「ニコル対ダクロー」

 かぶとからあしのすね当てまで、訓練用の防具を一式いっしき着用したダクローが、防具のゆるみをなおしたニコルの前に立った。


「こんなもんは必要ないとは思うが、まあ、こちらもこれを着けて動きをにぶくしないと、公平にならないからな。勝負は対等な条件でやらないと。基本だよな?」

「…………」


 バイトンによってこわされたものの代わりの木剣ぼっけんを受け取りながら、ニコルは兜の中で口元をゆがめる。同じ訓練用の兜の下で、ニコルの表情を見透みすかしたようにダクローは軽く笑った。


「無駄口はそこまでだ」


 立会人と審判しんぱんを務めるバイトンが二人ふたりの間に立ち、おごそかに告げる。


「試合形式の一本勝負とする。規程ルールは相手に打撃だげきを当て、転ばした方の勝ちだ」

「転ばすほどきついやつをお見舞みまいしていいってことか。ニコル、軽いのを食らったからって自分から転ぶんじゃないぞ」

「…………はい」

こわい目してるなぁ。貧乏人びんぼうにんのせがれのくせに、根性こんじょうすわってることだけはめてやる」

「――始め」


 悪態にうんざりしたとばかりにバイトンが下がる。そんなバイトンに、壁際かべぎわでハラハラとしながら勝負の行方ゆくえを心配しているアリーシャが小さく耳打ちした。


「どっちが……勝つでしょうか?」

「でしょうか?」


 バイトンはさすがにそのおろかな質問は切って捨てた。


「ダクローが負ける要因がひとつでもあるか?」

「う…………」

「仮にも騎士きし団で六年メシを食ってきた二十歳はたちが、ほとんど昨日きのう今日きょうたばかりの十四さいにあっさり負かされでもしたらわたしたち全員のメンツが立たん。――カルレッツは例外だぞ」

「はい…………」


 アリーシャに反論はなかった。仮に自分が問われる立場でも同じ返答をしただろうから。


「それより前を見ていろ。勝敗の行方はともかく、勝負の内容については予想はできない」


 つぶやくバイトンの目の前でニコルとダクローが前にけんを構え、間合いを計り合う。長身のダクローと短身のニコルでは、まさしく大人おとなと子供の勝負という構図にしか見えない。

 いい見世物だと言わんばかりに、百人をえる訓練生たちがこの立ち合いをながめていた。


「ぐ…………」


 構えの基本、青眼あおめに剣を構えたニコルは、剣の長さをたてにするようにしてゆっくりと横に足をすべらせる。それに対し、ダクローの足の裏は全部がぺたりとゆかに着いてきもしない。

 まるで根っこが生えているようだ、とニコルは戦慄せんりつした。


「さすがに勢いで突きかかっては来ないか。まあ、最低限の脳みそはついているようだな。無学な平民の割には賢いようだ」

「…………」

「剣っていうのは基本、上背がある方が有利だ。上背のある奴はリーチも長い。広さが確保されていればひろが長い方が勝つ。当然の理屈りくつだな」


 その尋の不利を日頃ひごろから思い知らされているニコルはめない。踏み込めば、こちらの剣が届く前に相手の剣が来る――技量が同等であればそれが当然であるし、むしろ今は、相手の方が確実に技量は上なのだ。


「お前と初めて会った時の朝、覚えているよな」

「なにを……」

「俺は剣をこうとしたところを間合いをめられ、しりさえられてふうじられた。あの時はおれも油断していた。まあ油断していた俺が悪いわけだが、お前がそこそこはできる奴とわかったからには、そんなドジは踏まない。確実に勝てる手を積み上げていく」

「つ…………」

「いいのか。俺がお前の先手を取ればお前に勝ち目なんかないぞ。お前が勝とうするなら、一か八かで飛びかかってくるしかねぇ」


 挑発ちょうはつでありながらすべてが正論であることにニコルは歯噛はがみした。きかかればまたたたたかれるという確信が、うでの先から走るしびれとなって少年の心臓にまで伝わる。自分が床をって前に出た瞬間しゅんかんが負ける時――そんな絶望が、腕と脚の動きを完全に固めていた。


 そんなニコルの内心を全て読み取ったダクローが軽く、一歩・・、前に出た。あしなどではない、大胆だいたんに過ぎる踏みしにニコルだけでなく、周囲にもざわめきの波動が広がった。


「来ないか。ならこっちから行くぞ。俺も腹が減ってるんでな――チビ!」

「っ!」


 その、背に力強い風を受けたかと見まごうダクローの前進は、氷上を滑るかのようだった。


「うぐぅっ!」


 ダクローの体がニコルのかたわらをはしり抜けていった時には、横薙よこなぎの強烈きょうれつな打撃がニコルのへその高さの胴体どうたいを横一文字に走り抜け、へし折れたみきのようにニコルの体が曲がった。


「ぐ、ぅぅ、ぅぅ……!?」


 られた、とニコルは思った。剣のつばから切っ先に至るまでのの全部が胴体をとおり抜け、真剣しんけんであるならば上半身と下半身が確実に切断された確信しかなかった。


 体を折ったままよろけたニコルが、そのまま尻で道場の床を打つ。自分が斬りころされたという錯覚さっかくこしを抜けさせていた――一時間の訓練であせききっていなければ、どんな無様をさらしていたかわかったものではなかった。


「…………!」


 見物として群がっていたじゅん騎士以上の訓練生たちも息を飲んでいる。この三年ほどまともに訓練などしていないという評判の男が見せた剣技けんぎの前に、完全に度肝どぎもを抜かれていた。


「勝負あり!」


 バイトンの腕がダクロー側に上がる。


「ダクロー、お前の勝ちだ」

「そうか。まあそれはわかりきっていたことなんだが」

「…………!」


 ダクローが床に腰を落としたまま立てないニコルにかえる。兜のおくにのぞいた目、その色のにごり具合にニコルの皮膚ひふという皮膚が一斉いっせいあわき、背骨の中心をへびいずっていくのと似た感触かんしょくりた。


「ダク…………!」


 すう、とダクローの木剣が片手で振りげられ.。ねらうは――動けないニコルの頭!


「じゃあ、ここから痛めつけさせてもらうとするかな――それが敗者に対する、勝者の特権ってやつだ!」

「やめろ!」


 予感に飛び出していたアリーシャが割って入り、ニコルにきつきそのふところに抱え込む。そんな光景を一切いっさい無視して、岩をくだきかねない勢いでダクローの剣は振りとされていた。

 その場の全員が、一秒後の凄惨せいさん状況じょうきょうに顔を歪めた時、別の風がいた。


「ぐっ!」


 板張りの床が高い音を発してひびく。風が巻き起こりするど震動しんどうが絶えた時、直立していたはずのダクローは背中を床に叩きつけられていた。


 ダクローの剣をもぎ取った・・・・・バイトンが、もう片方の手でにぎっていたダクローの腕を放す。

 剣が振り落とされた勢いを利用し、大の大人ひとりを丸めるように空中で一回転させたバイトンが、ダクローの脇腹わきばらを蹴り飛ばしてニコルとアリーシャから距離きょりはなした。


「お、お前……!」

「勝負はついたはずだ。そこからの攻撃こうげきは認められない。――まさか私の目の前で、人ひとりを打ち殺そうとしていたのではないだろうな?」

「ちぃっ……!」

「決着は着いた。お前はニコルよりも強いと証明された。それ以上の何を望むのだ」

「――このガキの心をへし折ってやるのさ!」


 ダクローがえる。そんなダクローからニコルを守る盾となって、アリーシャはニコルを背にし片膝かたひざをつけたまま身構えた。


明日あした、いや、今日にでも騎士団からげ出したくなるよう痛めつけてやる。こいつを見ていたらイライラしてくるんでな。気にくわないんだよ! それで理由にならないか!」

「なるはずがないだろう。そんなにニコルがにくいか」


 ダクローは立ち上がろうとするが、かなわずよろけた。したたかに打ち付けたていこつの辺りをしきりにさわっているのは、そこからしびれが走って満足に動けないのだろう。


「ニコルを憎む理由もだいたいわかっている。――ニコルに、過去の自分を見ているからだろう。お前が十四歳で騎士団に見習いとして入り、希望に燃えていたころの自分をな」

手前てめェ……!」


 ダクローが兜をぎ、床に叩きつける。下から現れた顔が、で上がったようにいかりでに染まっていた。


「それに、今のお前がニコルの心を折ることもできない。ニコルの顔を見てみろ。お前に負けた男の顔をしているか?」

「なにィ――」


 全てが冷静な騎士の言葉に、きばくように奥歯おくばみしめたダクローが視線を転じる。


「つ――――」


 アリーシャが両腕りょううでを広げてかばうそのかたの向こうで、まだ満足に動くことのできないニコルが兜だけを外し、ダクローにい水色のひとみを見せている。


「……こいつ……!」


 今、ここで圧倒的あっとうてきな差を見せつけられて敗北した者のそれとは思えない冷静な眼差まなざしに、今度はダクローが息を飲む番だった。

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