「初陣・――矢が引き裂いたもの」

 ――時を、二分ほどさかのぼる。


 準備万端ばんたんで待ち構えていた強矢ごうや豪雨ごううを中隊の先頭が受けたのと同時に、呼吸を一瞬いっしゅんもずらさずに中隊の後方もまた受けていた。


 最初の最初に巻き起こった恐慌パニックはこちらの方が大きかった――隊の先頭は洞窟どうくつ内でせているであろう、前方からの敵の攻撃こうげきを予見していたが、まさか自分たちが入ってた入口から、背中からの攻撃を受けるという予想はしていなかったからだ。


 三十人をややえる中隊が、准騎士じゅんきし以上は騎乗きじょうし、騎士見習いの従兵じゅうへいは徒歩で進む坑道こうどうは、少し広い路地ほどのはばがある。その坑道の静まりかえった冷たい空気をつらぬいて、数十本の矢が鼓膜こまくくような音を発して飛んだ。


「えっ!?」


 のろのろと進む幌馬車ほろばしゃのやや前方、それをく二頭の馬をなだめながら歩いていたニコルのかたを、真後ろから飛んできた矢がかすめた。


 放たれた矢が引く音をいてから体を動かせるほどの反射神経をニコルは持ち合わせていない。矢が発する獰猛どうもうな気配を感知した瞬間しゅんかん、それはニコルの体をるように飛んでいき、十歩前を進む騎士きし見習いの背中にさった。


 背中をトゲ付きの大槌ハンマーなぐられたようにその騎士見習いの体がき、すさまじい速度の物体が衝突しょうとつした力でらぐ。神経をヤスリでこすりつける音がひびき、背中に矢を受けた騎士見習いがどう、と音を立ててたおれた。


「矢……」


 ニコルの目の前でさらにひとりの騎士見習い、四頭の馬が体に矢を突きてられて倒れる。人間は悲鳴を上げることもできなかったが、馬はちがった。厚い皮膚ひふを貫かれ重い筋肉に深々と突き刺さった矢の痛みに、本能からの悲鳴を上げていた。


「矢だ! 伏せろ!」

「ニコル!」


 わめき声か警告か区別のつかない声が飛んだのに重なり、ニコルのとなりにいたマルダムの手が、ニコルを幌馬車のかげたたむようにしやった。自分を掠めた矢の気配に半ば硬直こうちょくしていたニコルの体が全く逆らわずに横倒よこだおしにされる。


 ほぼ間髪かんはつ入れず、第二の斉射せいしゃが部隊を襲った。


「うわぁっ!」

「狙われてるぞ!?」


 金属の雨が同じ金属の板に降り注ぐように高い穿うがちの音が鳴り響く。耳の裏で金物の底を打ち鳴らされているような音のあらしと自分たちが一方的に矢で攻撃されている恐怖きょうふに、騎士見習いたちは口からあわくように右往左往した。


「この数の矢は何だ!?」

「落ち着け! 混乱するな!!」


 前の方からチャダ正騎士のものらしい指示が飛ぶが、それを聴いた者の半分も実行に移せない。

 さらに第二波の矢の殺到さっとうが中隊を殴りつけ、馬上の正騎士が矢を受けた痛みに前脚まえあしを大きくげた馬からこぼれ落ちるようにして落馬していた。


「全員下馬! たてを前から外すな!!」

「後方から攻撃を受けています!!」


 またがっていた馬から飛び降りたアリーシャがさけぶ。

「後ろから!?」

「ぐぅっ!」

「うわあっ!!」


 隊の前後から容赦ようしゃなく浴びせかけられる矢の洗礼。かぶとと全身よろい、そして盾がその直撃ちょくげきを受けても容易には死には至らない――初撃しょげきで背中に矢を受けた騎士見習いたちも装甲そうこうの厚さで致命傷ちめいしょうまぬがれていたのか、起き上がってを求めていた。


「幌馬車の前に集まれ、それで矢の攻撃をしのげる……!」


 すでにニコルとマルダムが倒れ込むように伏せ、続く矢の猛雨もううから身を守れている空間を見つけてアリーシャが周囲に発する。うすほろは易々と食い破られるが、中に積んでいる木箱が矢を受け止めていてくれる幌馬車は部隊における唯一ゆいいつ遮蔽物しゃへいぶつだった。


「後ろは幌馬車が盾になってくれています!」

おれより後方列は後ろを向いて防御ぼうぎょしろ!」


 完全な不意打ちを食らった中で、チャダ正騎士は部隊を統制しようと声の限りを振りしぼって叫んでいる。いきなり側頭部を殴りつけられたような最初の衝撃しょうげきから部隊はほんの少しだが立ち直り、少なくとも冷静な判断が可能なくらいには理性がもどってきていた。


「倒れた馬を積み上げてかべにするんだ! しのげ!」

畜生ちくしょう!! 俺の愛馬が!!」

「シフィー、すまん!!」


 前方では矢を受けて地に伏せた馬の体を複数人で力の限りに持ち上げ、防壁ぼうへきにして即席そくせきとりでを作っている。その馬が長年苦楽を共にしてきた相棒で、しかもまだ息があるのを知っている騎士が血のなみだを流すおもいで声をきしませていた。


「レプラー、君は無事かい……!」


 気がくるいそうなくらいに重なる、金属のつぶてを打ち付けられる音に顔をゆがませながら、地に伏せたままのニコルは顔だけを上げて愛馬の姿を探した。


 背負わされた荷物ぶくろに矢を受けているレプラスィスが冷静な顔をしてニコルの側に寄ってきて伏せる。そんな相棒にニコルはこの危機の中で微笑ほほえんだ。


「よかった。君は冷静で度胸がある。さすが戦馬せんばだ……」


 部隊の後方にいた十人じゅうにんほどが身を寄せ合うようにしてせまい安全地帯に集まっている。マルダムはニコルに身を寄せるというか、かぶさるようにしてきついているほどだった。


「後ろから回られていたのか。完全に待ち伏せされていたんだな……幌馬車を表にめておかなくてよかった。護衛につかされる僕たちが真っ先に殺されていただろうから……」


 幌馬車を洞窟内に進めるか、表に置いておくかで少しの論議があったのだが、その結果次第で自分の運命が尽きていただろうことにニコルは苦笑した。後方からの攻撃は三十人ほど。四人程度の見張りならあっという間に殺されていたところだろう。


「マルダム、君のおかげで助かったよ。ここに突きばしてくれなきゃ矢を何本受けていたかわからない。ありがとう」


 二撃目の斉射から守ってくれた背中の相棒にニコルは語りかけた。


「でもちょっと重いかな。命の恩人に言うのもなんだけど、退いてほしいんだ。お願いだよ」


 マルダムは答えなかった。


「足が外に出てるんじゃないかな。早く引っ込めた方がいい。ここから反撃はんげきするために態勢を整えないと。中隊長の指示が下るだろうから、それに従って――マルダム?」


 マルダムはこたえなかった。


「マルダム? さすがに君ひとりと甲冑かっちゅう分の重さはこたええるよ。さあ、早く体を起こそう。ふたりで協力すればなんとかなるよ。そうしようって約束したばかりだからね。無事にこの窮地きゅうちを乗り切って、ゴッデムガルドに凱旋がいせんするんだ――……マルダム?」


 マルダムは応えなかった。


「マルダム…………」


 脳を走る血管に氷が注がれた感触かんしょくが走り、それがニコルの思考を凍結とうけつさせた。

 背中のマルダムはニコルの言葉に応えず、動かない。身動みじろぎもしない。

 肩甲骨けんこうこつの辺りにかれの顔が乗っているはずなのに、息をしている気配もない。


「――そんな」


 思考力が薄れた頭で、ニコルは体を動かした。背中にのしかる重さから逃れるように体をいずらせる。背中に抱きついていたマルダムの体が、まるで荷物か何かのようにずるりと倒れた。


「そんな…………」


 そんな、おかしい。

 マルダムがマルダムでなくなっているかのようだ。

 それが意味することをニコルの頭はわかっていたが、心が理解することを拒否きょひしていた。


 が、そんなむなしい抵抗ていこうも、長くは続かない。

 現実を見ずにこの世を生きるのは、目を閉じて綱渡つなわたりをするのに等しいのだから。


「ニ……ニコル、それ…………」


 側にいるアリーシャの目がふるえているのをニコルは見た。見なければよかったと思った。めて震えているアリーシャのひとみが反射している像に、見たくないものが映っているのを見てしまったからだ。


 だが、心が見るなと命令する前に、頭が体を振りかせていた。

 顔の横半分を洞窟の地面にぺたりと着けて、マルダムが倒れていた。

 兜も鎧も着けた騎士見習いの姿で伏せ、動かなくなっていた。


 ニコルは反射的に手をばそうとしたが、次に認めたものが、その手を止めさせていた。

 マルダムの兜と甲冑の間、のどの真後ろに当たる箇所かしょに、一本の金属の矢が深々と刺さっている。


「マルダ――――」


 赤くれた矢の先端せんたんはマルダムの喉から顔を見せていて、もう震えもしなくなった目を見開かせたマルダムが、口から血の泡を噴いていた。


「――――ム」


 ニコルの心臓が、自ら強く縮んだ。その圧迫感あっぱくかんに少年がうめく。見えない手に心臓を鷲掴わしづかみにされたような感覚、自分の体が限りなく縮退し、心の真ん中に空いたうずに圧縮されながらつぶい込まれていく、凄まじい嫌悪感けんおかんともなう感触に、少年の中で何かがはじけた。


「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

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