「騎士の資質」

「おい、カルレッツ、出かけるぞ」

「出かけるぞって――こんな朝早くに、どこへですか?」


 ゴーダム公爵こうしゃく騎士きし団の駐屯ちゅうとん地からははなれた、ゴッデムガルドの街にある集合住宅アパートの一室で、ダクローはとなり部屋へやているカルレッツを起こしていた。


「決まってるだろ。訓練だよ訓練」

「訓練って、この数年顔も出したことはなかったじゃないですか? わたしねむいんですよ」

「あのニコルがどんな様子になっているか、見たかねえか?」

「…………そりゃあ、面白おもしろそうですね」

「急げば武術訓練には間に合う。支度したくしろよ」

「でもダクロー、あのニコルは公爵一家にえらく気に入られているようですよ。これ以上むと、公爵に直接私たちのことをうったえるんじゃないですか? まあ、父の圧力でどうにでもなるでしょうけれど、面倒めんどうくさいことになるかも知れませんよ」

大丈夫だいじょうぶだよ。そんなことにはならねぇ」


 ダクローは言い切った。


「あいつのような人間は、そういう伝手ツテで上に直接訴え出るのをはじだと思うもんなんだよ。けてもいい」

何故なぜかれがそういう人間だとわかるんですか?」

「先に行ってるぜ」


 カルレッツの言葉を無視して、ダクローは部屋の外に出た。まだ低い高度からあがりきれずにいる太陽が弱い光を放っている。まだ街には人通りが少なく、ゴッデムガルドの街も目覚めきっていないようだった。


「――あいつはお前のようなクズとはちがうからだよ、カルレッツ」


 あざけりの言葉を小さく口の中で刻み、ダクローは階段をりながら、もう一つの言葉を呟いていた。


「俺と同じ種類の人間だからな、あいつは……」



   ◇   ◇   ◇



旦那だんなぁ、大丈夫ですかぁ?」

「……いえ、だいぶん具合がよくなりました。ありがとうございます、ダリャンさん」


 かわききった身に冷たい水を運んでくれた年かさの小者――ダリャンと名乗った風采ふうさいの上がらない男にニコルは深々と礼をした。


「旦那、よしてくだせぇや。あっしみたいな小者に、騎士見習い様ともあろう御方おかたが頭を下げたりしちゃなりません。――旦那、こんなお貴族の家でいちばん大事なのは何か、おわかりですかい?」


 ニコルは首を横にった。


「身分の上下ですよ、上下。お貴族様っていうのは、その上下関係で食っているもんなんですわ。あっしは小者、旦那は騎士見習い。騎士見習いは小者なんかよりずっとずっと上なんですわ。なんせ、小者っていうのはこのおうちの中で一番下なんですから――へへ」


 ダリャンはあまり豊かとは言えないかみに指をっ込んでポリポリといた。


「だから旦那があっしに頭を下げるのは間違まちがいなんでさぁ。やっちゃいけねぇことだとおわかりくださいな」

「……わかりました」

「わかってねぇですや。あっしに敬語も使っちゃいけやせん。さあ、さん、ハイ」

「……わかったよ、ダリャン」

「そうそう、よくできましたですわ。旦那、腹が減ってるでしょうや。なんかあっしが見繕みつくろって…………」

「いや、もうすぐ武術の訓練があるから……」


 ニコルは立ち上がった。厩舎きゅうしゃの柱に手をついて自分の体を支え、二本のあしだけで直立した途端とたんに体がらぐ。


「食事をしているひまはないんだ。行くよ」

「旦那、そんな体では無理ですわ。ここは休んでいた方が」

「騎士団に入って初めての訓練をなまけたりしたら、一生いが残るよ……。顔だけでも出さないと…………」

「旦那ぁ」


 ふらつく脚で歩き出したニコルをダリャンは止めることができなかった。今の状況じょうきょうで武術訓練などに顔を出せば、訓練という名目で何をされるかわからない――いや、容易に想像がつくだろう。周囲は今や敵だらけなのだ。


 少年にもそれはわかっているはずだ。だからこそ、それを覚悟して向かおうとする少年を止めるだけの勇気は、ダリャンにはなかった。


「――やれやれ」


 ダリャンはこしかせ、ゴーダム公爵ていに早足で向かった。

 母屋おもやの正面玄関げんかんの近くにかると、母屋の玄関からゴーダム公爵が出てくる所に出くわす。


「公爵様、おはようございますですわ」


 腰を直角以上に曲がるほどに深い礼をしたダリャンに、ゴーダム公爵はちらりと目を向けただけだった。玄関の先で足を止め、そのまま大きく深呼吸をする。

 ダリャンは頭を下げたまま母屋の建物の外周に沿って歩き、母屋の裏側にある小さな勝手口の前で立ち止まり、ポケットからかぎを取り出した。


 とびらの鍵を開けて中に入ると、便所くらいの広さしかない小さな部屋に出る。その部屋のおくにはまた小さな扉があり、ダリャンはそれを軽くノックした。


「入れ」


 ゴーダム公・・・・・の声が返ってきて、ダリャンは扉を開けて中に入った。

 ダリャンが部屋の中に足を進めると、今し方入ってきた扉が横にすべって動いた本棚ほんだなかげかくれる。そんなことにいちいちおどろかないダリャンを、机の向こうで座している公爵がむかえた。


「おはよう、ダリャン。昨日きのうから用事をたのんですまないな。一杯いっぱい飲むか?」

「へへっ、いただきやす」


 ゴーダム公が机の上に滑らせた、親指が入る程度の小さなグラスをダリャンは受け取る。中に入っている琥珀色こはくいろの液体をゆっくりとすすり、長い時間をかけて飲み干した。


「ああ、生き返りますわ。酒は命の水ですなぁ」

美味うまいか」

「そりゃもう。公爵様のお口には合わないんで?」

「今、ふうを切ったばかりで味わっていないからな――で、ニコルの様子はどうなのだ?」

「それはもう、周りに大変可愛かわいがってもらっていますわ」

「だろうな」


 ゴーダム公はダリャンの言わんとする意図を読み取って、顔をゆがめた。


「情けない。見習いたちの中でニコルを助けてやろうという者はいないのか」

皆無かいむではないでしょうが、少なくともあっしの目には映りませんでしたや。ああ、これがニコルの旦那のイジメに加担していた名前の一覧です。お納めを」


 ダリャンが数枚の紙の束を机の上に置く。一枚目から、騎士見習いの名前と認識にんしき番号、所属からがびっしりとき込まれていて、ゴーダム公はさらに顔を歪めた。


「昨日の夕食は実質かれ、この調子では武術訓練でも袋叩ふくろだたきにされてまた食事をる機会はなくすでしょうな。食堂の担当にも手は回されているようで」

「……動機はわかっている。入団試験でレプラスィスを乗りこなすような人材であれば、じゅん騎士昇格しょうかく試験で強力な対抗たいこう馬として並んでくるのは容易に想像できるだろう。そうならないために今のうちにつぶしておく……正々堂々きそって自分を高めようという発想はないのか。私が現役げんえきの時にはあり得なかった。なげかわしい限りだ。……これを主導しているのは、カルレッツではなくダクローだな?」

御意ぎょいですわ」

「ダクローか……」


 苦悩くのうの分だけ、ゴーダム公の眉間みけんしわは深くなった。


「レプラスィスがかかわっていたなら余計、あいつが執念しゅうねんを燃やす……自明の理だな……」

「あなた!」


 廊下ろうかにつながる扉がノックなど無用とばかりに勢いよく開けられ、早朝にも関わらず興奮気味のエメス夫人がずかずかと入ってきた。


うわさになっておりますよニコルのことが! ……ああ、ダリャン、お前もいたのか」

「へっ、奥様おくさま


 ダリャンは体が折れて頭がひざにつくかというほどの最敬礼をした。


「今、ダリャンからくわしい報告を受けているところだ。お前が聞きつけている噂以上の内容をな」

「でしたら何故動かないのです! 私の可愛い息子むすこひどい目にっているのですよ! 私は騎士団のことについては出しゃばらないよう、あなたにすべて任せるように努めていましたが、今回はほうっておけません! う、噂で聞いただけでも耳をふさぎたくなるようなことが行われているということではないですか! 一刻も早く、ニコルを助けるために――」

「エメス――」


 些末さまつな事を指摘してきするのはこの際あきらめ、ゴーダム公は核心かくしんしぼって話すことにした。


「私は動かない。少なくとも今のうちは」

「だから何故と聞いているのです!」

「ニコルから訴えが出ていないからだ」


 エメス夫人の口が開き、開いたまま空回りした。


「ニコルとてわかっているだろう。私に訴えればこんな事態はすぐに解決することを。それをしないのはニコルの意志によるものだ。ニコルは自分でこの事態を解決しようとしている。私たちが呼ばれもしないのにしゃしゃり出ることは望んでいないのだ」

「あの子がつつしぶかいからそうしないだけではないのですか!?」

「そうだとしても、私はニコルがここからどう動くのか、それを見たい。それにエメス、お前とてただ、ニコルの見目みめがいいだけで気に入っているわけではないだろう?」


 夫の冷静な言葉に妻は再びだまらされた。


「お前も長い間我が騎士団を見つめ、見守ってきた者だ。良い資質を持った人間がだれであるかを見抜みぬくことができ、見抜いたからこそニコルをこれほど気に入ったのだろう。ならば、その資質がどんなものか、ニコル自身が自分の資質をどうばすか、見たいはずだ」

「それは……」

「幼い赤子が初めて立とうとする時、親が手を出すのはいかん。何度も転んで失敗し、失敗の中でどう立てばいいのか、自ら覚えていくものだ。エメス、お前がやろうとしているのは、転んだ赤子に手を差し伸べてそのまま立たせ、ずっと手をにぎったまま引こうとしているのだ――お前という支えがいなくなったら、赤子はどうなるのだ?」

「ああ、ああ、わかりました、わかりました。ですからもう言わないでくださいまし」


 エメス夫人は机の上に置かれているウィスキーの酒瓶さかびんを取ると、口が開いたままのそれをラッパ飲みで一口あおった。


「おいおい、無茶するな」

「無茶もしたくなります! わ、私は苦しんでいるニコルに手も差し伸べられず、じっと見ていることしかできないのですから! でも、それが子が成長するための母親の務めであるとすれば、私はこれを持ってえもしましょう! ああ、息子を持つ母親というのは何と苦しいものなのか!」


 言いたいことを言いたいだけ言ったエメス夫人はおいおいと泣きながら、ウィスキーのびんきしめて部屋を出て行った。


「あやつ、私の秘蔵のウィスキーを……まだ私は一口も飲んでいなかったのに……」

「災難ですなあ」


 呆然ぼうぜんとするゴーダム公に、ダリャンも苦笑いで応じる他なかった。


「大きな犠牲ぎせいはらってしまった。まさしく痛恨つうこんきわみだ」

「ご愁傷様しゅうしょうさまで。では、あっしは旦那の監視かんしもどります」

「頼む。くれぐれも、な」

「へっ」


 本棚が再び横に滑り、現れた扉からダリャンは出て行った。


「――エメス。私だって、今すぐ駆けつけたい気持ちをおさえているのだぞ……」


 一杯飲もうとグラスを手に取ったが、それに注ぐものが今し方うばい去られたのに公爵は苦笑くしょうして、机の上のグラスを片付けた。

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