「水の中の認証」

 大量の水を巻き上げ、激しく波打つ水面の下にニコルとレプラスィスの姿を見失ったゴーダムこう躊躇ちゅうちょすることなく、自らも愛馬のガルドーラに人工池プールを囲うさくえさせていた。


「ニコル!」


 自らも水飛沫みずしぶきと水柱を高く巻き上げて水面に飛び込む。

 背の高いガルドーラでも胴体どうたいの半分がれるほどの水位にかり、自分もあぶみにかけた長靴ブーツを冷たい水にひたすが、ゴーダム公はそんなことを一向にかまいはしなかった。


 ニコルたちが作った水柱が消え、山脈のような波が遠ざかっていっても、そこにっ込んだはずの一人ひとりと一頭の姿は見えない。

 まさかそんなことはない、しずんだまま上がってこないなどということは――。


「ニコル!!」


 再度、声が割れるほどの呼びかけをした時、水面が盛り上がった。


「――ぷはぁっ!」


 入道雲が首をもたげるようにがる様を見せられているように、大量の水をしたたらせながら少年のかげが水面の下からゆっくりと上がってきた。

 続いてびしょ濡れになった青毛の馬の首が波を割り、す息で水をき飛ばしながらレプラスィスが頭の全部を水面の上に突き出す。


「は、はぁ、は――はっくしょん!」


 レプラスィスの背に乗ったままで上半身を現したニコルが、ぶるっと体を一度震わせると、そのまま盛大なくしゃみをした。


「は、ははは、はは……この水の冷たさまでは計算に入ってなかったかな……春でもまだ四月だもの、冷たいよね……くしゅっ!」

「ぶしゅぅっ!」


 ニコルのそれにつられたのか、レプラスィスも口から湿しめった息を勢いよく吐き出した。


「はは、レプラーも冷たいのか、この水は……。でも今まで体も頭もものすごくカッカとしていたからね。冷ますのはちょうどいいや。――レプラー、体は無事かい? あしを折ったりはしてないかい?」


 自分の背中から身を乗り出してくる少年に、馬はうれしそうな顔で首の背をこすけた。


「そっか。どこも痛くないのか。よかったぁ……一時いっときは走ってまれないまま二人ふたりで転んで、そのまま両方とも大怪我おおけがをするものだとばっかり思ってたよ。レプラー、君のがんばりのおかげだ。ありがとう」


 ぶるると喜びにはずむ息づかいをし、再びレプラスィスはニコルのほおを頭の後ろででた。


「無事か……。ひやひやとさせてくれるものだ。まだわたしは心臓が跳びはねているぞ」

「――閣下!」


 レプラスィスの背の上でニコルがく。自分と同じように人工池に馬ごと飛び込んでいたゴーダム公の姿を目でとらえ、その顔がおどろきに引きつった。


「閣下! わざわざこんなところに入ってこなくても! ずぶ濡れではないですか!」

「なにを言う。お前は今し方まで、生きるか死ぬかの瀬戸際せとぎわだったのだぞ。私が濡れるくらい些細ささいなことだろうが、まったく……」


 微笑ほほえみながらゴーダム公はそう言い、ガルドーラに水面をけさせてニコルの横に並んだ。


「ニコル――!!」


 エメス夫人の声がひびく。期せずして同時に馬首をめぐらせたニコルとゴーダム公は、人工池の柵ギリギリに二頭の馬がけつけてきたのを見た。


 一頭はエメス夫人が自ら手綱たづなにぎった葦毛あしげの馬、もう一頭はオリヴィスが前にサフィーナを乗せて駆ってきた鹿毛かげの馬だ。


「ニコル、無事ですか! け、けけけ、怪我けがはしていませんか! 生きていますか!!」

「目の前で生きているだろう。エメス、お前は気が動転しすぎだ」

「動転もします!! 私はニコルがあんな勢いのまま止まれないと聞いて、一瞬いっしゅん死んでしまったのですよ!! ニコルも!! お前は無茶をしすぎです!! ハラハラしながら見るこの母の立場にもなってください!!」

「す、すみません、奥様おくさま

「母上と呼びなさいと言っているでしょう!!」

「お母様かあさま、も、申し訳ありません」

「エメス、ニコルをしかるのはやめてやってくれ。そもそも私が悪いのだ。ニコルをめてあおるようなことをしたのだから」

「そんなことあなたに言われるまでもありません!! あなたがいちばん悪いのです!!」


 妻の文字通りにいかりに燃えている眼差まなざしで射貫いぬかれ、ゴーダム公は顔を引きつらせた。


「ニコルは素直すなおな子だから必死の限りをくすなんていうことはわかっていて、わかっているからやったのでしょう!! そんなことをしたのにニコルの無茶を責めるなどとどういう了見りょうけんをしているのですか!! 反省をしなさい、反省を!!」


 馬から飛び降りたエメス夫人がほのおのような声を吐きながら人工池にり込もうとするのを、サフィーナが羽交はがめにすることでなんとか止めていた。


「お母様、もうその辺で。お父様とうさまが泣いてしまいます」

「ニコルが大怪我をしても、そんななみだやせるわけはないのです!!」

「お、お母様、閣下をそれ以上お責めにならないでください」


 レプラスィスを泳がせ、ニコルはエメス夫人が片足をかけている柵の側まで近づいた。


軽率けいそつな自分がいけないのです。後先を考えず、自分の技量に見合わないような速度をレプラー……レプラスィスに出させてしまいました。レプラスィスを危機におちいれたのも、自分の未熟ゆえです。真に反省すべきは、肝心かんじんな所で熱くなってしまう自分なのです。お母様、閣下へのお言葉は自分がすべて受け止めます。どうかこの自分をお責めください」

「ああ、ニコル。あなたはなんてやさしい子……。あんなに危ない目にあったというのに、お前の言葉からは一片いっぺんいつわりも感じられない、真摯しんししかない気持ちにあふれている……」


 沈んだ表情で頭を下げる少年のしおらしさに、夫人の怒りの色はどこかに消えていた。


「わかりました。お前の誠実せいじつさにめんじて、これ以上の言葉は重ねないようにしましょう。ニコル、早くあがってくるのです。かみも服もびっしょり濡れてしまって、風邪かぜを引いてしまいます。早く着替きがえをさせて風呂ふろに入れなければ……私は用意をさせてきます!」


 キッ、と目線を帰路の方に向けたエメス夫人は、馬にむちを入れるとそのまま勢いよく疾走しっそうしていった。婦人としてはできすぎなほどに見事な乗馬術であったが、騎士きし団をかかえる家の夫人としては当然のものであるのかも知れなかった。


「ニコル、助かった。礼を言う」


 妻の小言の連打からのがれることができたゴーダム公は、素直にこうべを垂れた。


「エメスに火が着いたらあの口は止まらない。私は小一時間こいちじかんは小言のあらしを受けなければならないところだった。――お前を側に置いていたら、妻の火消しに有効そうだな」

「お父様、お母様のおっしゃるとおり、反省しなければいけないところもありますよ。ニコルに全力以上の全力を出させてしまって……」

「わかった、わかった。私が悪かった。――それでな、ニコル」

「はい」

「合格だ」

「はい?」


 わからない、という顔をしたニコルに、ゴーダム公は微笑みかけた。


「ははは……この騒動そうどうですっかり忘れてしまっているな。ニコル」


 かたわらから全ての事情を見ていたオリヴィスが笑いながら言った。


「この一部始終はお前の騎士団入団を巡る試験だったのだぞ。そしてお前は合格基準に達した。騎士団入りおめでとう、といったところだ。――そうでしょう? 閣下」

「そんなところだ。ニコル、よくやったな――」

「わあ!」


 ゴーダム公がその大きな手でニコルの両肩りょうかたをつかむと、そのまま力強く抱きせて自分の胸の内に小柄こがらな体を抱き寄せた。レプラスィスの背からずるりと運ばれたニコルが、自分を下から支えてくれる確かなものがなくなった不安感から小さく悲鳴を上げる。


「ニコル・アーダディス。貴公をゴーダム公爵こうしゃく騎士団の騎士見習いと認め、その入団を許す。エヴァンス・ヴィン・ゴーダム公爵の名において――ははは、こんなことは池の真ん中でやることではないな」


 たくましいうで胸板むないたでニコルの体を支え、ほがらかな顔でゴーダム公は抱きしめたニコルに微笑みかける。四十さいえた男のものには似合わない、少年の純粋じゅんすいさを垣間見かいまみさせる明るいみが騎士公爵の顔をかざっていた。


「後日、改めて正式な認証にんしょう式をする。安心していいぞ、ニコル」

「あ、ありがとうございます、閣下……」


 謁見えっけんの間ではなくこんな池の真ん中で行われる認証式でも、全然かまわないとニコルは思った。尊敬するゴーダム公爵にこのような形でたたえてもらえるのは。名誉めいよ以外の何物でもなかったのだから。


「お父様、ずるいですわ。ニコルを自分ひとりで抱きしめて」


 柵の上に腰掛こしかけたサフィーナが、くちびるの先だけをとがらせて見せていう。その頬は言葉ほどには怒ってはいなかった。


「ニコルを抱きしめたくば、お前もこっちに入ってくるといい。――この池から出たらえだ。ニコルに抱きつくのは許さんぞ」

「もう、お父様ったら。さすがに濡れたくはありません。この服で濡れるととんでもないことになりますから」

「ははは。――さあニコル、上がろう。エメスが風呂を用意してくれているはずだ。多分蒸気風呂だろうが。支度したくはすぐにできる。せっかく騎士団入りがかなったのに、肺炎はいえんなど引き起こして死んではシャレにならんからな」

「はい! 閣下!」


 ゴーダム公の腕によってレプラスィスの背にもどされたニコルが、人工池の出口に向かってレプラスィスを泳がせる。その後ろ姿に微笑んで、ゴーダム公も愛馬ガルドーラの手綱を軽く振るった。

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