「初陣・――友への誓い」

 その場の全員の視線が集まる中、ニコルは考えるより先に自然に一歩、前に出ていた。

 マルダムの両親と話をする機会があるだろうとは予想していた――おそれという意味で。


 自分から名乗り出るつもりもあった。マルダムは命をして自分を助けてくれたのだ。そのことについて感謝の言葉を述べ、もしかしたら叱責しっせきを受けることがあるのではないかとも思っていた。それが、子供をくした親の当然の反応だというおもいもあった。


 だから戸惑とまどった。自分から名乗り出る前に名指しされた――やさしげな呼びかけで。


「……自分が、ニコル・アーダディス騎士きし見習いです……」


 逃げるつもりなどなかった。

 呼ばれたなら前に出るだけだという思いで、ニコルは名乗った。


「やはり、そうか」


 ふぅっと風がよそぐように、男爵はかなしみの色の中で微笑わらった。


「君がわたしの目にれた時、そうではないかと目星がついていたのだ」

「失礼ですが……何故なぜそう思われたのですか?」


 ニコルは聞いた。自然にそれは、この場にいる全員の疑問であり、質問となっていた。


「この子は結構筆まめでな。騎士団の中で寂しかったこともあるのだろう。この直近の半月に三通、手紙を送ってくれていたのだ。その三通ともに、君のことが書かれていた」


 そうだったな、とマルダムの父はかんの中の息子むすこに語りかけた。


「最初の一通目は、自分の小隊に君が配属されたことが書かれていた。小柄こがらな体格に明るい金色のかみ、美しい水色のひとみが印象的な少年だと書かれていた。君が配属された直後に書いたのだろうな。それが…………」


 サデューム男爵だんしゃくは棺に歩み寄ると、かれた敷布しきふの上にひざを落としてかがみ、ねむる息子のほおに手を触れた。その頬の冷たさに一瞬いっしゅん男爵の指がおびえたが、そんな冷たさをかそうというように手のひらが頬を包むように当てられた。


「数日った二通目は、君と親しくなれたことが書かれていた。人付き合いが上手うまくなかったマルダムが騎士団に入ってから二年間の中で初めて、友達ともだちを作ることができたと。君の礼儀正れいぎただしく、周りから愛される性格をうらやましいと思い、それゆえに自分とも気兼きがねなく付き合ってくれるのだと自慢じまんげな文脈がそこにはあった。――そして、三通目は……」


 最早もはや微笑ほほえむことも、語ることもできなくなった末の息子。その頬をいとおしげにでる男爵の姿に、ニコルは自分の心にヒビが入る音をいた。足首が上体を支えられなくなってぐらりと身がらぐ。背後のアリーシャがかたを受け止めてくれなければどうなっていたか。


「三通目はつい先日、四日前に届いた。きっと、哨戒しょうかい任務出発の当日に投函とうかんしたのだろう。それには次のように書かれていた……。作戦の詳細しょうさいは書けないが、久々の外任務にくと。それにはニコル君、君も同行すると。今まで孤立こりつしてきた時期の間、訓練にも任務にもいまひとつ身が入らなかった。……だが、君という友を得、共に切磋琢磨せっさたくますることでがんばることができると思ったと。二人ふたりで協力して成果を挙げ、手柄てがらを立て、おそまきながらも騎士団の中で昇格しょうかくして見せる…………騎士団に入るのを決して自発的に望んでいなかった息子を、私が無理にしてしまったのだ。騎士に向いていないだろうということも薄々うすうすはわかっていた。しかし、息子にはくをつけさせたいがために私が強引ごういんに……すまなかったな、マルダム。こうなる可能性も頭の中にあったが、私は目をつぶってしまっていた。私が別の道をお前に提示していれば、こんなことには…………」

「申し訳ありません!」


 父の息子を想う気持ちの重さにしつぶされ、ニコルはその場で膝を折り、地に手を着けた。その動作の勢いに全員が息を飲む中、少年の金色の髪が前に垂れ下がっていた。


「マルダムは、ご子息はぼくをかばって戦死されました! 飛んでくる矢をかわすために僕を物陰ものかげに押しやった時、のどに矢を受けられたのです! 助けるいとまもありませんでした! ご子息の死はすべて自分の責任です! どうか、責めは僕一人ひとりにおあたえください!」

「そうだったのか…………」


 男爵の声と言葉から、そこまで詳細なことは知らされていなかったのだろうことがニコルにはわかった。チャダ正騎士も、男爵がどういう反応をするのか心配を覚えて、マルダムが死に至った過程を伝えていなかったのだろう。


「自分はご子息を守れなかったばかりか、こうやってのうのうと生き延びて……申し訳ありません、申し訳ありません、申し訳ありません…………!」

「……ニコル君、君があやまることはない。顔を上げたまえ」


 ニコルがなみだれきった顔を上げる。死者の棺をはさんで、マルダムの父と友は対峙たいじした。


「君が膝を着く理由などないのだよ。騎士は死ぬものだ。誰かを守って死ぬものだ。それが君だったというだけの話だ。……息子は、マルダムは君を守りたくてそうし、現に守ることができたのだ。君が今生きてくれていることが、マルダムの望みだったのだ。そうでなければ矢の雨が降る中で、咄嗟とっさとはいえ他人をかばえまい。マルダムはそんな、大事にしたいと想える友を得ることができたのだ。息子は幸せ者だ。この世の中で最も得ることが難しいのは、友だからな……」


 息子の顔をのぞき込む男爵の目から涙が流れ、頬を伝いすべちて、マルダムの頬に落ちて小さなみを作った。


「――男爵殿どの。ニコルは、アーダディス騎士見習いはその後、奮戦しました。矢を射かけてきた盗賊とうぞくたちに突進とっしんし、けんるい、獅子奮迅ししふんじんの働きをしました。ご子息のあだったのもこのアーダディス騎士見習いです。おなぐさめになるかどうかは、わかりませんが……」

「……そうか。君自身が息子の仇を討ってくれたのか」


 小さな喜びの色が、男爵の唇の端に浮いた。


「ならばもう、マルダムは救われているな……。殊勲しゅくんを挙げた者を生かすために死んだのは、息子の頭上にも殊勲がかがやくのと同じ事だ。……マルダム、お前は大手柄おおてがらを挙げたのだな。よくやった……よくやったぞ……」


 父の声が次第しだいふるえていき、すすり泣きの調子に変わる。押さえようとしても押さえられない涙がしわの刻まれた顔を流れる間、ニコル以外の騎士たちは全員、直立不動の姿で敬意を表した。それ以外にこの場に相応ふさわしいことも、この場でできることもなかった。


 父のすすり泣きは二分か、三分か、もっと短かったか……心を無にしていた周りにはわからない。ただ、何も考えることもできなかった。

 この戦いで得た物、失った物を心の天秤てんびんにかけ、その角度の深さに震えるだけだった。


「騎士の家の者が泣くなと妻をしかりながら、自分はこのていたらく……情けないな……」


 自嘲じちょうひびきを乗せて男爵は顔をぬぐい、立ち上がった。


「立ちたまえ、ニコル君。息子は君のそんな格好を望んではいない。君は小柄ながらも、立ち姿はとてもびやかだと息子はつづっていた。私にも、その立ち姿を見せてくれ……」

「は、はい…………」


 かたわらのアリーシャにわれるようにして、ニコルは立ち上がった。そして全員がそうしているように自分も背筋を伸ばし、頭のてっぺんからかかとまでを一本の直線にして、立った。


 そんなニコルの姿を男爵は涙に濡れた目で見つめ、誇らしげに微笑んだ。


「そう……そうだ。その姿勢だ。それこそ騎士のあるべき姿だ。……私もゴーダム騎士団で上級騎士にまであがり、男爵位を得た者だ。これでも現役げんえきの時代はもう少し颯爽さっそうとしていたのだが、今では見るかげもないな、ははは……」


 サデューム男爵もまた、立ち上がった。騎士として死んだ息子に自分も元騎士として敬意を送り、黙祷もくとうするようにあごを引いてまぶたを閉じ、そのたましいの安らかなることを十数秒、いのった。


「――ニコル君。君にひとつだけ、私からの願いがある」


 祈りの言葉をたどり終わった男爵がくつ裏で土をむ音を響かせ、少年の側に立った。


「聞いてくれるか」

「……自分にできることであれば、なんなりと……」

「そうか。では、言おう」


 男爵の手が伸びてニコルの両の肩に乗せられ、骨の形を確かめるように力が入れられた。


「生きてくれ」

「――――――――」


 ニコルの涙の雨に濡れきった心にあたたかな風がき、空気をまわした。


「恩着せがましく言うわけではない。が、マルダムが命をけて救った君の命は、最早君だけのものではない。それはわかってくれるか」

「は、はい…………」

「だから、君には生きてもらわねば困るのだ。人生をここで終えてしまったマルダムの分まで生きてくれ。その命で他人ひとのためにくし、家族のために尽くし、愛する者のために尽くし、そして、自分のために尽くしてくれ。マルダムがそうできなかった分、君は幸せになってくれ……君とマルダムの命で作る幸せは、マルダムの幸せになる……」


 二人を見守る騎士たちの中で、ホウセンカの実がはじけるように涙を目からあふさせ、嗚咽おえつの声がれる。涙に濡れていた頬を新しい涙で洗い直して、手袋てぶくろや服のそででそれを拭う者で場は溢れた。


「時が経てば君も、いつかは命尽きる時が来る。ほろんだ肉体から魂ははなれ、天の国を目指すだろう……マルダムが今この瞬間しゅんかん向かっている、天の国へ……」

「て……天の国へ……」


 天の国。

 それは、地上に生を受けた者が命をやし尽くし、最後に残った魂が行き着く場所。

 そこでは生前に知り合った者がつどい、生前の幸せを永久にかえすという――。


「マルダムはそこで待っているだろう。君をがれているはずだ。数少ない友であった君に再会したいと切望しているだろう。君は長らく待たせたマルダムにい、こう言ってやってほしい――僕は、君のおかげで生きられた、と」


 体と心の全部を震えさせ、アリーシャがハンカチを口に当て、少年と父の姿から目をらした。目にハンカチを当てなかったのは、涙は嗚咽より止められなかったからだ。


「僕は君のおかげで善く生き、幸せに生きられたと。君の死を、命を無駄むだにしなかったと……。その言葉で、マルダムの魂は救われる。マルダムはいつもの優しい微笑みで君をたたえてくれるだろう……それはもう、君にしかできないことなのだ。わかってくれるか、ニコル君……」

「わ……わかります……マルダムの友である僕にしかできないことです。そうしてマルダムの魂を安らげてあげることは、僕にしか……」


 目を閉じても途切とぎれない落涙らくるいの中、ニコルは声を振りしぼった。むせびの中で消える言葉の輪郭りんかくを必死に作って、自分の胸にも刻みつけるようにした。


御父上おちちうえ。自分は約束します。

 ニコル・アーダディスの名において、ちかいます。

 ――僕は、マルダムの死を無駄にはしません。いずれ僕が天の国の門をたたき、友に再会した時、胸を張ってマルダムに笑顔えがおで告げます。僕は君の心を背負って生き続けたと。君の命のかけらを胸に納めて生き、君と共にいたと……」

「ありがとう、息子の友よ。……満点だ。満点の言葉だ。きっとマルダムも今、天の国に至る途上とじょうでそれを聞き、心慰められているにちがいない……息子は幸せ者だ、こんな友を得られて、本当に幸せ者だ……私は、息子が羨ましい……」


 サデューム男爵はニコルの肩に乗せた手を少年の背中に回し、胸に掻きいだいて泣いた。ニコルの中で生きる息子の声を聞こうとするように、そして聞いているようにニコルの頭に耳を着けて、泣いた。どこにそれほどの涙があるのかと疑われるほどに、泣いた。


「マルダム……ちょっと、待たせるとは思うけれど、僕も確かにそちらに行く……。その時は、この世でできなかったことをたくさんしよう。そうすれば僕たちは、もっともっと親しくなれるだろうから…………」


 そのか細いつぶやきは自分の中でしか聞けない音にしかならなかったのかも知れないが、マルダムには届いているという確信がニコルには、あった。確かにあった。


 何故なら、マルダムはニコルの心の中で生き続けているからだ。

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