「最後の贖罪者」

「もう、やめようよ!」


 太陽が輝く南の島の空に、子供たちの想いが天をつらぬ稲妻いなずまとなって飛んだ。


「まえのエヴァせんせがどんな人だったかなんか、どうでもいいよ! しりたくもないよ!」

「いまのエヴァせんせはあたしたちのお母さんだもん! やさしくされたことしかないよ! やさしくしかってもらったことしかないよ!!」

「いいじゃんか、まえにどんなわるいことしてたって!」

「もう、このしまでわるいことしなきゃいいんだ!!」


 幼い声たちが飛ぶ。うずを巻くようにして立ち上る。小さな体たちはまだ少女ともいえる母をかばい、その存在の全てをけて、目の前に集まった大人たちと対峙たいじしていた。


「ぼくだってわるいことした! エヴァせんせーにひろわれるまえ、たくさんパンをぬすんだ!」

「あたしだって、ひとのものとったことある! そうしないとたべられなかった!」

「みんなだってそうだよ! おうとにいられなくなったから、このしまにきたんだよ!」

「ぐ…………」


 大人たちがうめいた。そのするどい言葉の矢は、ほぼ全ての大人たちの胸をえぐった。


「そりゃあ……俺だって、大なり小なりしくじって、もうあの街にいるのが気まずくなって……」

「そもそもあたしは、故郷でいられなくなったから王都に移った……」

「いうなよ、生きてりゃみんな傷はうんだよ。生きていて、傷が付かない奴なんていないよ……」


 認識の重さがひたいを重くさせ、顔をうなれさせる。視線を自分の足元に下げる。

 自分がたどってきた人生――それがどれだけゆがんだ道筋であるかを見たくなくて、振り向くことはできない。

 誰もが自分のみぞおちをかばって手を当てた。心の古傷が痛む部分が、そこだったからだ。


「みんなよわいよ! よわくていじめられたくないから、みんなこのしまにきたんだ!」

「なのに、このしまでよわいものいじめるなんてまちがってるよ!」

「もうやめようよ! やさしくしようよ!」

「みんな、だれかにやさしくされたいから、このしまにきたんだよ!!」


 それが最後のトドメだった。鉄塊てっかいを後頭部に落とされるよりも強烈な衝撃しょうげきが、大人たちの意識を打ちのめした。


「わ、わ、わかった!」


 中年の人間の男が悲鳴を上げた。それはこの場の大人たち、二百人を代表する悲鳴だった。

 誰も、き出しになった心にひょうをぶつけられ続けることに、えられるわけなどなかったのだ。


「わかったから、誰もここから出ていかなくていいから、もうやめてくれ!! 誰がなにをしていたかは関係ねえよ! この島でみんなニコニコ暮らせていたらそれで満足なんだ! だからエヴァ先生、あんたは出ていかなくていい! 出ていかないでくれ! 俺たちのために!!」

「じゃあ、そこのダークエルフのおねえちゃんも、でていかなくていいんだね!?」

「そうだよね!?」


 ティターニャの周りを取り囲む子供たちが、ダークエルフの存在を恐れる様子もなく抱きつく。彼女の存在がエヴァという船をつなぎ止めるいかりであると理解し、それを決して揺るがさぬようにかたく守っていた。


 言葉を失うどころか思考もこおり付いたティターニャは、目を見張り続けるだけだった。自分がこれだけの子供に取り囲まれ、守られるという経験など、三百年を生きても初めてのことだった。


 子供のはずなのに、いや、子供だからこそ純粋じゅんすいき通り、強い光を放つ眼差まなざしが物理の力を持ったかのように大人たちに注がれる。その斉射せいしゃえられる者など、この場には一人もいなかった。


「あ、あ、当たり前だ! エルフの兄さん、あんたもそう思うだろう! それでいいよな!!」

「あ――あ、あ、ああ……」


 砂浜にしりを落とし、茫然自失ぼうぜんじしつとして成り行きを見守るしかできていなかったエルフの青年が|うなずいた。

 自らも里にいられないためにこの島に移ってきた彼に、それ以外のなにをできただろうか?


「やったぁぁ――――!!」


 二百人の子供たちがく。張り詰めた顔が満面の笑顔に変わるまで、一瞬だった。その歓喜かんきうずの中でエヴァは、現実を追い切れないようにそのひとみを開いていた。子供たちがここまでの力を、おもいの力を持っていることが信じられない、というように。


「エヴァせんせ、でていかなくてもいいんだって!」

「エヴァせんせ、きがえようよ! いつものかっこうのほうがエヴァせんせだよ!」

「え……ええ、ええ…………」


 口笛くちぶえになる寸前すんぜんの細い息がエヴァの肺からのどくちびるを通ってかれる。だが、次の息をするにもエヴァには少しの時間が必要だった。


 そんな中で、ひとり、音も気配もなく立ち上がる姿があった。

 やったね、よかったねと喜び合う子供たちの感情の誘爆ゆうばくの中でそれは目立たず、隙間すきまがないはずの子供たちの間をり抜け、音のない足取りで海辺――そこに船体の半分を乗り上げた小船に向かっていた。


「あなた!?」


 はしゃぎながら無限に飛びついてくる子供たちをさばき続けていたエヴァが声を投げかける。


「エヴァさん、でしたね……」


 海に向かって砂浜に足跡をきざんでいたそのはかない人影――ティターニャが、幽霊ゆうれいそのものの朧気おぼろげさをまとって振り向いた。


「かばっていただいて……本当に、本当にありがとうございます…………」


 以前、その顔にかぶっていたこの世の全てを嘲笑あざわらう仮面、それをどこかになくしてしまったかのような顔で、心がみがかれきった顔でティターニャは、弱々しく微笑ほほえんだ。


「ですが……私がおとずれる地に不幸がもたらされるというのは、間違まちがいのないことかも知れません……」


 美しい微笑みだった。絶望を理解した女だけが見せる色調がそこにあった。


「わ……私にはやはり、この世のどこにも、落ち着く場所はなさそうです……。も、もう、私は疲れ果てました。故郷こきょうに戻っても拒絶きょぜつされ、最も異種たちが混ざり合って暮らせるこの島でも、平安はなさそうです……。な……なにより、私は、おのれの罪深さに、己のサガの黒さに耐えられない……」


 微笑む顔の奥で、瞳だけが泣いていた。その涙の色に子供たちの歓声かんせいが止み、大人たちも再び言葉を失った。


 浜に立つ大人と子供たち、ティターニャが立つ波打ち際。

 その間の狭間はざまは数十歩ほどの距離ほどしかなかったが、それを超えられるものはこの場にはいないと思えるほどのへだたりを持っていた。


「全ては、このやみちた身が悪しき根源なのです……。皆様、お騒がせいたしました。あたたかい情けをかけていただいて、感謝いたします……。私が来たことなどはもう、すぐにお忘れになってください……。闇は闇に帰ります。できるだけこの島から離れた場所で死にますので、ご容赦ようしゃを……」

「――――」


 誰もが口さえ開けられない、静寂せいじゃく硬直こうちょくの中で。

 ただ一人だけ、風のように動ける者がいた。


 大人たちが作るかべを擦り抜け、子供たちが作る海を渡るひとりの風が、森のにおいを巻いて走った。

 誰もが、優しいそよ風に頬をでられたと思った。


「――え?」


 音もなく、砂浜に足跡さえ残さずに来たのではないかというその自然さに、ティターニャは首をかしげた。傾げることしかできなかった。

 気が付いたら、はだの色以外は自分と同じ顔をした人物が、目の前に立っていた。


「ね――――」


 肌の色だけが反転する鏡にうつしたような、生き写しそのものの女性だった。

 そんな彼女が唇をかたく結び、右手を広げた腕を振りかぶり、あらしを巻き起こす一歩手前の体勢であることを見ても、ティターニャの心は固まっていた。


 いや、理解できていたからこそ、固まっていた。


「姉さん…………?」


 その瞬間、竜巻が起こった。

 風切り音を鳴らすよりも速く振り抜かれた平手打ちが、ティターニャの左頬を張り飛ばしていた。

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