「追い込みの手法」

「あの水汲みずくみ小屋の水槽すいそうを、んできた川の水で満杯まんぱいにする……うそでしょう!?」


 ニコルは思わず大声を上げていた。上げざるを得ない事態だった。

 外からの雨やゴミで汚染おせんされないために屋根とかべに囲われている水汲み小屋は、小屋の外に設置された数基のポンプによって中の水を汲み上げる。


 ニコルも実際にポンプをして大量の水を汲み上げたが、小屋の大きさからして水槽の容積はかなりのものがあるはずだった。


「いったい、どれだけの水を川から汲んでくればあれを満杯にできるんですか」

「だいたい、バケツ二千はい分てところだ」

「二千杯分!?」


 荷車にバケツを二十個せられたとしても、ざっと百往復はしなければならない計算になる。ここから小川まで早足で十五分の距離きょり。小川でバケツに水を汲み、帰ってきて小屋の水槽に水を移す時間を考えると――一時間弱はかかると覚悟かくごしなければならないだろう。


「……そもそも、あの小屋は小川につながっている管から自然に水が供給される仕組みになっているんでしょう。水がなくなることなんてないはず――」

「気づかなかったのか? その管がこわれていて、今は水槽に水は供給されてないんだよ」

「業者を呼んで修理しないといけないんですが、明朝にならないと来ないんですよねぇこれが」

「ニコル、報告書にはお前が管をぶっ壊しておいたと報告しておいたからな」

ぼくがですか!?」


 上ずるくらいの声を出してしまってニコルは自分の顔がゆがむのがわかった。


「そんな……壊した覚えはありません!」

「覚えてないだけだろうが。実際にお前も一日水を汲んでただろ。お前じゃない可能性もあるかも知れんが、お前だっていう可能性もあるんだ。壊した責任者の名前は、報告書に書かれておかないとなぁ」

「始末書も書いておいてくださいよ。騎士きし団の大切な施設しせつに損害をあたえたのですからね」

「…………!!」


 ご丁寧ていねいに用意されていた始末書を差し出すカルレッツに、ニコルは全身の血がカッと熱くなって頭に上る感覚を覚えた。


「入団初日に始末書書くやつも初めてだな」

「…………僕ひとりで水槽を満杯にするなんて無理です!」

「お前がぶっ壊したからこうなってるんだろうが!」


 されたダクローの手がニコルの襟元えりもとをつかみ、身長差に任せてげる。支給されたばかりの綿の服から生地きじが破れる音が発せられた。


 鼻と鼻がぶつからないのが不思議なくらいの勢いで顔を寄せたダクローが、とがるような眼差まなざしでニコルの目をにらける。子供相手ならば確実にふるえ上がらせ、わめかせるだけの迫力はくりょくを持ったその形相に、ニコルは歯を食いしばってえた。


「テメエの不始末の尻拭しりぬぐいをどうしてほか奴等やつらがやらなきゃなんねえんだよ。おれたちはこれからもうすぐ夕食なんだ。お前のせいで夕食をそこねるわけにはいかねえだろうが。そしてもうひとつ教えておいてやると、夕食が終わったら俺たちの一日の仕事は終わりだ。――それがどういうことを意味するか、わかってるな?」

「……だれ手伝てつだってはくれないというんですか!」

「周りに手伝ってくれそうな奴がいるか、確かめてみたらどうだ?」


 突きばすようにダクローがニコルを解放し、よろめいて数歩を下がったニコルは息苦しさにみながら、いつの間にか周囲に群がった騎士見習いたちに視線を走らせた。


「く、ぅ――――」


 水を打ったように静かだが、一様に敵を見る冷たさにかがやひとみの列に、少年の心がこごえた。

 その目のどれもが、お前を知っているぞと語っていた。


「管を修理している間、馬に水を飲ませないわけにはいかないよなぁ? というわけでニコル、がんばってくれ――徹夜てつや仕事になるだろうがな。飯きの上に」

「ダクロー、そろそろ食堂に行きましょう。良い席が他人に取られます」

「夕飯を食う準備をしないとな。俺たちはいそがしいんだ。じゃあ行くか、カルレッツ」

「ニコル君。明日あしたの早朝からは一時間の長距離走ちょうきょりそうがあることも忘れずに、ね」


 ヘッ、というあざけりの気配を残し、ダクローとカルレッツは連れ立って歩いて行く。その二人ふたりにつられるように、一日の仕事の終わり時を感じた騎士見習いたちが潮が引くようにいなくなっていった。


「ま――まずい…………!!」


 ニコルは道具置き場となっている建物に走った。その中から一台の牽引荷車リアカーを引き出し、一抱ひとかかえはあるバケツを並べて荷台をめていく。


「あの二人の魂胆こんたんがわかった……! 僕を休ませず、食事をらせず、音を上げさせてこの騎士団から追い出す気だ! でも僕が仕事を放棄ほうきすれば、馬が水も飲めなくなる! そんなことは許されない! 水を、水を汲んでこないと!」


 明日の朝までに何往復できるのか。明日の早朝から長距離走、続いて戦闘せんとう訓練もあるのだ。食わず、休まずでそんな訓練にのぞめるのか。

 そして、あの二人は、きっと明日の朝食を食べるのも妨害ぼうがいしてくるにちがいない――。


「どうすればいいんだ……!」


 牽引荷車を引いてあせる心をかかえながら走り出したニコルに、一頭の馬のするどいいななきの声が届いた。その聞き覚えのある声に、ニコルは反射的に足を止める。


「レプラー!?」


 厩舎きゅうしゃの自分の囲いの中に収まっているレプラスィスがニコルに向かって呼びかけるように声を上げ続けている。囲いの入口を閉ざしているはりに鼻をぶつけ、こじ開けるような仕草を見せていた。


「そうか……君も僕を手伝ってくれるのか! そうなんだね、レプラー!」


 ったニコルが梁を外すと、レプラスィスは自分で厩舎の外にどっとり出す。

 くらやそれ以外の手綱たづななどを素早すばやくレプラスィスに装着させ、なわで牽引荷車とレプラスィスをつなげた。


「レプラー、ごめん。今日きょうは……今夜はずっと働いてもらうことになるかも知れない。僕が不甲斐ふがいないばかりに……。明日はなんとか君が休められるようにする。だから、今日だけは僕に力を貸してほしい――」


 申し訳なさにけそうなおもいを抱えながら、ニコルはレプラスィスの顔をでる。そんな相棒の顔を、レプラスィスはその長い舌でべろりとめた。


「うわ、大きな舌だなぁ。くすぐったいよ、レプラー……。でもやる気を出してくれるのか。ありがたいよ、レプラー。本当にありがたい……」


 ニコルがレプラスィスの顔を体の全部で抱きしめる。少年の金色のかみに顔をくすぐられてレプラスィスは小さく鼻を震わせ、早く乗れ、と首をってうながした。


「レプラー、僕はこんなことで負けるわけには、負けているわけにはいかないんだ。でも、こうやって抵抗ていこうし続けることにも限界はある……どうやって乗り切ればいいんだ……!」


 牽引荷車をいてレプラスィスが小川の方向に向かって走る。


 夕日を背中にし、大量のバケツを荷車の上で鳴らしながら走る少年と馬の両者の姿を――ある一人ひとりの男、その年かさの姿から騎士見習いとはとても見えない年配の男が、厩舎のかげからのっそりとした姿で見送っていた。


「――あれがうわさの新入り騎士見習いかぁ」


 年かさ――年かさも年かさだろう。としころは五十さいに近い風貌ふうぼうだ。中肉中背で顔がつかれている感じをした、しかし目だけが顔つきに似合わない輝きを放っている男だった。


「なるほど、変わってる旦那だんなだねぇ。初日からマトにされているのにへこたれる様子がないというのはいいところだけど、さて、どうなることやら――」


 目立つのをけるように体を丸めてすわり込み、初老のやや手前といったしわの深い顔の半分をみに歪ませたその男はふところから煙管キセルを出し、先端せんたん煙草たばこの葉をめてから付属していた火打ち石で火花を飛ばし、点火した火種で葉に火をけ、かし始めた。

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