「兄弟になった日」

『……………………』

『おばさん、おばさん……目を……目を開けてくれ……来たよ、俺と、エヴァンスが…………』

『――かあさん、気分は、具合はどうだい……』

『…………ええ……どこも、どこも、痛くも、苦しくもないわ……もう、痛みも、苦しみも感じなくなっているから……。もう、わたしも、ここまでっていうことなのよね……よくわかる……』

『おばさん、冷めたこというなよ。おばさんの息子むすこが……エヴァンスが、せっかく……』

『ええ、ええ……エ、エメスのお嬢様じょうさまと、ご結婚けっこんさせていただいて、公爵こうしゃく様にもなれた……。結婚式けっこんしきと、継承けいしょう式のふたつ……それに車椅子くるまいすででも出席できて、よかった……息子の、晴れの姿をこの目で見られて……もう、思い残すことなんてないのよ……ダリャンさん、ありがとう……』

『おばさん、もっとがんばれよ。息子は婿むことはいえ公爵閣下、おばさんは公爵様のご母堂ぼどうだぜ。これから、いくらでも贅沢ぜいたくできるんだ。今まで苦労してきた分、おりがくるくらいだよ。それなのに、死んじまったら損じゃねぇか。なんのために今まで……』

『ふふ、ふふふ……。お、夫を早くにくし、この子を背中に負ぶさりながら働いていた貧しいメイドが、病気でているだけで公爵様の母になれた……息子が公爵様になってしまったのよ……そんな贅沢なんてほかにない……これ以上望んだらそれこそ、バチが……』

『母さん、しっかりしてくれよ。――今、母さんがここで死んでしまったらおれ、なんのために今までがんばってきたのか……』

『俺、ではないですよ、エヴァンス……。あなたはれっきとした公爵閣下、ご当主様。そんな言葉遣ことばづかいではいけない……これから俺、はやめなさい……私、というように……。そ、それより、ダリャンさん、お願いが……お願いがあります……聞いてくださいますか……』

『あ、ああ、聞くよ、おばさん。それくらいさせてもらうよ。長い付き合いだもの……』

『ダ……ダリャンさんも、エヴァンスと知り合い、もう十何年……この子のことは、もうよくわかっているとは思いますが、この子は体は大きいのに、本当は気の小さい子……。今は、そう見せないようにできてはいますが、人前を外れればそうできない……二十歳はたちを過ぎているというのに、つらいこと、悲しいことがあると、グズグズと泣き出してしまう子……』

『か、母さん……俺は……私はそんなに泣き虫ではないよ……』

『ふ、ふふふ……もう今、ここで泣き出しているのに、だれがそんなことを信じてくれますか……。……ダリャンさん、お願い……私が死んでしまったら、この子はもう、なみだを見せることができるのはあなた……おにいさん分である、ダリャンさんの前でしか、泣けなくなってしまう……』

『……おばさん』

『母さん……』

『こ、この子は、エメスのお嬢様の前でも、遠慮えんりょして泣けないだろうから……。だからダリャンさん、私の代わり、私の分まで、このエヴァンスの側にいてあげて……人前で我慢がまんしたこの子が、あとで思い切り泣けるように、あとで思い切り泣けるから、その場を我慢できるように……。泣き虫の公爵様なんて、誰も安心して仕えることができるとは……ずっと、ずっと側についていてあげて……こ、これを……これを受け取って、ダリャンさん……』

『おばさん、これ、指輪……おばさんと旦那だんなさんの、結婚指輪じゃないか。いちばん苦しい時もこれだけは売らなかったって言ってた、純銀じゅんぎんの指輪だろ。なんで、俺になんか』

『ダリャンさんには、エヴァンスのために、とてもしんどいことを、ずっとさせてしまう……だから私も、その代償だいしょうを……。もっと、あなたに価値があるものをわたせればいいのだけれど、私にはもうこれしか……これしかないから……』

『これは、息子がぐべきものだよ。大事過ぎて、俺にはもらえないよ』

『ダリャンさん、お願い……どうか、これを受け取って……』

『……兄ぃ、ダリャンの兄ぃ、受け取ってやってくれ。私に遠慮えんりょすることはないから。受け取って……母さんを、安心させてくれ…………たのむよ……』

『――ならひとつ、おばさんにお願いがある。それを聞いてくれたら、受け取るよ……』

『こんな……こんな私に、できること……?』

『おばさんにしかできないことだ。――俺を、おばさんの息子にしてくれよ』

『……兄ぃ?』

『だったら、俺にもそれを受け取る資格ができるよ。そうだろ? ……それに、指輪のことをきにしたって俺、おばさんの息子になりたかった……母親がしかったんだ……』

『ダ……ダリャン、さん……手てんん』

『……俺が生まれたてのころ、両親に、母親に捨てられたっていう話は、もうとっくの昔にしたと思う。

 ――俺、ずっと、親ってものをにくんでた。ずっとうらんでたよ。なんで捨てられなきゃならなかったのかって。俺がしたことといえば、生まれたことだけだろ? 俺が生まれたのがそんなに悪いことだったのかって。俺なんて、生まれない方が親のためだったのかって……。

 だから、ひとりでって生きてきた。親がいる奴等やつらが全員きらいだった。特にガキども……自分があまえられる親を、当然のように持っていて……なんで俺にはいないのかって……グレながら生きていたよ……。

 でも、エヴァンスと出逢であって、考え、変わった。エヴァンスがいそがしい時、おばさんの世話を俺が代わりにやって……おばさんはいつもニコニコして、俺にやさしくしてくれて……俺、寝ていることしかできないおばさんを喜ばすために、いろいろやったよ。

 春は、野にいている花をつんでおばさんの枕元まくらもとにかざったりした。

 夏は、寝苦ねぐるしい夜はおばさんを一生懸命いっしょうけんめいあおいだりしたっけ……。

 秋は、な紅葉の山を窓の外に作ったり……。

 冬は、雪の日に雪だるまも作ったな……覚えているかい……?』

『よく……よく覚えて、いますよ……全部、昨日のことのように……』

『――俺、おばさんを、俺のおっかさんのように思ってたよ。

 こんな優しい人が、俺のおっかさんだったらいいなって。

 ひょっとしたら俺の母親も、おばさんくらい優しくて……やむにやまれない、どうしようもない事情があって、俺を捨てるしかなかったのかなとも……。

 それに、母親が俺を捨てないと、俺、ここに来ることもなかった。エヴァンスとうこともなかったし、おばさんと逢うこともなかったよ。

 だから俺、今、本当の母親のこと、恨んでない。死んだあとで天の国に行った時に、俺をどうして捨てたのかその事情を聞けば、知ればそれでいい。

 俺、おばさんのおかげで、そう思えるようになったんだ。

 ……おばさん、あんまり気持ちよくない話だろ? こんな見てくれもよくない男に、こんな風に思われてさ……』

『……ううん、ううん。そんなことないわ。ダリャンさん、私もあなたのこと、エヴァンスの本当のお兄さん……私の息子同然だと思っていたわ……本当よ……』

『なら、今日きょう一日だけでいいよ……おばさんのこと、おっかさんて呼ばせてくれよ……。そうしたらおばさんの願い、望み、なんでも聞くからさ……』

『……今日一日だけなんて、さびしいこと言わないで。ダリャンさん……いえ、ダリャン……あなたは今日からずっと、私の息子よ。私が死んでも、私の息子でいて……私も、死んでもあなたのお母さんでいたい……ダ、ダリャン、エヴァンス……ふたり、こっちにいらっしゃい……』

『母さん……』

『お、おばさん……』

『ふ、ふふ、ふふ……おっちょこちょいね、ダリャンは……おっかさん、て呼んで良いのに……』

『――おっかさん……』

『ふ……ふたりとも、もう大人おとなだっていうのに、ふたりとも泣き虫なのね……。

 でも、それでいいの……人はね、自分の本当の涙を見せられる人が、誰か、誰かひとりでもいなければ、生きていくことが辛いのよ……。誰かひとりでもいれば、それだけで人は幸せになれる……生きていくことができる……。私には、こんな時になっても、ふたりもそんな人がいた……優しい息子たちが……』

『……母さん……母さん……』

『おっかさん……』

『あなたたちは、ふたりとも、私の息子……兄弟分なんかじゃない、本当の兄弟なのよ……。ダリャン、エヴァンスを支えてあげて……。エヴァンス、ダリャンをまもってあげて……。死が、二人ふたりを分かつまで……いいえ、肉体がほろんだって、あなたたちのたましいは兄弟なのよ……。兄弟のえんは、決して絶たれない……わかっているわね……』

『ああ、母さん、わかってるよ……』

『……う、うう、うう……お、おっかさぁん……』

『い……いい人生だった……本当に、いい人生だった……。優しい息子を持てて……命がきるその日に、も……もうひとり、優しい息子をもらうことができるなんて……。とても、とてもいい心地ここちよ……。ありがとう、ふたりとも……ありがとう……ありがと……ありが…………』

『――母さん?』

『おっかさん!』

『…………ぅ…………ぅ……………………』

『母さん……母さん……!』

『おっかさん……おっかさん!』

『――――――――』

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