エピローグ――快傑令嬢よ、永遠に

「異国の港にて」

 おだやかな春の季節が名残なごりしくも過ぎ去ろうとし、ほのかなし暑さを感じる初夏しょかむかえようとする北半球とはちがい――南半球に位置するこのキプチェカの港街は、晩秋ばんしゅうを越えて冬に入ろうとしていた。

 王都エルカリナのちょうど裏側に経度けいど緯度いどを定める、大きな港街の一角。


 エルカリナ暦四五四年、六月五日。

 あの華々はなばなしい結婚式から、二ヶ月を数えようとしていた。


「んにゃー」


 冬に向かってじりじりといずって近づいていくような気配をまとった太陽が、西の岬越みさきごしの海に沈んでいく。

 そんな夕日が放つ最後の残光ざんこうす中、くしのように岸壁がんぺきからえてびる桟橋さんばしのひとつに、真っ白い船体を茜色あかねいろに輝かせた『森妖精の王女号』は停泊ていはくしていた。


 そんな船の後甲板こうかんぱんに、ほぼ同じ姿をした二人のちびっこいメイド服姿のエルフが並んで座り、かたわらに大きなおけを置いてそれぞれに釣り竿ざおを握っている。

 二人の前には海岸を満たすように停められている百数十隻の船の姿が整然と並び、ここがかなりにぎわう港街であることを示していた。


 まるで一幅いっぷくの絵画であるかのように、その景色は動かない。時折ときおり吹く風と、たまに飛んでくる白いカモメの姿が、それが現実の様であることを教えていた。


「お」


 二人のちびっこいメイドのうちの一人――クィルクィナが、引きついた浮きの感触に放心していた気分を取り戻し、反射的に竿を引いた。

 ね上がるように水面から飛び出した針の先には、なにも食いついてはいなかった。というか、付けたえさもなくなっていた。


「あーあ」


 目の前で振り子のように揺れる針と釣り糸を見て、クィルクィナはそのまん丸の目をひしゃげさせるようになげいた。


「まーた食われちゃった。この海の魚、ちょっとかしこすぎない? もう何時間も餌を食われっぱなしだよ?」

「……下手っぴ」


 ぶつくさいいながら次の餌を針に付けるクィルクィナの隣で、いったん姿勢をさだめたら置物のように揺るぎもしないスィルスィナがらしている竿の浮きが、ぴく、ぴくと震える。


「釣りというのは、こう」


 機械のように正確な動きでスィルスィナが竿を引く。海面が乱れてざばりという水音が響き、波を立てて獲物えものが飛び出した。

 両手でかかえられるくらいの黒い物体が水をしたたらせながら二人の前で揺れる。普段ふだんは半目以上に開かないスィルスィナの目が、さらに細められた。


「ああ、こりゃあ結構な獲物だねぇ」

「…………」


 本革ほんがわの立派な作りであったらしい、くたくたな長靴ながぐつを針の先から外してクィルクィナは歯を見せて笑い、スィルスィナは器に入れていた餌を全て海面に投げ入れた。


「……この海の魚は、根性が悪い」

「ま、いっかー。別に食べるものにはこまってないしね。これも功徳くどく功徳。めぐまれている者から恵まれない者に奉仕ほうししなきゃ」


 クィルクィナも双子の妹にならい、餌を海面に投げ入れる。途端とたんに海面が激しく泡立ち、その下で魚たちが喜んでいるのが想像できた。


「それにしてもニコルきゅんやリルルお嬢様たち、遅すぎない? 予定だったらもう昼間には着いて、とっくに出港してるはずだよ? もう日がれちゃうじゃんか」


 先端せんたん灯台とうだいが建つ細い岬の向こうで、そのしりを着けようとしている太陽を見ながらクィルクィナは甲板に背中から寝っ転がった。

 ゆるやかなえがく海岸線に建物が並ぶ港街のあちこちで、照明がともされ始め、クィルクィナの隣でスィルスィナも、いつもの半目を見せて同じくぱたんと寝転がった。


「どこで道草食ってんだろ。まあ別に全然急ぎじゃないからいいけど、待ってるのは退屈たいくつだなー」


 クィルクィナとスィルスィナは同じ顔の、全く違う表情で暗い空を見上げ、一番星を見つけた。

 ニコルとリルルはこの地に新婚旅行の行程こうていの一部として三日前に到着し、フィルフィナとロシュをともない内陸に向かって進んで行った――今日の昼には戻ると言い残して。


 世界を船で一周する新婚旅行はすでに一ヶ月をついやし、ほぼ予定通りに日程にっていを消化していた。とはいえ、旅行中のいざこざは頻発ひんぱつし、力技で予定をなんとかこなしている状況だ。


「ま、ニコルきゅんとリルルお嬢様がそもそも事件を呼ぶ体質だし、フィルおねーちゃんはそれを止めるようでなんだかんだで加速させる性格だからね。三人とも強いし、ロシュもいればおねーちゃんに拳銃か」

「……ここらへんでは『鬼に金棒かなぼう』という……」

「大丈夫だと思うけど、今晩のあたしたちの晩ご飯が問題だなー。お腹いたしさ。すれ違うのも嫌だけど、せっかくこんな所まで来たら屋台のものですますのはしゃくなんだよねー」

「……クィルは、どこに行っても食べることばかり……」

「それは否定しないけどさー、そのおかげであたしの料理の腕が神で、スィルも美味おいしいもの食べられてんじゃんか。あたしは美味しいもの食べるために冒険者やってたんだよー。里で料理しようなんて発想のエルフいなかったからさ。だからおねーちゃんもシチューしか作れないんだ」

「……来た」

「んあ?」


 スィルスィナのつぶやきにクィルクィナが起き上がり、視線をめぐらせた。

 もうかなり暗がりになってきた桟橋区域、頑丈がんじょうに組まれた板と板の連結の上を二頭の馬とそれにまたがる三人、そして手綱たづなを引いて口取くちとりをしている一人の姿が見えた。


「あーっ、もう遅いじゃんかー! 半日も遅刻ちこくしてるよー!」

「ごめんごめん」


 二頭の馬のうちの一頭、黒毛の巨馬きょば――ヴァシュムートに跨がったニコルが笑顔を見せる。とても一国の王には見えない旅用の身軽な服に身を包んでいて、腰の細剣レイピアだけがかろうじて騎士らしさを主張していた。


「ちょっと騒動そうどうに巻き込まれてね。アシュタルの街に出た山賊さんぞく退治たいじしてたの」


 そのニコルの背に肩をくっつけるようにして横乗りをしているリルルが微笑ほほえむ。厚手あつでのツーピースドレスは地味じみげ茶色で、かぶっている鍔広つばひろ帽子ぼうしの白さだけがかざり気となっていた、


「問題ありません。ロシュがニコルお兄様たちを守りました。全く問題ありません」


 黒い戦馬せんばに並んで歩く栗色くりいろの細身の馬、ロシュネール。そのロシュネールの愛称あいしょうを名に持つ少女であるロシュが、栗色の馬の手綱たづなを握って引いて歩いている。実用的な長袖ながそでのシャツと動きやすいズボンに色気のないマントというあまり少女らしくない出で立ちは、いかにも旅人という風情ふぜいを全身から見せていた。


「巻き込まれたというか、自分から飛び込んでいったというか……もう、行く先々で問題ごとに首を突っ込むんですから、気が休まるひまがありませんよ」


 ロシュネールの背には、フィルフィナがその小柄な身をちょこんと乗せている。見慣みなれたメイド服にエプロンという、これだけはゆずれないという完璧かんぺきにいつもの格好だった。


「でも、困ってる人を見たら助けないといけないじゃない。放っておけないでしょ?」

「おしのびの新婚旅行という約束でしたよね? 行き先々で名乗りまくってるから全然お忍びじゃなくなってますよ。この前なんか、うわさ話の方がわたしたちを追い越していたじゃないですか」

人相にんそうでこちらの名前をいい当てられた時はさすがにびっくりしたね」

「そりゃ目立つよ。特におねーちゃん、そんな格好で色んなとこうろうろしているメイドなんていないんだから、おねーちゃんが目印になってるようなものじゃん」

「わたしにこれをげというのですか。クィル、また蓑虫みのむしの刑にしょされる覚悟かくごがあるのですか」

「…………お腹空いた……」


 きゅるるるるるるる…………と、本人の口よりも強い主張が、スィルスィナのお腹から響いた。つられてクィルクィナのお腹も同じくらいの音をかなで上げる。その遠慮えんりょのない音に、ニコルは笑うしかなかった。


「あはは。みんなお腹空いているんだね。僕たちもまだ夕飯を食べてないんだ」

「あたし、今から夕飯作るの嫌だからねー。なんも仕込みしてないんだもん。外食以外は断固だんこ反対するよー」

「外食させないとはいってないではないですか、このエルフが」

「…………サフィーナお嬢様も連れてくればよかった」

「親友とはいえさすがに他人ひとの新婚旅行についてくるのは、心臓が相当強くないかしら?」

「サフィーナは苛立いらだちを快傑令嬢サフィネルになって晴らしていることでしょう…………って、今、結構とんでもないことに気が付いたのですが……」

「なぁに、フィル?」


 リルルの軽い問いかけに対して、フィルフィナのひたいにはい影が下りていた。


「サフィネルの援護サポートは誰がしているのです? 本来の援護役えんごやくは二人ともここにいますよね?」

「ああ、それ」


 なんだそんなことかといわんばかりの気軽さで、クィルクィナはとんでもないことを口にした。


ママウィルウィナが援護についてるよ」

「今すぐ帰りましょう!」


 ふところから緊急きんきゅう転移鏡てんいかがみを描くペンを取り出したフィルフィナを、ロシュが背中から優しく羽交はがめにした。


「あの駄々エルフに快傑令嬢の援護役をさせるなど、なにが起きても不思議じゃありません!」

「大丈夫だよー。なんにも保証できないけどさ」

「ウィルウィナ様なら心配ないよ。僕も保証できないけど」

「ああっ、もう、みんなそろってあの破戒はかいエルフをわかってない! あれは手段のためなら目的を選ばないエルフなのです! 今頃いまごろどんな野望をいだいてふくみ笑いしていることやら!」

「あははは」


 ヴァシュムートから飛び降りたニコルは、馬上のリルルに手を差し伸べる。その手を受けて眼が合ったリルルはにっこりと笑い、ニコルの胸に飛び込むようにして桟橋に降り立った。


「まあ、ヴァッシュとロシュを船に上げてからなにか美味しいものを食べに行こう。まずは二人に水を飲ませてあげなきゃ。クィル、水と補充ほじゅうしてくれたかい?」

「だいじょうぶだよー。あたしたち待ってる間にここら辺の料理屋探しまくって、美味しそうなところ見つけたんだ。お値段はかなりするから、ニコルきゅんのおごりで食べるからね!」

「いいよいいよ、それくらい」

「まったく、食い意地が張ってるエルフなんですから……ニコル様、申し訳ありません。全然しつけが行き届いてなくて……全てこの姉の責任です、お許しください」

「ははは。旅行に付き合ってもらってるんだ。これぐらいでお返しできるなら安いものさ」

「さあ、なにをグズグズしているのですこの駄妹だいもうと! さっさとヴァシュムートとロシュネールを船倉せんそうに移動させなさい!」

「はぁ~い」「…………了解」


 白い船体からタラップが降り、桟橋につながったそれにヴァシュムートが足をかけ、甲板から飛び降りてきたクィルクィナとスィルスィナがヴァシュムートのしりを押して甲板に上げる。


 そうしているうちに港の管理者らしい若者が走って来て、桟橋に並ぶ柱に取り付けられた照明にあかりをともしていくのとすれちがう。遠くの桟橋でもまるでほたるが光るようにあわい光が輝き、リルルは帽子ぼうしつばを手で押さえながら夜の港の光景に視線を向け、目を細めた。


 風の方向が変わる。今まで海から流れて来たものが、陸の方からの流れに変わる。やや冷たささえ感じる異国の風にリルルは顔をほころばせた。


「――いい風ね……」

「うん。同じ港でも、王都とはちょっと違う肌触はだざわりだ」

「ニコル、無理をいってごめんなさい」

「無理?」


 ニコルは新妻にいづまの言葉に、きょとん、とした顔を見せた。


「世界を一周したいなんていって、二ヶ月もかかる旅行をいい出して」

「ああ……」


 フィルフィナとロシュがロシュネールを甲板に上げていく。その様を見ながらニコルもまた、目を細めた。


「これくらいなんてことはないよ。それに島の仕事が始まったら、旅行になんか行けなくなるくらいいそがしくなるからね……。僕も、王国の領地から出たことはないんだ。リルルがいい出してくれなければ、外国なんて一生目にすることはなかったかも知れない」

「そうね……」


 リルルが微笑ほほえんでいる――いつもとは、わずかに違う色をくちびるはしに浮かべて。


「特に……私の方はこれから、なかなか旅行はできなくなると思うし……」

「えっ?」


 その声にみょうふくみの気配を覚え、ニコルは首をかしげた。

 夜をむかえ、船の行き来も途絶とだえて静けさの中にひたる港街に、濃度のうどを増す夜のとばりを突き破るようなするどい声が上がったのは、そんな時だった。


「助けてぇ――――!!」

「っ」


 遠くから聞こえたうら若き女性のものらしい悲鳴に、ニコルとリルルのあごが、跳ね上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る