「初陣・――咆哮の終わり」

 少年が見る世界は、血の色をしていた。

 目の毛細血管が破れたかのように充血じゅうけつしていたところに血が流れんだ目は洗うこともできず、最初の咆哮ほうこうを上げた時から一度もまばたきはしていない。


 ニコルの意識に思考はなかった。その意味では、刺激しげきと反射だけで行動する虫けらの機構に似た活動の規範きはんがあったとも言える。

 ニコルにあるのは、『敵』を識別する本能だけ――『味方』の概念がいねんなどはなかった。


 敵とは、甲冑かっちゅうを着けていない者。それだけが区別の基準だった。

 もしも騎士きし団の仲間で甲冑をいでいる者がいれば、ニコルはその者をることに一片いっぺん躊躇ためらいも迷いもなかっただろう。


 それが今のニコルの意識、一切いっさいくもりもにごりもない純粋じゅんすいな殺意だった。


「う、ああ、ああ……」


 敵をふくろの中にさそい込んで両端りょうたんしばり、はさみ込むことでじ込めたかと思ったら、その包囲からしたたった一人に自分たちが挟まれてしまっている――頭からおけかぶったように血でれ、サーベルを持ったうでを軽く広げ、ゆっくりと歩み寄ってくる少年。


 そんなものは一斉いっせいにかかれば、なんの問題でもないはずだ。十秒もたずに十人が斬りせられたとはいえ、こちらにはまだ二十人もいるのだ。一度に斬りかかり、膾斬なますぎりにして出口に飛び出せば、命は助かる。


「い、いい、い、いい……」


 行け、一度に斬りかかれ――そう号令をしようとするが、おびえきり縮まりきった心が、のどから声を出させなかった。


 爪先つまさきからかかとまで、足の裏のすべてを着け、一歩一歩確かに、秒針の刻みよりはるかにおそく歩んでくる少年の姿が殺意のかべそのものに感じられて、かれの間合いに入ると立ち所に斬りころされる、という確信が盗賊とうぞくたちの足をその場に縛りける。


 だから、二十人が一度に飛びかかるか、一斉に弓でねらえばこの場をり抜けられる間合いを少年がめ切って失わせ、そのことに気づいた最前列の盗賊が愕然がくぜんとした。


「あ……あ、あ、あ、ああああああぁぁぁぁ――――!!」


 死ぬ、とわかっていて、こし小剣ショートソードを抜いた盗賊のひとりが飛び出した。少年に背中を見せてその姿を見失う恐怖きょうふにも勝てず、その場でとどまりつづける勇気も持てず、この怯えのげる先を考えれば、少年に向かって走るしかなかったのだ。


「――――ふぅっ!!」


 小剣の間合いが大振おおぶりのサーベルに勝てるはずもなく、それ以前に斬撃ざんげきの速度が一桁ひとけたちがうのではないかという速度の横薙よこなぎが光のを引きながらり抜かれて、ニコルに打ちかかった盗賊の首がまたひとつ飛んだ。


「うああああああああああああああああああああああああああああ――――――――!!」


 温かい血の新たな洗礼を受けてニコルがえる。巨大きょだい凶暴きょうぼう獅子ししが目の前で咆哮をとどろかせる迫力はくりょくそのままのかたまりとなった音の砲弾ほうだんに、相対する盗賊のみならず、固唾かたずを飲んで見守っている騎士たちも、甲冑と胸板むないた貫通かんつうして心臓にぶつかってきた痛みに胸をかかえた。


 そこからは、木偶でく人形を斬りたおすのと同じだった。


「うああああああああああああああああああああああああああああ――――――――!!」


 ニコルのけんやいばあらしを巻くたびに確実にひとり、場合によってはふたりが斬りてられる。引きつった顔でかざす小剣も、せめてものあがきに振りまわした弓も問答無用で手にしていた盗賊ごとち斬られ、頭蓋骨ずがいこつの厚みさえその刃をいささかも止めはしなかった。


 木偶人形が粘土ねんど人形となって斬られ、くずされて行く。けものさけびがひとつ上がるごとに命がひとつ消し飛び、五体満足ではなくなったぞくの姿が音を立てて倒れ重なっていった。


「か…………」


 あらぶる少年の豹変ひょうへん釘付くぎづけにされていたチャダの目が、ふるえを止める。自分が、自分たちが何をすべきなのかを天啓てんけいのようにひらめいて、剣を振りげて叫んだ。


「かかれェ――――!!」


 その一喝いっかつが、自分たちが何者かさえ頭からばされて心を白紙にしていた騎士たちを目覚めさせた。立ち上がりたてを振りかざしたチャダに続き、五人の准騎士じゅんきしと数人の騎士見習いたちが剣を振り上げながら坑道こうどうおくの盗賊たちにおそいかかる。


 仲間がたったひとりの少年に虐殺ぎゃくさつされていく光景に放心していた盗賊たちが、一斉に向かってきた騎士たちにあわててつがえた矢を向けるが、その半分も放たれることはなかった。


「い、行くぞ!!」


 隊の後方についていた唯一ゆいいつの准騎士であるアリーシャが立ち上がり、周囲の騎士見習いたちにげきを飛ばして自ら走り出す。半ば放心し混乱した部下を奮い立たせると同時に、理性を失い人の皮を被った獣のように白刃はくじんを振るうニコルを救いたかった。


「ニコル!!」


 目の前で背中を見せている盗賊を、アリーシャが一刀の元に斬り伏せる。飛び出していったアリーシャの勢いに引きずられるようにほかの騎士見習いたちも雄叫おたけびを上げ、続くように突進とっしん敢行かんこうした。


「うわあ!」

「やめ――やめて! やめてくれ!」

「斬れ! 斬れ、斬れ、斬れ!」


 自分でも何をわめいているのかも理解していないほどに、血のにおいと熱気に頭をでられたアリーシャが基本の型も忘れて前方を斬り開いていく。小手先の剣技けんぎなどほとんど関係なく、ただ強く速く剣を振るった者だけが生き残れる文法だけがそこにあった。


 瞬くに、倒れている人数より立っている人数の方が少なくなっていく。戦意をくだかれ、しかし逃げる隙間すきまさえ見出せずに降伏こうふくを選ぶ盗賊たちもいることにはいたが、降伏の意志を示す所作を示す前に、襲い来る剣の前に倒れていった。


 ――そして、斬り倒してきた人数を数えるには両手両足の指を足しても足りなくなってきたニコルは、最後に立っている盗賊の姿を目の前にらえていた。


「ひぃ、ぃぃ、ぃぃ、ぃ――――!」


 盗賊が後退あとずさるが、その背中を坑道のかたい壁が無慈悲むじひに受け止める。


 体から黒いかげをゆらりとまとったニコルがその目の前に立ち、剣をにぎりしめる盗賊が打ちかかれば剣が届く間合いに立つ。盗賊は血の色に染まった無表情の少年の暗いひとみをのぞいてしまって、その奥にかがや肉食獣にくしょくじゅうの気配に勢いよく失禁し、自分の小便で足をすべらせた。


「ま――待て! 待ってくれ!」


 背中を壁に、しりゆかに着けた盗賊が剣を投げ捨てる。石の床に重い音がひびいて抜きの刃が滑り、その音がむ前に盗賊は何も持っていない手を広げてかかげた。


「降参だ! 降参する! だから命だけは、命だけは――ぶふぅっ!」


 一滴いってきの躊躇もなく、感情のかけらもこもっていない機械的な動作でニコルのサーベルの切っ先が盗賊の腹にてられた。

 全身を波打たせた盗賊が口から血のあわく。まるで死んだマルダムがそうしたように。


「お前か」


 最初の雄叫びを上げてから初めて、ニコルの口から言葉が出た。


「マルダムを射殺いころしたのはお前か」

「マ……ル、ダ…………?」

「マルダムを射殺したのはお前か」

「ぐぶぅっ!」


 引かれたサーベルの刃が、一撃いちげき目と同じ勢いで同じ腹の傷をえぐる。


「ふぶぅっ!」

「マルダムを射殺したのはお前かって聞いているんだ!!」


 斬りい、いや、一方的な斬り伏せる展開になった戦闘せんとうの気配が退潮に向かう中、頭の中をえたぎらせていた興奮からいささかは冷めつつあった騎士たちが声の方向に目を向け、そこで展開されている惨状さんじょうに大きく顔をゆがませた。


 背中を壁に預けて倒れている盗賊、その前に立ちはだかったニコルが彼の腹に何度も剣を突き立てている。鋼鉄の刃が腹に突きさる度に、すでに絶命しているはずの盗賊の口から血がかれ、空気がれる音が声のようにこぼれる。


「こいつ――なんでまだ声を出せるんだ」


 銀色のはずの甲冑を赤錆色あかさびいろに染めたニコルが同じ動作をかえす。さっきまで感情が乗っていなかったはずの顔に、いっぱいの苛立いらだちを立ちこめさせて。


「なんで死なないんだ! なんで!! 死ねよ、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね!!」

「ニコル!!」


 み込んだアリーシャがこぶしを握りしめる。何故なぜそうしたかわからずに握り込んだ拳を、考えるよりも早くニコルのほおたたき込んだ。叩き込んでいた。

 いつかの手加減した平手打ちなどではない。完全に本気を込めた殴打おうだだった。


 物も言わずにニコルの体がらぎ、なぐり飛ばされた勢いのままに受け身の一切もなしで地面に倒れる。そんなニコルの体を、自分でも理由がわからない望陀ぼうだなみだを流しながらアリーシャが抱きこした。


「もういい! もうそいつは死んでる!! ニコル――ニコル、しっかりしろ!!」

「う…………あ…………」


 ニコルの瞳の奥にあった獰猛どうもうな光が消え、同時に理性の輝きがもどってくる。自分の名前を探すかのように揺らいでいた少年の目がゆっくりと焦点しょうてんり戻し、目の奥の涙腺るいせんに熱い涙がにじみ出すのがアリーシャには見えた。


「ア……アリーシャ、先輩せんぱい……?」

「ニコル、もういいんだ。大丈夫だいじょうぶか……お前、人が変わったように……いや、それはいいんだ、もう」


 何がこの少年に取りいたのか、それとも少年が元々抱えていた物が目を覚ましたのか。

 そんなことは少年が正気を取り戻してくれたという現実の前ではどうでもいいアリーシャが、血の臭いにむせる甲冑の上から少年の体をき抱いた。


「先輩、マルダムは……」

「死んだ」


 事実しか告げられないことに胸を切りかれながら、アリーシャは言った。


「マルダムは死んだ。お前をかばって死んだ。お前はマルダムに生かされたんだ。だからニコル、お前は自分を失っちゃいけないんだ。わかってくれ、ニコル……」

「ああ…………」


 制圧という名の殲滅せんめつを終えた騎士団の面々が、ニコルを、そのニコルを抱きしめ続けるアリーシャとを遠巻きにするように集まってくる。

 その中で欠けている顔は、マルダムの、ただひとりだけだった。


「マ……マルダム…………」


 ここからは姿が見えない戦友のことを思って、ニコルは泣いた。

 三十数人の騎士団が六十人以上の盗賊たちのわなまって、人的被害ひがいに限って言えば軽傷者八名、重傷者四名。命に別状がある負傷者はいない。


 そして、死者が一名――。


「うう、う、うう…………」


 戦いの経過から考えれば軽すぎるという損害だ。大勝利と言っても過言ではないだろう。

 それでも。

 そんなことがニコルの心をなぐさめることなどは、なかった。


 ただ、頬をよごした血を自らの涙で洗うニコルのすすり泣きが、戦いの熱が引いていった洞窟どうくつの中で静かに響き続けるだけだった。

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