「ありがとう、みんな――」

「おめでとう、リルル。おめでとう、ニコル」


 最初の段の右手には、ゴーダム公爵家一家の面々が並んでいた。ゴーダム公エヴァンス、エメス夫人、付きしたがうアリーシャ――そして、サフィーナ。


「よかった……本当によかったわね、ニコル、リルル……この日が来て……」

「ありがとう……サフィーナ」


 紫陽花あじさい色のドレス――快傑令嬢サフィネルのドレスを着たサフィーナが目をうるまませながら口にした祝辞しゅくじに、リルルもまた涙に潤む目を向けてこたえた。


「今日のリルルは、もう、最高に綺麗きれいね……。いい? 私がニコルをあげるんだから、別れちゃダメよ」

「もう、結婚式までそのネタ引っ張ることないじゃないの。――でもサフィーナ、あなたには本当に感謝の言葉もないわ。私とこれからも……」

「友達でいるに決まってるでしょ」


 サフィーナが軽くリルルに抱きつき、リルルは肩を抱き返して、それを受け止めた。


「逃げようとしても無駄よ。絶対に離れないから覚悟かくごしてて?」

「あははは……」


 そんな、少女同士の友情がほこかたわらで、父と息子の語らいが展開していた。


「ニコル、ついに念願ねんがんを果たしたな」


 正装せいそうのゴーダム公が目を細めてほおを緩め、その隣で淡いベージュのドレスをまとったエメス夫人が、いつまでもれ続けるハンカチを目に当てていた。


「ニコル、おめでとう。我が子を婿むこに出すような気分ですよ。け――結婚生活でわからないことがあったら、いつでも母に聞きに来るのですよ。母は結婚において、あなたの先輩せんぱいなのですから」

「父上、お母様。ご参列いただき、まことにありがとうございます。これからもこのニコルに、そして妻のリルルに、いつまでも変わらぬ愛情をおそそぎに」

「注ぎます、注ぎますよ、これ以上に。リルルさん、ニコルをよろしくお願いしますよ」

「はい、エメスのお母様――」

「じゃあリルル、私はあとについていくからね」

「――うん」


 左手に顔を向ける。

 そこにはログトとソフィア、ローレル、そしてロシュの姿が並んでいた。

 ログトはすでに、涙腺るいせん千切ちぎれたように泣いていた。一枚目のハンカチがそれ以上涙を吸えなくなって、二枚目にえたところだった。


「リルル、おめでとう。ニコル、ありがとう。この素晴すばらしい結果は、お前たちふたりの努力のたまものだ。よく、こんなつまらない父親のつまらない想おもいを乗り越えて……」

「それはもう、いわない約束じゃないですか。父さん、来てくださってありがとうございます。父さんの祝福をいただけることが、僕のなによりの喜びです」

「お父様、なんだかしょぼくれてしぼんでしまっているように見えるわよ。領地のことが大変なんだから、け込んでるひまなんてないんだからね」

「あ、ああ、ああ。そうだな。私の仕事はこれからだ。ニ、ニコル。リルルと、幸せな家庭をきずいてくれ。それは国をつくるのと、領地を経営するより大事なことなのだから……」

「はい、父さん」

「ニコル、リルル、しっかり二人で手を取り合ってがんばるんだよ」

「早死にするんじゃないよニコル。アーダディスの男が早死にするのは、二代で打ち止めだからね」

「母さん、ばあちゃん、ありがとう。絶対に幸せになるから」


 精一杯に着飾きかざったソフィアとローレルが、目尻に涙を浮かべながら並んでいた。


「ニコルお兄様、リルルお姉様、ご結婚おめでとうございます。……ロシュはこんな場合、気のいた語彙ごいとぼしく……」

「いいのよ、ロシュちゃん。気持ちは伝わったわ」


 余所行よそゆきのドレス姿といった服装のロシュが笑顔の中に恐縮きょうしゅくを見せ、リルルとニコルは笑顔の輝かしさでそれを払った。


「大丈夫だよ、ロシュ。言葉はらないんだ。さ、ロシュもついてきて。打ち合わせどおりにね」

「はい――」


 ニコルとリルルは歩を進め、階段を降りる。

 いつの間にか露払つゆばらいのようにふたりの前に回ったフィルフィナたちが、幸せを降らせるように花吹雪を撒き続ける。明るい陽光を受けてきらめく新婚たちに、階段脇からあたたかい声が投げかけられる――大勢の人々がいる。大勢の、親しい人たちがいる。


 ウィルウィナ、ミーネ、メリリリア、ティータ――フィルフィナはティータとわずかに目を合わせ、微笑ほほえんで会釈えしゃくし合った――ノワール医師、ラシェット、ジャゴじいさん、『快傑令嬢リロット同好会』の三人も肩を並べて大きく手を振っている。


「みんな」


 シーファにメイリア、奥にひかえるようにフェレス、ティーグレにイェガー、アヤカシ、アカサナ……最初期に一緒になって島に渡った亜人あじんの大人たちが、それぞれに拍手はくしゅをしている。


「――みんな」


 人影にかくれるように立つカデルが白い仮面を外して一礼をし、リルルは微笑んで手を振った。


「みんな、ありがとう――」

「リルルさまぁ~~~~!!」


 正装したティコが上げた両腕を振って自分の存在をしめす。その手に頬をたたかれてダージェが大きく顔をしかめた。


「ニコルさまぁ~~~~!! どうか、どうかお幸せに~~~~!!」

「……ったくこのガキ、目立とうとしやがって――おい、リルル、よかったな! ニコル、クソ童貞どうていの名はさっさと返上しろよ! 結婚してそっちでヘタれてたら模擬戦もぎせんやらせるからな!」

「ティコくん、ありがとう。ダージェ、気をつかってくれてありがとう」

「はっ、さっさとぼこぼこガキ作れよ。人間の得意技だろ。できたら遊び相手してやるからな」

「ダージェったら結婚式までその調子なんだから。――でも、ありがとうね。四番目に好きよ」

「三番目じゃなかったのかよ!?」

「ふふふっ」

「ニコルおにいちゃん王さま、リルルちゃん王妃さま、おめでとうございまぁ――――す!!」


 島の子供たちの二百人以上が、階段のわきに壁ができあがるほどの大きな列を作っていた。


「ありがとう、ありがとう、ありがとう――」


 王都の街の仲間たちもたくさん並んでくれていた。ニコルの兄貴分のエクジュとイージェが笑っている。その向こうにはニコルが騎士見習い時代を過ごしたゴーダム公爵騎士団の先輩たち、ゴッデムガルドの知人たちが駆けつけてくれている。


「ニコルにいさま、ご結婚おめでとうなの」


 ゴッデムガルドでニコルが可愛がっていた小さな女の子、コノメがニコルに駆け寄り、ニコルのえりに小さな花を一輪いちりんした。


「ありがとう、コノメ。わざわざ来てくれてありがとう――」

「リルルさま、おめでとうございますなの。ニコルにいさまを、お願いしますなの」

「コノメちゃんね。ニコルから話は聞いているわ。近くに寄ったら、いつでも遊びにいらっしゃい」

「はいなの」

「ニコル――――!!」


 声に視線を向けると、王都警備騎士団の巨大な団旗だんきが、ばっさばっさと音を立てて振り回されていた。その旗の下で、白い胸甲きょうこうを着けた五十人ばかりの男たちの一隊が、あらん限りの大声を張り上げていた。


「結婚おめでとう――!! たまには古巣ふるすに帰って来いよ――!!」

「リルル様もおめでとう――!! たまにはお手合わせをお願いします――――!!」

「あはは」


 かぎりなく親しい顔ぶれにニコルもリルルも笑ってこたえる。花吹雪がい続け、場をはなやかにかざり続ける。


 三千人の祝福に送られながら、ニコルとリルルは二百段の階段を降り終わり、エルカリナ城の正門をくぐった。城の内城壁うちじょうへきかこむようにして広がる広大な薔薇バラ園、『朱紅あか回廊かいろう』と名付けられたその庭園をつらぬく大通りに、大勢の群衆に取り囲まれて一台の馬車が待っていた。


 二頭立ての馬車だった。座席の上にも屋根がない、行列行進パレード用の馬車にはヴァシュムートととロシュネールの二頭がつながれている。ニコルはその二頭の頭にはさまれる位置に立ち、愛馬たちの頬に自分の頬を寄せた。


「今日は頼むよ、ヴァッシュ、ロシュ」


 ヴァシュムートとロシュネールがそれに応え、ニコルの髪を鼻でくすぐる。その間にロシュが御者台ぎょしゃだいに乗り込み、サフィーナとフィルフィナたち三姉妹は馬車の後部に乗り込んだ。


「ニコル」


 馬車のステップの前にリルルが立つ。そのリルルに、先に乗っていたニコルが手を差しべた。


「さあ、どうぞ、我が王妃」

「――ふふ」


 ニコルの手を取り、リルルは馬車に乗り込んだ。高い位置の座席に座る二人の姿は庭園につどう誰の目にもうつり、はなやかで若々しく――そしてなにより、まさに春風に相応ふさしいあたたかさをただよわせる幸せそうな姿に、誰もがしみない歓声と拍手を送った。


 大階段に参列していた人々が降りてくる。無数の喜びが声となり湧く。人々の目が輝いている。

 薔薇園の中も、薔薇園に入れずその周辺にあふれ出た人々の顔にも、笑みがほこっていた。

 王都エルカリナがきらめいていた。どんな宝石よりも美しく眩しく。心という宝が光っていた。


 行く手には人の海、波、海、海――。誰もが笑っている。誰も彼もが笑っている。

 今日ほどに王都が笑顔に包まれた日はないだろう。今日ほどに王都が幸せに包まれた日はないだろう。


「――ニコル、私、この日を死ぬまで……いいえ、死んでも忘れないわ…………」

「僕もだよ、リルル……」


 声が、口笛くちぶえが、誰かが鳴らしている管楽器が音を上げる。王都に暮らす百六十万人、いや、衛星都市の百四十万人も押しかけている王都の街は、道路はもちろん、建物という建物の窓や屋上からも、今にも人がこぼれそうだった。


「ニコルお兄様、出しますか」

「ああ、ロシュ、でも、もう少しだけ待ってくれないか。少しだけ……」

「クィル、スィル、花吹雪はいくらでもあります」


 王都の主要な大通りを巡る馬車の行列行進パレード。おそらく日が出ている間ずっと走り続けることになるだろう。それを覚悟してサフィーナは、自分専属の双子のエルフメイドに訓示くんじした。


「リルルとニコルのために遠慮えんりょなく撒きなさい。春の嵐のように、幸せをみんなに撒くように」

「……わかった、サフィーナお嬢様」

「でもさー、あとで掃除が大変じゃん? 大丈夫?」

すで清掃局せいそうきょくとは話をつけてあります。じゃんじゃんやってくれとのことです」

「なんだ、フィルおねーちゃん、さすが手回しがいいねー」

「当たり前です。わたしを誰だと思っているのですか。――では、ニコル様、お嬢様」

「フィル。もう私は立派な王妃なのよ? お嬢様はそろそろやめてもいいんじゃない?」

「いいのです。お嬢様はお嬢様のままで」


 高い座席から振り返って顔を向けるリルルに、フィルフィナは目尻めじりの涙を指で弾き、いった。


「……フィルにとっては、ずっと、ずっと、お嬢様に変わりはないのですから……」

「――そうね。フィル、これからもよろしくね……」

「はい」


 アイスブルーとアメジストのひとみが、微笑み合う。そんな二人の、目に見える心のつながりを目の当たりにし、ニコルもまた微笑み――変声期を忘れた美しい声を張り上げて、さけんだ。


「じゃあ、行くよ――! ロシュ、馬車を出して!」


 二頭の馬がいななく。馬車の車輪が動き出そうと震える。観衆がどっとく。かつてこの街が闇に閉ざされていたとは信じられないほどの歓喜かんきの心が、風に乗って街に走る。

 合図のように時計台のかねが鳴り、人々が走り出す――空をぼうと思えば、翔べてしまう足取りで。


 高い座席にニコルとリルルが立ち上がる。その溌剌はつらつとした姿で大きく手を振る。

 にぶく回り出した車輪が一回転した時、がたん、と小さくない揺れが馬車をおそった。


「きゃ」

「おっと」


 リルルの手が、愛する夫の肩にしがみつく。ニコルの腕が、愛する妻を包み込む。


 フィルフィナがサフィーナが、クィルクィナがスィルスィナが撒いた花びらが、二人を無限にかざった。


「ニコル」

「リルル」


 その震動に合わせたかのようにふたりは顔を寄せ、また、幸せな口づけを交わした――。



   ◇   ◇   ◇



 当時から著名ちょめいな旅行者としても知られ、偶然ぐうぜんに王都をおとずれていたカドューズ首長国しゅちょうこくの若き貴族、ハルメット・ヴィン・ジャドー男爵は、その日の日記の最後に『この世で最も輝かしいものを見た』という一文をしるした。


 そして、同時に興味深い記録がある。

 この日にかぎっては、エルカリナ王国が統計を取り出して以来、史上初めて、王都エルカリナにおいての犯罪発生件数が、ゼロ件を記録したという――。

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