「赦されぬ罪の告白」

 それは、信じられない速さだった。

 エルフの青年が高々と振り上げた廃材はいざいを、砂浜にいつくばるダークエルフの女の頭に振り落とすまでには、二秒もかからないはずだった。


 が、砂の地面を走ったその白い影は、たったそれだけの瞬時しゅんじの間で、十歩の距離をめた。


「やめなさい!!」


 横から伸びてきた手がエルフの青年の腕をとらえる。青年が目をいた時には、廃材を振り落とそうとする力の流れを引き込んだ手の動きに青年の体が巻き込まれ、青年の視界が不意の一回転を起こしていた。


「なんだぁっ!?」


 悲鳴を上げた時には、エルフの青年の背は砂浜に叩きつけられていた。白く細かい砂をき散らし、細身の体が転がった。


「なにをしやがる、貴様――」

「この島でなんという暴挙ぼうきょおよぶのです!!」


 落雷らくらいのように降ってきたする怒声どせいと、見上げたその姿に青年の声はふうじられた。


「二週間前、あなたをむかえた時にやくしたはずです! この島では法にもとづかない暴力ぼうりょく容認ようにんされないと! 私刑リンチなどもっての他! いったいなにを考えているのですか!」

「エ…………」


 頭から全身をおおう白い法衣姿ほういすがたの若い女性が、いきどおりを込めたするど眼差まなざしを向けて立っていた。

 エルフの青年の顔におびえが走る――そんな格好をしている住人は、この島では一人しかいない。


 親を無くした身でこの島に移って来た子供たち、その面倒を一手に引き受ける母親代わりであり、領主であるニコルが不在の時は代官をつとめる権限けんげんを持つ、その少女の名は。


「エヴァ先生……!」


 この島で事実上の第二の実力者であるその存在に、エルフの青年はだまるしかなかった。この法衣姿の少女がしめす公平と慈愛じあいを体現した姿勢しせいに、島民の誰もが好感を持ち、投げかける優しい言葉にどれだけ心服しんぷくしているか、たった二週間で理解できていた。


「この国は小さな島国です。ですが、法が全てをおさめているれっきとした法治国家なのです。私も、ニコル陛下においてもそれは例外ではありません。法の下にしたがいなさい」

「で、ですが……」


 エヴァはすがりつくような声を払い、ダークエルフの女――ティターニャに向き直った。


「申し訳ありません。あなたに理不尽りふじん危害きがいを加えてしまったこと、この島を代表して謝罪しゃざいさせていただきます。大丈夫ですか……ああ、ほおれてしまって……」

「う、ううう、うううう……」


 法衣の前垂まえだれがよごれるのも意にかいさず、エヴァは砂浜に膝を着いてティターニャの上体を起こし、その頬についた砂をハンカチで払った。

 涙で湿しめった砂は頬にり付き、ハンカチを汚す。それでもエヴァは最後の一粒が落ちるまで丁寧ていねいぬぐい続けた。


「エ、エヴァ先生、あなたはそのティターニャという女のことを知らないから、そんなことを!」

「聞かされています」


 エヴァはかわいた声でこたえた。


「この方が東の森の里で、王都でされたこと、全て聞いています。ですが、それがなんだというのです。ここにいるのは寸鉄すんてつびない、こんな弱り切った身でただゆるしをう哀れな身ではないですか。しかも、心を入れ替えたといっているのに――」

「人が心を入れ替えられるわけがないでしょうが!」


 そのエルフの青年の言葉に、エヴァの肩がねた。ティターニャの頬を拭こうとハンカチを持っていた手が、止まった。


「俺はそんな言葉を信じない! 改心する、心を入れ替える、全てその場しのぎの詭弁きべん、いや、詭弁ですらない! きっとその女は心の底で考えているはずだ! この場をやり過ごして島に居着いついてしまえばこっちのものだと!」


 エルフの青年は気づかなかった。背を向けているエヴァの顔から、見る見るうちに生気が失われるのが。


「悪人は死ぬまで悪人だ! いや、死んでも悪人だ! そいつは一度死んでも大罪人たいざいにんなんだ! みんな、そう思うだろう! 心の底ではそう思ってるはずだ! うなずけよ!」

「そりゃあ……」


 固唾かたずを飲んで状況を見守っていた群衆ぐんしゅうたちに、感情のさざ波が立つ。


「信じられないのは、仕方ないよな……」

「ええ、ダークエルフですものね……」

「なにをたくらんでいるかわからないわ、怖いわ」

「やっぱり受け入れない方が安心するぜ。悪い奴はどこまでいっても悪人だよ」

「……あなた?」


 うつろな目を開いたティターニャが、目の前で呆然ぼうぜんとしているエヴァの顔から、表情が消えて行くのを見ていた。絶望の色が白いはだおおっていくのがわかりやすいくらいにわかった。


「……そうですか、悪人は死ぬまで悪人、罪人は死ぬまで罪人、決してゆるされぬものですか……」


 ふらり、とエヴァが立ち上がった。まるで上から糸でられている人形のような、地が足に着いていない幽鬼ゆうき雰囲気ふんいきさえあった。


「ふ……ふふ、ふふふ……」


 エヴァのくちびるが発した酷薄こくはくな笑いが群衆の気持ちを冷やす中――彼女の右手首にめられている『黒い腕輪』が、軽くたたかれた。


 その途端とたん、仮面舞踏会に貴婦人が目に着けて顔の半分を隠すような、真っ赤なマスクが左手にこぼれ落ちる。

 この場には似つかわしくないその道具アイテムを目にして、人々のざわめきが止んだ。それがなにを意味しているのか理解できなかったからだ。

 ただ、それを馬上から人の壁越かべごしに見ていたニコルとフィルフィナが、絶句していた。


 二人が声をかけようとし、かけるべき言葉が思いつかずに固まっているその時間。

 エヴァは静かに細く、しかし深い息をき、その目に覚悟を宿した。


「それでは告白させていただきます。皆様、よくお聞きください。この希代きだいの悪女の罪を――」


 両手で支えたマスクを、エヴァは目に嵌めた。

 瞬間、その顔を中心にして光のかたまりが生まれ、爆発と変わらぬ勢いで四方八方に拡がり、音のない光の暴発が十数秒、その場にいた人々の網膜もうまくを白く焼きつかせた。


「ひうっ!」

まぶしっ……!」


 予告もなければ予兆よちょうすらない、いきなりの目眩めくらましを食らった群衆が視力を回復した時、目の前にエヴァはいなかった。

 その代わりにいたのは、とても白い聖女とは似ても似つかぬ姿の――しかし、全くの同一人物の令嬢だった。


「これが私の、いいえ、わたくしの罪の姿です」


 目の前でその変貌へんぼうを見せられたティターニャが、唖然あぜんとした顔で硬直こうちょくしていた。


 薔薇バラの花一輪いちりんかたどった真っ赤な帽子ぼうし、顔の半分をかくした赤いマスク――胸元が大きく開いた真っ赤なドレスは足元までをふくらんだスカートでおおう。

 腰には細剣レイピアが差され、白い手袋はひじまでをかくそうかというそのちは、かぎられた言葉しか連想させなかった。


「――リロットだ」


 群衆のうちの一人がつぶやいた。


「リロットだ。快傑令嬢リロットだ……いや」


 同じ口が言葉をいだ。


「リロットだけど、リロットじゃない……」

「そうだ、リロットじゃない。これは……」

にせ快傑令嬢だ」


 一人が断言だんげんした。


「新聞で読んだ……去年の夏の始めに現れた、偽快傑令嬢だ! 挿絵さしえってた!!」

「偽快傑令嬢だって!?」

「どうして、どうしてエヴァ先生がそんな格好をしているんですか!?」

「簡単な話です!」


 豊かなウェーブがかかった金色こんじきの髪を揺らし、エヴァはこの数ヶ月でつちかった印象イメージの全てをかなぐり捨てる異形いぎょうの姿を、二百人を超えた群衆にさらし、いい放った。


「このわたくしこそが、偽快傑令嬢、その当人であるからです!!」


 驚愕きょうがくの波動が走った。人々の表情が一様に同じものになった。

 全員の感情の全てを同じにしてしまうほどの威力いりょくが、そのさけびには確かにあった。


「エヴァと名乗っていたそれはいつわりの名!! わたくしの真の名は、エヴァレー・ヴィン・ザージャス!! ザージャス公爵家の一人娘でありながら、かつて王都を混乱におとしいれた大悪人だいあくにん!! そして、王都を炎で焼き払おうとした大罪人たいざいにんです!!


 わたくしも一度は過去の自分を殺し、生まれ変わって心を入れ替え改心し、罪をつぐなおうとこの身をにして働いてきたつもりではあります!!


 が、しかし!!


 人は生まれ変われない、心は入れ替えられない、悪人も罪人も死んだところで同じまま――皆様がそうおっしゃるのであれば、わたくしもまた、例外ではない!!


 よってわたくしも、このあわれなダークエルフの女性と共に、この島から追放されましょう! 


 皆様、今まで大変お世話になりました!! この罪ある身が去ったあとはどうか、島の発展のために尽力じんりょくなさってください!!


 ――さあ、ティターニャさん、共に参り、共に乾いてほろびましょう。わたくし貴女あなたと運命を同じくいたします。同じ罪人つみびととして――」

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