「生き返った、その理由(わけ)は」

 電撃のごと一閃いっせんほおを打ち、その一撃の重さにいとも軽く揺らいだ体が砂浜に叩きつけられる寸前となっても――ティターニャは呆然ぼうぜんと目を開き、自分を張り飛ばした相手を、見つめ続けていた。

 目を逸らすことができるわけがなかった。


 そこにいたのは、この場に絶対にいるはずがない人物だったからだ。

 自分と同じ細い金色の髪を伸ばした、自分と全く同じ顔立ちをした森妖精エルフの女性。

  上半身には地味なシャツを着、穿いているのはかざり気の欠片かけらもない長めのスカートといった、ありふれすぎた服装の女性。


 人混ひとごみにまぎれてしまえば完全に埋没まいぼつしてしまうようなありふれた格好なのに、着ている本人が放つ光の波動にも似た上品さはかくせるものではない。

 なによりも、するどく後方に伸びた耳の形が、これ以上もなく強く主張している――この人物は、とてつもなく高貴な存在であると。


「メ……メリリリア姉さん……!!」


 さけびが口をいて出た瞬間、ティターニャは砂浜に肩から突っ込んでいた。

 細かくかわいた砂をね飛ばしながら細い体が倒れ、その前にサンダルをいたメリリリアが立つ。

 彼女は、東の森妖精の里における王族、その筆頭ひっとうである女性。


 そして同時に、ティターニャ――いや、本名であるティータの双子の姉――。


「どうして……どうしてここに姉さんが!?」

「決まっているでしょう、あなたを追ってきたのよ」


 ティターニャの口元が震えた。その目が大きく揺れた。


「追ってきた……どうして……。姉さんは私を追放したはず……里に裏切り者は置いておけない……そもそもが過去に追放した者を戻すわけにもいかない……そういって、三週間も前に……」


 一度追放した者を、追う理由。ティターニャが思いついたのは、ひとつの理由しかなかった。


「わ……私を殺すために……?」


 骨のしんが、いや、たましいの芯が震え出した。


「わ……私を里で処刑すれば、森のけがれになるからと、この遠くで私を……?」

「ここに来ればあなたに会えると思っていたわ、ティータ」


 やみちてしまった双子の妹の本名を、姉はその美しいくちびるつむいだ。


「里から出たあなたをすぐ追ったけれど、足取りは途中とちゅう途絶とだえてしまった。でも、小船をダークエルフに与えたという漁師りょうしを見つけることができたの。あなたがメージェ島を目指しているらしいことも聞けたわ」


 おびえるティターニャに、メリリリアは優しげに語りかける。だが、その優しさがティターニャには恐ろしかった。その真意の裏を見ずにはいられなかった。


「だから待っていたの。私が着いたのは今さっきだけれど……よかった、間に合って……」

「そ、そう……姉さんが……そう……」


 止めようのない怯えの中で、ティターニャの口から笑いがれた。少しも可笑おかしくないのに、喉の震えが笑いの調子をきざんで震えた。


「……え、ええ……そうね、姉さんに殺されるなら、本望だわ……。里に帰りたいなんて無理をいってこまらせたものね……」


 ティターニャは砂に手を着き、ゆっくりと体を起こした。

 脚を折って浜に座ったままその上体を大きく前にかたむけ、首を差し出した。


「姉さん、こんな妹でごめんなさい……。森の王族の品位をおとしめただけでなく、意地汚いじきたなく生き延びようとして、エルフのほこりまでけがしてしまった……。も、もう私は、誰もうらみたくないし、誰もにくみたくない……姉さんの手でこの首を落としてください……お願いします……」

「――あなたは、さっきからなにをいっているの?」


 震えるティターニャの怯えが、こおった。

 ざく、と砂をみ、メリリリアはティターニャの隣に並ぶ。手を着いていない以外は平伏している格好になっている妹の横で、折り目正しい動作で砂浜にひざを着いた。


「姉さん……?」


 ティターニャがわずかに顔を上げる。息を飲んで双子の姉妹の成り行きを見守っている大人たち、子供たち――合わせて四百人は下らない群衆ぐんしゅうを前にし、同じ顔をしてはだの色がちがうエルフがふたり、座って並ぶ形になった。


 人々の度肝どぎもが抜かれたのは、この瞬間からだった。


「島の皆々みなみな様、どうかお願いいたします!!」


 メリリリアが砂の浜にまるほど強くその手を着き、躊躇ためらわずにひたいも浜にたたきつけた。


「どうか、どうか私の妹であるティータを、皆様みなさまの一員としてむかえてやってくださいませ!!」

「メッ…………!!」


 エルフの青年が腰を落としたまま手をばす。立とうにも、抜けてしまった腰では立てようもなかった。


「メリリリア様っ!! エ……エルフの女王ともあろう御方おかたが、なんという格好をなさっているのですか!! 土下座どげざなど、最もやってはならないこと!!」

「デザ、あなたはひかえていなさい!!」


 頭をせながらの一喝いっかつに、デザと呼ばれたエルフの青年は腕までも折られてその場に転がった。


「ここに控えるティータは私の双子の妹! 元は私と同じエルフの王女として生まれましたが、私の里にある王族の双子をむ風習により、おきてしたがってふるき昔に里を追放されたのです!! そののち世界を放浪ほうろうし、魔の世界に堕ちてこのような姿と成り果てました!!」


 子供たちがきょとんとしている後ろで、大人たちの顔には亀裂きれつが入るのではないかという激震げきしんが走っていた。あらゆる種族の中で最も気位きぐらいが高いとされている種族のエルフ、その頂点に立つ女王が目の前で土下座をし、涙を流しての哀願あいがんによってうったえているのだ。


 それは、他人に話しても信じてもらえない事だったろう。一国の王が目の前で平伏へいふくしたという方が、まだ信じてもらえそうなものだったかも知れない。


「それも全て、私の怯懦きょうだ起因きいんしているのです!! 妹が里を追われた代わりに、私は女王の後継者こうけいしゃの座を得ました!! 私は里を追われるのが怖かった……妹をかばい、その追放をはばんだがために、代わりに追われるのがこわかったのです……!!」

「姉、さん……」


 ティターニャは、涙まみれに訴える姉の姿に、それ以上の声をげなかった。


「妹が闇に染まったのは私の責任、私の罪です!! 妹に責任はありません!! そんな不憫ふびんな妹が人の間で暮らしていけるのは、地上に唯一ゆいいつ、この島しかないのです!! 私はその妹に寄りうため、万が一妹がしでかした時、そのばつをこの身にも受けるため、女王の地位を捨ててこの島に移って参りました!! 私も島民のひとりとして、身をにして働き、島の発展のためにくしたいと思います!! 妹のことは、全て私が責任を取ります! 妹に罪あれば、双子の姉の私共々、しばり首にしていただいて構いません!! ですから、どうか……どうかぁ……!!」


 前髪がまるまでに深い土下座が砂浜にくぼみを作り、その砂を涙がらしていた。


「やめてぇ……メリリリア姉さん、なんでそんなことするの……やめてよ……私一人が死ねばすむことなんだからぁ…………!!」

「――ティータ!!」


 砂浜にへばりつく姉を起こそうとティターニャが手をその肩に触れようとするが、それはメリリリアの腕によって払われた。


「あなたは自分がどうして生き返ってきたか、まだわかっていないの!?」

「私が、どうして生き返ってきたか……? そんなの、わからない……わかるはずがない……! 私はほろびたかった! 滅んだままでいたかった! こんな身で生き返りたくはなかった! 私にとって生き返るのは、苦しみを重ねるだけのものだもの! 姉さんはそれがわかっているの!?」

「わかっているわ!!」


 眼前がんぜんの砂に、大地に呼びかけるようにメリリリアはさけんだ。


「あなたは、私を救うために生き返ったのよ!!」


 ティターニャの心から、感情の全てががれ落ちた。たましいの振動が、停止した。


「私は、ずっと後悔こうかいしていた……私の代わりに追放され、森を去って行くあなたの背中を追えば……あなたをを助けに行けばよかったと……里のことなど考えず、双子の姉妹共々追放されれば、苦しみもふたりで分かち合えた……あなたを孤独こどくに追い詰めることもなく、たとえ二人で闇に堕ちたって、一人で苦しみ続けることなどなかった……! ティータ、ごめんなさい、ごめんなさい……! 私を許して……意気地いくじのなかった、勇気のなかった姉を許して……! あなたが生き返ってくれなければ、私の罪は払うことはできないの……!!」

「ね、え、さん……」

「ティータ、もう一度、双子の姉妹としてやり直させて……。あなたの姉らしい私でいさせて……そのためなら、私は、女王の座なんてらない。里の民があなたを拒絶きょぜつした今、あなたに手を差しべられるのは、私しかいないもの……!」

「――そこまで!」


 第三者のような声が、鮮烈せんれつな響きを持ってその場にとどろいた。


「そこまでです。お二人とも、お顔を上げてください」


 小柄な姿が砂をんで進む。その独特の出で立ちに、大人たちも子供たちも、だまっていても海を割るように道をけた。

 ティターニャは、涙にえた目で見た。

 青に近い紺色こんいろのメイド服と白いエプロンに身を包んだ、エルフの少女を。


「――フィルフィナ……」

「お久しぶりです、ティターニャ……いいえ、ティータさん」


 フィルフィナは、自分を殺し、自分が殺した相手に微笑ほほえみかけた。

 わだかまりのひとかけらすら見えない、真実に優しい微笑みだった。


「あなたがここに向かっているのは、メリリリア様――メリリリアから聞いていました。よくあんな小船で大海を渡り、この島にたどり着けて……。あなたがこの島におとずれる日が来るなんて、思ってもいませんでしたよ……」

「フィルフィナ、いいえ、フィルフィナ様、私は……」

「わたしは様などつけられる立場ではありません。呼び捨てで結構です、ティータ。ああ、もう、髪もはだも太陽にいじめられてカサカサになって……」


 フィルフィナはスカートがよごれるのも意にかいさず、ティータの前でひざを着いた。


「メリリリアも体を起こしてください。あなたたちの訴え、みなの心に届きました。わたしたちは、あなたがた二人の来訪らいほうを心から歓迎かんげいいたします。――ニコル様、そうですよね!」

「もちろんだよ、フィル」


 ニコル様、ニコル様、という声がさざ波のように広がる中、下馬げばしたニコルが砂をんで歩み、エルフの双子に近づいた。


「ようこそ、メージェ島へ。ようこそ、アーダディス騎士王国へ。僕が国王のニコルです。僕は、国王の名においてお二人を正式な国民と認め、歓迎の意をひょうします。この島では全ての民が法の下において平等です。種族もなにも関係ありません。心が通じ合う者同士、身分の上下もありません。僕の国王という立場もかざりのようなものです。どうか、ニコルとお呼びください」


 それを目にする者、全ての心にみ込む優しい笑顔を見せ、ニコルもまた膝を砂につけた。


「この島において、過去は意味を持ちません。仲間たちと手を取り合い、仲間たちのためにあせを流し、仲間たちのために心をくだき合う方であれば、誰でも立派な国民になれます。メリリリアさん、ティータさん、お二人の力と知恵ちえでこの島に幸せをもたらしてください。それが僕の願いです」


 二人の肩を支えるようにして上体を起こさせ、ニコルは砂を飛ばさないように静かに立ち上がり、振り向いた。その先に、種族も年齢もバラバラの四百人の島民たちがいた。


「聞いたとおりだ! 僕はこの二人を正式に国民と承認しょうにんした! この決定に異論のある者は司法の場に訴え出てもらいたい! また、不服な者は去ってもらっても構わない! 補償金ほしょうきんは規定通りに支払わせてもらう! また、この島において不当な差別は一切いっさい許されない! それを心にきざんでおいてもらいたい! ――ではみんな、解散してくれ! 今日の仕事は、まだ終わっていないはずだ!」

「さあ、ティータ。わたしが肩を支えます。まずはそのかわきをやしましょう。お腹も減っていることでしょう。あたたかく、消化のいいものを用意させます。身も清め、着替えもそろえねば――」

「フィル、妹のことは、私が」

「メリリリアは反対の方をお願いします。わたしはこのティータを支えたいのです」

「はい――」

「うっ……ひっく……うう、うううう…………!」


 二人のエルフに支えられ声を上げて泣くティターニャが、砂浜を離れて行く。状況の全てが終わったのを見届けた大人たちも、しおが引くように歩いて行った。

 そんな光景を、深紅しんくのドレスに身を包んだエヴァレー――エヴァが帽子ぼうしを胸にかかえた姿で見送り、彼女のとなりにニコルが肩を寄せた。


「……ニコル様……」

「エヴァ、助かったよ。君が先に駆けつけてくれて。少し頃合ころあいが外れれば、どうなっていたかわからない展開だった……。ありがとう」

「おずかしい姿をお目にかけてしまって……反省しています……」

「あはは。びっくりしたよ、実際。その姿を二度と目にすることはないと思っていたから」

「本当に……穴をってでも入りたいくらい……」


 顔を帽子にかくし、エヴァは体をちぢめるようにしてうなれた。そのほおが真っ赤にまっているのが、伝わって来る熱だけでわかるようだった。


「エヴァせんせ、もうすぐおひるだよ。ぼくたちおなかすいた。いっぱいおおごえだしたから」


 エヴァが去るまでこの砂浜から一人も離れようとはしない子供たちが、母としたう少女の元に集まってきた。


「ニコルおにいちゃんおうさま、あたしたちがんばった。みんなまもったよ」

「ああ、みんな……君たちも本当にがんばったね……」


 歯を見せて笑う子供たち、子供たち、子供たち――ニコルはほこる笑顔の大輪たいりんに、なみだこぼれそうになった。全ての心をくだき、包み直してしまったのは、この笑顔たちの力に他ならなかった。


「この島は、きっといい国になるよ……。エヴァのような優しいお母さんがいて、君たちのような強い子供たちがいる……。僕はうれしい、こんな素晴すばらしい国の王になれて……本当に幸せだ……」

「じゃあニコルにいちゃん、ごほーび! ごほーびちょうだい!」

「いいことしたらごほーびもらえる。ほうりつにそうかいてる?」

「よーし。特別にヴァッシュに乗せてあげるよ! ヴァッシュに乗りたい人、手をあげてみて!」

「はぁ――――――――い!!」

「うわあ、みんなじゃないか」


 子供たちの全員が両手をげて声を上げたのに、ニコルはまた微笑まされた。


「さ、さあ、ご飯を用意しますね! みんな手伝って! 手伝わない子はご飯抜きですからね!」


 エヴァが子供たちをそっと押し、歩く方向を定め、浜から離れさせる。子供たちが取り残されることなく浜を去るのを見送るために一人浜に残ったニコルは、海を渡ってきた強い風にふと、振り返った。


「――――あ」


 騒動そうどうの間に波がうばっていったのか、ティターニャが乗ってきた小船が、いつの間にか消えていた。


「……これでいいのか。いいんだよね……」


 最後の微笑みを残し、ニコルもその浜を後にした。

 するべき事は、山のようにあったからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る