「そして歴史へ、そして伝説へ」(本編完結)

 ここでは主要しゅような人物三人にかぎって、彼等がたどった人生を簡潔に記させていただく。


 まず、ニコル・ヴィン・アーダディス。


 彼はアーダディス騎士王国の初代国王として統治とうちを続け、そのたぐまれなる武勇ぶゆうと、なによりも彼の人柄ひとがらの優しさにおいて、多くの人から愛され、愛され続けた。


 彼がきずいた国もまた愛された。


 アーダディス騎士王国はその領地の小ささから、『遺跡いせき』をふくめても最終的に一万人以上の人口を収容しゅうようできなかった。が、一時いっときまずしさに傷ついた人々をあたたかく受け入れ、この国で心がえた人々を送り出す宿やどり木のような地として機能した。


 人間と亜人あじんと魔族が等しく存在し、『遺跡』の末端で魔界と直接つながったこの国は、人々の交流の象徴シンボルとしても存続し、世界の心が等しくなることに貢献こうけんし続けた。


 アーダディス騎士王国はその隔絶かくぜつされた島の位置、そしてエルカリナ王国の保護国としてその強大な軍事力を背景にしていたことから、直接戦乱に巻き込まれることはなかった。が、ニコルは救いを求められれば少数のともひきい、世界のどこでも駆けつけた。


 小柄な体に銀色の甲冑かっちゅうをまとい、巨大な黒い戦馬に乗って地を走る彼の姿に、暴力に苦しめられていた人々は救いを見た。弱き者を背にして勇敢ゆうかんに戦い、必ず生還せいかんし笑顔をこぼす彼の姿に、人々は例外なく、すずしげな一陣いちじんの風が胸に吹き込むのを覚えた。


 ニコル・ヴィン・アーダディスは英雄だった。英雄として人々の心に記憶され、語り継がれた。


 そして、リルル・ヴィン・フォーチュネット。


 彼女は自分の十八歳の誕生日にんだ男の子を皮切りに、その後毎年出産し続け、生涯しょうがいにニコルとの間に計七人の子供をもうけた。


 余談とはなるが、その七人の子供がたどった軌跡きせきを、短く披露ひろうさせていただく。


 一人目の長男・アルス。


 彼は産まれた直後にゴーダム公爵家に養子と出され、サフィーナの息子となった。


 だが、彼をいて日参にっさんしてやってくるサフィーナのために、実の父と母、そして後に生まれてきた兄弟たちと離れることはなかった。事実上二人の母を持つ身となり、彼女たちの大きくあたたかい愛に包まれて成長した。


 彼は、幼少のころからほぼ全ての階層の者たちと友誼ゆうぎを結び、貧民の悲しさも貴族の苦労も、人間や亜人や魔族の暮らしにもしたしんだ。少年となったころには一時他家の騎士団に騎士見習いとして派遣はけんされ、父のように准騎士じゅんきしの資格を得るまで下働きと訓練にはげみ続けた。


 十六歳の成人の日をむかえてゴーダム家に戻ったアルスは、続けてゴーダム公爵家騎士団で訓練にいそしむ一方、彼のことを自らの子供のように可愛がったコナス一世の小姓こしょうとしての役割もつとめることになり、ふたつの立場の中で忙殺ぼうさつされる日々を送った。


 アルスの才能を見抜き、愛したコナス一世は彼を自らの後継者こうけいしゃとして内々に定め、アルス二十一歳の時には副宰相ふくさいしょう就任しゅうにんさせ、アルスが二十五歳になった際に「六十を過ぎたんだ、いい加減引退させてほしい」と告げ、次代のエルカリナ王国国王としてアルスを指名した。


 アルス本人の反対以外は満場一致で賛意さんいしめされ、困惑こんわくの中でアルスはエルカリナ王国第四十一代国王「アルス一世」として即位そくいした。

 彼が最初に手をつけた政策は、退位たいいの直前までコナス一世が道筋をつけていた正式な憲法の制定と、議会制度の確立だった。


 コナスが口癖くちぐせのようにつぶやいていた『三つ子ができたり、子供ができなかったくらいでいちいち国が揺れていたら、国民の神経が保たないよ』という愚痴ぐちへの回答として、アルス一世は王権をきびしく制限し、王家に万一のことあれば、その権限けんげんすみやかな移譲いじょうを可能とした。


 これもまたコナスが常日頃ぼやいていた、『権力を持つから手放すまいとするんだ。最初から持っていなければ握り込むこともないのさ』という言葉への回答でもあった。

 突然天から降ってきたような地位であったからこそ、アルスはそれに執着しゅうちゃくすることはなかった。


 自らが五十五歳で引退するまでの三十年間、外部要因的な激震は幾度かあったが、彼はみずからを危険に身をさら勇敢ゆうかんさをしめして国民の士気を高め、周囲の信頼を得て乗り切り、エルカリナ王国を一度の対外戦争も経験させずに発展させた。


 皮肉ひにくな結果として、王朝並びに王家をいつ途絶とだえさせても問題ないように制度を整えたアルスの系譜けいふは、おどろくほど長く続いた。

 王たるものは国民をひきいる旗頭はたがしらとなり、たっとき道をしめさなければならない――その人生で体現した言葉を、後継者たちもならったからだ。



 三人目として産まれた次男、エクシード。


 リルルが産んだ子供たちの中で、領地経営の才に最もめぐまれているのは彼であるのを見抜いたログトは、彼を次代のフォーチュネット領領主にするべく努力した。長年の企業経営でつちかってきた経験を受けがせるため、幼少のころから彼をそばに置き、自分の仕事風景をながめさせて育てた。


 エルカリナ王国につかえる貴族の中でフォーチュネット伯爵領は軍事的な義務を免除めんじょされる代わり、農産物納入の税を強くせられ、ログトはそれに応えた。膨大ぼうだいな現場視察と書類作業をこなす祖父の姿を見ながらエクシードは育ち、自然に祖父の秘書ひしょとなって事業を助けるようになった。


 八十代前半で逝去せいきょする前日まで執務室しつむしつにかじりつき、フォーチュネット領とエルカリナ王国の繁栄はんえいのために働き続けたログトの後を継ぎ、エクシードはフォーチュネット伯爵の称号しょうごう継承けいしょうし、フォーチュネット伯爵領の発展のために尽力じんりょくした。


 彼は優れた領主であると同時に、卓越たくえつした農政家のうせいかでもあった。幼い頃から小さいながらも自分の小麦畑を与えられ、子供の遊びのように自分の手で麦を育て収穫しゅうかくすることにしたしんできたエクシードは、成人するまでに麦の品種改良に興味きょうみを持つようになり、自ら研究者となって課題に取り組んだ。


 どのような災禍さいかが、戦禍せんかおそってきても、人々がえることのない世界を作る。飢えることのひもじさが人の心をせさせ、世を混乱させる――そんな事態じたいを防ぐため、一粒ひとつぶでも多くの実をつける品種を、どんなれ地であっても根を張り、くきばし実を成らせる品種を作る。


 それを心にきざんで彼は研究に没頭ぼっとうし、二十年の月日を重ねて、三つの品種を完成させた。


 ひとつは、とにかく味の向上を追求ついきゅうした富裕層ふゆうそう向けの高級品種。


 もうひとつは、高級品種に比べて味はひとつ落ちるが、高効率こうこうりつの収穫量をほこる量産品種。


 最後に、天候不順により不作の気配が見られた時、緊急きんきゅうえても飢饉ききんまぬがれることができる品種――最低限度の味ながら、地力ちりょくとぼしい土地に種をいてもおどろくほどの収穫量しゅうかくりょうが見込める救荒対策きゅうこうたいさく品種――。


 エクシードは、くなった祖父への尊崇そんすう敬意けいいを込め、その品種たちをそれぞれ『ログト特型とくがた』『ログト量型りょうがた』『ログト救型きゅうがた』と名付けた。

 特に、後者のふたつが世界にどれだけ貢献こうけんしたかははかり知れなかった。


 その意味において、極端きょくたん物静ものしずかなため、七人兄弟が一堂に会した中でも『名を呼んで探さないと見つけられない』とひょうされたエクシード・ヴィン・フォーチュネットは、世界の安定に強力な影響をもたらした人物であった。


 五番目に生まれた三男、ネクス。


 彼は兄弟の中でも、父ニコルの容姿ようしや性格を特に色濃いろこく受け継いだ人物だった。自然にアーダディス騎士王国の後継者こうけいしゃとしての地位を定められ、少年期以降はほぼアーダディス騎士王国の領地、メージェ島の中だけで過ごした。


 父が作ったアーダディス騎士王国騎士団は国の性格上、外征がいせいに出ることはなかった。規模きぼも小さく、一国の戦力としては微々びびたるものだったが、ニコル武勇ぶゆうと人柄をしたい、留学のような形で世界中のいたるところ――魔界からも――大勢の若者が武者修行むしゃしゅぎょう一環いっかんとしてつどってきた。


 ネクスはそんな若者たちと共に父に学び、自然に多くの国々との人脈のつながりパイプを持つことになった。ニコルが五十歳の日を迎えてアーダディス騎士王国の王位から退しりぞくと、その地位をネクスが継いて『ネクス一世』となり、同時にアーダディス騎士王国騎士団の団長となった。


 父が退いた後も、彼の伝説にあこがれた若者たちは集い続け、ネクスはそんな彼等と親しみ、人脈を広げ続けた。誇張こちょうされた伝説を信じてしまった者たちの中には、ネクスをニコルその人と間違まちがえる者も少なからずいたが、そんな者たちもやがて、ネクス本人を慕うようになった。


 誰に対しても対等に、むしろ相手の目線より自らを低くして親身しんみせっするニコルの人柄の写しそのままとなったネクスは、共にメージェ島で学んだ人間たちで構成された、『アーダディスばつ』と呼ばれた同窓意識を持つ集団を世界中に作ることに成功した。


 ある国同士で破滅的はめつてきな戦争が起きる寸前すんぜんという状況じょうきょうになっても、双方の国の同じばつに属した高官たちが、膝詰ひざづめで談判だんぱんすることでそれを回避かいひさせる、というような事態を数度に渡り起こすことにもなった。

 その意味ではネクスは地味じみな立ち位置ながらも、世界の安定に力強く寄与きよした。


 最後の七番目に生まれた末弟、ジュアー。


 ニコルとリルルの間の子の中で、世界に最も記憶された者は彼だった。


 彼は自分に継ぐべき立場がないと知るや、十四歳で両親の元から飛び出し、家名をかくすことで冒険者となり、世界に羽ばたいた。兄弟たちはその自由な振る舞いを嫉妬しっとするほどにうらやみ、ニコルとリルルは『ひとりくらい、自由な子がいていい』とそれを笑顔で見送った。


 快活豪放かいかつごうほう自由奔放じゆうほんぽうな彼は世界を旅する中で多くの仲間と出会い、その頬に消えない傷を作りながら笑って地上を、魔界を、時には異世界を駆け回った。太陽が惑星をその引力で引きつけ放さず、無限の光で照らしあたため続けるように、人種種族を問わぬたくさんの仲間たちが周りに集った。


 そんな中、彼が十六歳を迎えた頃、外世界からの侵略しんりゃくがあった。


 冒険者生活の中で腕利うでききの仲間を得、自らも戦士として成長していたジュアーはその侵略に立ち向かい、時には相手の世界にも乗り込む活躍かつやくを見せた。多くの仲間を失いながらも彼は心をられず、失った仲間のたましいを自らの魂に取り込むようにして大きくなり、戦い続けた。


 激戦の中でジュアーは学び、り、さらに駆け続けた。


 一度の侵略をね返し、短い平穏へいおんを得たが第二の侵略は十八歳の時、それもまた退けても第三の侵略が二十歳の時に訪れた。

 それでも彼は戦った。

 父や母や兄弟の援助えんじょを受け、なにより自分が得た仲間たちの助けを得て共に戦い、戦って、戦い続けた。


 三度目の侵略をも阻止そしし、それ以上の侵略がないと確信した二十二歳の頃、彼は剣を手放てばなし、二度とそれを取らなかった。

 代わりにペンをにぎって文筆家ぶんぴつかとなり、自分がたどってきた戦いの話や、家族が持つ知己ちきや人脈を利用し、引退した知人たちの列伝れつでんなどを多く書いた。


 

『世界攻防記一・二・三』『ゴーダム公エヴァンス評』『趣味王しゅみおうコナス一世の素顔』『エルフの里についての一考察』『フォーチュネット伯爵家の歩み』『魔界の世界観』『アルス一世の手紙』『アーダディス騎士王国の成り立ち』……これは彼の著書ちょしょの内のほんの一部に過ぎない。


 特に『世界攻防記』は、彼が冒険者時代に一日もかさずつけていた日記を元にした詳しい記録から、その正確な資料性を高く評価された。同時に子供向けに話をわかりやすい読み物風にした版も好評こうひょうとなり、彼はその出版で多くのざいきずいた。


 彼自身はその財で贅沢ぜいたくはしなかった。明日筆を取るために必要なかてがあればいいと、得た売り上げの大半を、戦いの旅の途中でくした仲間たちのとむらいと、彼等の遺族いぞくたちのなぐさめにしむことなく投資した。


 彼は特に長生きし、息が上がる寸前までペンを取り書き続けた。彼がのこした遺書の大半は、まだ執筆しっぴつに着手できない著作ちょさく構想こうそうと、それを引き継ぐ者に対する指示でくされていたという。


 ニコルとリルルの間の子の活躍は、男たちばかりではなく、女たちのそれにもすさまじいものがあった。


 二番目に生まれた長女・アルシュラ。

 四番目に生まれた次女・リィルリィナ。

 六番目に生まれた三女・エルル。


 彼女たちは母の後を継ぐかのように、それぞれ十三代、十四代、十五代の快傑令嬢となった。

 王都エルカリナという巨大過ぎる街に、どうしてもできる影の部分、そこに巣くう悪意の塊を取り除くように、三人の娘たちはそれぞれのメガネを着け、それぞれのレイピアを振るった。


 特にエルルの代には、引退した姉ふたりが復帰し、三人で肩を並べて戦うという場面がいくつもあった。市民たちはそれを『快傑令嬢第二期黄金時代』として絶賛ぜっさんし、彼女たちの活躍が紙面しめんかざたび快哉かいさいの声を発したものだった。


 彼女たちは母と同じように自由に恋をし、人を愛し、それぞれの定めた相手と結婚した。一人として政略結婚せいりゃくけっこんいられたものはいなかった。


 彼女たちは幸せだった――これは、厳然げんぜんたる事実だった。


 話をリルルに戻そう。


 七人の子を続けて産み、疲れた体を休めるために長期間休養を取り、復帰したリルルの敵となったのは、王国から払拭ふっしょくしきれない貧困という問題だった。


 アーダディス騎士王国の王妃として国の建設と発展に努力する一方、彼女は父から受け継いだ企業から得られる莫大ばくだい利益りえきを元に、『フォーチュネット救援財団きゅうえんざいだん』を設立し、その総裁そうさいに収まった。

 王国の、その外の世界に存在するまずしき人々を援助えんじょするため、必死に働いた。


 副総裁の地位に就任しゅうにんしたエヴァと協力し、飢饉ききんおそわれた土地には物資を手配し、対立が起こった地域には戦乱せんらん未然みぜんに防ぐため、みずか仲裁ちゅうさいろうを買って出た。

 時には身一つだけでどのような危険な地にも降り立つ彼女の勇気に、人々はただ崇拝すうはい眼差まなざしを向けた。


 二十数年の間、世界を回り続けて様々な困難こんなんの解決に当たり、ニコルと同じく五十歳の日を迎えて一線からは退き、なおも裏方として後援こうえんを続けていたが、六十歳を過ぎると全てを後進に任せ、住みれた王都の屋敷に引っ込み、ニコルと少数のともだけで暮らす生活に移った。


 そして、本当に穏やかな日が過ぎた。


 ニコルは七十六歳、自分の誕生日のちょうどその日、屋敷の一室で息を引き取った。

 リルルもまた正確にその一年後、ニコルを追うようにくなった。七十七歳だった。


 二人の偉大いだいな人物を失って世界が悲しみにおおわれる中、間を置かずしてジュアーが二冊の本を出版した。ニコルが死んだその年『我が父・騎士王ニコルの伝説と素顔』を出版していたジュアーが、母の死に際し、彼女についてのなんらかの本を発表するであろうとは世間は予想していた。


 そのうちの一冊が『我が母・リルル伝』であったことは、予想の範疇はんちゅうだったが、もう一冊の表題タイトルが強烈すぎた。


 ジュアーが発表したもう一冊の表題には『我が母リルル、我が母リロット――初代快傑令嬢の正体について』と記されていたからだ。


 もう忘却ぼうきゃくの際、六十年前のふるき言い伝えに成り果てていた初代快傑令嬢、快傑令嬢リロット。

 その彼女の正体が、かつて貧しき人々の慰撫いぶ尽力じんりくしたあの老婦人リルルだったとは!


 コナスが亡くなる以前に編纂へんさんして秘蔵ひぞうし、ジュアーにその公開をたくした膨大ぼうだいな資料も同時に発表され、伝説として細く語り継がれてきた初代快傑令嬢が、詳細しょうさいな記録としても目に見える写真や絵画の形となって、若き少女剣士・快傑令嬢リロットとして色彩しきさい鮮やかによみがえったのだ。


 快傑令嬢リロットが戦った事件の数々、そればかりか禁忌きんきのようにその事実を語られず、長く人々の口を閉ざさせ続けたヴィザード一世の陰謀いんぼうの真相までがつまびらかに発表され、重大な秘匿ひとく事項として固く封印ふういんされてきた女神エルカリナの存在の事実までが、大々的に明らかにされた。


『母が、快傑令嬢リロットとして戦ってきた事実を、その意味を、もう一度思い返してほしい。これは、そんな母の希望にも沿って、ここに出版されるものである――』


 ジュアーが巻末にしるしたその一文の重さを、本を手にした人々は重く受け止めた。自分たちが住む世界の意味を問い直さずにはいられなかった。


 その後、世には快傑令嬢リロットを題材にした読み物が発行され、舞台の主題テーマとしても取り上げられた。

 赤い薔薇バラの花一輪いちりんかたどった帽子ぼうしかぶり、薄桃色うすももいろ可憐かれんなドレスに身にまとい、その目には赤いメガネをかけてレイピアを振るう正義の少女剣士として、無数のリロットが活躍かつやくした。


 かくして、快傑令嬢リロットは伝説として完成した。

 彼女の姿は長く、長く語り継がれた。

 時の風化ふうかに耐えうる存在として。日々に疲れた人々の心に、ふっとよみがえる存在として――。


 最後に、ニコルとリルルの生涯しょうがいを見守り続けたフィルフィナのことについて触れておこう。

 彼女についての記録は極端きょくたんとぼしい。

 公式な記録としては、リルルの葬儀そうぎで短い弔辞ちょうじを読んだのが最後で、それ以降は公式の場に出ることはなかった。


 リルルの死後、彼女がどうしていたかを知るのはむずかしい。ジュアーでさえ、フィルフィナについての著作ちょさくは残さなかった。まだ生きている者を自分がどうこう評論ひょうろんするわけにはいかないという配慮はいりょなのだと、ジュアーを知る者は想像するだけだった。


 ただ、様々な人物が個々にしるした日記などの資料において、彼女がフォーチュネットの縁者えんじゃたちとつながりをたもっていたことが散見さんけんされた。


 記録としては少なかったが、彼女の足取りは、世界のあちこちにおいて伝承でんしょうとして多く残った。


 小柄こがら背丈せたけ綿菓子わたがしのような緑の髪から森妖精エルフ特有のするどい耳をちょんと突き出し、一分いちぶすきもないメイド服に身を包んで、小さな旅行鞄りょこうかばんかさを手にしながら世界を歩く女性。

 見る者の印象いんしょうに強く残る、アメジスト色のひとみを持った女性。


 その伝承の中には作り上げられた架空かくうのものも多かったが、それでも事実であろうと思われるものも多くあった。

 細々と言い伝えで彼女を知る者たちは、その全てが彼女のものであると信じた。

 彼女ならそうするであろう、と思える内容ばかりなのが、彼等の心をなぐさめた。


 事実としていいきれることは、次の二点だった。


 ひとつは、彼女がエルフの里の女王の座を、ついにがなかったこと。


 もうひとつは、リルルとニコルの死のちょうど五百年後ごろ、二人が眠る墓に、フィルフィナの亡骸なきがらが眠る小さめのひつぎおさめられたことだ。


 五百年前にあらかじけられていた空間――リルルとニコルの棺が並んで置かれた間に、フィルフィナの棺は安置された。


 墓が作られた当時から、そのむねを実行するようにという文面が、墓自体にきざまれていたからだ。


 だから、リルルとフィルフィナとニコルの亡骸は、今も並んで静かに眠っている。


 彼たちの、彼女たちの魂が天の国でどうしているかは、言わずもがなのことである。


 追記。


 女神エルカリナの新たな復活は、いま観測かんそくされていない。

 こうやってかつての英雄たちのことをつづれることが、そのなによりのあかしである。


 さらに追記。


 快傑令嬢の伝説は今も続き、生まれ、続いている――。




     「快傑令嬢」 ―本編・完―

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