「運命の漂着者」

 メージェ島唯一ゆいいつ馬丁ばてい――馬の世話をもっぱらの仕事にしている者のこと――として移って来た元王都の貸し馬屋・ジャゴじいさんは、としに似合わぬかくしゃくとした足取りで一頭の馬を引き、集落しゅうらくの通りを歩いていた。


「なー、ジャゴ爺さんさー」

「なんじゃい」


 集落から少しは大きな村の印象を持ち始めた島は、新たに増える二百人の人数を住まわせるための建物造りで活気かっきづいていた。今日、住むべき者たちが着いたというのに、彼等を収容しゅうようするための小屋はまだ完成していない。


 動ける島民はみな、丸太を運び、板を整形し、ガラスを切り出して扉や窓を作っていく。最低限の家具を用意しようと簡単な寝台しんだいやテーブル、椅子いすなどを作成する。移民してきた自分たちがこの島の恩恵おんけいに預かったように、今度は新しい島民に恩恵を与えるためにあせを流している。


 そんなにぎやかさの中を、ジャゴ爺さんは一頭の大柄な黒馬こくば手綱たづなを引き、その後を付録ふろくかオマケのように一人の猫獣人ねこじゅうじんの若者が着いていく。


「早く俺にも馬の世話の仕方を教えておくれよ」

「馬の散歩も立派な世話のひとつじゃろうが。ワシがなにかをしている時は集中して見ていろ。馬を引いて歩くのにだっていちいちコツがある。馬には心があって、気持ちがあるんだ。こちらの思った方向に誘導ゆうどうするっていうのは難しいことなんだ。いきなり馬にさわれるなどと思うなよ」

「コツ、ねぇ」

「特に、こいつは素人しろうとなんかには触らせることはできない。お前にこのヴァシュムートを引かせたら、三分もたずに振り回されて飛ばされるぞ、キリッシュ」


 手綱を握って引いている馬をジャゴ爺さんはあごでしゃくって見せた。つやがある黒い毛並みの馬体ばたいは普通の馬より一回りは大きく見え、太い脚は筋肉の柱かと思えるほどのたくましさだ。


「まあ、その馬はオレも遠慮えんりょしたいけれどさぁ」

「馬丁が馬をり好みできるできる立場か。ワシら馬丁は、馬と名がつくものは全て面倒を見なければならん。健康な馬からめる馬まで、全部な。――ま、この馬に限っては、ワシも一度やらかしている。決して威張いばれるわけじゃないな……」


 黒い巨馬――戦馬ヴァシュムート、愛称をヴァッシュと名付けられた馬の首にジャゴ爺さんは手を触れ、目を細めた。あの日・・・の記憶が、複雑な苦さをもって老人の心にみた。


「お前が生き返ってくれてよかった……取り返しの付かないことが、取り返しがついたわけだからな……。ワシの馬丁人生に大きないが残らなかったのは、幸いというしかない……」

「ニコル陛下の愛馬なんだろ、この馬。オレも二度くらい、あの陛下がこの馬に乗ってるのを見たけれど」


 第四次の移民として二週間前にやって来た猫獣人の若者・キリッシュは、おおよそ王様という印象からは遠い少年の姿を思い浮かべた。誰に対しても腰が低くて礼儀れいぎ正しく、キリッシュも三度は言葉をわしたが、年下の少年の姿からは威厳いげんというものは伝わっては来なかった。


「ニコルは王都でワシが開いていた貸し馬屋で一時いっとき臨時りんじの下働きみたいなことをしとった」

「下働き? あの陛下って、元は貴族かなんかじゃないのか?」

「お前はなにも知らんのか。まあ、その辺りは後でおいおいと教えてやろうとして……お」

「いいですか、あなたたち!」


 集落の奥にある王の住まいであり政庁せいちょうとしても機能している丸太屋敷をのぞけば、この島でいちばん大きな建物――王都の小学校の教室ふたつ分はある大きな小屋、その窓かられてくる女性の声を聞きつけ、ジャゴ爺さんは窓に顔を寄せた。


「あなたたちは読み、書き、算盤そろばんをしっかり勉強するのです! これさえ身につけておけば自分で学ぶことができます! なんにでも興味を持ち、学ぼうとする姿勢を忘れないこと! 私がここに教師として来たからには、落ちこぼれの一人も出さないつもりです!」

「ったく、相変わらず元気な先生じゃな」


 島の学校となっているその建物の中では、五十人ほどの子供たちが席に着き、張りのある声を上げている一人の老婆ろうばにそれぞれの視線を向けていた。人間や亜人、魔族の子供たちまで種族は本当にまちまちの子供の前で、どこか気品をうかがわせるその老婆は、背筋をばした姿で訓示くんじを続けていた。


「それでは、午前の勉強はここまで! あとはお昼まで外に出て遊びなさい! あなたたちの仕事はよく学び、よく遊び、よく食べることです! 仲間外れを作らないように! 危ない遊びしないよう、お互い注意しなさい! 特に年長者! 弟たちの面倒を見るように!」

「はぁい、先生!」

「おー、いうとることが半世紀前と変わっとらんな。よくあの一本調子で今まで……」

「ジャゴ!!」

「ひいっ」


 老夫人教師から発せられた言葉の銃弾が、窓を貫通かんつうしてジャゴ爺さんの胸にめり込んだ。


「あなたはまだ外から授業をはやし立てるくせが直っていないのですか! 私が散々さんざん廊下ろうかに立たせてしつけたというのに!!」

「メ、メーチェル先生」

「は? どうなってんの?」


 教鞭きょうべんを突き付けながら窓にせまってくる老婦人教師・メーチェル、その教鞭を突き付けられて明らかにおびえるジャゴという構図こうずに、キリッシュはれるほどに首をかしげた。


「逃げるぞキリッシュ、あの先生はワシの小学校の時の担任たんにんなんだ」

「ええ? あの婆さんが?」

「待ちなさいジャゴ!! また廊下で立つばつから逃げ出すのですか!! 今日こそその性根しょうねたたき直します!!」

「ワ、ワシはもう小僧じゃないぞ。キリッシュ、逃げるぞ。ついてこい」

「とんだくさえんだなぁ」


 背中に突き刺さろうと飛んでくる金切り声から逃れるようにしてジャゴ爺さんは学校から離れる。その後を渋々しぶしぶ早足でけるヴァシュムート、そしてあきれ顔のキリッシュが続いた。


「まったく、ニコルもえらい婆さんを引き取ったもんだ。王都で困窮こんきゅうしてこっちに移された婆さんがりに選ってワシの担任とか、世間はせますぎるもんだ」

「ああ、俺と同じに来たあの腰が曲がった婆さんがあの教師なのか。船の中ではヨボヨボだったのに、メガネかけて教壇に立ってると別人だなあ?」

「昔の血がさわぐんだろうよ――と。なんだなんだ、浜の方がなんかうるさいな?」


 南に向かって逃げていたジャゴ爺さんは、前方からの異変に気づいた。少し遠くなった耳にも、浜辺の方から人々が騒ぐ声が聞こえてくる。建設途中の小屋の仕上げにかかっていた人々も同じく喧騒けんそうを聞きつけ、手にしていた大工道具を放り出して浜の方向に駆け出していた。


 集落のはしから二百メルトほど離れた浜辺の一角には人だかりができており、いいあらそう声が人の壁越かべごしに聞こえてくる。ジャゴ爺さんは目を細め、すでに百人以上が集まっているその状況を把握はあくしようと手をかざした。


 そんな中、浜辺に走る人の流れに逆らうようにして集落の方に走ってくる一人の犬獣人の姿があった。ジャゴ爺さんはそれを目敏めざとく見つけ、転びそうな勢いでかたわらを走り抜けようとする犬獣人の若者の肩を引っつかんでいた。


「おい、どうした。そんなに切羽せっぱ詰まって」

「い、一大事なんだ、一大事なんだよ! ニコル様に、陛下に伝えなきゃ!」

「一大事じゃわからん。わかるようにいえ」

「あ、あの浜辺に小船が一艘いっそう流れ着いたんだ」

「小船だと?」

「ああ。俺もちらと見たけど、ボロ船だ。そ、その小船に乗っていたのが――」


 いち早く伝えようと異様な早口でまくし立てるがために、逆にその意がわかりにくい若者のべんを聞き、ようやく理解したジャゴ爺さんの顔から血の気が引いた。


「そりゃ、いかん。ニコルに早く伝えないと」

「ニ、ニコル様は今、どこにいらっしゃるんだよ……は、肺がつって、しゃべれな……」

「ニコルは第五次の移民を歓迎かんげいするために丸太屋敷にいるはずだ。ワシが伝える、キリッシュ、お前たちは暴動ぼうどうが起こらないようにあいつらをなんとかしろ!」

「なんとかってどうすんだよ! 爺さん!!」

「なんとかだ!」


 キリッシュの体を浜の方に押しやり、ジャゴ爺さんはヴァシュムートのあぶみに足をかけるやいなやもう片方の脚に半円をえがかせ、老体ろうたいとは思えない軽やかさでくらに飛び乗った。


「ヴァシュムート、遠慮えんりょしなくていいぞ! ニコルの所に向かってくれ! それでニコルを乗せてここに戻って来るんだ!」


 ぶるるる、と鼻を鳴らしたヴァシュムートが百八十度反転する。黒い巨体がその大きさからは想像できない俊敏しゅんびんさで向き直り、北の方角に向けて猛然もうぜんと駆け出した。


「やれやれ、お客は移民だけじゃなかったか……。しかし、とんでもない珍客ちんきゃくが来たもんだ。騒ぎになるのは当然か……」


 通りの真ん中をヴァシュムートが走る。馬蹄ばていの響きが集落にとどろき、家から出ようとした主婦たちがその音だけで家の中に引っ込んだ。


「この島は人間から亜人あじん、魔族までもむかえてきたが……まさか、闇属性の森妖精ダークエルフまでおとずれることになるとは……」

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