「メージェ島の日常と、非日常」

 ――時を、少しだけさかのぼる。


 季節は二月の末、冬の最中さなか、人も草木も最もこごえる季節――だというのに、地面の底から発せられる熱源の力なのか、初夏しょかのように一年中が暖かいメージェ島がもうすぐ、のどかな昼時ひるどきむかえようとしていた。


 若き騎士王、ニコル・ヴィン・アーダディスが治めるアーダディス騎士王国の領土である島は、順調に発展していた。


 最初は二百人で始まった移民が、現在の人口は千人を少し超えている。それに合わせて中型船を追加で二隻にせき購入し、船着き場が拡張され、元から持っていた『森妖精の王女号』と共に島で収穫しゅうかくされた作物を積んでは出港し、王都エルカリナで買い付けた日用品などをせては帰って来た。


 王都で募集ぼしゅうした移民たちを運んで海を渡るのはもっぱら、船足ふなあし桁違けたちがいいに速い『森妖精の王女号』の仕事だ。


 今日も新しい移民を乗せて王都から戻ってきた、白く美しい船体が真新しい桟橋さんばし接岸せつがん停泊ていはくしている。


 そんな様を、少し離れたおかのすそ野にきずかれた、小さないおりの入口からながめる一人の影があった。


「またにぎやかになるのー」


 視線を転じれば、集落しゅうらくの中心となっている島の南部では、増えた人数を収容しゅうようするための小屋の群れが、島民総出そうでで建設されている真っ最中だ。

 子供らしい愛らしさがうかがえる容貌ようぼうの中に、どこかえた色気を垣間見かいまみさせる雰囲気ふんいきを持つ妖狐ようこ――きつねの獣人の女性であるアヤカシは、歯をみがきながらひとりつぶやいた。


 器にめた水を口に含み、口の中をくちゅくちゅとゆすぎ、その場に吐き捨てる。周りに誰もいないからできる行儀ぎょうぎの悪さだ。島の住人の誰もが着ないような装束しょうぞく、東の島国でいう『着物』――正確には小袖こそでゆるく着ている姿は、一種、異質でもあった。


 またも視線をめぐらせると、港したばかりの『森妖精の王女号』から下船した移民たち二百人ばかりがぞろぞろと長い列を作り、集落の方に向かって歩いて行くのが遠くに見えた。その人々が歩く先には、最初期とは明らかに拡張かくちょうされて広がった集落の住宅群が見えた。


 島の中でも唯一ゆいいつである特殊な仕事・・・・・従事じゅうじするアヤカシの住居けん仕事場である庵は、明らかに意図いとを持って集落から離れた場所に位置されている。もっとも、アヤカシはそれを当然至極しごくのこととして、納得尽なっとくづくでもあったが。


「島民が増えるのはいいのだがのー、増えた独身男の相手をする要員よういんが増えんとはどういうことなのかのー」


 恋人には不足しているが、若い精気は持てあましているという立場の男たちから、女神のようにあがたてまつられている妖狐ようこは、明らかに乗り気のしない顔でボヤき続けていた。


わらわももう若くはないのに、明らかな過重労働オーバーワークを強いられとるしの。ああ、求められるのは悪い気分ではないが、どいつもこいつも女のあつかいを知らん奴らで困りものじゃからな」


 いそいそと小さな庵に戻り、たたみに上がる。囲炉裏いろりにかけていた鉄瓶てつびんが下から小さな火を受けて中の湯を沸騰ふっとうさせているのを見て、灰の中に鉄棒を突き刺してかき混ぜた。


「妾を喜ばそうという心遣こころづかいだけは拾うが、力任せにガンガン体をぶつけてきおって、骨に響いてしゃあないんじゃ。そんなのを何人も相手にしとったらもう、今でも骨に残響が……。ぬるくていいんじゃ、ぬるくて。こっちも楽でいいからの。とはいえ、客のきょうぐのも考えもの」


 大ぶりの茶碗ちゃわんに茶のを入れ、柄杓ひしゃくで湯を注ぎ茶筅ちゃせんでかき混ぜる。茶碗を両手で抱え、はぁと息をいてからそのふちに口をつけた。


「ああ、この商売も楽ではないのー。妾も、そろそろ引退時かも知れんのー。代わりの者がいたらいつでも引退していいんだがのー。おらんからのー、妾ががんばるしかないのかのー、つらいのー、つらいのー」

「なにをひとりでぶつくさいってんのさ」

「ぶふっ!」


 死角からいきなりかけられた声に、アヤカシは口の茶をき出した。


「おひさしー、ねえさん」


 反動で飲み込んだ茶が気管に入ったのを必死にき込んで吐き出しながら、アヤカシは涙目で庵の入口に目を向ける。ぽっちゃりとした幼児体型の獣人――背丈や頭身、着ている着物の風情ふぜいはアヤカシとほぼ同じだが、全体の丸っこい体型が全くちがう印象を与える少女がそこにいた。


 丸顔に大きなれ目、黒髪のおかっぱ頭が独特の雰囲気をかもし出している。獣人は獣人なのだが、犬に近いようで犬のものとは思えない、これも極端きょくたんに丸っこい耳がいちばんの特徴だ。

 人懐ひとなつっこく、まるで害を為すようには思えぬその少女に、アヤカシは明らかにおびえた。


「お、おおお、おぬしはアカサナ! なんでお主がこんな所にいるんじゃあ!?」

「なんでってー、移民でこっちに来たに決まってんじゃん。今さっき着いた船」


 ぴ、とアカサナと指を外に向けた。


「い、いいい、移民!? お主が!? この島に!?」

「そ。うちの店がティーグレ組につぶされちゃってさー。あたし、ティーグレたちに散々さんざん逆らっていたからもう王都で商売できなくなっちゃった。途方とほうれていたらこっちに働き口があるからっていうんで、これがホントの渡りに船ってね」

「な――なんじゃと!?」


 アヤカシの顔が青一色にまった。まさしく恐怖の色だった。


「いいねえ、姐さん。こんないい庵建ててもらって。立派な鳥居とりいまであるじゃんか。さぞかし殿様商売やってるんでしょ。姐さんは昔から客あしらいがいい加減だったからなー。王都でも気に入らない客はすぐにり出したりして。隣のうちの店にまで評判聞こえてたよ」


 にんまりとアカサナは愛らしく笑った――が、黒く大きなひとみだけは邪悪じゃあくな色に光っていた。


「決ーめた。あたし、この隣に庵建ててもらお」

「この隣とな!?」


 アヤカシの顔を染めた恐怖の青が、絶望の青に変わった。


「いいじゃん、どうせ姐さんいっぱい客取らされてクタクタだったんでしょ。というか無理に取っちゃって。嫌だ嫌だとかいいながら、求められてないとねちゃうの知ってるんだからね。さすが同郷のあたし、細かい所までよく見てるでしょ」

「あが、あがあが、あがが……」

「これからは楽させてあげるねぇ、姐さん。ゆっくり風呂にかって茶でも飲んでればいいよ」


 姉貴分の機嫌きげんをどん底まで撃沈きぶんさせたアカサナが口まで邪悪に笑い、その場で反転した。


「というわけであたし、領主様に挨拶あいさつに行ってくるから。んじゃ~ね」

「ちょ、ちょっと待つがよい!?」


 ぴょい、と外に飛び出したアカサナを追ってアヤカシが転ぶように後を追い――庵を出て初めて、遠くから風に乗って聞こえてくる喧騒けんそうに気づいて再び、その顔色を変えた。

 男たちの重なり合う怒号どごうと、悲鳴のような女の声が、うっすらとだが確かに聞こえてくる。


 め事などほとんど発生したことのないこの島において、それは全くの非日常だった。


「なんじゃ? えらく剣呑けんのんさわぎじゃな……」

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