「快傑令嬢は風吹く満月の夜に舞う」

「なにをそんなにおどろくことがあるんです。白々しらじらしい」

「だ、だだだ、だって、リルルのお腹に、リルルのお腹に!!」


 フィルフィナの冷め切った視線の前で、頭を抱えたニコルが、しゃがんだままでこわれた機械からくり人形のようにその場で回転し出す。


「そんなこといって、ニコル様も心当たりはありすぎるほどでしょう」


 なにをそんなに狼狽うろたえているのか理解できないフィルフィナのため息の深度しんどが、ますます深くなった。


「ご結婚された直後から、それはもう励んで・・・おられたではないですか。ああ、もう、誰が指南しなんしたかは知りたくもないですが、子供が遊びを覚えたようにすきを見てはちゅっちゅして、夜は組み手ごっこか格闘戦ごっこか知りませんが、それは熱心に朝まで毎晩毎晩」


 フィルフィナの目がかぎりなく細くなり、それを見たリルルとニコルの心が冷えに冷えて、こおり付いた。


「――ひとことだけご忠告ちゅうこくしておきます! お嬢様の寝室とわたしの寝床ねどこの間のかべはものすごくうすいんです! お嬢様の寝言が聞こえてくるくらいなんです! 仲良しごっこはくれぐれもそこで行わないように! ご当主の寝室でなさってください!」


 ふたりにこたえることなどできなかった。真っ赤な顔で明後日あさっての方向を見、下手くそな口笛くちぶえを吹くだけだった。


「ああ、あの初心うぶ純朴じゅんぼくなニコル様はどこに行かれたのか……。フィルは悲しいばかりです。それも、よりによってお嬢様のこんなしょーもない体におぼれて……」

「ちょっとそれは言い過ぎじゃない!?」


 ハンカチを目に当ててよよ・・と泣き出したフィルフィナにリルルがきばいた。


「そ、それにしてもリルル、それは事実なのかい? いや、事実の方がいいんだけど! まだ早過ぎる時期じゃないのかい? こ、こんな早い時期に確定したりしないことなんだろ?」

「ロシュ」

「はい」


 フィルフィナがバチンと指を鳴らした合図に、委細承知いさいちょうちとばかりにロシュがリルルのお腹に手を当てた。慎重しんちょうに当てられてくるロシュの手の感触に、リルルは照れに照れてで上がったような顔でそれに応じる。


「――あ」

「え!?」

「…………これは、これは……」

「ロ、ロシュ、どうなんだい!?」


 いつもの冷静さを世界の裏側に置き忘れてきたようにニコルが浮つき、自分とリルルの間をぐるぐると駆けずり回っているニコルのさわがしさも意に介さずに、ロシュはそっと手を離した。


「――ご報告いたします、リルルお姉様のお腹の中には――」

「そこまで」


 フィルフィナがロシュの口に、後ろからそっと手を当てた。


「そこまで。そこから先は、口にする必要はありません」

何故なぜですか?」

「口にしない方が、断然だんぜん面白いからです」

「――わかりました」

「ロシュぅぅ!!」


 ニコルがたましいからの悲鳴を上げた。


「わ、わかったんだろ!? いるかいないか、いたら男か女かもロシュならわかるんだろ!? 教えて、教えてよロシュ! 僕にこっそり!」

「絶対にニコル様に教えてはいけませんよ」

「わかりました、フィル」

「なんで! 兄のいうことを聞いてよ! ねえロシュ、なんでも欲しいの買ってあげるから!」

「ニコル様の甘言かんげんに乗ってはいけませんよ」

「はい、フィル」

「リ、リルル! やっぱりダメだって! 下手に体を動かしたりなんかして、いるかも知れないお腹の子供になんかあったらどうするんだ!?」

「大丈夫よ、軽い運動みたいなものだし」

「ああもうさわがしい。クィル、スィル、ニコル様を持ち上げて運びなさい」

「あーい。じゃあ先に行っててきとーに注文しておくから、早く来てねー」

「…………よいしょ」

「ロシュも行ってください。ここはわたしだけで十分です」

「はい、フィル」

「リルル、リルル――――」


 クィルクィナとスィルスィナの二人によって荷物のように高々と持ち上げられたニコルが、抵抗ていこうもできずに運ばれて行く。その悲鳴のにつくようにロシュが歩いて行き、街角の中に消えて行った。


「さて、と」


 にぎやかだった場がおさまる。今ここにいるのは、リルルとフィルフィナのふたりだけだった。


「急がなくっちゃなんないんだけど――フィルは、着いてきてくれるの?」

「当然ではないですか」


 当然だという顔でフィルフィナはいった。


「まあ、規模きぼがショボいのは少々遺憾いかんではありますが、これが快傑令嬢リロットの最後の変身。――快傑令嬢リロットの誕生に深く関わったわたしがその最後に付き合わないわけにはいかないでしょう?」

「そうね……そうね……」


 リルルは、吹いてきた風が体に当たって通り過ぎていくその間だけ目を閉じた。すう、と夜の冷たい空気を吸って、胸をらす。



「フィルと私のふたりで、快傑令嬢リロットみたいなものだものね……」


 たったそれだけの時間で、今まで体験した事件の全てが脳裏のうりかすめていった。


 夜の王都で事件のさけびを聞いては、赤いメガネをめて薄桃色のドレスを身にまとい、真っ赤な薔薇バラの花一輪いちりんかたどった帽子ぼうしかぶり、手足には白い手袋と赤いハイヒールを着け、腰にレイピアを差し白い魔法のかさを広げては、あらゆる場所に駆けつけた日々――。


「これが最後だと思うと、さびしいものですね……。わたしはむしろめてほしくもあったのですが、やはり愛着というのはいてしまうもので……」

「うん。快傑令嬢リロットはもうこれで最後ね。――でも、私はそんなに寂しくないの」

「……リルル?」


 フィルフィナは下がってしまった視線を上げた。リルルの優しい微笑ほほえみがそこにあった。


「もうすでにサフィーナが二人目の快傑令嬢サフィネルに、ロシュちゃんが三人目の快傑令嬢ロシュネールになってくれている。四人目や五人目もすぐに現れるでしょ? 人間の女の子だけじゃない、亜人あじんや魔族の女の子だって、顔を隠すメガネを着ければ世の不正を、世の悪をれるのよ」


 それは、伯爵令嬢という立場であっても、全ての人々を分けへだてなく愛せるリルルだからこそ、いえる言葉なのかも知れなかった。


「みんなの幸せを願い、それをはばむ不正を、悪をただす心が人の心にある限り、快傑令嬢はいつだって現れる。


 ――快傑令嬢は、永遠なのよ」


 歌うようにリルルがいい、腕を下げて軽く広げた。息を大きく吸って、胸の中で勇気を燃やした。

 そんな相棒の、夜の中でもまぶしい姿を仰ぎ見て、フィルフィナは口元に笑みを浮かべた。


「――快傑令嬢は、永久に不滅ふめつですか……。そうかも……いいえ、きっとそうですね……」

「フィル。快傑令嬢を、お願いね」

「ええ。このフィルに万事お任せください」


 フィルフィナが一礼する。


「快傑令嬢の相棒にして参謀さんぼうのこのフィルが、快傑令嬢の名を決してはずかしめないようにいたします――」

「――うん。じゃあ取りえず、あの悪者たちをやっつけましょうか」


 リルルは喧騒けんそうが聞こえてくる方向に目を向けた。


「作戦はどうするの?」

「全員を半殺しにして尋問ごうもんし、背後関係を調べます。そして上がってきた名前に襲撃カチコミをかけます」


 対象が聞いたら震え上がるほどに恐ろしく単純シンプルな作戦だった。


「それじゃみんなの夕食に合流できないんじゃ?」

襲撃カチコミの方は食べてからでいいのです」

「そっかそっか」

「もう、こんなことすらお嬢様にはわからない。やはりこのフィルがいなくてはダメですね。ああ、なんて有能なわたし」

「あはは」

「それに、襲撃カチコミの方はお嬢様は参加しない方がいいですね……そっちの方は大立ち回りになるでしょうから……お嬢様の舞台は、これが最後ということで……」

「――うん、そうね……」


 ふたりの思いがあまって、しばし、言葉が途切とぎれる。

 その無言の間が、それぞれの心を整理する時間だった。


「……おそらく出番はないとは思いますが、万が一の場合の援護えんごはおまかせを。このフィルをご信頼しんらいください」

「頼りにしているわ。――フィル、お願いね」

「お嬢様も、気をつけて」

「ええ」


 ふたりのてのひらと掌がぱん! と打ち鳴らされる。

 心からの笑みを浮かべ合い、風のような速さと透明とうめいさで、ふたりは二手ふたてに分かれた。



   ◇   ◇   ◇



「――これが最後なのね」


 港の岸壁がんぺき停泊ていはくし、船員たちが眠りについている大型貨物船のマストの先端せんたんに足を乗せて立つリルルは、夜の灯火にかざられた港街の全景を足元に見ながら、掌の上にせた赤いメガネに語りかけた。


「もう一度出番があってよかったわ。あの戦いで全て終わりだと思ったから……。……でも、何事にも終わりはあるのよね……」


 きゅ、と手の中のメガネを軽くにぎり、その固い感触を確かめた。


「――リロット。私のもうひとつの姿。あなたの舞台はここで最後だけど、あなたは私――あなたは私の中でずっと生き続ける。


 快傑令嬢リロット。あなたに出逢であえて、よかった。リルルからお礼をいうわ。

 本当に、ありがとう…………」


 ほろりと流れた涙を指でぬぐい、リルルは両手の指で支えたそのメガネを、目にめ込んだ。

 夜の港の低い空に白くまばゆい太陽が一瞬生まれ、その輝きに気が付いた人々の目を、刹那せつないた。



   ◇   ◇   ◇



 港のはしから端までを走り抜け、それでも一人の助けも得られなかった若い女性は、港の外れにある倉庫街の袋小路ふくろこうじに追い込まれていた。

 大倉庫の敷地しきちと敷地が隣接りんせつして立ちはだかった高いかべに、息をらした女性が背を着ける。


 あちこちに虫が食ったようなボロボロの服、素足すあし――足の裏もまたボロボロにいためた、まだ少女に見えるやや背の高い女性が、止まりそうになる息を必死に整える。あせだくの体からは、湯気ゆげが出そうなほどの熱が放出されていた。


「よ、よ、よよ、よくも、けほっ、な、長いこと走らせてくれたな……!」


 十数分の全力疾走ぜんりょくしっそういられた十二人の男たち――顔にツギでも当てられたように傷だらけの大男たちが、こちらも息を大きくみだして肩を上下させている。冷たい空気を肺に入れていないと、中から体がけ落ちそうなほどに体温が上がっていた。


「お前は組織うちの大事な収入源しゅうにゅうげんなんだ、しっかり働いてもらわないとなぁ!」

「嫌です! どうしてさらわれた身であんな仕事までしないといけないんですか! 私を故郷こきょうに帰してください!」

「どうしてあんな仕事っていわれてもな、俺たちじゃ代わりになれない仕事だからなぁ!」


 どっ、と場がこうとしたが、半分以上が息の苦しさに不発に終わった。


「まあ、というわけだ! これも社会奉仕しゃかいほうしって奴よ! こうなったら覚悟を決めて、明日からバリバリ働いてくれや! ああ、なにも一生働けとかはいってないぜ! 働けなくなったらとっとと出ていってもらうからな――」


 道いっぱいに広がった男たちがじり、じり、じりと間合いを詰めていく。

 広げられて迫る男たちの手が悪魔のそれに見え、自分の運命の終焉しゅうえんの気配に女性は、ぎゅっと目を固くつぶり――。


 細くするどく輝く光の一閃いっせんが、空の高みから稲妻いなずまごとく走った。


「がぁっ!」「ぎぃっ!」「ぐぅっ!」「げぇっ!」「ごおっ!?」

「なんだぁっ!?」


 まるでそのせま範囲はんいにだけ細い落雷らくらいが何本も降りそそいだように、五人の人間が体をねさせてその場に昏倒こんとうする。

 幸運にも――いや、むしろ不幸だといえたが――その一撃をまぬがれた男たちは、光が走って来た方向に振り返った。顔を上げた。


「誰かいるぞ!」

「あんな所に!?」


 視線の先、巨大な倉庫の屋根の上。

 普通の建物の七階相当になるのではないかというその高さに、ひとつの人影があった。

 階段もつながっておらず梯子はしごさえ渡っていないはずのその高さに、その人物がどうやって上がることができたのか、男たちの頭には疑問ぎもんしか走らなかった。


 高い高度に陣取じんどった真っ白な満月を背景にし、影絵のようなその姿が風にあおられる。足元までをかくす長いスカートらしい形が、炎のように揺れた。


「あいつがやったのか!?」

「いや、まさか……」

「他にあやしい奴はいねえだろうが!」


 男たちが短剣、棍棒こんぼうなどの得物えものを構えて身構える。その姿を高みから見下ろす影が、空の彼方かなたまで通るようなき通った声を響かせた。


「――私が最初に出逢であった事件もそうでしたが、か弱い女性の身をさらい、その意に反する境遇きょうぐうに落とし込もうとする悪辣非道あくらつひどうな所業! 何度遭遇そうぐうしても、れるものではありません!」

「うぐぁっ!」「ぐふっ!」


 ふところから拳銃を取り出した二人の男が、それを上空に向けるいとますら与えられずに体をクサビ型に折られ、地面に転がる。二人の腹から、先端に拳大こぶしだいの球体を取り付けられた矢が転がって落ちた。


「あ、もう、フィルったら出しゃばって。まだ万一じゃないのに――ま、いっか。フィルだって一緒に参加したいんだものね」

「なにをぶつくさいってやがる手前てめェ!」

「――これは失礼!」


 遠くで光源こうげんを回転させている灯台とうだいの光が、港街の上空をぎ払い――自分たちが目を釘付けにされている姿が一瞬、その光に照射されて色を取り戻した姿を、男たちは色せない残像としてまぶたに焼き付けた。


 一輪の薔薇の花を象った赤い帽子の下からは、かすかに青みがかった銀の長い髪が風になびいている。二の腕と胸元をあらわにした、薄桃色の色彩をまとった可憐かれんなドレスが体を飾る。真っ白な手袋は細い指をかくし、真っ赤なハイヒールが屋根のきわんでいた。


 そんな派手はで衣装いしょうであるのに、顔の印象いんしょうはわからない。なにかを目に着けているようだが、脳裏のうりにそれが焼き付かず、少女らしい・・・・・顔を目撃しているのに、その顔を覚えられない――!


「誰だ貴様、名を名乗れっ!!」

「――あとでぶんなぐって忘れてもらうことになりますが、よろしいでしょう! あなたがたに名乗るような無価値な名前ではありませんが、特別に教えて差し上げます!」


 左手には銀色の拳鍔メリケンサックを握り込み、右手は怜悧れいりなレイピアを抜き放っているその影――薄桃色のドレスをまとった少女の剣士は、聞く者全ての心に響き、震わせるような美しい声で、いい放った。


「我が名はリロット!

 王都エルカリナに聞こえし、名高き快傑令嬢リロット!

 弱きを助け、強きをくじく正義の剣士!

 このレイピアの一閃いっせんを恐れぬ者は――かかって来られなさい!」


 薄桃色のドレスの剣士が、銀の軌跡きせきいて夜の空にい上がる。

 白く冷たい輝きの月を背中にして、流星のように風を切る彼女は、どこまでも美しくほこっていた――。

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