「救いを乞うもの」

 ジャゴじいさんから『異変』の通報を受け、フィルフィナを帯同たいどうさせるためにいったん王都のフォーチュネット領に移ったニコルは今、メージェ島に戻りフィルフィナと共にヴァシュムートの背中に乗っていた。


 全速力でけるヴァシュムートは、視界が開けた集落しゅうらく外縁がいえんをなぞるように走る。万が一にも島民をはねたりしないための配慮はいりょだった。


「ヴァッシュ! 危ないよ! もう少し速度を落として!」


 ニコルが望む以上の速度を出し、歓喜かんきいななきをあげながら黒い砲弾となって走るヴァシュムートはニコルの声も構わず、走りに走る。少年の重み、その存在を背に乗せて走れることが心底しんそこの喜びであると主張するように、力のかぎりに駆けに駆けた。


「王都ではロシュ、島ではヴァシュムートと乗り分けているからですよ。どちらも相手に負けまいとがんばってしまうのです。――どちらか片方にした方がいいのではないですか?」


 ニコルの背中にしがみつくフィルフィナは、ヴァシュムートが駆けるたびにその体が大きく上下にねた。少年の腰に回している腕がほどければ、あっという間にどこかに飛んでいく勢いだ。


「ロシュは戦場に出せるような馬じゃないよ。ヴァシュムートは生まれついての戦馬せんばさ。それぞれに役割がある。この島ではヴァッシュでいいんだ、それに馬は転移鏡で移動できないしね……それは、ともかく!」


 海の青がまぶしい海岸がせまる。晴れた空から降りそその光を反射し、目に痛いくらいだった。


「その漂着ひょうちゃくしたダークエルフは彼女・・なのか……いや、彼女なんだろうが……!」

「話には聞いていましたが、たどり着けるかどうか半信半疑はんしんはんぎでした。運は強いようですね……」

「ああ……なにが起こるかわからない! ヴァッシュ、人にぶつからないように急いで!」


 任せろ、とこたえるように戦馬が跳ぶ。地面が土から砂に変わってもその勢いは止まらなかった。


「ティターニャ……彼女が、本当にこの島に来るなんて……!」



   ◇   ◇   ◇



 大海原の真ん中に位置し、最も近い陸地からも快速船かいそくせんで一昼夜の航行を必要とする、絶海の孤島という表現さえ大げさではない島――メージェ島に、正規の航行順路以外で何者かがおとずれるというのは、ある意味異変中の異変だった。


 遠浅とおあさの海岸。中型船が停泊ていはくするにはあさすぎ、引きしおが強いために子供たちが泳ぐのを禁止されている南方面の海岸はある意味、この島の中でも外れといっていい場所だった。

 その外れであるはずの一角が今、島で最も騒がしい場所となっていた。


 砂浜の波打ち際には一隻いっせきの小船が舳先へさきから砂に乗り上げ、その中腹ちゅうふくに波を受けて小さく揺れている。十人も固まって乗り込めば、腰を下ろす余裕もないほどの小さな船――その真ん中に一本の細い柱が立てられ、ボロボロに破れたが張られていた。


 船の形をしているだけいかだよりはマシといった代物しろもので、これで外洋がいようを渡って来たというのは無謀むぼう、自殺行為としかいいようがないくらいの小船だった。

 少し海に知識がある者であれば、これに乗って大陸間を渡れと命じられれば、死刑宣告しけいせんこくに等しいと受け取るだろう。


 その船から一人分の足跡あしあとが砂浜にきざまれた浜辺で――今。

 集落へのかべとなるように扇状おうぎじょうに取りかこんでいる群衆ぐんしゅうの前で、一人のダークエルフの女性が、顔を砂にもぐらせる勢いで平伏へいふくしていた。


「お願いします! お願いします! どうか、どうか領主様にお取り次ぎを! この通り、お願いいたします! この身をあわれと思われるのでしたら、どうか領主様に会わせてくださいまし!」


 美しいほどに輝く金色の細い髪が、黄金の絹糸きぬいとを思わせる女性。後ろに向かってびた短刀のような耳、すこやかさしかうかがわせない細い四肢ししと、肉感的なくらいの肉付きがいい胸と腰が濃い色香いろかにおわせるのが、言い様のない不思議な違和感いわかんを覚えさせる。


 その体型だけであれば、普通の森妖精エルフの女性であると見られる事もできただろうが――取り囲む群衆の顔に深い不安の色を張り付けているのは、女性のはだの色だった。


 紫に近い、深い深い、あおの色。


 色自体は魔族の肌のそれと酷似こくじしている。が、その存在の意味合いは、元より過酷かこくな環境で魔の属性ぞくせいのものとして人間から別れた魔族とは、根本的にちがった。

 人間より神に一段階近い存在とされた高貴こうきなエルフが、魔の領域にちたもの――悪魔に等しいものとしてその存在は認知されていた。


 おとずれた先に災厄さいやくをもたらす者、不和ふわいさかいの種をばらまく者。

 その特異な性的な魅力みりょくでる倒錯者とうさくしゃ以外であれば、視界に収めることも忌避きひする存在。

 元は貴い者であったという矜持プライドから全てを見下すのがつねの者が、今。


 ほとんどボロ切れと変わらない服を身にまとい、傲慢ごうまんさもなにもかもどこかに忘れてきたように、卑屈ひくつとしかいいようのない姿でひたすらの土下座どげざを行っていた。


「私はこの島に落ち着きたいのです! なんでもいたします! 力仕事も、汚物おぶつにまみれてのよごれ仕事もいといません! なんでしたら、なぐさみ者となる仕事でも一向に構いません! この通りです! 私に安寧あんねいの地をお与えください!」


 必死の嘆願たんがんと、砂を食うようにひたいを砂浜にこすり付ける姿――ダークエルフという身からは想像もできないそんなさまに、群衆は恐怖さえ覚えていた。


「できるわけないだろうが!」


 遠巻きにはするが、近づく度胸はない群衆たちの中で、一人例外のように前に出る影があった。


「ティターニャ……その名前、よく知ってるぞ!」


 青年に見えるが、種族の特性上その実年齢は伺えない、この島においてたった一人のエルフの男が前に出、ティターニャと名を告げたダークエルフの髪をつかんで乱暴に引っ張り上げた。


「その名前を知らない者がこの島にいないとでも思ってたのか!? 俺はな、お前の双子の姉君が女王をつとめられているメリリリア様が治める、東の森の里の出身なんだ! お前が東の森の里でやったこともくわしく聞いているぞ!」


 顔を砂に汚した女の顔がさらされる。海の上で疲弊ひへいしきり、幼児のようにおびえきった色だけがあった。


「貴様、ヴィザード一世の手先になって働いていただろう! 自分の大それたつみにもかかわらず、よくもここに住みたいといえたものだ! 自分がやらかした罪をここで並べ立ててみろ!」

「私は、世界をほろぼそうと、いいえ、滅ぼしました!」


 そのさけびはエルフの青年に言葉を失わせた。素直すなお白状はくじょうするとは思っていなかったからだ。


「地上を、世界を焼いた光を呼んだのは自分の仕業しわざです! 全てではありませんが、私が大半に加担かたんしたことは間違まちがいありません! 申し訳ありません、申し訳ありません、申し訳ありません!」


 その言葉を聞いて、この場で戦慄せんりつしないものはいなかった。全員が一歩、後退あとずさった。世界を焼きくした光と炎の津波つなみ、その前からのがれられたものは、この浜には一人もいなかったからだ。


「私は心を入れ替えました! もう二度と悪さはいたしません! おちかいします! ですから皆様のお慈悲じひをもって! どうか私をこの島に住まわせてください! 雨露あまつゆがしのげれば贅沢ぜいたくは申しません! どうか、どうか、どうか……!!」

「心を入れ替えた、だと!? 二度と悪さはしないだと!?」


 エルフの青年のこめかみが震えて跳ねた。白い顔に怒りのしゅそそぎ込まれた。


「あれだけのことをやっておきながら、よくも俺たちの前に顔を出せたものだ、この恥知はじしらずが! エルフの面汚つらよごしが! 貴様のような奴がいるからエルフがますます色眼鏡で見られるんだ! 貴様の居場所いばしょなんかこの島にはない! 出ていけ! 今すぐ出ていけ!!」

「あうう……!」


 髪を引っつかみ、エルフの青年はティターニャの体を砂浜に引きずった。浜にへばりつこうとし続けるティターニャが、苦悶くもんの声を上げた。


「お前が乗ってきたボロ船、あれで島から出て二度と寄りつくな! 戻ってきたら殺すぞ!」

「もう、帆も破れ、水も食料もないのです……ここから追い出されたら、私は海の上で死ぬしかありません……どうか、どうか後生ごしょうを……」

「んなことはわかってるんだよ。この島でお前をたたき殺したら、お前のけがれた血で島がよごれるんだ」

「…………!」


 ケガレ、という響きがティターニャの顔を、髪を引きちぎられようとする皮膚ひふの痛みよりも大きくゆがませた。


「死ね、海の上で死ね。なるべく島から遠ざかるんだぞ。転覆てんぷくして投げ出されたお前を食った魚を、俺たちが食うわけにはいかないからな。海の上でかわいて、されて死ね――俺たちが味わった恐怖に比べれば、そんなものなんでもない! この人殺しが! 悪魔が! 立て!!」

「ああうっ!」


 逆らいはしないが、同時にしたがおうともしないティターニャに、ごうやしたかのようなキツい平手打ちが見舞みまわれる。ほおそむけずにそれを受けたティターニャから悲鳴が飛び、群衆ぐんしゅうの中には容赦ようしゃのない制裁せいさいに顔をゆがめる者もいた。


 みな、このダークエルフが諸悪しょあく根源こんげんであり、この世界に大破壊をもたらした者であり、ひとつ間違まちがえば自分たちが生き返ることもなかったことを理解はしている。


 ――が、しかし。


「俺たちが生き返ったのも、リルル様が世界を再生してくださったからだ! だがな、そのためにリルル様は永遠に眠る身になったんだよ! 一生目覚めないんだったら死んだも同じだろ! お前はリルル様を殺したんだ! 領主のニコル様に会わせるまでもない! 俺がさばきを下す!」

「すみません……すみません……! どうか、どうかお許しを、お許しを……!!」

「誰がお前にゆるしなんか下すか! みんな、そうだろう! こんな奴はな、ここでなぶり殺し、叩き殺したって構わないくらいなんだよ! なあ! そう思うよな!!」


 同意を求めて青年がさけぶ。それに対して、群衆たちは気まずそうに空気をにごすだけだった。


「おい! どうした! こいつは俺たちの敵なんだぞ! 俺たちは一人残らずこいつに殺されたんだ! にくくないのかよ!!」


 反応は鈍い。誰もが口を閉ざし、考えていることは大差はなかった。確かに自分たちは一人残らず殺されたが――同時に、一人残らず生き返っている。


 その複雑な事情が全員を逡巡しゅんじゅんさせていた。『一人残らず殺されかけた』ならまだ、怒りのき出しようがあったかも知れないが……。


「まあ、いい! 立て――ほら、立てよ! 船に乗せて押し出してやる!」


 エルフの青年は足元に人の脚の長さほどはある廃材はいざいがあるのを見つけ、手に取った。ただの板とはいえ、長物ながものを手にしたことで気が大きくなる。人は素手すでで人をなぐるよりは、棒で殴る方が心理的な抵抗ていこうはずっと低くなるのだから。


「立てっていってるだろうが! いうことを聞かないやつはな、こいつで……!」


 興奮が血を熱くし、暴力の歯止めを解除する。『カッと』なったエルフの青年が振り上げた廃材がそのささくれ立った切断面を天に向け、周囲の息を飲ませた。



   ◇   ◇   ◇



「ニコル様!」


 砂を蹴散らしてヴァシュムートの速度を殺してその体を停止させたニコルは、ヴァシュムートの背中という高位を取って、ざわめく人の壁越かべごしにその光景を目にしていた。

 黒い戦馬の上で立ち上がるようにしたフィルフィナが、廃材で殴りかかろうとしている青年の姿に声を上げた。


「いくらなんでもあれは! 早く止め――」

「いや」


 群衆を蹴散けちらしてでもそれを止めようと意気込み、飛び降りようとしたフィルフィナを、ニコルはばした腕でせいした。


「彼女が来てくれている。ここは彼女に任せよう」

「彼女――」


 冷静なニコルの反応に、フィルフィナは視線を現場に向け直した。

 白い影が旋風せんぷうに吹かれた木の葉のように飛び、足元の砂を左右に散らしながら走っていた。

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