「初陣・――棺」

「ニコル、お前は残っていていいんだぞ。……いや、残っていろ」

「そんなわけにはいきません」


 騎士きし見習いたちがマルダムのひつぎを下ろそうとする中、アリーシャの制止をってニコルはマルダムの棺に手をれた。


「……わかっているのか? この棺を持っていく先は……」

「マルダムの実家なんですよね」


 わかっていた。ニコルにはそれくらいわかっていた。


「……マルダムが死ぬ前夜、ぼくはマルダムから聞きました。まだご両親が健在でいらっしゃることを。そしてご両親がお待ちになっていらっしゃるんでしょう」

「お前、それがわかってて……」

「僕はマルダムの親友なんです」


 すみません、とニコルは頭を下げながら半ば強引ごういんに、マルダムの棺をかかえる先頭、その右側の位置にんだ。

 それは、棺を抱える人間の中で、故人に最も関係が近かった者を示す位置だ。


「……ここでマルダムの遺体とお別れになるのなら、僕はマルダムを抱えてあげたい。それが僕に残された数少ない、マルダムに対してむくいてやれることなんです……」


 ニコルの眼差まなざしをまっすぐに受けて、アリーシャの心は、揺らいだ。

 数瞬の逡巡しゅんじゅんがそよ風のようにその表情に見えたが、最後にはあきらめたかのような微笑が唇のはしに浮いていた。


「……わかった。時間もない。運び出すぞ」


 この場でいちばん位が高いアリーシャが前に立ち、八人がひとつの棺をかたに乗せて荷馬車から引き出し、この村で唯一ゆいいつの大通りらしいやや太い道を歩き出す。


 その道のわきには、野良仕事のらしごと途中とちゅうらしい数十人の農民たちがふらふらと出てきて、九人の騎士団がひとつの棺を抱えて進む様を呆然ぼうぜんとした目で見ていた。


「ああ……この人たちは、マルダムの実家の領民なんだ…………」


 マルダムの家――サデューム家は小さな男爵だんしゃく家だと言っていた。この村の名はサデュームの村で、サデューム家は人口が五百人ほどの村を治める代官の家なのだ。


 マルダム自身は、その家の三男だと言っていた。

 兄を差し置いて代官になれる可能性は限りなく小さいはず――いや、もう、永遠に不可能になってしまったが……。


「この領民たちは、『坊ちゃま』の帰還を出迎えているんだ……」


 こうして騎士団の面々が仰々しく棺を担ぎ、村の奥に向かって進む――そんな様子からだいたいのことは察せられるだろう。葬列そうれつとそれを見届ける人々の姿が、無言のうちにこの場に形成されているのか。


 棺を肩にかつぐニコルたちが進む唯一舗装ほそうされた道のおくに、男爵家の邸宅ていたくらしい屋敷やしきが存在していた。邸宅と言ってもニコルが見慣れたフォーチュネット伯爵はくしゃく家の半分ほどしかない。王都に存在するフォーチュネットの屋敷は、伯爵家としてはかなり小さいはずなのに。


 少し小金持ちの家、ニコルが王都で住んでいた小さな家を十けんばかりつなぎ合わせたようなその家からは男爵家というひびきに似合う威風いふうはない。だが、この村で最大の規模を持つ邸宅であることには変わりないようだった。


 その邸宅を囲むさくに設けられた入口に、チャダ正騎士以下、アリーシャを除くじゅん騎士たちが集まっている。そんな見慣れた顔たちと相対して、ニコルの知らない人物が九人、こちらに視線を送ってきているのが遠目に見えた。


「あれは…………」


 一人ひとりはやや年かさ、五十代の始めにかっているだろうかという、初老らしい風貌ふうぼうの男だ。黒い燕尾えんび服を着た姿は背筋がびていて立派さを感じさせるはずだが、つかれたような表情が実年齢ねんれいに増してとしを取っているように見える。


 リルルの父、ログトは五十四歳のまぎれもない初老だったが、生気と活力にあふれたログトよりもかなり老いた印象があった。


 そのとなりには、生地きじの厚いドレス姿の貴婦人が立っている、ニコルは自分の母と同年代かと思ったが、ややうつむいてくちびるみしめ、なみだをこらえている姿がやはりけた雰囲気ふんいきくしているようにしか見えなかった。


「……あの方々が、マルダムのお父上と、お母上…………」


 その後ろにひかえている、歳もばらばらな背広姿の男たちは執事しつじか、召使めしつかいたちか。

 一様に重苦しい表情をこちらに向け、まるで葬儀そうぎの参列者のように並んでいる。


「おい、大丈夫だいじょうぶか」


 一歩一歩、全員が足の裏の全部を地面に着けたのを確かめるように進む列がわずかにくずれたのを感じて、ニコルの左で棺を担ぐ騎士見習いが小さい叱責しっせきに似た声を飛ばした。


「すみません、大丈夫です」


 ニコルの返事にそうか、と目で返した騎士見習いは視線を前にもどす。

 奥歯おくばを噛みしめ、ニコルも視線を前にえた。

 これは自分で望み、自分で志願したことなのだ。げることなど許されるものか。


 すでにチャダの口からマルダムの戦死の経緯けいいが伝えられたのか、棺を待つサデューム家は近づいてくる棺を、唇をぐっと結んだ顔でじっと待っているだけだった。感情を胸にころしている表情が並ぶ中で、夫人だけがその目いっぱいに涙をめ、流すまいとしている。


 サデューム家の人々と騎士たちの間には真っ白い敷布しきふかれ、そこがニコルたちが運ぶ棺を置く場所を示していた。


「ご子息のご帰還きかんです」


 チャダの宣言と同時に、わずかの角度にもかたむけず、時間をかけて棺が敷布の上にせられた。棺を運んできたものたちが一歩横にはなれ、中でねむる故人に向かって敬礼する。

 その一人となったニコルもまた、熱いおもいで棺の中のマルダムに敬礼した。


 振りかえればそれが、マルダムに向ける初めてで最後の敬礼だった。自分たちはそんなよそよそしいことをする間柄あいだがらではなかったのだ、という想いがニコルの心を内側からがし、それを冷やさせるための涙を目のはしからこぼれさせた。


 マルダムの父の唇がかすかに隙間すきまを作り、表現しがたい種類の息がそこかられる。同時に胸の前でハンカチをにぎめる夫人の目が涙の泉の奥でれ、その半分を零れさせた


「…………この場で開けても、大丈夫かな?」


 マルダムの父の問いにチャダはほんの一瞬いっしゅん躊躇ちゅうちょ固唾かたずとしてみ込み、答えた。


綺麗きれいに整えさせていただきました。傷も見えません。生前のお姿のままであります」

「……開けていただけるか」

「かしこまりました。――お開けしろ」


 チャダの指示で騎士見習いたちが一斉いっせいに一歩進み、くぎが打たれていないふたを持ち上げ、棺の脇に置いた。

 永遠の眠りについているマルダム騎士見習いの姿が、棺の中にあった。


 騎士としての正装もさせてやれない遺体は新品のシャツとズボンを着せられ、物もない中でせめて死者に誠意を示そうと、色鮮いろあざやかな花を棺と体の隙間いっぱいにめられている。のどにあった傷は綺麗にかくされ、微かにられたほおしゅが生きているようにも思わせた。


 だが、その深すぎる眠りの顔は、死者の顔だった。いくら色をほどこそうとしても、ごまかすことのできない死の気配が、深く深く眠る少年の顔に張り付いていた。


「おやみをもうしあげます……」


 チャダに続いて全員が深々と礼をした瞬間しゅんかん、夫人――マルダムの母の感情が破裂はれつした。息子むすこの名前を呼びながら棺に取り付き、その遺体にかぶさって号泣ごうきゅうし始めたのだ。


 そんな母親のさけぶ様を正視できる者などいなかった。だれもが胸の中を素手すでまわされる感触かんしょくえて目を閉じ、まぶたの隙間から熱い涙を流さずにはいられなかった。


「泣くな。騎士の家の女がみっともない。……妻を奥に連れて行って休ませてくれ……」

「はい、旦那だんな様。奥様おくさま、こちらに…………」


 年かさの男ふたりに両腕りょううでを取られて半ば棺からがされるようにして、夫人は屋敷の中に連れられていった。意味の判別も着かないほどににごった言葉の声がを引いて、それがこの場の全員の心をいていった。


「ご子息の戦死はまだ騎士団には報告しておりません。ご遺体をなるべく早くお返しするのが先だと自分が判断いたしました。帰還次第しだいすみやかに報告いたします。ゴッデムガルドからの沙汰さたをお待ちください。……ご愁傷様しゅうしょうさまでございます……」

「いや、大事な任務の途中、お気遣きづかいいただき申し訳ない。感謝する、チャダ正騎士殿どの

「ありがとうございます…………」


 自分の稚拙ちせつな指揮の結果がマルダムの死を招いたのだという自覚があるのか、チャダ正騎士の肩が低く落ち、いつもの威厳いげんはどこかに置き忘れられたようにニコルの目には見えた。だが、自分の肩はそれ以上に落ちているのだろうとも同時に思う。


 マルダムは、自分をかばって死んだのだ。その事実をもう一度味わわされて、ニコルは足の裏から自分の体が、しんから自分の心がふるえているのを感じた。両目から流れる涙の洪水こうずいの中で感じさせられた。


「――チャダ正騎士殿、少しだけ時間をもらえるか」

「ええ、それはなんなりと、いくらでも……」

「ニコル・アーダディス騎士見習いと話をさせていただきたいのだ」


 そのマルダムの父の言葉に、涙におぼれそうになっているニコルが目を開いた。


「……自分はまだ、アーダディス騎士見習いの名前も出してはいないはずですが……かれがこの部隊に帯同していると、何故なぜご存じで……?」

わたしにはわかるのだ。息子マルダムが教えてくれたのでな」


 その場にいるチャダ中隊の全員がおどろいている中で、さらに驚くべきことがあった。

 マルダムの父の目が迷うことなくニコルに向けられた。さびしい気配をまとっていても、確かにやさしさが宿る微笑ほほえみを乗せた表情で、サデューム男爵マルダムの父は言っていた。


「――君が、ニコル君だろう」

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