「雪がやんだら」

「あ…………」


 メージェ島の集落しゅうらく、そのはしの端の一角にある、小さな小屋。


 大きめの寝台しんだいがひとつ、テーブルがひとつ、椅子いすが二脚、そして少し大きな箪笥たんすで広さの全てが埋まってしまう住まいの中。


「どうしよう……」


 テーブルについてみ物をしていたティターニャ――今は誰もが彼女をティータと呼ぶ――が、細い毛糸をからめた二本の編みぼうあやつる手を止め、小さく途方とほうれた。


「姉さん、失敗してしまったわ……」

「そう」


 申し訳なさそうにうったえる妹に、姉は優しい笑顔で答えた。


「じゃあ少しほどいて、編み直しましょう。貸して」

「うん…………」


 白、それに対して深いあお――明らかなはだの色以外は見た目の区別が付かないエルフの姉妹は、開けたとびらからし込んでくる光の中でそれぞれに布を編んでいた。


「ここはね、裏目側うらめがわせ目をしなければいけないのよ。だからほつれてしまうの。ゆっくりやるから、よく見ていてね」

「うん…………」


 無様ぶざまなほつれを姉のメリリリアがゆっくりと解き、かめの歩みのようなゆっくりさで編み棒を操り始める。としが同じ双子の姉妹ではあるが、圧倒的にメリリリアの方が姉としての貫禄かんろくを見せていて、妹の方はいくつも離れた年下のようにしか見えなかった。


「ごめんなさい……」

「なにをあやまっているの?」


 ずとティータがこぼした声に、編み棒を動かす手も止めないメリリリアは悠然ゆうぜんこたえた。


 服装も簡素かんそな、首から下を見れば街や村のどこにでもいる女性たちだった。

 彼女たちがエルフの一族を統括とうかつする王族の血を引き、姉の方はこの間まで女王だったなどということを、事情を知らない者のいったい誰が信じるのか。


「私、不器用ぶきようで……なにも知らない。三百年も生きてきて、姉さんに頼ることばかり……頼ってばかり……毎日毎日、こうやって迷惑めいわくをかけて……」

「そう。じゃあもっと教えなきゃね」

「――姉さん?」

「ティータ」


 姉は妹の顔を見ず、手元の編み目だけに視線を向けて、いった。


「私は、あなたに欠けているものをめたいの。私の持っているもので埋めたいの。だから、こうやってあなたに頼られて、色んな事を教えている時がいちばんうれしいの。そしてあなたがいずれ、私の助けを借りなくてもいいようになる――それが、私の望みなのよ。だから、なんでも聞いて。なんでもたずねて。あなたになにかを教えている時が、私の救いなのよ」

「…………」

「ティータ、私の顔でなくて手元を見ていなさい。見逃みのがしてしまうわ」

「あ…………」

「わぁぁぁ――――!!」


 開け放っている扉の前、通りを人間と獣人じゅうじんの子供たちが追いかけっこをしている。その子供たちがはしゃぐ声に二人の耳が小さくねた。


「元気ね、子供たちは」

「……この島の子供たちは笑ってばかりだわ……。本当に幸せそう……」

「ティータ。あなたも一日も早く、笑えるようになって。心からね」


 その表情から憂鬱ゆううつさを払えないティータの前で、メリリリアが微笑ほほえんでいた。

 全ての因縁いんねんから解放され、自分と妹だけの幸せを見つめられるようになった女性の、幸せな微笑みだった。


「私もそうする。全ての罪をつぐなう。私の弱さが引き起こした罪の全てを」

「姉さん、それは私の……」

「私たちの罪を、ふたりで償っていきましょう。破壊はかいでなく、なにかを作ることでね……」

「…………うん…………」

「――ティータ、いいか?」


 開いている扉のわくをノックする音が響く。メリリリアとティターニャが顔を向けると、数歩歩けば外に出られる間合いで、一人のエルフの青年が照れくさそうな顔をして立っていた。

 ティターニャが島に漂着ひょうちゃくしたあの日、彼女に激しく糾弾きゅうだんを浴びせた青年だった。


「デザ…………」


 ぼんやりとした顔でティターニャは青年の顔を目で追う。青年の表情をどう解釈かいしゃくしていいのか迷う、まるで幼児のようにあどけない表情しか浮かべられなかった。


「あ、あのな、イェガーの旦那がってきた魚がデカすぎて、仕込みの人数が足りないんだ。ちょっと手伝ってくれるか」

「今日はデザが炊事すいじ当番なの?」

「ああ。俺一人じゃ手が回んねえからさ、頼むよ」

「…………でも私、包丁ほうちょうもロクにあつかったことも……」

「いいよ、俺が教えるから。――メリリリアさん、ティータを借りていいですか」

「ええ、どうぞ。あとでちゃんと返してくださいね」


 メリリリアはまた、微笑んだ。自分でも今日浮かべた中で、会心の微笑みだと思えた。


「すみません。じゃあティータ、来てくれ」

「ね、姉さん」

「いいのよ、いってらっしゃい。あなたの分は私がやっておくから」


 メリリリアは立ち上がり、および腰の妹を強引に立たせ、そのまま小屋の外に押しやった。


「デザさん、妹をよろしくお願いしますね」

「は、はい、恐縮きょうしゅくです――じゃあ、ティータ、行くぞ」

「あ――――」


 しっかりね、と広げた手を振って笑っている姉の姿に、もう戻れないとさとったティターニャはあきらめ、差し出された青年の手を取り、炊事場の小屋に向けて歩き出した。


「ふふふ…………」


 胸の中にあたたかいものをかかえ、メリリリアは再び毛糸をひざに置き、編み棒を操り出した。

 今日はいい日になりそうだった。

 昨日よりも、いい日になりそうだった。



   ◇   ◇   ◇



 今の時期でも全ての窓を開け放っていられるメージェ島とは正反対に、王都は吹き込んで来る寒気かんきが去ってくれず、凍える冬の寒さの中にあった。


「もう三月もなかば……いつもの最後の冷え込みですか……」


 はあ、といた息が途端にこおって白くけむったのを確かめ、フィルフィナは空気が入れ替わった寝室の窓を閉めた。

 フィルフィナの背中にある寝台の上では、リルルが目を閉じて眠っている。


 胸元には女神エルカリナ、その両隣にニコルとフィルフィナのぬいぐるみが掛布団かけぶとんから顔を出しており、両端りょうはしにはサフィーナとロシュのぬいぐるみが同じようにしておともをしている。


「そろそろここにそろうぬいぐるみも、打ち止めのようですね」


 ぬいぐるみ屋が開けるほどに部屋の空間をくそうと並びに並び、整列しているぬいぐるみの一個師団、その最後に加わった――メリリリアの隣に座っているティータに似せたぬいぐるみを見て、フィルフィナはにこりと笑った。


「いい日ですね……」


 幸せな日々だった。

 なににあせることもなく、怒ることもうらむこともなく、にくしみを燃やすこともない。

 おだやかで、平坦へいたんで、幸せで――どこまでも、どこまでも退屈たいくつな日々だった。


 たったひとつの、本当にたったひとつの例外をのぞけば――。


「――お嬢様……」


 フィルフィナは、語りかける。うれしそうな顔をして眠り続けるリルルに。

 世界の人々が笑顔であることを知って、満足しているようなリルルに、彼女の心に届けと語りかける。


「……お嬢様のおかげで、みんなが幸せになりました。お嬢様はこのフィルの自慢じまんほこりで……大切な家族です……。ですからお嬢様、そろそろお目覚めになってもいいのではないですか……。もういい加減、お寝坊ねぼうが過ぎるというもの……。みんな……みんな、お嬢様のお目覚めを待っていますよ……」


 かすかに青みがかった銀色の髪の少女は、応えない。

 ゆっくりとした静かな寝息が、一定の調子でり返され、掛布団の下でゆるやかな調子でわずかに上下する胸の様子が、リルルが生きていることをしめしていた。


 生きてはいるが、決して目覚めない少女。

 夢によってつくり直したこの世界を、眠りの力で支える女神。


「リルル…………」


 リルルのあたたかなほおに指の先を触れ、フィルフィナはその瞳をかげらせた。


「もう。あなたの声を聞かなくなって久しい……。あなたと話していた時が、あなたとはしゃいでいた時がいちばん楽しかった……」


 心で押しとどめていたなみだ一粒ひとつぶ目尻めじりふくらんであふれ出る。それをメイド服のそでぬぐい、フィルフィナは布団の端を握りしめた。


さびしい……寂しいわ……。わたしの寂しさがこの冬をつなぎ止めているようで、切ない……。早く目を覚まして……一緒に遊びましょう……」


 リルルは、応えない。

 この部屋で眠り続けてもう四十五日ほどか……変わらぬ寝顔がそこにあるだけだった。


 落ちた肩を直すこともできないフィルフィナは涙の残りを拭い去り、窓のカーテンを閉め、力なく寝室を出た。

 暗くなった寝室にひとりの少女と、それを無言で見守るぬいぐるみたちの隊列が残された。



   ◇   ◇   ◇



「フィル、遊びに来たわ」

「いらっしゃい、サフィーナ。寒い中をご苦労様です……」

「友達の家に遊びに来ているのにご苦労もなにもないでしょ? ……リルルは、元気?」

「ええ、相変わらずで……お嬢様、サフィーナが遊びに来てくれましたよ」

「リルル、今日は面白い本を持ってきたのよ――」



   ◇   ◇   ◇



「フィルちゃん、ご機嫌きげんいかが?」

「おねーちゃん、ほらほら、差し入れだよー」

「……フィル姉様、これ、重い……」

「なんだ、お母様たちではないですか……って、この紙袋の大群は……」

「お気に入りのカフェが持ち帰りテイクアウトを始めたのよ。フィルちゃん、あなたこのお屋敷から一歩も外に出ないんですもの。たまには美味おいしいものを食べないといけないわ。一生懸命いっしょうけんめいなのはわかるけれど、こんを詰めて体をこわしてはダメよ?」

「…………」

「あれ、おねーちゃん、なんで泣いてるの?」

「……フィル姉様らしくない……」

「――フィルちゃん、元気を出してね……」



   ◇   ◇   ◇



「フィル……リルルの様子はどうだい」

「ええ、ニコル様……変わりはありません。お嬢様はおすこやかにおやすみになっています……」

「……そうか。リルルは眠るのが好きだものね……」

「ええ……本当に……。ニコル様、それで、本日は……」

「コナス陛下に呼ばれているんだ。ここからロシュで出かける。フィル、……リルルをよろしくね」

「フィル、リルルお姉様をよろしくお願いします」

「お気をつけて、ニコル様。ロシュ、ニコル様をお守りしてくださいね……」



   ◇   ◇   ◇



「お嬢様、見てください、すごい雪ですよ」


 フィルフィナは寝室の窓越しに、外を見た。

 庭の一面が全て深い雪にまり、窓のすぐ下辺りまで積雪がおよんでいる。

 湿しめったぼた雪は暗い冬の空からゆっくりと降り続け、王都を白の一色にめつつあった。


「三月の末でこれとは……でもお嬢様、安心してください。もうこの寒いのも、これで最後らしいです。明日はすごく暖かくなって、こんな雪も一日でかしてしまうらしいですよ……」


 天から落ち続ける白い残像ざんぞうたちを、窓越しにながめるフィルフィナは微笑ほほえんだ。


「今日は……」


 今日は、三月の三十日。

 明日は、三月の三十一日。


「雪がんだら……雪が溶けたら……」


 その次の日は、四月の一日。

 その日の意味は。


「――お嬢様とニコル様のお誕生日……おふたりの、十七歳のお誕生日ですね…………」


 ――誕生日。

 窓際まどぎわから振り返ってリルルの寝顔を見つめるフィルフィナは、目を閉じ続けるリルルの桜色のくちびるが、わずかにほころんだように見えた。


「――春が来ますよ、お嬢様」


 祈りを、願いを込めるようにフィルフィナはとなえた。

 春よ、来い、と――。

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