街の中にも広がっている。おかげで私は悪者だ。今、街を歩けば命が危ない。石以外に何が飛んでくるかわからん」

「ご冗談じょうだんを」

「冗談に聞こえるか?」


 オリヴィスはゴーダム公の顔を見て、開きかけた口を閉じた。


「ニコルは街の住民にも人気があるようだな。来てから三週間ほどだというのに……」

「大人しい性格の割りに、話題に事欠かない少年ですから」

「本当に大人しいのであれば、駐屯ちゅうとん地の真ん中で相手をなぐばしたり抜剣ばっけんおよんだりはしないがな」


 ふうぅ、と息をらすゴーダム公の苦々しい顔を見たオリヴィスは、部屋へやの中に酒のにおいがただよっていることにも気づいた。改めて公爵の手元を見ると、空のグラスがひとつ置かれている。


「おめずらしい。昼間から飲酒ですか」

「飲まずにいられるか」

「それなら閣下も懲罰ちょうばつの対象にせねば。騎士の夜間以外の飲酒は厳禁されています」

見逃みのがしてくれ」

「それなら、ニコルのことも見逃されてはいかかです?」


 瞬間しゅんかん、ゴーダム公のまゆの角度が明らかにつり上がった。


「……二人ふたりきりでやり合おうとしているところを、私だけが目撃もくげきしていたらそれもかなったかも知れん。が、明らかに人前であったし、相手がダクローならなかったことにするのは不可能だ。それにオリヴィス、副官のお前が規則にゆるい態度でのぞむのはどうかと思う」

「これくらいのこと、昔の閣下もなさっていたではありませんか」

「見逃してくれ」

「当時はたくさん見逃して差し上げました。それはともかく、私も二百人ほどの嘆願書を集めてまいりましたので、お読みください」

「読んでる時間はない。もうすぐ出立する」

「どちらへ?」

「アーデスの街の視察だ。一週間はもどらない。その間、騎士団の指揮を任せる」

「それでは、閣下が不在の間にニコルの幽閉を解いておきます。よろしいですね?」

「いいわけがないだろう」


 うんざりとした表情をかくさずにゴーダム公は言い、机の上のグラスをしまった。


「ニコルは追放と自ら宣言されたのでしょう。なら、さっさと放逐ほうちくなさるべきです。追放と決めた人間に、さらに幽閉の苦しみをあたえるのは道理にかないません。――それとも、帰還きかんされた際には追放を撤回てっかいするおつもりで?」

「撤回はない!」


 するどい声が飛び、ゴーダム公は自分が出した声の大きさに口ごもった。


「……撤回はない。周りにもそう伝えておけ。いいな、オリヴィス。私が不在の間に勝手なことをするのではないぞ」

「お約束はいたしかねます」

「もういい! 下がれ!」


 オリヴィスはかたをすくめると、そのままとびらに向かい、一礼することなく執務室を出て行った。


「…………まったく」


 一度引き出しに閉まったグラスを取り出したい欲求にられたゴーダム公がそれをしなかったのは、執務室の扉がノックもなしに開かれたからだった。

 そこまでの傍若無人ぼうじゃくぶじんが許されるのは、このゴッデムガルドでも数人だった。


「お父様とうさま!」

「次はお前か」


 ふうう、とゴーダム公が地の底まで届きそうなため息をく。開けた扉を閉めずに入ってきたのはむすめのサフィーナだった。


「ニコルをはなれの地下牢ちかろうめたというのは本当ですか!」

「私がそんなことを冗談で言わないと思っているから、お前はここに来たのだろう?」

「すぐにニコルを出してください! 地上の入口から閉鎖へいさされているではないですか!」

「私の許可なくニコルを連れ出そうとしたのか」


 ゴーダム公は自分の娘の無茶の前に、いかる前に戦慄せんりつした。


「エメスはどうした。ここに飛び込んでくるならお前と一緒いっしょか、その前と思っていたが」

「お母様かあさまはニコルの追放と幽閉を聞いた途端とたんたおれられました」

大丈夫だいじょうぶなのか?」


 今度こそゴーダム公は頭を抱えた。


「お医者様の話によると貧血ひんけつによるものだとか。命に別状はないとのことです」

「それならいいのだが…………」

「それでお父様、ニコルを早く幽閉から解き放ち、追放の件も撤回すると宣言してください! こんな話はうわさとして広まってしまいます!」

「テーブルの上を見ろ。それが街中に広まっている噂の結果だ」

「これが?」


 テーブルの上にうずたかく積み上げられた紙の山を前にしてサフィーナが一瞬いっしゅん、息をみ込んだ。


「昼間からひっきりなしだ。茶を持ってこさせるいとまもない」

「お父様はあんなにニコルを気に入られ、可愛かわいがっておられたではないですか! それがどうしてこのように厳しいお沙汰さたになるのです! もう一度お考え直しください!」

「……下がれ。お前に今回のことについて口出しをする権限はひとかけらもない」


 本当なら娘を力尽ちからずくでこの部屋からたたしたかったが、今のゴーダム公には椅子いすから立ち上がる気力さえあやしい。そして、これからすること・・・・・・・・のことを考えれば、体力も気力も残しておかねばならないのだ。


「ニコルは私事わたくしごとでケンカ沙汰を起こしたのではありません! 近くにいた目撃者もくげきしゃが言っています! ニコルは自分への罵詈雑言ばりぞうごんは聞き流したけれど、死んだ戦友の悪口に対しては我慢がまんしなかったと! ニコルは友のために戦ったのです! それをんでください!」

「汲むわけにはいかん!!」


 父親に対して一歩も引かない娘を前に、さすがにゴーダム公も声をあらげた。


「これ以上私の機嫌きげんそこねるな! 決定はくつがえらん! お前は部屋に戻れ!」

「そうですよ、サフィーナ。お前は部屋に戻りなさい」


 父と娘が、開け放たれたままの扉の方から聞こえてきた声に、同時に視線を向けた。

 多少あおい顔をしていたが、ひとりで立てているエメス夫人がそこにいた。


 ゴーダム公は百万びきの苦虫をみつぶした顔を一瞬見せたが、次には妻の落ち着いた様子に首をひねっている。妻が烈火れっかごとく怒りながら飛び込んでくるのを覚悟かくごしていたのだが、その正反対の様子にある意味、度肝どぎもかれていた。


「私はお父様と話がありますから」


 サフィーナもまた、母に対してめた視線を向けている。ニコルが追放処置を宣言された上、大昔のゴーダム家が都合の悪い人間を幽閉していたといういわきのふるろうにニコルがほうり込まれたと聞かされた瞬間、即死そくししたのではないかという勢いで倒れた母だ。


 そこに立っているのは幽霊ゆうれいりょうに近いのではないかとさえサフィーナは思った。


「お、お母様、お体は大丈夫ですか。倒れられた時、ゆか絨毯じゅうたんだったからよかったですが、頭を打っていたら危険な倒れ方で……まるで棒立ちの人形がそのまま倒れたような……」

「大丈夫」


 弱々しくではあるが、エメス夫人は確かに微笑ほほえんで見せた。


「あれからさらに事情を聞いて、少しは落ち着きました。ここは私に任せて。さ、早く」

「はい…………」


 サフィーナが両親に一礼し、その場を出て行く。今まで開けられていた扉がようやく閉まり、執務室は夫婦ふうふふたりだけの空間となった。


「座らせていただきますね」

「……ああ」


 ゴーダム公の返事よりも先にエメス夫人はソファーに座った。目の前に積まれている紙の束から一枚を取り、目を通す。その一枚を夫人が読み終えるのを待ってから、ゴーダム公は自分の重いくちびるをこじ開けるようにして切り出した。


「エメス、お前は私を責めないのか」

「責める必要はないと思いましたので」


 ゴーダム公が目をまばたかせる。そんな夫の反応にエメス夫人は微笑んだ。


「さすがにニコルがあの牢に入れられたと聞いた時は、びっくりしましたが……」

あらかじめ伝えることもできなかったからな……それで、どうして私を責める必要がないのだ。ニコルはお前にとって実も息子むすこも同然の存在、心から可愛がっている立場だろう」

「それは、あなたも同じことでしょう。そんなあなたが、ニコルを必要以上に責め立てようとしている……それを冷静に考えると、なんとなくわかってきたのです」

「わかったとは、何をだ」

「ここで言うと面白おもしろくありません」

「…………私はもうすぐゴッデムガルドをつ。一週間ほど留守にする。その間、騎士団のことはオリヴィスに任せてある。家のことは任せた」

「サフィーナは私がおさえておきます。安心してお出かけください」

「うむ…………」


 ゴーダム公は窓の外を見やった。西の空が茜色あかねいろうすく焼かれている。時間がせまっていることをさとり、重いこしをゴーダム公は上げた。


「あなた」


 妻の呼びかけに、執務室から出ようとするゴーダム公はかえる。やさしいみをたたえたエメス夫人が、微かに首を横にかたむけていた。


「この家の当主は、間違まちがいなくあなたなのです。もう少し自信をお持ちください」

「エメ…………」

「その呼び名は、なさらないように」

「うむ…………」


 えりを正してゴーダム公は扉の向こうに去り、エメス夫人は目を閉じてそのまま、わずかな時間を心の中で数える。

 ややあって、外で馬のいななきと共に馬蹄ばていひびきがとどろき、遠ざかって行くのが聞こえた。

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