「初陣・――彼の帰還」

 凄惨せいさん討伐とうばつ戦がひろげられた、午後。

 ジネドの村人たちは、自分の村をおとずれた騎士きし団に三度おどろいた。


 一度は、蛍光石けいこうせきの鉱山に拠点きょてんを作ってしまった盗賊とうぞくたちが討伐されてしまったこと。


 一昨日にいきなり現れて鉱山の労働者をたたし、そこに住み着いてしまった盗賊たちを討伐する要請を出すためにゴッデムガルドに早馬を飛ばしたのだが、騎士団のあまりに早すぎる対応に拍子抜ひょうしぬけしてしまったのだ。


 それが哨戒しょうかい活動中の騎士団によって行われたということに、村人は一応の納得をした。


 もうひとつは、盗賊たちを全滅ぜんめつさせたという騎士団がまるで敗残兵のような空気をまとっていたこと。


 六十人以上の規模をほこっていた盗賊団が一人ひとり残らず壊滅かいめつし、大戦果を挙げたはずにもかかわらず、隊列を作って村に入ってきた騎士たちの顔はつかっていた。歩く従兵たちはやりを重そうにかたにしてそのしりを地面に引きずり、馬に乗る騎士たちも一様にうつむいていた。


 最後のひとつは、中隊の指揮官とおぼしき人物が二台の荷馬車と、ひとつのひつぎの提供を村の代官に申し出たことだった。



   ◇   ◇   ◇



 ジネドの村で一泊いっぱくし、翌日の朝に村を出発して帰還きかんについた哨戒部隊の面々の顔はやはり疲れ切っていた。


 正騎士や准騎士じゅんきし、騎士見習いたちがひとり一頭持っていた馬の数は半分になっている。その意味では甚大じんだい被害ひがいを受けていた。特に、准騎士の全員が慣れ親しんでいた愛馬を失ったことは精神にも大きくひびいた。


 准騎士たちは騎士見習いたちが荷馬にうまとしていた馬を借り、騎乗きじょうすることでかろうじて騎士としての体裁ていさいを取っている。


 三台となった荷馬車のうち、借りた二台は即席そくせきほろかぶせて人を乗せ、ゆっくりと進む。

 一台の荷馬車には矢の攻撃こうげきで深手を負った重傷者の三名が寝床ねどこを作って横たわり、それぞれの重傷者に一人ずつ騎士見習いがついて看病に当たっていた。


 そして、もう一台の荷馬車。

 こちらには重傷者は一名しか乗っていなかった。

 だが、乗っていたのは重傷者だけではない。


 その真ん中には、マルダムの遺体を納めた棺がえられていた。


 盗賊討伐の戦闘せんとうの際に死んだ騎士見習いだとジネドの村人たちに教えると、自分の村のために命を投げ出してくれた騎士様だからと、簡素な棺を村人たちは精一杯せいいっぱいかざってくれた。


 だからふたを開ければ、たくさんの花で飾られ、よごれを綺麗きれいぬぐわれて死化粧しにげしょうまでほどこされたマルダムがねむる姿が見えるはずだ。

 ただ、くぎを打っていない蓋を開けてマルダムの遺体を見ようというものはいなかったが。


 そして、一人の重傷者とマルダムの棺が横たわるその側で。

 傷を受けてはいないが、たましいが欠けるほどに大きな傷を受けたニコルが、ひざかかえてすわっていた。



   ◇   ◇   ◇



『――これを、ぼく一人がやったというんですか……!?』

『……覚えてないのか?』

『覚えていません』


 盗賊団が壊滅した直後、アリーシャのうでの中で正気にもどったニコルは愕然がくぜんとし、その答えを受けたアリーシャも愕然とした。

 二十四人をひとりでたおしたという事実にいちばん驚いたのはニコル本人だろう。


 ニコル本人が覚えていることといえば、最後に生き残った盗賊の腹にけんてている手の感触かんしょくだけだった。


 アリーシャの代わりにチャダ正騎士もニコルから事情を聞こうとしたが、ニコルには答えようもなかった。本当に記憶きおくの中に残っていなかったからだ。


『……うそいても仕方ないからな。本当に覚えていないのだろう。いや、正気でなかったと言われる方がわたしたちも安心する…………』


 悪鬼あっき羅刹らせつか、魔人まじんが人の魂を乗っ取って顕現けんげんしたのではないかという力のるいように、騎士たちはニコルに対しておびえの目を向けていた。だからかれの側に近づこうなどという騎士はアリーシャ以外におらず、みな微妙びみょう距離感きょりかんを保ってニコルを取り巻いていた。


 それは、一晩が明けて部隊がジネドの村をち、帰還の途上とじょうにあっても同じことだった。


 親友で戦友を失った心の傷を抱えてうずくまるニコルに、重傷者の看病をしている騎士見習いも話しかけようとはしなかった。自分が距離きょりを置かれていることを理解したニコルも話しかけようなどは思わなかったし、ひとりでいられることはむしろ望むところだった。


 ある意味、マルダムを除けばこの戦いで最も深い傷を負ったのはニコルかも知れない。

 彼の心に刻まれた傷は、治るのにどれだけの月日を要するか、それがわかる医者もいなかった。


「うう…………」


 キュルルル、ときしむように鳴る胃の動きにニコルは顔をゆがめた。胃に何も入っていない空腹感が体に響く。


 昨日きのう、ジネドの村で村人に振るわれたスープを一口食べた瞬間しゅんかん、ニコルは嘔吐おうとした。

 口にふくんだものと共に胃液をその場にぶちまけてしまい、それ以上は水以外、何ものどを通らなかった。


「肉がいけないんだ…………」


 れる荷馬車の、魔鉱石まこうせきのランプが青白い光を投げかけて照らす薄暗うすぐらい幌の中でつぶやかれたニコルのその言葉は、重傷者とそのいの見習い騎士たちに届いたか、どうか。


 よくられた鶏肉とりにくだったと思うが、その感触を舌と歯で受けた瞬間、昼間の戦闘の生々しい感覚が細切れの記憶として閃光せんこうと共によみがえり、ニコルの体に激烈げきれつな反応を示させていたのだ。


「しばらくは、まともに食事はできないな…………」


 だが、それがなんだというんだ――自分の膝小僧ひざこぞうを見ていたニコルは視線をずらし、人ひとりが座れる間隔かんかくを空けて置かれている白い棺に目をやった。

 その中に入っているマルダムはもう、何も食べることなどできないのだ。


 駐屯地ちゅうとんちの食堂で食事をする時は、たいていマルダムがテーブルの向かいに座っていた。少し肉付きがいい、丸顔のせいでやや太っているような印象さえ見せる彼が、どんな献立こんだてでも美味おいしそうに料理を頬張ほおばっていたのが思い起こされる。


 その時の笑顔を思い出す度に、ニコルの心の内側に新しいささくれが生まれた。


「マルダム…………」


 思えば、半月をややえる程度の付き合いだった。

 これから数年の間、共に騎士を目指して切磋琢磨せっさたくましていく相棒だと思っていた相手が、こんなに早く死んだ。


 その寂寞せきばく感がニコルの胸の内側で反響はんきょうするやいばとなって響きつづけ、まない馬車の揺れがそれを加速させる。今日きょうは朝から一杯いっぱいの水も飲んでいないのに喉はかわかない。いや、渇いているのを感じていないだけなのかも知れない。そして、空腹感はあるのに食欲は皆無かいむだ。


 自分が生きているのかどうかも自信が持てなくなり、魂が肉体に定着していることにすら疑いが持たれてきたころに、馬車はゆっくりと減速して停車した。


「…………ここは…………?」


 開け放たれている幌の入口をニコルはゆっくりと見る。空の色からしてまだ昼だ。どこかの村らしく、家々が閑散かんさんとした間隔で建ち並び、その間を畑がめているのが見える。


 確か、強行軍をしてゴッデムガルドに向かうはずではなかったか。どこの村や町にも寄らず、休みなく歩き続けば今日の深夜おそくにはゴッデムガルドにたどり着ける――たどり着くつもりで行軍をする、とニコルは外から聞こえてくる会話で承知していたが。


「ニコル、下りろ。マルダムを……マルダムの棺を下ろす」


 幌の入口にアリーシャが顔を見せて中をのぞきんでいる。そのアリーシャにぼんやりとしたひとみを向けて、ニコルはのろのろと体を動かした。


休憩きゅうけいするんですか……? いや、でもどうして、マルダムの棺を下ろす必要が……」


 移動してきた時間からもここがゴッデムガルドなはずがないと思えたし、実際、景色けしきながめても知らない村のようだった。なのに、どうして。


「ああ、お前は聞いてなかったか……。帰還の道筋に近かったんで、少し寄り道をすることにしたんだ」

「寄り道って、ここに寄り道をする必要が…………?」

「あるよ。必要はある。大いにある。……マルダムをここで下ろしてやらないとな」

「どうして……マルダムはゴッデムガルドに連れて帰って、そこで葬儀そうぎを……」

本葬ほんそうはここでしてもらう。その方が喜ばれる」


 ニコルは拡散している瞳が納まる目を丸くして、アリーシャの顔を見つめ続けた。

 わない会話の流れに、その噛み合わなさの原因がどこにあるのかをアリーシャは一瞬いっしゅんかんがえ込むように少しうつむき、すぐさま思い当たってニコルに顔を向けた。


「ああ、お前は知らなかったか。この村はな……」


 次のアリーシャの言葉が、ニコルの心臓に細いくさりをかけ、強い力でしばげていた。


「――マルダムの故郷なんだ」

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