「自分の剣」

「な……なんだったんだ……今のは……!?」


 ニコルの手から、刀身の半分が『切り取られた』木剣ぼっけんがするりと落ちた。

 たたき折られたとか、へし折られたなどというものではない。

 など入ってない木剣と木剣が打ち合わされて、どうしてこのような結果になるのか。


 その不可思議さをおそれてニコルはおののいた。はだが発する熱で燃えそうになる体の裏側が、恐怖きょうふこごえきっていた。


「ニコル」

「え――――うわぁっ!」


 静かな呼びかけの直後にた、りゅう火炎かえん旋風せんぷうを思わせるすさまじいきに胸を打たれ、砲弾ほうだんの勢いで少年の体がぶ。かべがその体を受け止めてくれるまで文字通りの宙を飛んだニコルが、大の字に胴体どうたいと後頭部、四肢ししを壁に激突げきとつさせてかみなりのような音を立てた。


「訓練といえども気をくな。けんを自分から取り落とすなどおろかのきわみだ」

「ぐぅ…………ぅぅ…………」


 胸を保護する厚い防具が一点を穿うがたれている。胸の真ん中を銃弾じゅうだんのように体をつらぬいていき、そこから脳天と手足の指にまで電撃でんげき感触かんしょくとして走った痛みにうめきながら、まだ生きている冷静な意識が、自分が串刺くしざしになっていないことを信じられないでいた。


「ニコル、ニコル、大丈夫だいじょうぶか……」

「ア……アリーシャ先輩せんぱい…………」

「ああ、あたしと同じ目にって可哀想かわいそうに……今、打たれたところをでてやるからな」

「だ、大丈夫です」

「あああ」


 せようとびてきたアリーシャのうでをすり抜けるようにしてニコルは体を起こし、ひざをついた姿勢からよろよろと立ち上がった。


「ニコル、見たか。今のが『わたしの剣』だ」


 騎士きしバイトンが、心の乱れなど波紋はもんの刻みも見せない目を見せて物語っていた。


「私は自分の体を完全に把握はあくしている。身長、手足の長さ、体重、全身の筋肉の量。その配分を知った上で最適化された動きを意識すれば、あのようなわざも不可能ではないのだ」

「さ……最適化…………」

「ニコル、お前は自分の体をまだわかっていない。自分の体を観察したことはないだろう。自分の腕の長さを、小数点第一位の単位まで把握しているか? 自分の一歩がどこまでみ出せるか、その距離きょりを測ったことはあるか?」

「あ…………ありません…………」

「お前が持っている第一の武器は、手に持つ剣などではない。お前の体だ。お前は自分の武器を知っていない。知らない武器を使いこなせるか? 自分の武器の利点も弱点も把握していないで戦えるか?」


 バイトンが自分の木剣を手元に引き寄せ、その刀身を指でなぞった。


「この世に最強の武器なんてものはない。私が持つこの剣とて、ひらけた場所ではやりに対して不利になる。が、室内戦であれば剣は槍をふうじられる。そう断言できるのは、剣という武器の利点と不利を知っているからだ。――ニコル、お前は自分の体格の不利をどう認識にんしきしている」

「……小柄こがらで、リーチが短く、体重が軽いので打撃だげきが弱い……」

「それはよくわかっているのだな。では、お前の体格の利点はなんだ?」

「それは…………」


 自分の体格の利点――ニコルは苦い思いで考える。騎士団に入れる基準、ギリギリの背丈せたけというのもわかっている。格闘かくとう戦では大きい体格、重い体重というのは有利にしか働かない。同じ技量を持つ者同士が戦えば、体重が重い方にければまず、よほどの不運がない限り負けはないものだ。


 騎士団に入って自分の小柄さで苦労をすることになる。それはわかっている。しかし、生来のそれはどうしようもない。だから、自分は覚悟かくごをもってやってきた――。


「……わかりません……」

「わからないか。――おかしなものだな」

「え…………?」

「お前はすでに自分で言ったろう。自分の体格の利点を」

「え、ぼくが……既に?」

「わかっていないのなら、言葉にしてやろう。ニコル、お前の体の利点は、小柄で体重が軽いことだ」

「――――――――」


 一瞬いっしゅん、目を大きく縦に伸ばしたニコルは、開けてしまった自分の口から言葉が出ないことに、とてつもない息苦しさを覚えた。


「わからないか? お前の小柄さは相手の的になる面積が小さくなるということであるし、体重が軽いということはそれだけ俊敏しゅんびんに動くことができるということだ。お前は羽を持った虫がとんでもなく素早すばやい動きで飛ぶことを知っているだろう。あれは虫に力があるからではない。虫が軽いからだ。小さいがために軽い体重に比して筋肉の量の割合が、大きい生物よりも多いのだ。これが示すことを、お前に考える力があれば理解できると思う。お前にはそれだけのかしこさがあるだろうから、ここからは言葉にしない。あとは自分で、考えろ」

「は、はい……」

「アリーシャはまだそれをわかっている。お前がアリーシャに対して歯が立たないのは、自分の戦い方をわかっていないからだ。いいな、ニコル。自分の戦い方を知れ。そうしなければお前は勝てず、生き残れもしない。お前は死ぬために騎士団に入ったわけではないだろう。体をきたえるだけでは勝てないぞ。頭も鍛えなくてはな。――しゃべりすぎたな。のどかわいた」


 言葉を並べすぎたと、自分をじるように鼻を鳴らしたバイトンがニコルに背中を向けた。


「騎士バイトン、ありがとうございます……」

「次に会った時、お前が一皮剥ひとかわむけていることが私に対する最大の礼だ。はげめよ」

「はい」

「――訓練に水を差してしまったな。よし、合同の訓練はここで終わりだ。各自防具を片付け、身支度みじたく調ととのえて食事に行け。それからは自由行動とする。解散――」

「なんだ、もう終わりか?」


 道場の入口から聞こえてきた異質・・な声に、その場にいた全員がいていた。

 同時に、その全員の目に緊張感きんちょうかんが走る。


「もうちっと早く来ればよかったかな。ちょっとやる気になって顔を出したってのに」


 この場にいるすべての人間が、三千人いる騎士見習いのうちの一人ひとりでしかないはずの男の顔と名を知っていた。人の心に残るだけの逸話いつわを持っている男だったからだ。


「ダクロー…………」

邪魔じゃますんぜ」


 右手ににぎった木剣を右肩みぎかたに乗せた野卑やひな格好で、平服姿のダクローが道場にずかずかと入りむ。すれちがう訓練生の目に好意の色はない――『なんでお前がここにいる』と暗に眼差まなざしが語り、ダクローの前に立ちはだかった一人の正騎士が全員を代弁するように言った。


「なんでお前がここにいる」


 ダクローと同年代、二十さいごろかと思える青年が訓練用のかぶとぎ、あせれたげ頭を見せる。その騎士にもほかの者と同じだけ――いや、それ以上の軽蔑けいべつの眼差しがダクローに向けてえられていた。


「ご挨拶あいさつだな、ベノン正騎士」

「挨拶にも毒が入るさ。俺に負けて・・・・・見習いくずれになった不良騎士に向けてやる好意なんぞない。お前にはこの神聖な道場に踏み入る資格もない。とっとと去れ!」

「意欲旺盛おうせいな人間なら上位の道場でも稽古けいこが受けられる――そこにも俺と同じ騎士見習いがいるじゃねぇか。なぁ、ニコル?」

「…………」


 ニコルはそのダクローの言葉に、片眼をゆがめて返しただけだった。


「それに、ベノン正騎士殿どのよ。今、こう言ったな。『俺に負けた・・・・・』と」

「事実だろう。四年前のじゅん騎士昇格しょうかく試験。最後は俺とお前の一騎打いっきうちだった。お前はそこで脱落だつらくしたはずだ。まさか覚えていないとは言わさんぞ」

「ああ、覚えているさ。よぉく覚えている。――だがな、ベノン正騎士殿!」


 ぶんっ、と風がられる音がひびいたと思った瞬間しゅんかん、ダクローの木剣がベノンの首筋に当てられていた。


「…………!」


 首筋にぴたりと木剣の刀身を当てられたベノンは身動みじろぎすることすらできなかった。しなかったのではなく、できなかったのだ。

 その動き、予備動作すら気配として感じることのできなかった訓練生たちが戦慄せんりつする。


 ダクローがその気であれば今、この場でベノンの首はへし折られていた、だれもが確信した。


「俺が負けたのは騎乗きじょう試験で、だ。剣技けんぎの対戦ではお前は俺に手も足も出なかった。あの事故・・・・さえなければお前が落ちていた。忘れたわけじゃねぇだろうな」

「……貴様……!」

「なんなら今ここでそれを証明してもいいんだぜ。でも今朝けさの俺は機嫌きげんがいいんだ。大人おとなしく後退あとずさったらお前を叩きせるのは止めてやる。――どうだ、わざわざ大恥をきたいか」

「ぐ…………!!」


 奥歯おくばが割れるのではないかと思えるほどにくやしさをみしめたベノンが、後退った。


「そうそう。本当の負け犬は素直すなおになるもんだ」

「それでダクロー、お前はいったい何をしに来たんだ。もう訓練は終わりだぞ」


 ベノンに代わるようにバイトンがダクローの前に出る。先ほどまでベノンに当てていた剣を再びかたに乗せたダクローがへっと鼻を鳴らした。


「まあ俺も、久しぶりに稽古を受ける気になったんですよ。それで適当な相手が誰がいいかと考えてね。自分の小隊に入った新入りといっちょうやり合って、このなまった体を鍛えなおそうとまあ、こんなところだな。どうです? 殊勝しゅしょうな考えでしょう?」

「訓練は終わったと言った」

「手合わせ一回する時間はあるでしょうさ。――なぁ、ニコル? 先輩が手合わせしてやるって言ってるんだ。女のアリーシャからの申し出はホイホイと受けておいて、俺のは無碍むげにする……なんてことは、しないよなぁ?」

「い、いいですよ……」


 軽蔑やにくしみの色が混ざらない、強いを向けてニコルは言った。その肩や背中から、純粋じゅんすいいかりの波動が空気をふるわせる気配をアリーシャが、少年の周囲にいる数人が感じていた。


「先輩からの申し出、ありがたく頂戴ちょうだいいたします。僕の準備は整っています。先輩、準備をしてください」

「――そう来なくっちゃな」


 ダクローは歯を見せて笑い、防具が並べられているたなに近づいて、一式いしきを手に取った。

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