「十七歳の誕生日」

 一昨日いっさくじつおどろく量の積雪せきせつをもたらし、王都を一面の銀の世界に閉じ込めた大雪は、昨日の晴天の陽射ひざしとぐんぐん上がる気温によってまたたく間にかされ、今朝には雪のひとかけらも残されてはいなかった。


 溶けた雪は街のホコリも一緒に流し、王都の全てが洗われて、朝の光にキラキラと輝いている。


 通りという通りをくしていた出勤時間の混雑こんざつが去り、軍服姿のニコルは小脇こわき花束はなたばかかえた格好でロシュネールにまたがり、午前九時の石畳いしだたみの通りを進んでいた。

 水がはけた目地めじの石畳も綺麗きれいな表面を見せ、蹄鉄ていてつの音を小気味こきみよく響かせる楽器となる。


 道行きすれ違う人々はその少年騎士といった風情ふぜいのニコルを見て軽く会釈し、ニコルもまた笑顔でそれに応える――この少年が一国の王であるということに気づく者はいなかった。

 ただ、その若々しく颯爽さっそうとした雰囲気ふんいきに、視線を引き寄せられるだけだった。


 西の住宅地から大運河にかる大鉄橋を渡り、ニコルは軽やかな速度でロシュを東に走らせる。

 大鉄橋を渡り切ってからフォーチュネット邸にいたるまでは、数分。ニコルは自分のものとなってひさしい屋敷の門の前にたどり着くと、脇の通用門を開け、ロシュと共に邸内ていないに入った。


「ロシュ、ここで休んでいてね」


 真新しい厩舎きゅうしゃにロシュを連れて一角に収めたニコルは、用意されていたをロシュの前に積み、井戸からんだ水を大きなおけの中に入れた。


「リルルの顔を見たら、また出かけるから。馬具ばぐはつけたままでごめんね。でも、すっかり暖かくなったね……一気に春になった感じだよ……」


 機嫌きげん良く飼い葉をむ愛馬のロシュネールの背中をで、ニコルは小脇にしていた花束を抱え直す。

 花の色の鮮やかさに眼を引かれたロシュネールが首をばそうとしたのを、少年は素早くけた。


「ロシュ、これは君の食べ物じゃないんだ。食べちゃダメだよ」


 まるで首をかしげるように振って見せたロシュネールはそれ以上興味をしめさず、桶に口を突っ込んでざぶざぶと音を立て、水を飲み始めた。そんな愛馬のほおでてニコルは歩を進め、庭に出る。

 屋敷に引きこもっているメイドの気晴らしのためだろうか、庭は普段ふだん以上に手入れがされていた。


 花壇かだんには先月の間に植えられた球根が列を作って並べられていた。それらはくきを伸ばし葉を広げ、つぼみは花を開こうと懸命けんめいにがんばっている。花の知識にうといニコルはそれがどんな花をかせるのか想像も付かず、苦笑にがわらいした。


「――まあ、いいや。花を咲かせばわかるからね」


 ニコルは自分が持っている花束をかかげて見て、また苦笑する。快傑令嬢リロットの色である薄桃色うすももいろにいちばん近い色の薔薇バラ見繕みつくろってもらい、リルルの年齢の数の分だけたばねてもらった――十七本というわけだ。


「僕にはおくり物を贈る才能がないんだなぁ……リルルの誕生日だっていうのに……。でも、サフィーナ様に相談したら大変なことになりそうだから。まあ、いいや。リルルが薔薇が大好きなことは、確かなんだからね」


 玄関げんかんとびら施錠せじょうされていなかった。屋敷の中に入り、廊下ろうかを歩いてまっすぐにリルルの居間いまへと向かう。


「フィル、帰ったよ」

「お帰りなさいませ」


 庭に入ってきたロシュネールの気配でニコルの帰宅に気づいていたフィルフィナは、居間の真ん中のテーブルの前で待ち構えていた。両手をお腹の下に当て、丁寧ていねいなお辞儀じぎでニコルを迎える。


大袈裟おおげさだなぁ、そんなに固い挨拶あいさつじゃなくていいよ」

「いえいえ、なんかといってもフォーチュネット家のご当主様でいらっしゃいますから」

「フィル、わかってていってるよね。フォーチュネット家のご当主は、ログトの父さんだよ。僕はせいぜいこの屋敷の当主だ」

「ではアーダディス家のご当主、アーダディス騎士王国の国王陛下ということで」

「からかう相手がいないからフィルは退屈たいくつしているんだね」

左様さようでございます」


 フィルフィナは微笑んだ。さびしい笑みだった。


「からかうならお嬢様にかぎります。しかし今のお嬢様は、からかっても微笑まれるだけ……」


 なぐさめる言葉をニコルが見つけられずにいる中、目を伏せたフィルフィナは小さく鼻を鳴らし、そでで目元をぬぐった。そうした後には、いつものフィルフィナの笑顔があった。


「……ニコル様、十七歳のお誕生日、おめでとうございます」

「ありがとう、フィル。これ、リルルへの贈り物……こんなものしか思いつかなかったんだ」

「まあ、リロットのドレスの色の薔薇ですね」


 ニコルから渡された薔薇の花束を胸に抱き、フィルフィナはその花の香りを小さくいだ。


「リルルも十七歳の誕生日だからね。お祝いをしてあげないと」

「そうですね……」


 二人は奥の扉の向こう、寝室にいる一人の少女の存在を想った。


「……本当にねぼすけのお嬢様です。ご自分の誕生日だというのに起きて来られず……。ああ、ニコル様、ゆっくりしていけるのですか?」

「昼にはゴーダムの父上に帯同たいどうを命じられてる。魔界との同盟の調印式ちょういんしき段取だんどりを組むのに、コナス陛下が父上と僕の意見をお聞きになりたいということだから」

「それはそれは、ニコル様はご活躍かつやくされておられるということの、なによりのあかしでございます」

「僕なんかオマケだよ。ゴーダムの父上とコナス様はすごい政治家だ。僕も見習みならわなくっちゃ」

「お出かけはお昼、ですか……」


 フィルフィナは考えた。ニコルの立場であれば、今、なにをしたいであろうかと。

 ニコルが見せるいつもの微笑みの中に、かすかにちがう色を見て取って、フィルフィナは目を細めた。


「では、少しなら余裕がありますね……。フィルは、このお花をけてお茶の用意をします。ああ、お茶菓子も用意しなければ。しかし奥の方にしまったと思うので、探すのは少し手間がかかりそう……少し用意に時間がかかりますが、ご承知しょうちくださいね」

「あ、う、うん」

「それでは、お嬢様のお顔をご覧になってあげてください――ごゆっくり」


 ふくみを十分に声ににじませ、廊下に出たフィルフィナは居間の扉を閉めた。


「……ニコル様に伝わったでしょうか。ニコル様はおにぶ御方おかたですから……。ああ、やはりわたしがちゃんと教育をほどこすべきでしたか。ソフィアもいるので僭越せんえつかと思い遠慮えんりょしてきましたが、今のニコル様はあまりに潔癖けっぺきですからね」


 炊事場すいじばへ向かいながら、フィルフィナはいい加減くせになってしまったため息をく。


「どうしてこう思いなやむことが多いのでしょう。王都に春は来たのに、わたしの心は一向に冬のままです。ああ、早く晴れやかなことが起こって欲しい」



   ◇   ◇   ◇



 床の一面、無数のたなに座った大勢のぬいぐるみたちに見守られ、ニコルは一本の道のようになっている隙間すきまを歩いて、リルルの寝室の前に立った。

 立ったまま数秒立ちくし、我に返ってから咳払せきばらいをし、えりの形を直しすその乱れを確かめた。


 不思議な緊張に襟についている三枚の徽章きしょうを思わず指の腹でみがいてしまい、今日何度目かわからない苦笑をニコルは浮かべる。


 主君の部屋に入るような緊張きんちょうを覚えながら少年は背筋を伸ばし、かかとで床まで叩いてしまう始末だった。


「――リルル、お邪魔じゃまするよ」


 扉のノブを握り、回す。きしみも上げずに扉は開いた。

 向こうにある寝台をかくす大きな衝立ついたてが目に入り、二百個はあろうかという大勢のぬいぐるみたちにニコルは出迎でむかえられた。


 友人知人たちの姿をしたぬいぐるみたちの視線を受けながら、ニコルは慎重しんちょうに歩を進める。リルルの寝室とはいえ――いや、リルルの寝室だからこそ、ニコルは緊張を持って歩いた。


「リルル……」


 衝立の裏に回る。天蓋てんがい付きの寝台はベールが開けられ、少女の体をその上に見せていた。


「――リルル、十七歳の誕生日、おめでとう」


 リルルの姿をした眠れる女神――いや、眠れる女神そのもののリルルが、寝台の上で寝息を立てていた。

 この二ヶ月の間、一度たりとも、一瞬たりとも目覚めなかったリルルは今も、この部屋に運ばれてきた時と変わらぬ表情で眠り続けている。

 眠りで世界を支えようとするリルル、彼女の夢そのものがこの世界なのだという理屈はわかるが、それを実感とすることは少年にはできなかった。


 本当は、自分こそが夢を見ているのではないかとニコルはおもう。この夢の牢獄ろうごくからはなたれれば、平穏へいおんな日々の中で目覚めることができるのではないか。

 そこでは自分はただの騎士見習いで、リルルは快傑令嬢リロットという日常に戻れる。


「平和な日々だったね……なつかしいや、リルル……」


 ニコルは、笑った。

 メージェ島に初めて向かう直前まで、自分は平凡へいぼんな騎士見習いで、リルルとの結婚を勝ち取るための手段として、逮捕たいほすれば貴族への叙任じょにんが認められる快傑令嬢リロットを追うことで頭がいっぱいだったのだ。


 伯爵令嬢のリルルを妻にむかえるためには、せめて男爵になっていなければ可能性も見えない。そのためにリロットの影を見つけては猛然もうぜんと食らいつき、彼女をあと一歩の所まで追い詰めたことも一度や二度ではなかった。


 この腕の中にその体をとらえたことも幾度いくどとなくあった。


「それが……ははは……リルルが快傑令嬢リロットだったなんて……。僕はすごく間抜けたことをやってたんだ。……リロットをつかまえたら、リルルがいなくなっちゃうところだった……」


 自嘲じちょうではない、素直な笑いがニコルのくちびるからこぼれた。


「でも、楽しかった……。毎日が夢中で、振り返る余裕すらなくて、永遠に続くような時間のはずなのに、振り返ってみたら一瞬とも思える時間……そして、島から帰ってきてからの、激動げきどう……」


 リルルが王城に連れて行かれ、自分はメージェ島の領主としての赴任ふにんを命じられた。

 リルルと自分ニコルとを物理的に引き離そうという、前国王ヴィザード一世のわなだった。

 そこから魔界皇子まかいのおうじ・ダージェとの出会いがあり、戦いがあり、リルルを救い出し――。


「これの全てが、わずか一年の間に起こった。僕が一年前、王都に帰ってきたから……ううん、王都に帰る前から全ては始まっていたんだ」


 昨日までの十六歳という、たったの一年間。その中で自分はどれだけの体験をしたのだろうか。その前の十五年間の全てをしたとしても、それと釣り合うことはないだろう。


「リルル……僕たちの十六歳は、本当にすごかったよ。僕はこの一年間を忘れない。色んな人と出会い、色んな人を失い、そしてまた、取り戻すことができた……。奇跡のような一年間……リルル、君と共に過ごした、過ごすことのできた一年間を、僕は決して忘れたりしないよ……」

「――――」


 語りかけられるリルルは、なにもつぶやかない。まぶたも震わせない。ただ、少年の心が伝わっているように、寝顔の中に笑みを浮かべているだけだった。

 ニコルはリルルの敷布団しきぶとんに手を乗せる。布団のやわらかさは少年の体重を受け、わずかにしずんだ。


「その十六歳も、昨日で終わった。僕たちは一緒に十七歳になった……。リルル、改めて、十七歳の誕生日、おめでとう。

 そして、リルル。

 僕は、君に伝えたいことがあるんだ。

 そのままでいいから、ちゃんと聞いてほしい。――いいね……」


 ニコルは振り返り、カーテンが開け放たれた窓に歩み寄り、それを外に開いた。

 春のにおいをはらんだ優しくあたたかい風が室内に流れ込んで、ニコルとリルルの前髪を小さく揺らした。

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