「式典」

 エルカリナ暦四五四年、四月十五日。

 リルルが目覚めてから、半月――。

 その日は、エルカリナ王国の歴史において、特に祝福される日として記憶されることとなった。


「よいしょ」


 エルカリナ城最上層の玉座ぎょくざにおいて、国王の最上級の儀礼服ぎれいふくに包まれ、丸い体がますます丸く着膨きぶくれたコナスが、自らの手で黄金のかんむりを自分の頭にせた。

 彼が着ている、身動きができるかあやしいくらいに分厚い羅紗ラシャのフロックコートの胸には、由来不明ゆらいふめい勲章くんしょうが十数個並び、羽織られ絨毯じゅうたんに引きずるほど長いマントの下にも十何個がかくされているようだった。


 完全に服に着られているといった、お世辞せじにもサマにはなっていない姿だが、見ようによっては可愛かわいげがないでもないことに、周囲の反応は悪くはなかった。


 そんな新国王に対し、祝いの使者として急遽きゅうきょ派遣はけんされてきた二十数カ国の外国の高官が、ひとりずつコナスの前でありふれた祝辞しゅくじべて回っていた。


「――陛下、戴冠式たいかんしき式典しきてんは、この玉座の間だけで終了なのですか?」


 使節のひとりが質問する。いやに簡素かんそではないか、という裏の言葉が伝わるのを承知のその無礼ぶれいを、コナスは笑顔で見事に流した。


「その通りである。なにぶん財政ざいせいきびしい。貴国きこくと同様にな。なにごとも簡略化かんりゃくかさせていただいている」

「……しかし、お城の前でちらと見たのですが、行列行進パレードの用意がされていて……あれは、陛下のものの用意ではないのですか?」

「ああ、貴公きこうはこの後の予定を知らされていないのか。まあ、そのうちおわかりになるであろう」

「はあ」

「それに前座・・に金はかけられないものであるからな――」

「はあ?」

「次の方! レキシード王国大使殿!」


 司会の進行により、まだ納得ができない使節は首をひねりながら離れる。

 玉座に座り満面の笑みを顔の筋肉で支えるコナスは、頭にかかる純金の重さに耐えながら、こめかみから流れようとする汗を気合いで止めていた。

 頭の上からのし掛かってくるこの重りを、一分一秒でも早く外したかった。


「コナス陛下、とてもお似合いでございます」

「そ、そうですか?」


 最後の使者――いや、一国の君主本人の淑女しゅくじょ微笑ほほえみながら、にこやかに讃辞さんじの言葉をべた。炎の色を想起そうきさせる真っ赤な髪が周囲の目を引き、真っ赤な目、真っ赤な唇――深いあおに近い肌が胸元にまであらわになったドレスもまた、あかい。


 きわめつけのようにひたいから生え、後方に大きく折れた二本の角は、魔界にむ竜の眷属けんぞくを連想させ――実際彼女は、魔界の竜の眷属だった。


 参列した外国使節の面々が、汗を浮かべ強張こわばった顔で、その光景をまばたきもせずに見守っている。


 全世界の国々、様々な民族出身の使者が勢揃せいぞろいしているはずのこの場においても、その女性の存在感は完全に群を抜いていた。


 魔界からの使者――魔族の高級使節がこの公式の場にいるということは、この王国においては、魔族は人間と等しい立場であるという、地上においてはかつてあり得なかった事実を意味していた。


「ええ、わたくしは、陛下に対してはうそもお世辞も申しません。ご立派な戴冠式たいかんしきでございます」

「助かりました、モーファレット女王陛下。貴女あなたのご臨席りんせきたまわり、自分は本当に……」

「あら、陛下ったら、余所余所よそよそしい。――モーファとお呼びしてほしい、と申し上げたではありませんか……」

「は、はは、ははは……」


 つややかな流し目の直撃を浴びて、本日正式に王位にいたコナス一世は、かわいた笑いを浮かべた。


 周囲の外国使節たちがどよめく。コナスの戴冠式に出席するというよりは、目の前にいる魔界の女王の姿を確認しに来たという意味合いの方が大きかった。エルカリナ王国は魔界と平和同盟を結び、経済的な結びつきを強める――は建て前で、軍事的な条件が入っていないはずがない。


 エルカリナ王国と魔界の親密しんみつさの度合どあいを調べよ、というのがそれぞれの母国から受けた指示だったが、使節たちの頭の中では『極度に親密である』という認識で一致いっちしていた。


「さあ、これで前座・・は終わりであるな」


 コナスはうなずき、戴冠式の終了をげた。そのまま玉座の間にまっすぐにかれた赤い絨毯じゅうたんの上を歩きバルコニーに出、標高百五十メルトという高さから眼前に広がる王都の街並み――そこに住まう人々に向けて、設置されている集音器マイク越しに呼びかけた。


「それではお待たせしたね!」


 外国使節陣がぶっとき出す。今まで自分たちに向けられていた声と口調と全くちがう呼びかけだったからだ。


「前座は無事終了、ここから先はみなさんお待ちかね!

 アーダディス騎士王国の国王、ニコル・ヴィン・アーダディス国王陛下と!

 リルル・ヴィン・フォーチュネット王妃陛下の!

 結婚式・・・の開幕を宣言するよ!」


 今まで気配も感じさせずに最上層バルコニーの脇にひかえていた数十のトランペット隊が、その輝かしく華やかな音色を高らかに青空に放ち、王都の全域に届けとばかりにファンファーレの旋律せんりつかなで上げた。


 エルカリナ城の一階の門が開かれ、重厚な意匠デザインの軍服の上に銀色の胸甲きょうこうを身につけた赤マント姿のニコルと、快傑令嬢リロットのドレスを身にまとい、色鮮やかな花々で飾られた純白のウェディングベールをなびかせたリルルが、二人並んで白日の元に身をさらす。


 それを待ち受けるように二百段の広い階段には、ニコルとリルルが知る人々が三千人、脇に並んで道を作り、真っ赤な絨毯じゅうたんの花道をかざっていた。

 ニコルとリルルが人生の中で関わってきた、街と島の人々だ。


 メージェ島の島民全員がこの日のために王都に渡り、世界一の城の元で行われる結婚式に、そのいっぱいの歓声かんせいで花をえていた。


「ニコル国王陛下、バンザイ!」「リルル王妃陛下、バンザイ!」

「ニコルお兄ちゃん陛下――!」「リルルちゃん王妃さまぁ――!!」


 老いも若きも男も女も、人間や亜人あじんや魔族の区別なく、幅の広い段の両脇に列を作ってめいめいに精一杯着飾った姿で、祝いの声を上げている。その階段の先には王都の市民たちが正門の前に人の大海を作り、地響きそのものに街中を揺るがすような声を放っていた。


「みんな、みんな、ありがとう」


 明るく微笑ほほえんで、ニコルが手を振っている。その隣では、やはりリルルが優しげな微笑みで手を振りこたえている。


「ありがとう、ありがとうみんな! みんな――みんな、大好きよ!」


 その二人の後ろでは三人のエルフのメイド――フィルフィナ、クィルクィナ、スィルスィナたちが花びらが盛り上げられた大きなかごを抱え、中の花びらを派手に巻き上げていた。


「――やっと、お預けになっていた島での結婚式の続きが、やっと、やっとできますね……」


 大階段の最上に設けられただんの上に立った、白い法衣姿のエヴァが微笑みかける。そのエヴァの語りかけを受けてニコルとリルルは顔を見合わせ、照れくさそうに笑い合った。


「あの時は、キスさえできればちゃんと終われたのに。しかったよ」

「いいじゃない、ニコル。そのおかげで、こんな素敵すてきな結婚式がげられたんだから――」

「うん」


 それも、敵の襲撃しゅうげきおびえながらの式ではない。

 どこまでも平和で、安らかで、すこやかな、王都でのこれ以上は考えられないという、本当に素晴すばらしい式――。


「――指輪の交換を」


 式の進行をつかさるエヴァの言葉が流れ、ニコルとリルルが指輪を交換し合う。


「それでは、ちかいのキスを」


 エヴァのその言葉を聞いたニコルが、途端とたんに反射的に筋肉の全てを一直線にばして、普段ふだんは目立たない喉仏のどぼとけが親指の先の大きさほどに一瞬ふくらみ、固唾かたずが音を立てて飲み下された。


「ニコル、じ気づいちゃダメよ」

「わ――、わ、わかってるよ、リルル……」


 目の前の百万の大軍に対しも単騎たんきり込むことをいとわない少年が顔を真っ赤にするのに、リルルもエヴァも、それをかたわらから見守るフィルフィナたちも、笑顔をますますゆるませずにはいられなかった。


「僕だって男なんだ。ちゃ、ちゃんとめるべきところは、締めて見せ――」

「ああ、もううじうじして。あとがつかえているんですから、ささとちゅーしちゃってください。――では、このフィルが助け船を」


 フィルフィナはニヤリと笑い、ことさらにかしずいた格好でべた。


「ニコル様、足元にネズミがいますよ」

「えっ? わあっ」


 足元を見ようとニコルが体を前にかたむけた瞬間、全部を見越していたリルルが目を閉じながら体を前に押し出す。

 前に出ようとするニコルのくちびるを、目を閉じたリルルの唇が、これ以上もなくやわらかく受け止めた。


「目を閉じなさい――命令です」

「はいっ」


 リルルに命じられるままにニコルは目を閉じ、誓いのキスは、完成された。

 瞬間――到底とうてい数え切ることができない手が打ち鳴らす、万雷ばんらいごとき拍手が鳴り響いた。

 下世話げせわ口笛くちぶえが無数に飛び、はるか上方のバルコニーではコナスにったモーファレットが耳元になにかをささやき、コナスがあせって飛び退いていた。


「ここに女神・・の名において、ふたりを正式な夫婦と認めます――おめでとうございます、ニコル陛下、リルル陛下……いえ、ニコル、リルル……」


 両眼から流れ落ちる涙を見せながらも、口上こうじょうを少しも乱さずに、エヴァは式を締めくくった。


「ありがとう、エヴァ。君に式を取り持ってもらえて、本当にうれしいよ」

「私もよ、エヴァ。親友のあなたに出会えたこと、心から感謝しているわ……」

「お二人とも、お幸せに……。私はそれを、毎日祈っていますから……」

「――大好きよ、エヴァ」


 リルルが手のブーケを胸にかかげて見せる。エヴァが自分の涙の重さに耐えきれず、目にハンカチを当てわずかに姿勢をくずしたのは、この瞬間だった。


「さあ、行こう、リルル」

「ええ、行きましょう、ニコル」


 ニコルとリルルは手をつなぎながら壇上だんじょうから降り、赤い絨毯が敷かれた二百段の階段を下りようと歩を進める。その後にエルフの三人姉妹がしたがい、無限むげんき出る花吹雪を、一面に降り注ぐ雪のようにき散らしていた。


 知っている顔、顔、顔――若き二人の門出かどでを祝う人々が、新しい笑顔と共に、新しい歓声かんせいを上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る