「第09話 そして、春――」

「奇跡を、信じますか?」

 ゆるやかに、緩やかに時は流れていく。

 時節じせつは三月のなかばに入り、世界の北半分は冬の寒さのとうげして、春の予感を覚えさせるにおいの風を吹かせていた。


 その中で、一年中気候きこう温暖おんだんなメージェ島はある意味、時がまっていたのかも知れない。

 この島では、幸せな時間しか流れていなかった。


「無事、丸く収まってよかったね、ニコル君」


 メージェ島の南西に大きなこぶのように突き出た半島、丸い土台の全てを占めて高くするどくそそり立つ『銃の山』――火山であるはずの山の内部、噴火ふんかさい溶岩ようがん噴煙ふんえんき出す道である。火道かどうしんとなるようにそびえる『庭師にわしとう』の屋上は、火口かこうより少し低い高さに位置し、島の中では抜きん出て高い標高ひょうこうにあった。


 南海の爽快そうかいなほどに晴れ渡った午前の空の下、六百メルトという高層にある屋上で、この世界の観察者である『庭師』――フェレスは、テーブルに置いたばんはさんで、一人の少年と優雅ゆうがなお茶の時間を楽しんでいた。


「ええ、本当に、色々と……」


 この塔に出入りを許された数少ない人物であるニコルは、上機嫌じょうきげんともいえない声で応じた。


 大きな盤の上には戦士や怪物、勇者や魔王といった小さな人形が並べられ、戦場を簡易かんいした領域フィールドが再現されている。

 若い男性とも女性のどちらとも見えない、その中間であるようなどこか無機質な美しさをうかがわせる人形めいた風貌ふうぼうのフェレスは、その応えに微笑ほほえんだ。


「ロシュ、お茶のお代わりをもらえるかな」

「はい、マスター」


 テーブルの近くに立ってひかえてはいるが、その存在感が全く圧迫あっぱくにならないロシュが、フェレスがけたカップにお茶をそそぐ。


「ああ、専属メイドがれてくれたお茶は美味おいしいね。手放てばなすんじゃなかったかな。やっぱりそばに置くには人の形をしているにかぎるよ。機械機械した家事手伝い機械も有能だけど、感情移入という点ではおとるね」

「作ったらいいじゃないですか」

「そんなの面白くないよ。自分で作ったら、自分の都合つごうのいいように作ってしまう」


 フェレスは微笑んだ。


「自分に都合が悪いことがあるから、世の中は面白い。今ロシュが皮肉ひにくをいってくれたろう」

「皮肉をいわせるようにしたら……」

「それだって自分の範疇はんちゅうのうちさ。予想外の所から意外なものがやってくる。それが刺激になるんだ。たとえばニコル君、君のように――」

「元マスター、それ以上ニコルお兄様に接近したら、破壊はかいします」

「ねえ、面白いだろう?」


 ニコルの手に自分の手を重ねようとしたフェレスは、鼻面はなづらに突き付けられた主砲しゅほう砲口ほうこうを前に手を引いた。

 ニコルが盤上のこまを進め、フェレスに順番ターンを回す。フェレスは盤の上の戦況にはあまり関心がないというように、他人の勝負を見ている顔でまた一口、お茶を口に含んだ。


「……ニコル君、悪かったね、君には内緒事ないしょごとばかりしていて……」

「フェレスさんはこの世界において、ある意味神のようなものでしょう」

傍観ぼうかんてっする神だけれどね。なにもしない、役立たずの神様さ」

「フェレスさんの手助けがなければ、今の状況はあり得ませんでした。感謝しています」

「ありがとう、そういってもらえるといくらか気が晴れるよ……。それでニコル君、国務こくむにリルル嬢の世話にといそがしい君がわざわざ来てくれたのは、目的があるんだろう?」

「他世界からの干渉があるというのは、本当のことなんですか?」

「可能性は十分あるよ」


 単刀直入たんとうちょくにゅうに単刀直入で返し、ややひるんだニコルの顔をフェレスはながめ、うれしそうに目を細めた。


「それがいつ起こることなのかはわからない。本当に起こるかどうかもわからない。ただいえるのは、起こっても不思議ではないということだね。ダージェ君やウィルが話した通りに」

「…………そなえるべきだということですね…………」

「備えたまえ、ニコル君。その備えは無駄むだにはならないよ。君の、君たちのこころざしを、君たちの精神をのちの世に伝えるんだ。それは、より良き世のいしずえになる。――そうではないかな? ニコル陛下?」

「やめてください。今でも国王なんていわれると身がすくみます。……本当は僕に国を運営する才覚はありません。僕には政治もなにもわからない。もしも外国で誰かが僕の寝首をこうと画策かくさくしていても、僕にそれを気づけるだけの嗅覚きゅうかくはありません……」

「なら、どうするんだい?」

「その嗅覚きゅうかくそなわっている人材を登用とうようします」

「なんだ、よくわかってるじゃないか。それで十分だよ。君がなにからなにまで器用にやる必要はない。なんでも上手うまくできると過信かしんした瞬間から、間違まちがいは始まる。君は君にできることをし、君にできないことは他人に任せたまえ。君がすべきは、周りの声を聞くことだ」

「はい」

「そして、その愛らしい微笑みで周囲をメロメロにすることだよ。ああ、なんてうるわしいんだ君のくちびるは。ボクは君というつぼみをついみ取りたい欲求に駆られてしまうよ……ロシュ、わかったわかった、わかったからボクの頭を砲口ほうこう小突こづくのはやめてくれ」

「これだから元マスターをニコルお兄様と二人きりにできないのです」

「なんだ、ボクがなつかしいから来てくれたんじゃないのか、わははは」


 フェレスは愉快ゆかいそうに笑った。


「それと……聞きたいことはもうひとつあるんです……」

「リルル嬢が目覚める可能性があるか、ということだね」


 カップにばしたニコルの手が、止まった。その眼がまばたき、フェレスの顔を見た。

 いつもの作り物めいた整った顔で、優しく微笑んでいる表情があった。


「世界のことわりからいえば、それはあり得ない」

「……でしょうね……。今、この世界は、リルルの夢見る力が支えているのですものね……」

「でもね」


 フェレスはいった。


「希望を持つというのは、大事だよ」

「…………不可能なことに、ですか」

「ニコル君、覚えておくんだ。希望は人生の灯火ともしびだ。あかりだよ。灯りのない人生は暗い。たとえどんな終末駅ゴールにたどり着くにしても、道筋が明るいことにしたことはない」

「人生……道筋……」


 ニコルは心の眼で自分の背後を振り返った。今まで歩いてきた道があるはずだった。


「人でないボクが人生を講釈こうしゃくするのも烏滸おこがましいかも知れないが、人生は結末じゃない。過程かていだ。全ての人生は死で終わる。だから全ての人生は無駄なのかい? そうではないだろう?」

「…………」

「ニコル君、君は幸せになってくれ。君のようなよい少年が幸せになれないのは、世界の損失そんしつだ」

「はい……」

「やれやれ。ボクも本当に役に立たないな。ここで今、魔法をかけてリルル嬢を眠りからくことができるなら君の関心も得られるんだが、ああ、情けない。一人だけ逃げ出した身だからね」

「――フェレスさん、もうひとつだけ、聞かせてください」

「聞きたがりのニコル君だね。いいよ。特別に君のキスなしで答えてあげよう」

「奇跡というものの存在を、信じますか?」


 ニコルとフェレスの視線が、すち合った。

 海からの風が吹きつけ、流れて行くだけの時間を置いてから、フェレスは口を開いた。


「信じるよ。いや、信じるしかないはずだ。ニコル君、君も見てきたはずだ。この世界は、奇跡のかたまりでできているんだ」

「この世界が……」

「この場でボクと君、ロシュが一堂いちどうかいしているのも奇跡だ。ボクたちはそれぞれ、全く違う世界で生まれてきた存在なんだ」

「…………」

「そして君とリルル嬢が出会い、様々な事象じしょうを乗り越えて、今という時をむかえている――これもまた奇跡ではなくて、なんだというんだい?」

「はい…………」

「そして、君の望む奇跡を引き寄せるのが、君の希望の力なんだ」


 フェレスはカップを持ち上げ、唇をつけてそれを戻し、手を引いた。


「――ニコル君、絶望する必要はないよ。人が望むかぎり、希望もあるし、奇跡もある。君が望んだから今、リルル嬢は君の心の中にいる――その事実の意味を考えるんだ。いいね……」


 ニコルに言葉はなかった。ただ、椅子いすに座ったまま深々と一礼して、感謝に代えた。

 合図もなく二人は同時に席を立つ。それが二人の空気感だった。


「この勝負は、ここまでにしておこうか。このままにしておけばまたニコル君が来てくれるしね。また迷ったらここに来たまえよ。ボクは君に会えることをなによりの喜びにしているよ」


 フェレスが盤上越しに手を差し伸べ、ニコルはうやうやしくそれを握る。

 握手がわされたがいの手が下がり、その空間をめるようにロシュが盤上の駒に手を伸ばした。


「おや、ロシュ、何故駒を動かすんだね。勝手に動かしてはダメじゃないか」

「元マスターが握手と見せかけて、こっそり大将の駒の位置をズラしたからです」

「わははははははは!」

「笑っても誤魔化ごまかせません」

「うううううううう!」

「泣いてもダメです」

「あはは」


 ニコルは微笑わらった。


「フェレスさん、これからもよろしくお願いしますね。いつまでも僕の味方でいてください」

「ああ、ロシュに殺されない限りそうさせてもらうよ」


 では、と一礼してニコルは下りの階段に向かい、ロシュもまたその後に続いた。


「――希望を信じたまえよ、ニコル君……」


 フェレスは祈るようにつぶやき、空を見上げ、作り物そのもののひとみを輝かせた。

 それは、この世界の全てをることができ、同時に誰にも伝えることのできない、意味のないものだった。

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