「他人の剣」

 意を決してんだニコルの第一撃は、火花が散るような衝撃しょうげきを持ってはじかれた。


「ぐっ!」


 バイトンの剣先けんさきがニコルの打ち込みをたたいた瞬間しゅんかん、ニコルの手の中で強烈きょうれつな痛みが生じる。分厚い手袋てぶくろつらぬいた衝撃の強さに、アリーシャが加えてくるものとは比較ひかくにならないほどのするどさを覚えてニコルは考えるよりも早く後退した。


 恐れた、と言っていい。未知のものをいきなり体感させられて、ニコルの肌の全てが鳥肌を立たせていた。


「く――――!」


 自分が半瞬、ほうけていたことを感じて少年は構え直す。

 対するバイトンは、そこから――み込んではこない。ニコルが打ち込む前と変わらず、平然とした姿勢で少年を待っていた。


「どうした。お前のわざはそのひとつで品切れではないだろう。けんを真正面から見てやるといった。お前が持っているありったけの剣を見せるんだ」

「は、はい――――」


 脳に漂ったまどいを払い、ニコルは後退あとずさった分を進み直し、再び構える。

 これはものの板や岩に打ちかかるようなものだ。必ず剣を弾きかえされるが、反撃はんげきはない。


 打ちかかれ。相手はそれを要求しているのだ、ニコル、打ちかかれ――。


「さあ、気合いを入れろ! 教えてもらった全部の技をしてこい!」

「行きます!」


 そこから、春のあらしがもたらす風に似た、ニコルの猛烈もうれつな連打が始まった。

 フィルフィナから教えてもらった剣技けんぎすべてを出しくす思いでニコルは剣をり、き、振りとし、突き、振り、突いて、突いて、振りかかった。


 目の前にあるものが人の形をした氷のかたまりならば、わずか数十秒の間に人の形を取らないようになるまでけずすさまじい剣の稲妻いなずまの連撃だった。

 その全てを、まるで小雨のように受けるバイトンははらい、払い、払って払い、払いつづける。


「つ――――!!」


 一方的に打ち込むのが許され、反撃のひとつもされていないのにニコルは自分がめられている錯覚さっかくおちいる。剣先はバイトンの服にかすることもなく、全部の全部が途上とじょう撃退げきたいされた。先手を取り続け攻撃こうげきしまくっているはずのニコルの方が、明らかに劣勢れっせいとなっていた。


 陽動や牽制けんせいを織り交ぜているはずの打撃だげきに、バイトンは少しもまどわされることもない。ニコルの思考を読み取っているようにただただ冷静に対処し、冷静に剣を払い続けた。


 二分の間に打ち込んだ回数は、確実に百回を軽くえただろう。


「ふぅっ、ふぅっ、ふぅっ、ふぅっ――――!」


 熱湯のように熱いあせき出した途端とたん、冷える間もなく燃えるようなはだでさらにほてせられ、ニコルの全身から湯気をまとわせる。しかし、自分の体が熱くなればなるほどニコルの心は冷えていった。


 この激しさの中でもバイトンの目は氷のように冷たい。全く燃え上がることのない心に見透みすかされている恐怖きょうふが少年の心をとらえ、ねらいを定めきった肉食獣にくしょくじゅうが飛びかかる頃合ころあいを計っている眼差まなざしをしていた。


 いつの間にか手を止め、ニコルがバイトンに打ちかかり続けるのを遠巻きに見つめている訓練生たちの顔にはおどろきはない。種も仕掛しかけもわかりきっている手品の、しかしその種と仕掛けを読み取れない精密な動きに感心する表情しかかんではいなかった。


「終わりらしいな」

「ふぅっ、ふぅっ、ふ――…………」


 手に張り付いたつかれ、心をしばけた畏怖いふにニコルはそれ以上手が出せなくなり、剣を持っているのが精一杯せいいっぱいというのを汗まみれの表情に出して構えだけを取り続けている。

 三十分以上におよぶアリーシャとの打ち合いより、この二分間の方が少年を疲れさせていた。


「ニコル、お前の剣はなかなかのものだ」

「な、なかなか……?」


 かぶとの下でかさもなしに雨をかぶったようにしたたり落ちる熱い汗の中、ニコルは高熱をはらんだ息をき続ける。視界を確保する透明とうめいの板にくもり止めの処置がされていなければ、とっくに何も見えなくなっているほどの熱気が充満じゅうまんし、今すぐにでもてたくなるほどだった。


 なかなかの剣であるのなら、何故なぜ自分の剣は切っ先をれさせることもできないのか。

 このバイトンという騎士きしは何者なのか。

 実戦に出ない『算盤そろばん騎士』という渾名あだなあたえられながら、ここまでの剣技を持つ男とは。


「剣のひとつひとつはできている。しかし、全てが当たり前のものであり、お前の剣ではない。お前は他人に教えられた剣をそのまま使っているだけだ。なにひとつお前のものになっていない。お前は他人の剣を借りているだけなのだ」

「剣を、借りているだけ…………」


 それが基本と応用という話なのだろうか?

 他人から借りた剣を自分は、自分のものにしてこの手にしないといけないのか。

 だが、それはどういうことなのだ――。


「ではひとつ、お前に『わたしの剣』を見せてやろう。ニコル、そのまま構えていろ。しっかりとだ。周りの者、下がれ。兜を被っていない者は道場を出て行け。怪我けがをしかねないぞ」

「え?」


 その言葉の意図を計りかねたニコルの視界の中で初めて、すっとバイトンのこしが下がった。右手の剣を左腰ひだりこしに当てて左手でえ、さやから剣をくような姿勢を取る。


 今まで力の入っていなかった青年の目がわずかに細められ、気の高まりを感じた訓練生たちはバイトンの言葉に従い、波紋はもんが広がるように十数歩、合図もなしに一斉いっせいに下がった。


 ニコルの額に予感の電撃でんげきが走ったと同時に、突風とっぷうた。


「ふんっ!」


 ただ一歩、ももけるほどに長い踏み込みがゆかを強打した音が弾けたのと重なって、木剣ぼっけんにぎっているニコルの両手に、あり得ない種類の衝撃が走った。

 いや、それは衝撃というにはあまりに小さい。感触かんしょくというべきたぐいのものだった。


「う――――――――!!」


 両の手のひらをまるで舐められた・・・・・かのようなやわらかい感触がとおり抜けて行く。その奇妙きみょう過ぎる感触にニコルが怖気おじけ両腕りょううでの全部に感じた時には、ニコルが握る木剣の刀身、その半分がなくなっていた・・・・・・・・


「えっ――――――――!?」


 魔法まほうを目の前で見せられたとしか思えない理解に、少年の脳が混乱する。


 切断――いや、溶断ようだんと言った方が正しい。かたい木で作られているはずの木剣が、かすみか何かに一瞬いっしゅんで変えられたのをられた、そんな解釈かいしゃくしかできなかったが、次の瞬間、刀身の半分・・天井てんじょうにぶつかり固い音を立てたことが、それが錯覚であることを教えていた。


「な…………い、今の技は…………!」


 ニコルは考えるよりも早く、手に残った木剣の半分、その断面に目を向ける。

 まるでみがげたかのように光っている、なめらかすぎる面がニコルの兜姿を写し、バイトンの技がどのようなものであったのかを雄弁ゆうべんに物語っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る