「騎士の棺」

 騎士きしたちのれいが集まる『騎士のひつぎ』という施設しせつがゴーダム騎士団の駐屯地ちゅうとんちにはある。

 ニコルが以前、マルダムと共に仕事として清掃せいそう活動を行った施設だ。


 そこでは、高さ二・五メルト、はば一メルトの長方形の形状をした石碑せきひに、騎士団の指揮下においての戦闘せんとうで死んだ騎士たちの名前が刻まれている。


 並んでいる石碑の数はざっと三十枚。

 黒い石板一枚のに一行二十五人、それが二列で五十人。それが両面で百人。

 ――長いゴーダム騎士団の活動の歴史の中で戦死した名前が、約三千人近く。


 そしてこの日、その石碑に新たな名が刻まれた。

 マルダム・ヴィン・サデューム騎士。

 騎士見習いではなく死んで騎士となった少年の名が、最後の一行に刻みつけられた。



   ◇   ◇   ◇



「まさか、君と一緒に掃除した後に刻まれる最初の名前が、君のものになろうとはね……」


 黒い石碑群から少しはなれた場所に設けられた東屋あずまや状の建物の屋根から、真っ白い狼煙のろしが上がっていた。


 ニコルはその石碑と狼煙を上げる施設の両方が望める場所に置かれた長椅子ベンチにひとりすわり、風にれることなく青空に向かってびていく真っ白い煙の行き先を見つめていた。


 東屋状の建物の屋根の下には棺の形をした大きな箱がえられている。箱の上、真ん中には小さなふたがあり、それを外すと下には小さな部屋へやと言えるほどの空間が石のかべゆかに囲まれて存在している。


 小一時間前、その蓋が外され、マルダムの遺髪いはつを燃やして灰にしたものが入れられた。


 地下の石室いしむろには、かつてゴーダム騎士団に在籍ざいせきした万単位の騎士たちの遺灰が入っている。そこには、騎士団に在籍した者であるならば死後に遺灰として入ることができ、歴代の騎士たちと共にねむることができるのだ。


 ニコルもいずれそこに入ることになる――生前にそれを拒否きょひしない限りにおいては。

 東屋の屋根の下、棺の上にはげられているかねがあり、それが側をおとずれる人によって時折、金槌かなづちたたかれている。


 白く上がっている太い狼煙のろしは、今日きょうここに新たな死者がほうむられたあかしだ。そしてその狼煙が上がっている間、人々は鐘を叩いて騎士の霊をなぐさめるのである。


 葬儀そうぎというほどに大きな儀礼ぎれいは行われなかった。

 騎士団では人は死ぬ。危険な任務のたびに傷つき、時には死に至る。それが日常だ。

 たった一人ひとりの死で大々的な葬式を行っていては、騎士たちの業務は立ちゆかなくなる。


 だから、駐屯地の空に白い狼煙が上がれば騎士団の面々は仲間がまた死んだことを知り、鎮魂ちんこんの鐘の音が聞こえると、『騎士の棺』に向かって黙祷もくとうするのだ。

 いずれ、自分もそこに入るのではないかというおもいと共に。


「マルダム…………」


 伸びていく狼煙の行き先が、今、マルダムのたましいが向かおうとしている方角だと思え、ニコルは目で追い続ける。


 人は死ぬと肉体から魂が離れ、魂が進むべき二つの道、どちらかを否応いやおうなく決められる。


 ひとつは地獄じごく。生前に罪にまみれてしまった魂はその罪の重さに引かれ、地の底に落ちていく。そこには永遠のやみ静謐せいひつがあり、何も見えず、何も聞こえない『無』の空間だけが広がっていると伝えられている。


 やがて『無』の中で魂は自身の意義も拡散し、『無』の中でけていくとも。

 それを見た者などいない。ただ、そういう認識にんしきが常識として人々の意識にある、と言うことである。


「…………」


 ニコルは、それを疑ったことはないが――。


 そして、もう一つの道。

 それがニコルが今、い水色のひとみで見つめている空の彼方かなた、『天の国』に至る道だ。


 マルダムはその道を歩んでいるにちがいない。天の国に至るまでは、雲の階段を上り雲の平原を歩き、いくつもの雲の海をわたる長い長い一人旅ひとりたびを経なければならないと言われている――これもまた、確かめた者はいないのだが。


「マルダム……君は今、どの辺りを歩いているんだろう……。結構のんびりしている性格だったからね、君は……景色けしきを楽しみながらゆっくり歩いているのかな……寄り道はほどほどにして、迷わないよう、ちゃんとまっすぐ歩かないとダメだよ……」


 見上げる遠い空が時折、にじむ。ハンカチを目に当ててそのにじみをぬぐい、ニコルは空を見上げ続けた。

 太陽が、高い――。


 今朝けさ早くに帰還きかんしたチャダ中隊は解散し、参加した騎士たちはそれぞれに休息の時を取っている。ニコルも入浴して体のよごれを落とし清潔な衣服に着替きがえてこざっぱりとしたつもりだったが、この一週間に渡る外任務でまみれた心は拭い切れていない。


 鐘のがまたひびく。日常の仕事の合間、仲間の死をいたもうとする騎士たちが『騎士の棺』を訪れ、鐘を鳴らして哀悼あいとうの意を表していく。もう何十回鳴ったかわからないその鐘が響く度、ニコルの心の底で新しいなみだがろうとした。


「ニコル」


 長椅子の背もたれに体重の半分を預けていたニコルは、かけられた声にかたをわずかにねさせた。

 真上に向けていた視線を水平にもどすと、見知った顔がそこにあった。


となり、いいか」

「バイトン正騎士…………」


 白い花束をかかえたバイトンがそこにいた。そのうでに抱えられているのは『騎士の棺』に供えられているものと同じ弔花ちょうかだ。

 久しぶりに見る顔を前にして立ち上がろうとするニコルを、バイトンの手が制する。


「いい、座ったままで。――ご苦労だったな」

「…………すみません、ご挨拶あいさつにもうかがわないで……」

「部屋には立ち寄ってくれたんだろう。少し席を外していた」


 必要はないのだがニコルは反射的にこしを横にずらし、沈鬱ちんうつな表情のバイトンが少年の隣に座る。


「……チャダとアリーシャから大体のあらましは聞いた。マルダムは…………残念だったな…………」

「…………はい…………」


 慰めの言葉がまたニコルの心をざわめかせた。ざわめきは涙を呼び、目のおくせる。友人をひとり失った喪失感そうしつかんはそうそうめられるはずもない。


ぼくが……僕がもっとしっかりしていればマルダムも連れて帰れたのではないかと思うと、後悔こうかいが残ります……。マルダムの御父上おちちうえ、サデューム男爵だんしゃくには過分なお言葉をいただきました。ご子息をくされてつらいというのに、ご立派な御方おかたでした……」


 息子むすこを愛していただろう父親が涙を止められず、しかしうらごとの一言も言わずに慰めてくれたあの言葉をニコルは一生、胸に刻みんで忘れまいと思う。


「僕はまたひとり、尊敬できる方を得ました。サデューム男爵はこの騎士団で上級騎士にまで上りめ、領地を得られた方だと聞いています。領民からもしたわれるやさしい方でした……僕もあんなサデューム男爵のような領主になりたいものです」


 心にみぞとなって刻まれたサデューム男爵の言葉をひとつひとつ心の中でなぞり、ニコルはさびしいながらも微笑びしょうした。かなしさの中にも、かすかな幸福があったからだ。


 そんなニコルの言葉を、バイトンは蒼い顔で言葉もなく聞いていた。


「――僕は、この騎士団にて本当によかったと思っています。この騎士団に来て、たくさんの尊敬できる方々に出逢であえました。公爵こうしゃく閣下、公爵閣下のお身内方、それにアリーシャ先輩せんぱいを始めとする諸先輩方せんぱいがた……もちろん、バイトン正騎士もそのおひとりです。ああ、これはお世辞ではないですよ。僕はお世辞はとても下手へたなんです」

「そ、そうか…………」


 空を見上げるニコルの横で、バイトンはうつむいた。自分の足元を見つめ、そこに視線をしばられて顔も上げられないようだった。


 風がいて、言葉が途切とぎれる。ニコルは気づかない――隣のバイトンが心のうずきにひどくふるえていることを。


「……ニコル、わたし軽蔑けいべつしてくれ……」


 突如とつじょ、バイトンが立ち上がる。そんな正騎士の姿にニコルは怪訝けげんな色をその目元にかべた。何かしら話があって横に座ったにしては淡泊たんぱくなものだと直感が言っていた。


「……バイトン正騎士……?」

「私は軽蔑されるべき人間だ。お前に尊敬される資格など、これっぽっちもない。……今回のことも、私がマルダムを殺したも同じだ。お前は私を恨んでくれていいんだ」

「主計官としての任務があって、外任務に同行できなかったということですか……?」

「私に勇気があれば……だれも泣かせることもなかったのだ。親が子を亡くすのも、子が親を亡くすのも同じ哀しみだ。なのに、私は……」


 バイトンの肩がひるがえされ、その歩が足早な速度で進んで正騎士の体を遠ざけた。バイトンの気配はあっという間に離れ、ニコルはまるでげるように去って行く背中の様子を丸くなった目で見つめるだけだった。


「……やはり、自分の部下が失われるのはこたえるんだろうか……堪えるんだろうな。それにえないとならないのだから……」


 それを思うと、出世をして部下を従える立場になるということがおそろしくなる。同僚どうりょうのひとりを失っただけでもここまで心を欠けさせられるのだ。自分の責任において人が死んでしまったら、心がくだけてしまうのではないかとも思える。


「チャダ正騎士も苦しんでおられた……でも、苦しまないよりはいいのかも知れない。人の死に慣れてしまうのは幸せなことじゃない……」

「――ニコルや」


 その呼びかけで、空を見上げていたはずの視線が下がってしまっていたことにニコルは気づき、同時に呼びかけが誰のものであるのかを知ってあわてて視線を上げた。


「任務、ご苦労様でした」

「お……おく……いえ、お母様かあさま……」

「隣、よろしいかしら?」


 言いよどみを見せたニコルに、バイトンと同じような台詞セリフを投げかけたエメス夫人がにこりと微笑む。その優しい微笑に、ニコルの目からまた新しい涙が生まれ、された。

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