「一応の、決着」

「こ……このガキ……び……貧乏人びんぼうにんの、小せがれのくせして……!!」


 常にその顔に冷笑れいしょうかべつづけている――続けていたはずのカルレッツのほおが、微笑びしょうを浮かべながら激しく痙攣けいれんしていた。


 自分たちの手回しのために空腹とつかれで消耗しょうもうくし、二本のあしで立っているのもやっとの少年。そんな、自分よりも四さいも若いはずの疲れ切った少年に満座まんざ面罵めんばされ、心底からがる感情の震動しんどうにカルレッツの神経が火花を散らしていた。


「ダクロー、こ、こいつは、わたしがやりますよ……」

「おいおい、大丈夫だいじょうぶかよ。いつものようにおれに任せていいんだぜ。それなりのもんはもらってんだからよ」

「ここまではじかされたんです。私の手でぶんなぐらないと、気が済みません……」

「そうかよ。まあ、勝手にしな。おう、ニコル。このカルレッツ先輩せんぱいがお前に稽古けいこをつけてくれるらしいぜ。お相手してもらえよ」


 そのダクローの言葉に、ニコルたちに届かない程度の大きさで失笑しっしょうが湧いた。だれもが、このカルレッツが騎士きし見習いという身分に到底とうてい届かない技量の持ち主だと承知していた。


「く…………」


 骨までみてむしばんでくる疲労ひろうに顔をゆがめながらニコルはかぶとかぶろうとするが、戦慄わななきが止まらない指で支えられなかった兜が手からこぼれ、板張りのゆかにゴトンと落ちた。


 落ちた兜は勢いよくカルレッツの足元まで転がり、カルレッツはそれを爪先で明後日あさっての方向にばした。


「フン。兜もロクに被れないような体で、よくも強がったものですね」

「――カルレッツ」


 ニコルとカルレッツが戦う空間をけるために下がるダクローが、ぽつりと言った。


「訓練用の防具、着けとけ」

「は? こんな、ぞこないみたいになっているガキが、私に一太刀ひとたちくれてくれると言うんですか? 面倒めんどうですよ。防具にまもられていない頭を一撃いちげきしてやれば終わりでしょう?」


 カルレッツはうすく笑い、木剣ぼっけんを持ったうでを大きくり上げた。

 ニコルの体は、全身が衝撃しょうげきやわらげる素材を分厚くけた訓練用のよろいで護られている――今被るのに失敗した、頭部以外は。


「く……訓練では、事故はつきものですからね……頭をかち割られて死ぬのも、事故でしょう……!」

「――馬鹿ばかが」


 興奮で頭に血が上りきっているカルレッツに、ダクローのつぶやきは聞こえなかった。


「……死ね!」


 全身がひとつの長い棒になるかのようにけんを上段にばしきったカルレッツが、ニコルに向かって大きな一歩をす。


 風を巻いて突進とっしんしようとしたカルレッツが、蹴り出したその一歩を地に着ける前に、強烈きょうれつな向かい風がカルレッツの全身にき付けた。


「っ!?」


 この朝、カルレッツが最後に見たのは、自分に向けてひとつのやじりとなり、くさりを解かれた猟犬りょうけん以上の速度で飛んできた少年の姿だった。


「げほォッ!?」


 少年の全体重とすさまじい突進の速度をせた木剣の切っ先がカルレッツの腹、胃の真上を穿うがち、穿ったまま勢いは殺されずに相手の腹にさる。

 カルレッツの体が直角に折れ、その形のまま後方に吹き飛んだ。


 正確に十五歩の距離きょりを後ろに飛ばされたカルレッツが、受け身など一切いっさいなしで大の字に床に背中をたたきつけられる。木剣の切っ先が胃の真ん中をとらえた時点で白目をいていたカルレッツには、受け身を取れといってもこくな話であったが。


「ぐ、が、あ…………」


 意識を失っているはずなのに反応する体がたおれたカルレッツをのたうち回らせる。口からは黄緑色をした大量の胃液がき出され、ズボンの真ん中にれた大きな染みが広がり出していた。


「うわ! こいつ、らしてやがる!」

「おい! このにおいは後ろからも・・・・・漏らしてるぞ!」

「表にほうり出しておけ!」


 痙攣けいれんしながら倒れているカルレッツの無惨むざんな姿に顔の全部を歪めきっている騎士見習いたちに対し、こんな展開を予想しきっていたダクローが動揺どうよう欠片かけらもなくさけんでいた。


「だから言っただろ。本当に馬鹿なやつだ。すくいようがねぇ。……おい、ニコル」

「はぁっ、はぁっ、はぁっ…………」


 にぎっていた剣を取り落とし、床にへばりつくようにして身をかがめているニコルがあせに濡れきった顔を上げてダクローを見た。


「勢いに任せて突きすすむだけのいのしし馬鹿だと思っていたが、わな仕掛しかけるなんていうのはお前もそこそこ頭が回る方だな」

「な…………なんの、話ですか…………」

「俺の目は誤魔化ごまかせねぇよ。お前、兜をわざと落としたろ」


 ニコルの片眼が細められた。


「兜を落として頭をさらけ出すことでカルレッツの大上段をさそった。お前の頭を一撃でかち割って恥をすすぎたいっていうあの馬鹿の心理を読んでな。そしてあの馬鹿は馬鹿だからそれにまんまと引っかかった。お前はもう一撃しか繰り出す力は残ってなかった。下手へたにカルレッツにペシペシとなぶられることになったら、あんな馬鹿相手でも勝ち目はなかったからな」

「…………あなた、仲間があんな風になっているのに、心配とかしないんですか……?」

「は? 仲間だ? おいおい、人を侮辱ぶじょくするのもいい加減にしろよ」


 心底からの『心外だ』という顔を見せてダクローは毒づいた。


「俺はあいつに金でやとわれてるだけだ。用心棒みたいなもんだな。俺が側にいないと、あんな馬鹿は闇討やみうちされて終わりだ。が、あの始末をなんとかする金は受け取ってない」

「…………」

「クソまで漏らしやがって。横にいる俺まで恥ずかしい思いをする羽目になったじゃねぇか。――ま、いいや、それは。じゃあニコル、今度は俺が相手だぞ」

「く…………」


 ダクローが木剣を一振りすると、空気を切りいた切っ先がまるで真剣しんけんのそれのような風切り音を発した。続いてへその高さで握った剣、その切っ先を相手の左目に向ける青眼せいがんの構えに移ったダクローを前にして、ニコルの顔が苦々しいものに歪んだ。


「お、表情が変わったな。縁故関係コネだけでここに入ったというのは間違まちがいのようだ。レプラスィスを乗りこなしたっていうのは、本当かもな」

「あなた、レプラスィスにこだわるようですね……」

「あ? ま、そんなことはどうでもいいだろ。さ、六年も騎士見習いでくすぶってる先輩が稽古をつけてやろうっていうんだ。そんなへたばったままじゃ失礼だろうが。立てよ」

「…………」


 ニコルは、体重を支えきれない関節に無理をさせながらよろよろと立ち上がった。


「さっきの一撃が本当に渾身こんしんの一撃だったらしいな」

「……誘いかも知れませんよ……」

「だったらじっくりやらせてもらうさ。さあ、かかってこいよ。長期戦は不利なんだろ。数年、訓練もロクにしてない不良騎士見習いが相手だ。簡単にやれんだろ。遠慮えんりょすんな」

「…………」


 ニコルもまた、青眼の構えに剣をえてダクローに対する。が、み出しはしない。相手の顔に視線を固定したまま、そこから動きはしなかった。

 周りを囲む騎士見習いたちが、めきった緊張きんちょうの中で息をするのも忘れて見守る。


 相手を警戒けいかいすきさぐ息詰いきづまった二人ふたりの心境が、周囲にも伝染でんせんしているようだった。


「――ふん。冷静だな。こっちの実力を見定めてくれたっていうのはうれしいがな」

「かかってくれば、いいじゃないですか……ぼくはもう、この構えを維持いじするだけで精一杯せいいっぱいなんですから……」

「はっ」


 ダクローは鼻で笑い、木剣を床に軽く投げ捨てた。


「やめた、やめた」

「――――え」


 剣を握っているニコルの腕が、下がった。


「どうしてですか」

「お前をぶちのめすなんて簡単だ。赤子の手をひねるくらいにはな。が、お前は俺の右腕みぎうでねらってたろ」


 ニコルののどおくで音が鳴った。


「俺が突きかかってきたら、ぶちのめされるまでには右腕をへし折ってやる――そんな気持ちが目に現れてるんだよ。お前をぶちのめすために右腕をへし折られでもしたら、大赤字だ。右腕をダメにされかけるのはもう勘弁かんべんだからな」

「……もう・・……?」

「ここは退いといてやる。だがな、お前をぶちのめしたいっていう気持ちに変わりはねぇ。今のうちにせいぜい休んでおくんだな」


 邪魔じゃましたな、といってダクローはきびすを返した。

 去りゆくその背中を目で追い、けていく緊張の勢いに流されるように、ニコルの体からも力がけていく。張り詰めきっていた気が晴れていくきりのように消えていく。


「――おい! お前たち、なにをしている!」


 遠くにこの朝では初めてく、女性らしい声が叫んでいるのが耳に届いた。

 そう思った時には、限界をむかえたニコルの体から支えとなっていた気力がせ、一瞬いっしゅんの落下感を覚えた時には、ニコルは意識のすべてを失っていた。

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