「初陣・――刃の吶喊」

 瞬間しゅんかん、ニコルの中で、時がまった。

 首の後ろからのどまでを矢でつらぬかれ、口から血のあわき出して動かなくなっているマルダムの姿をたりにし、心がその動きを停止させた。


 ――かに、見えた。


「マルダム――」


 マルダムが、死んだ。

 喉の真後ろから脊髄せきずい破壊はかいし、喉仏のどぼとけふくらみをやぶった矢の先端せんたんからそれは明らかだ。


 同僚どうりょうが死んだ。

 初めて配属された隊の先輩せんぱい。年上でありながら自分と対等に接しようとしてくれた少年。少し気弱で不器用なところはあったが、その分、人としてのやさしさがあった。


 何日も同じ仕事場であせを流し、食事を共にし、宿舎の同じ部屋へやで語り合いながらねむった。

 この行軍においても同じだった。

 共に並んで行進し、共に任務にき、二人用ふたりようの天幕で寝床ねどこを並べた。


 友だった。

 ニコルはそうマルダムのことを思っていたし、マルダムも自分のことをそう思ってくれているだろう――その確信がニコルにはあった。


 これからの数年間、それぞれの夢を果たすために手を取り合い、かたを組んで共に前に歩いて行きたいと本気で願えるような少年だった。

 明日あしたからも、明後日あさってからも、その先も仲間として支え合える少年のはずだった。


 そんなマルダムの時が、かれの中で永遠に停止した。

 自分の時と同じ速度で進むはずの彼の時が、秒針さえも動かさなくなったことに、ニコルの心が冷え切り、かわききった。


 ――その反動は、〇・五後にた。

 氷点までこおき、その先の氷点下にまでまでも突きすすもうとしたニコルの心の急降下が、一転してその向き逆向きに変える。


「うあ――――」


 絶対零度にまでむかのように冷え切った心、それに対して熱い汗にほてせられた体との温度差。そのすさまじい相対の差が、逆にニコルの心を熱く感じさせる。

 それは、心にとっては、燃え盛るほのおの中にほうり込まれたに等しかった。


「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 坑道こうどうに存在する精神をひびきの咆哮ほうこうとどろかせながら、射かけられる矢のあらしにしゃがみ込むしかないチャダ中隊の中でひとり、ニコルが立ち上がった。


「ニコル!?」


 中隊の騎士きしたちも、その騎士たちに矢の猛襲もうしゅうを加えていた盗賊とうぞくたちも、魔獣まじゅうそのものの絶叫ぜっきょうで空気の全部を激震げきしんさせてえるニコルの姿に一瞬いっしゅん、我を忘れる。ニコル以外の全員の全員が目をき、けものの顔で天井てんじょうに向かってさけんでいる少年の姿に度肝どぎもすべてをかれた。


 左腕さわんたてを投げ捨てると同時に、少年はかぶっていたかぶとを頭から一挙動で外して足元にたたきつける。凄まじい音量の叫びにれたのか、汗にれた金色のかみが燃える炎のように逆立って、それは金色の若獅子わかじし雄叫おたけびを上げる様そのものに見えた。


 心をつぶす勢いで飛んできた絶叫の轟きに、矢の飛来が途切とぎれる。鼓膜こまくを平手で叩かれた盗賊たちの半分が弓を取り落とし、残りの半分も次の矢をつがえることに失敗していた。

 そんな間隙かんげきを突くように、ニコルの体がんだ。


「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 大型の肉食獣にくしょくじゅう脚力きゃくりょくで、まるで本当の獅子しし敏捷びんしょうさで跳んだ。

 同僚たちを跳びえ、血走って赤くにごった目と犬歯を剥いて口のから気炎きえんを引き、ニコルは空中でこしのサーベルを閃光せんこうを残しながら一瞬で引き抜く。


 甲冑かっちゅうに全身を包んでいるのにもかかわらず、突風とっぷうよりも速く、銀色の光を引いて走る!

 えた猟犬りょうけんよりも速く追いすがってくる少年の姿を、最初の不幸なふたりの盗賊たちがそのひとみに映したのは一秒とあったか、なかったか。


「ひっ――」


 自分が食われようとしている、という認識にんしきが信号となって脳で発した時には、おそかった。


「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 二人ふたりの盗賊が並ぶせま隙間すきまけ抜けようとする少年の叫びの勢いそのままに、鋼鉄のやいばは鋼鉄のするどい風となって、二人の盗賊を一ぎでり裂いた。


「ひぅっ――――」


 空気を切断するかという音を巻いて左から右にられたサーベルの刃は、ニコルから見て左の盗賊の脇腹わきばらから右の盗賊の首までを一気に斬り抜く。あばらうで、肩、首の骨のかたさも全く無視するようにけんはしり抜け、はばもうとしたものの全てを切断した。


 二人の盗賊の肩から上、首から上がそれぞれに飛ぶ。血が太い柱となって噴きがり、赤い飛沫しぶきがかかろうとするのを振りって、ニコルは獰猛ねいもうな、そして純粋じゅんすいな殺意そのものとなって盗賊たちがふさがる坑道のど真ん中をまっすぐに駆ける。


 ニコルの殺意に混じり気はない。彼に思考はなく、ただ、敵と認識した者は斬らなければならぬ、という徹底てっていされた意志だけが人の形を取っていた。


 そんな彼が、騎士たちを脱出だっしゅつさせまいとかべになっている盗賊たちの間を走る。音よりも速く振り抜かれる刃によって命をりながら、まさしく死の風となってき抜けた。


「ふぐっ!」「かはっ!」


 サーベルの切っ先が残光を引いて半円をえがき、その半径の中にとらえられた盗賊はかわよろいを着けていようが兜を被っていようが、生身と変わらずに体をち斬られた。


 ニコルが腕を振るうたびに人の部品が宙をう。腕、顔の半分、肩、手――鋭利えいり旋風せんぷうが吹きれ、その嵐の中にき込まれた者全てに死がおとずれた。


「ば――化け物だ!!」


 十人が斬りたおされるのに七秒とかからず、素顔すがおと甲冑の半分を返り血で染めながらも激走の勢いがいささかもにぶらないニコルを目にして、最後尾さいこうびにいた盗賊たちの四人が考えるよりも早く反転する。ぐちである坑道の入口に向けて足が動き、恐怖きょうふに駆られて走った。


 そんな彼等かれらわきを、ニコルは駆けた。駆け抜け、い抜いた。

 仲間が斬られている間に逃亡とうぼうしようとしていた盗賊たちの行く手をさえぎる位置で、ニコルの足が止まる。次にはくるりとかかとが返され、出口の明るさを背景にして少年が直立した。


 脱出口だっしゅつこうを塞ぐように立った金色の悪鬼あっきの姿に、盗賊たちの足が止まる。


「ひィ――――――――!!」


 斬られるよりも逃げられなくなったことが彼等の恐怖心きょうふしんをこれ以上もなく沸騰ふっとうさせ、今までの一方的な優位が夢かまぼろしのようにしか感じられない悪夢をさせられていた。


 心の全てを戦慄せんりつさせ、硬直こうちょくしていたのは盗賊たちだけではない。

 騎士たちも例外ではなかった。


「ニ…………ニコル…………?」


 特に、ニコルの豹変ひょうへんをほぼ最前列で見させられることになったアリーシャは、自分たちが戦いの只中ただなかにいるということも頭から剥がれ落ちて、この三十秒に起こったことを受け入れられず、開ききった目をまたたきのひとつもできずにふるえさせている。


 どこか少女の面影おもかげを引きずった顔立ちがえさせる、優しい微笑ほほえみで母性をくすぐってくる少年のおだやかな印象からは、全く想像することができない凶暴きょうぼうさに心が痙攣けいれんしていた。


 何かに取りかれたというよりは、人間の理性を思考もろともに丸ごと失ったとしか見えないニコルの姿――人の形をとった獣そのものの姿に理解が追いつかず、混乱のきわみにある敵を叩こうという考えに脳がおよばない。


 それはアリーシャの後ろにいるチャダ正騎士も、じゅん騎士たちも騎士見習いたちも同様で、そんな騎士たちを矢で叩きに叩いていた坑道のおくに位置する盗賊でさえ同様だった。


 ただ、洞窟どうくつの入口を背にして立つニコルの体から発する、神経の全てに氷を当てるような異様な殺気に心を震わせられ、全員がかちかちと奥歯おくばの奥を小さく打ち鳴らしている。


「――――――――」


 人の姿をした、人であろうはずがない少年の体がゆらりとひとつ揺らめき、彼の軍靴ぐんかがゆっくりとひとつ、前に歩を刻んだ。

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