「赤い懺悔」

 それは、鮮烈せんれつという表現ではとてもりないほどの、すさまじい告白だった。

 目の前にいる、白い聖女からあかい悪女に姿を変えた少女の言葉に、誰も彼もが、言葉を失っていた。


「あな……た…………」


 ティターニャも例外に当たらず、言葉を失っていた。

 まれるのが当然のこの身にあたたかく手を差しべてくれたこの女性が、かつて王都を焼き払おうとした人間だというのが信じられなかった。信じられるわけがなかった。


 今さっき島に漂着ひょうちゃくしたティターニャがそう思うのだから、島民の衝撃しょうげきは相当だった。

 島のほぼ全ての民から絶大な信頼を受け、高貴さすらかもし出すおだやかで優しげな立ち振るいに、女性でさえうっとりとしたため息をらしてしまう、島の聖女。


 白い法衣を象徴シンボルとし、親を無くした子供たちにかこまれた姿から圧倒的な母性を感じさせる、その彼女が。

 聖女としての名をかなぐり捨て、その真名まなを明らかにした、エヴァレーを前にして。


「――エヴァせんせ?」


 群衆ぐんしゅうの中に混じり、その背の低さゆえに目立たなかった子供たちが数人、ひょっこりと姿を出した。

 午前の勉強が終わり、外で遊ぶために浜辺にけ出していた子供たちの一部だった。


「あー、エヴァせんせがリロットごっこしてる」

「リロットはリルルちゃん王妃様なのにね」

「ねー、エヴァせんせ。どうしてリロットのかっこうをしているの?」


 五人が七人、七人が十人、十人が十五人――。事態を飲み込んでいないが故に、おどろきにしばられていない男の子、女の子が、人のかべからみ出すようにしてエヴァレーの元に集まってくる。

 年齢も種族もバラバラで、共通しているのは、本当の親はこの島には今、いないということと。


 そして、優しい『エヴァせんせ』を心からしたっているということ――。


「あなたたち…………」


 エヴァレーが、顔から赤いマスクを外した。その装束しょうぞくは変わらない。リロットのもののようで、決定的にリロットのものとはちがっている真紅しんくのドレス姿は変わらない。

 マスクが払われ、覚悟に張り詰めていた目から、力がゆるんだ。


「みんな、いい子にしていますか」

「うん、ぼくたちいい子だよ」

「ケンカもしてない。なかよくしてる」

「そう……それは本当にいいことですね……」


 そばまでトコトコと歩いてきた人間の子供、犬獣人の子供、ふたりの頭を、エヴァレーは白い手袋ででた。


「あ、ずるい、エヴァせんせになでてもらってる」

「エヴァせんせ、あたしたちもいい子にしてるよ。だからなでて」

「はい。みんなこっちに来てね」


 子供たちは遠慮えんりょなしにエヴァレーとの距離を詰めると、躊躇ためらいなくその胸に飛び込んだ。子供たちの一人一人を抱きしめていくその姿に、その場の大人たちは全員が口をい付けられていた。


「あなたたち、よく聞いてくださいね」

「うん、よく聞くよ」

「先生は今から島を出て行かなくてはいけなくなりました。みんな、元気で病気も怪我けがもせず、仲良く暮らすのですよ」

「いつ帰ってくるの?」


 エヴァレーに抱きついた人間の男の子がたずねた。一を聞いても二も知れない子供の反応だった。


「お出かけするんでしょ? いつ帰って来るの? 晩ご飯には間に合う?」

「先生はもう、帰って来ません」

「え?」


 子供たちの顔の笑みが、こおった。


「帰ってこないって、どうして?」

「せんせーのおうちはここでしょ?」

「先生のおうちはここではなくなったの。先生はもうここにいることができないの。先生は今からあのお船で出ていきます。だからみんな――」


 子供たちが、表情が消えた顔でたがいに顔を見合わせた。

 きっかり十秒の、たったひとりも声を上げない間が、人でまっているはずの浜辺に満ちた。

 ――そこからは、電撃のように速かった。


「だめェ――――!!」


 エヴァレーに抱きついていた男の子が、彼女の体を全力の両腕両脚でしがみつくようにしてさけんだ。


「せんせい、だめぇ! でていっちゃだめ!!」

「みんなぁ! エヴァせんせいをつかまえてぇ――!!」


 今しがたまでエヴァレーの抱擁ほうようを受けていた子供たちが、彼女の四方から飛びつく。エヴァレーの背中、腹や腰、両脚に体の全部で抱きつく。小さな子供の体といえど、五人が体重の全部ですがりついてくる重みは相当であったし、エヴァレーにそれを蹴散けちらす選択肢せんたくしなどはなかった。


はなしなさい! 先生は、この女の人と島を出ていかないといけないのです!」

「だめ! だめだめ! ぜったいにだめ!!」

「みんなぁ――!! エヴァせんせがぁ、しまをでていくっていってるよぉ――――!!」


 子供の一人が、その体のどこから出ているのかと思わせるほどの大音声を張り上げた。晴れきった青い空の天井まで届くような高くするどい声に大人たちが鼓膜こまくたたかれて顔をゆがめ、声が空高くに吸い込まれていってからの少しの間を置いて、怒濤どとうの反応があった。


「わぁぁぁ――――――――!!」

「うわわわわ」


 どこにかくれていたのかという数の子供たちが、まさに津波つなみの勢いとなって浜に押し寄せて来た。ヴァシュムートの背に乗っていたニコルは、ヴァシュムートの前後どころか、脚と脚の間もり抜けて浜に向かって駆けていく子供たちの波に本気であわてる。


 慌てたのは人の壁を作っている大人たちも同じだった。わめき声を上げながら向かってくる子供たちに気づいて振り向いたが、百人を優に超える人数で猛然もうぜんと突進してくる子供たちを前に、なにができるはずもなかった。


「エヴァせんせ、いかないでぇ!!」


 壁を作っている大人たちをまさしく壁と同じにして乗り越え、み越え、子供たちはエヴァレーの元に殺到さっとうする。腰を抜かして倒れていたエルフの青年が、手脚を蜘蛛クモのようにしていずってのがれた。


退きなさい、退きなさい――先生は出て行かなければならないのです!」

「どうしてぇ! ボクたちがきらいになったの!? ボクたちがわるいこだからでていくの!?」

「先生は、あなたたちを殺そうとしました!!」


 さすがにそのさけびは、子供たちを大きく戦慄わななかせた。


「島に来る前、孤児院を作る前、先生は王都の街に火をかけようとしたのです! 王都をメチャクチャにする悪者の仲間で、その手伝いをしたのです!!」

「なんでぇ! せんせがそんなことするはずないよぉ!!」

「先生は昔、大変なお金持ちの家の娘でした!!」


 子供たちはだまった。黙らされた。

 それは、半年以上をエヴァレーと寝食を共にした子供たちでも、聞かされていないことだったからだ。


「……先生は、本当に身分の高い貴族の一人娘でした。えたどころか、三食が足りなかったこともありません。毎日豪勢ごうせいな食事、食事、食事……それを今日はこれを食べる気じゃないと平気で残し、味が気に入らないと床に投げ捨てたことさえありました……」


 目を見開いたまま、瞬きを忘れた子供たちは、ぐべき言葉を無くした。

 王都の貧民街ひんみんがいの一角、今にもくずれそうな教会にぎのように板を打ち付けただけの孤児院を作り、自分にはえんもゆかりもない子供たちを集め、世話をしていたエヴァ。


 その中でエヴァがどれだけ窮乏きゅうぼうしていたかを、古い子供たちは見て知っている。新しい子供たちも、古い子供たちから聞かされて知っている。


 日に三食どころか、日に一食にも事欠ことかく日々がめずらしくなく、お腹がいたといって泣く子供たちを抱きしめてなぐさめることしかできなかった彼女のことを。

 自分の分量をギリギリまで減じても、野菜の一切れ、肉の一切れが多く子供たちに行き渡るように配膳はいぜんしていた彼女のことを。


 そして、子供たちは、エヴァからこの一言を、決して耳にしたことはなかった。

 自分たちが大合唱だいがっしょうのように口にしていた言葉。

 この島に着いてから、一度たりとも口にしたことのない言葉。


 ――『お腹が空いた』という言葉を。


「……先生は、生きていることが嫌でした。面白くなかったのです。貴族の娘だから、なにもかもが親に決められた人生が、本当に嫌でした……。したいことも許されず、なりたいものを目指すこともできず、親が選んだ結婚相手と結婚して、子供を産むだけの人生が。たまらなくたまらなく嫌で、先生はこう思うようになりました。

 ――こんな世界、こわれてしまえと」


 歌うように罪が流れる。五人の子供にしがみつかれ、二百人の子供たちのうずの中に取り囲まれたその身は動くこともできない。だから彼女は告白する。告白し続けるしかない。


 同じく子供たちに囲まれながら、己の罪を吐露とろし続けるエヴァレーを見上げるティターニャの目が、これ以上は無理というくらいに開かれた。開かれたまま、その奥でひとみが震えていた。


「先生はそのために、王都をこわそうとする、焼こうとする悪者を手伝ったのです。王都がメチャクチャになってしまえば、自由になれる。自分から自由をうばった世界に仕返しができる。そんな身勝手な理由のために、先生は本当に恐ろしいことをしました……」


 エヴァレーの肩が震えていた。自分の罪を数えることのおびえだった。


「そのためにどれだけの人が怪我をし、家をなくし、死んでしまうか……そんなことはわかっていたのに、そんな簡単なことはわかりきっていたのに、先生はただ、うらみのために、にくしみのために……仕返しの、復讐ふくしゅうのために……わ……わ、わたしは……!」

「せんせぇ!」


 体の戦慄きが顔の戦慄きに伝わり、自分の告白の重さに耐えきれなくなったエヴァレーのひざが、崩れそうになる。そんな彼女の体を、子供たちが必死に支えた。

 誰ひとりとして、この優しい母を浜に転がすまいとねんじない子供はいなかった。


「うそだよ! せんせはそんなことしないよ!」

「せんせはうそをついてる! ボクたちにはいつもいってるじゃないか! うそをついちゃだめだって! しょうじきにならないとだめだって!」

うそじゃありません! 全部本当のことです! 先生は、あなたたちが傷つくことも、住む所をなくすことも、死ぬことだって平気だった! なんとも考えていなかった! 恐ろしい女なのです! 本当は……本当は、あなたたちを抱きしめられるような資格なんてない……私こそ悪魔のような女なのです……!」


 その双眸そうぼうから涙が流れ出す。指のはばを超えるような流れがほおを洗う。


「この島に罪人はいられません。島に住む人たちがそう決めたのです。だから、私はこの島を去らなくてはならない……ごめんなさい、今まで黙っていて。ごめんなさい、今まで隠していて……私は知られるのがこわかった……自分のおかした罪の重さが恐ろしかった……。だから、エヴァレーという昔の私は、リルル様に殺してもらったのです……エヴァという新しいわたしに生まれ変わるために……心の全部を入れ替え、全てを改めるために……!!」

「じゃあ、いいじゃん!!」


 エヴァレーのお腹にしがみつく男の子が叫んだ。母を呼びとめる叫びだった。


「あたらしいせんせぇになったんだったら、いいじゃん!! ボクたち、せんせぇがわるいことしないってわかってるよ!! せんせぇはボクたちにいつもごはんをわけてくれてたじゃん!! ふとんがないからってボクをぎゅっとしてねてくれたじゃん!!」

「エヴァせんせはあたしたちをころしたりするの!? しないでしょ!? しないよね!?」

「ねえ、せんせぇ!!」

「せんせ、こたえてよぉぉ!!」

「わ――――」


 うったえかける声、声、声がエヴァレー――いや、生まれ変わったエヴァを、たましいから揺さぶった。

 エヴァの胸の中でいちばん熱い部分が、感情の熱に焼かれてがされる。エヴァの中で最もかたくなな部分が、子供たちが伝えてくる心の、瞳が発する熱さの前に、あぶられた。


「わ……わたしに……わたしには…………」


 それに、エヴァがえられるわけはなかった。

 この場にいる子供たちの全員が、エヴァの命なのだ。

 自分の心を、魂を支えるものたちの声に、あらがえるすべなどはないのだ――。


「あなたたちを殺すことなんて、で……できないっ……!!」


 それは真実の懺悔ざんげだった。

 エヴァは、この瞬間、知った。

 今、ここで初めて、エヴァレーは――本当に、死んだのだと。

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