「『幻の騎士団』」

 朝の太陽が東の空に頭を出そうとしている。

 その気配を横目に感じながら、街道かいどうわきとどめた馬車の脇で小さなたき火を起こし、ニコルはゴーダム公が小さな野営の準備をしている様をぼうっと見ていた。


ぼくがやります』


 馬車を駐めるやいなや、小さな林の地面に転がっているを集め出した公爵こうしゃくの姿に、ニコルはあわてて馬車から飛び降りたものだ。


『閣下のお手をわずらわせるなんて……』

『たまにはわたしにやらせろ。たまにやっておかないとかんを忘れる』


 そう微笑ほほえんで見せたゴーダム公の手つきは慣れていた。小さな円形のやや深い穴をり、その周囲に石を積み上げて即席そくせきのかまどを作ってみせる。そして燃料としての枯れ木をその中にき、火起こし棒をりあっという間に火を起こしたのだ。


 円形の石に湯沸ゆわかしのポットを置くと、数分でポットは口から湯気をげ始めた。


「口で言ったら茶が出てくる環境かんきょうにずっといるとこういうことを忘れるのでな。不便とは面倒めんどうだが、面白おもしろいものだ。私もめっきり現場に出ることが少なくなってしまった。たまにやると楽しいな」


 ははは、と笑いながらゴーダム公は即席のスープと茶の用意をする。スープの乾燥かんそうさせた具材を小分けにしたふくろを破って大振おおぶりのカップに開け、その上から沸騰ふっとうした湯をたっぷりと注いで一分ほど待つ。


「さあ、食べろ」


 公爵のみと共にカップを差し出されて、ニコルのびている背が再び伸びた。


「そんなに恐縮きょうしゅくするな。同じ騎士きし仲間だ」

「騎士仲間……」

「私はまだ騎士を引退した覚えはない。まだ現役げんえきだぞ――ほら、冷めないうちに」

「い、いただきます」


 カップの持ち手を左手で取り、まれているスプーンを持って最初の一口を口に入れた。


「あつっ!」

「だからと言って、火傷するやつがいるか。慌てるな」


 かたをすくめるようにしてゴーダム公は笑い、水が入ったコップをニコルに差し出した。


「いいか、ニコル。戦場ではすぐ熱くなることも才能だ。熱くならなければ行動はできない。矢が降るような戦場ではなおさらな。が、熱くなった中でも理性は冷静でなければならん。熱いままでは自分の熱に自分がやしくされる。――ニコル、お前は冷静な火になれ。周りを燃やすほのおをあげながら、しんは氷のように冷たくなければならない。炎のような自分と氷のような自分、そのふたりを同時に持つのだ」

「ふたりの、自分…………」

「場数をまなければ難しい話であるがな。えず体を温めろ。話はそれからだ」

「はい」


 自ら少年の世話ができることに喜びを感じているのか、ゴーダム公は鼻歌まで歌っている。荒野こうやの中の公爵は執務しつむ室の椅子いすに納まっている姿よりもそれは若々しく見えて、ニコルは思わず必要以上に匙の中のスープに息をきかけていた。


 馬車から外されたガルドーラとレプラスィスがわずかにはなれ、道の脇に生えている少ない草をんでいるのが公爵の姿の向こうに見えた。



   ◇   ◇   ◇



「……閣下、申し訳ありませんでした」

「急にどうした」


 数個のパンを平らげて黙々もくもくとスープを干し、そのあとに熱いお茶で体を温めたニコルが全部のうつわを置いて立ち上がり、ゴーダム公に向けて深々と礼をした。


「僕が至らぬばかりに騒動そうどうを起こし、騎士団の規律を破ってしまい……」

「お前が至っていないのは知っている。至らせようとしているところだからな。まだ騎士団にて一ヶ月もっていないのだ。ただ、暴発はもう少し大人おとなしい形にしてくれるとありがたい」

「ですが、自分はばっせられなくていいのでしょうか……」

「三日間、ろうに入っていたろうが」

「三日?」


 ニコルは目をまたたかせた。自分が長い時間をねむっていたのはわかっていたが、そこまでの時間であるとは思っていなかった。


「僕はそんなに…………」

つかれをやすには眠るしかない。心がささくれていた時に死んだマルダムのことを侮辱ぶじょくされ、それが激発につながった事情はむ。帰還きかんすれば処置の撤回てっかいを宣言しなければならん。……撤回はあり得んとこの口で言ってしまったから、少しつらいところはあるがな」

「申し訳……」

「謝罪はいい。ケンカ沙汰さたで三日間入牢にゅうろうなら処置は軽い方だ。……私も、どれだけやったかわからんしな……」

「え?」

「こっちの話だ。では、本題に入るか」


 ゴーダム公が広い板を持ち上げ、四本のあしを起こして地面に置いた。簡易テーブルだ。

 その上に一枚の地図を広げる。地図にはこの周辺の地形と街、村の配置を記した記号が打たれ、それに十何本もの青い線が点と数字を刻みながら縦横無尽じゅうおうむじんえがかれていた。


「これが何を意味しているかわかるか、ニコル」

「……友軍の、哨戒しょうかい任務の作戦内容をまとめたものですか」


 十何本もの青い線は、この付近を哨戒している騎士団の部隊だというのはニコルにも見当がついた。数字が日付なのもわかる。今日きょうの日付が打たれている点が、部隊の現在位置ということなのだろう。


「さてニコル、問題だ。お前が『まぼろし盗賊とうぞく団』の頭領だとしたら、この地図にっているどの拠点きょてんを、いつ攻撃こうげきする?」

「えっ? は、はい、ええと…………」


 ニコルは部隊の展開図を前に少し考え、地図の一点を指差した。


「この湖の街、レマレダールの街を今日の深夜にねらいます。この作戦図では北東の進路から侵入しんにゅうすれば、哨戒もうの穴をくぐることができます。レマレダールから救援きゅうえんの報が周囲に飛んでも、救援がけつける前には盗賊団は撤退てったいしているでしょう。細い穴ですが、全員が騎乗きじょうした隊の機動力ならすりけられないことはないでしょう……え?」


 指摘してきしているうちにニコルは予感に顔をね上げた。


「閣下、まさか?」

「私たちが向かっているのが、そのレマレダールの街だ」


 驚きに目を見開いているニコルの反応を見て、ゴーダム公は満足げに微笑ほほえんだ。


「この意図はわかるな?」

「…………敢えて展開の中に穴を作り、盗賊団をレマレダールにさそす…………」

「そして、この展開図には私たちふたりは載っていない。ま、載せるほどもない小さな戦力ではあるが。――わかるか、ニコル。私たちふたりはこの図に載らず、だれもその存在を知らない部隊だ。この数日間、レマレダールの街に敢えて空白ができるように私は数々の哨戒部隊を展開させた。この三日間に『幻の盗賊団』の襲撃しゅうげき報告はないはずだ。ほかに手出しできないよう、綿密な網を張っておいたからな。だからそろそろ連中も腹が空いているころだ。このえさに、必ず食い付いてくる」

「レマレダールの街が、餌そのもの……閣下、レマレダールの街は、このことは?」

「お前なら知らせるか?」


 その一瞬いっしゅんだけ、ゴーダム公の目が厳しく細められた。


「そこに盗賊団を誘きせたから迎撃げいげきの準備をしておくように――なんていう指示を飛ばせば、街にひそんでいる盗賊の協力者から情報がれる。それくらいの理屈りくつはわかるな?」

「……なら、レマレダールの街の住民たちは、今夜、盗賊団たちが襲撃しにくることがほぼ確定していながら、誰も知らない……」

「大変な状況じょうきょうだな。それをどうにかしなければならないのが私たちの立場だ」


 ゴーダム公の口調は少しも笑っていなかった。他に有効な手段がないとはいえ、自身の領民を危険な状況にさらして


「それでニコル、お前にやってほしいことがひとつある」

「……レマレダールの街への、潜入せんにゅう……」

「まあ、おおむねはそういうことだ。単独でレマレダールの近郊きんこうに先回りし、深夜の街に接近してくる盗賊団を監視かんしし、発見すれば警戒けいかいの合図をする。そのための機材は用意してある。不意打ちを食らわせるわけにはいかんのでな。そして、その合図と同時に、近くにせさせている迎撃部隊が盗賊たちを背後から急襲きゅうしゅうする。私がその迎撃部隊の指揮をる」

「迎撃部隊ですか? そんな部隊が本当にいるんですか?」


『幻の盗賊団』に対抗たいこうするのは『幻の騎士団』なのだろう。ニコルは自分がその『幻』のひとつに数えられているのを知ったが、他にも自分と同じような幻になり得る存在があるのかどうか、心当たりを探してもわかるはずはない。


 警戒の合図を発しても周辺を展開している哨戒部隊に届かないという確信があるから、『幻の盗賊団』はめてくるのだ。機密保持を最優先するために、哨戒部隊の誰もこの計画を知らないということもニコルには理解できる。


「相手にする『幻の盗賊団』は百騎に相当する規模と聞いています。精鋭せいえいの騎士団でも、殲滅せんめつするとなると五十騎は必要なはずでは……」

「そこは私を信用しろ。お前があっとおどろく部隊が用意されている。心配は無用だ」


 そこだけは笑顔えがおを作り、ゴーダム公は快活に答えた。


「レマレダールの街は湖にかぶ大きな島に築かれた街だ。島に通じている橋は長い大鉄橋が一本のみ。その橋を封鎖ふうさしてしまえば防衛は容易だ。そして、もう一方から攻めかかれば袋のネズミとして封殺ふうさつできる。ここで一挙につぶしておかないと、がしたあとが面倒だ。……が、もう展開を読まれることもなくなるがな……」

「閣下、それは…………?」

「いや、最後のことは忘れてくれ。お前が気にむことではない。そこを上手うまくやるのが、私の責任者としての務めだ」


 ゴーダム公は地図を丸めて直し、簡易テーブルを片付けて即席のかまどの火を消した。


「もう一時間も走ればレマレダールの街だ。私もそこまでは同行する。午前のうちに食事と身支度みじたくを整え、夜の作戦に備えろ――出発するぞ」

「は、はい」


 ゴーダム公が立ち上がる。それにつられるように、ニコルもまた立ち上がっていた。

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