「あたたかくなったら」

 ウィルウィナは寝台しんだいの上からミーネを見つめた。

 画架イーゼルに支えられた白い帆布キャンバスを前にしてぽかんと固まっている画家志望の女性と、その目を悲しい色にかげらせたエルフの女王の視線が、交錯こうさくした。


「あー、なんだ、その話か」

「えっ?」


 深刻さをにじませて話していたはずのウィルウィナが、軽すぎる反応に思わず顔を上げた。


「それ、初めての話じゃないよ? しょっちゅういってるじゃない」

「しょっちゅう? う……うそよ……私、この話をいつあなたにしようか、考え込んで……」

「なにいってるの。しょっちゅうもしょっちゅうよ。寝言ねごとでいつも聞かされてるわ」


 ウィルウィナの目が見開かれた。ついでに口も大きく開けられた。


「『ああ、もう私おばあちゃん、シワも誤魔化ごまかしにくくなってきたし、このままじわじわしわくちゃになっていくのこわい……このままなにもかもしぼんんでしまったらミーネのそばにいられなくなっちゃう……フィルちゃん助けて……』って毎晩まいばんうなされてるわ。自分で気が付いてなかった?」

「えええ……」


 ウィルウィナは泣きそうになった。というか、泣いた。


「でも、はっきりとは聞いてなかったな。――ウィル、あと何年くらい、生きられるの?」

「…………早ければ、あなたと死ぬのが同じくらい……遅ければ、もう少し…………」

「そっか。じゃ、一緒にふたりで死ねるかも知れないんだ」


 うれしそうに笑うミーネの顔に、ウィルウィナはまばたきを忘れた。


「あたし、ウィルにひとつだけお願いがあるの。っと、その前に聞いておかないとか。……エルフって、お墓を作るの?」

「……お墓?」


 何故そんなことを? とウィルウィナの思考が真っ先にめられるが、口は思ったよりもなめらかに動いてその問いに答えていた。


「……人間みたいな石のお墓は、作らない……。どんな身分のエルフも、死んだ後は同じ……。ほんの数人が森のどこかに深く深く穴を掘って亡骸なきがらを埋め、その場所を決して明らかにしない。死んだ後は、森と一体になるのがエルフの風習ふうしゅう……」

「じゃあ、無理かも知れないか……人間は、エルフの森に埋めてもらえないよね」

「ミーネ?」

「あたし、ウィルと同じお墓に入りたいんだ」


 今度こそ、ウィルウィナは言葉を失った。


「あたしなんかじゃ、ウィルと結婚は認めてもらえないものね。人間だし、女だし。でも、毎日をこうしてウィルと過ごせるだけでいいの。ね、ウィル。あたしがとしを取っておばさんやお婆ちゃんになっても、一緒にいてくれる?」

「…………」

「ウィル?」

「い……いるわ……一緒にいる……いるに決まってるじゃない……。いえ、一緒にいさせて……」


 裸のウィルウィナが流す涙がランプの光を受け、いくつもの真珠しんじゅつぶのように輝き、白い肌を転がり落ちていく。そんなエルフの同居人のさめざめと泣く姿を、人間の同居人は微笑びしょうを浮かべてながら見つめていた。


「私、さっきもいったけど、たくさん恋人を、愛人を作ってきた……。でも、ミーネ……あなたで最後にしようと思っているの……。あなたと一緒に、静かに、残りの時間を過ごしたい……」

「でも、ウィルは浮気性うわきしょうだからなぁ」

「本当よ。ちかう、誓います。ミーネ、あなたを最後の恋人にさせて。死がふたりを分かつまで、一緒にいることを誓うわ……信じて、お願い……」

「ふふふ。わかった、信じてあげる。その代わり、約束を破ったらひどいからね?」

「ミーネ……多分あなたが先にくことになるだろうけど、立派なお墓を建ててあげるわ」


 長い脚の膝小僧ひざこぞうに目をこすりつけ、ウィルウィナは涙を拭った。まるで子供が泣くような仕草だった。


「そして、そのお墓に私も入るわ。あなたがよければ、一緒のひつぎに入りたいくらい……」

「いいの? ウィルは女王なのに、しきたりを無視して」

「いいの。死んだ後くらい、自由になりたい。私にとっては、あなたの方が大切なの。……でもミーネ、あなたはまだ若いのだから、今からお墓に入る時のことなんて考えなくていいのよ……」


 うん、とうなずいたミーネの手が再び帆布の上で走り出した。

 姿をえがき、えがかれる。

 このふたりにとってそれは、無言でも成立する会話の時間に他ならない。


 部屋を淡い灯りが満たし、光と陰を浮き上がらせる。このせまい世界はふたりだけのものだった。


「ミーネ、今度から、今から私の耳もちゃんと描いて」

「いいの? それに、こんな立派なお胸のエルフがいるなんておかしいっていわれるわ」

「ちゃんとここにいるじゃない。もうすぐ、フードを被らなくても表を歩けるようになるし……」

「そっか……街を歩く時も、周りの目を気にしなくていいんだ……いいね……」

「ミーネ、好きよ。愛してる」

「わかってるってば。――あたしもだからね、ウィル」

「うん」

「早く、あたたかくなればいいね」

「そうね……」


 また、木炭が帆布の上を走る音だけが聞こえ始める。

 裸の女王は画架と帆布越しに恋人を見つめ、画家の卵である女性は、自分の目と心にうつった恋人の輪郭りんかくと陰とを白い領域に描き続けた。



   ◇   ◇   ◇



 時は、ゆるやかに過ぎていく。

 あの時起こった災厄さいやくが、夢かまぼろしであったように。

 きびしい冬の日が一日、一日と暮れていく。


「今年の冬の終わりは、かなりずれ込むようですね……」


 おだやかに眠り続けるリルル、その首から下をおおっている掛布団かけぶとんの形を直し、フィルフィナは窓から見える空の、えた青さに目を向けた。

 かわききった空気は陽の光をぼやかさず、がれたような光を地上に降りそそがせている。


 一日のほとんどを屋敷の屋内で過ごし、いいところ庭に出るのがせいぜいで、この一ヶ月は門から外にさえ出ていないフィルフィナは小さく息をいた。


 リルルから目が離せないというのではない。容態ようだいが安定している、安定しかしていないリルルの身に変化があるとは思えなかった。

 が、心のくさりがつながってしまったように、フィルフィナはリルルの側から離れられなかった。


「とはいっても、去年も三月の末までかなり冷え込みましたからね。季節がずれているのでしょうか……早く、あたたかくなってくれるといいのですが……」


 あたたかく、なったら。


「あたたかく、なったら……」


 あたたかくなると、なにかが変わるのだろうか。

 自ら作った心の迷宮めいきゅう袋小路ふくろこうじまってしまい、フィルフィナは動けなくなった。

 世界はもう、これ以上直りようもないくらい、元に戻ってしまったというのに。


 心を閉じ込められたフィルフィナを救ったのは、玄関から聞こえて来た呼びがねだった。


「こんにちは、フィルフィナさん!」

「よう、フィル」


 応対に出たフィルフィナが玄関げんかんを開けると、両腕に鮮やかな色の花束を抱え、明るい顔で元気に挨拶あいさつをするティコと、その後ろで少し照れくさそうに頭をいているダージェの姿があった。


「ようこそ、ティコ君。それにダージェ。今日も寒いですね」


 フィルフィナはティコから花束を受け取り、花の香りをいだ。青い薔薇バラから冬の冷たい香りが鼻孔びこういっぱいに広がった。


「ええ。でも魔界よりもあたたかいです。とはいっても、明るくなった魔界も以前みたいに氷の世界じゃなくなりました。地上にはかないませんが、やっぱり明るいっていうのはいいですね!」

「おい、こんな玄関先で話し込むな。寒いのは寒いんだ、早く中に入れよ」

「ダージェ様は真冬でも、上半身裸で平気じゃないですか」

「人を露出狂ろしゅつきょうみたいにいうんじゃねぇ。あれは我慢がまんしてんだ。寒くないわけないだろうが」

「ふふ」


 フィルフィナは微笑ほほえみ、三歩を下がった。


「中にお入り下さいね。お嬢様の居間いまにどうぞ。今、熱いお茶をれますよ」

「いつもすまねぇな。このティコがここに来たがってどうしようもねぇんだよ」

「あー、ダージェ様ったらボクのせいにして。ダージェ様だってリルル様のお顔を見たいくせに。今日だって『ティコ、そろそろリルルのところに行かねえか?』とかそわそわしてたのに」

「だから! なんでお前はいつも俺のずかしい話をべらべらべらべらしゃべるんだ!!」

「いはいいはいいはいいはい!」


 ティコの口の両脇に指を突っ込んで広げるダージェ、広げられてさけぶティコという、中のよい兄弟に似た姿を後ろから見つめ、廊下ろうかを進むフィルフィナはほおを緩ませた。


「そういや、ニコルの野郎は? 今日はいねえのか?」

「ニコル様は早朝に顔を見せられたきりで、島の方に行っておられます。今日は第五の移民団が船で到着するので、その出迎でむかえに」

「もうそんなになるのか。これで島の人口はどれくらいなんだ」

「千人に到達したとのことです」

「そろそろむずかしい頃合ころあいだな。二百人くらいならニコルの笑顔でみんな参らせることができていたけど、人数が増えればその効き目もうすまるってもんだ。先に来た連中との意識の差もあるからな。ここからが本当のあいつの腕の見せ所ってところだ」

「そうですね……」

「リルル様、失礼します!」


 とびらに向かって一礼をしたティコは居間に入り、てくてくと寝室に向かって歩いて行った。


「おいおいおい、お嬢さん、こっちじゃフローレシアだったか、とにかく淑女しゅくじょの部屋だぞ。そんな気楽に歩くんじゃねえよ」

「ティコ君は特別です」

「ああ、もう、どうして可愛いガキにはみんな甘いんだ。俺も可愛く生まれりゃよかった」

「ダージェ様が可愛くなっても中身が生意気ですから、無理です」

「この野郎!」

「ひゃあああ!」

「はいはい、お静かにお静かに。ここは遊び場ではありませんよ」

「ほら見ろ、お前のせいで怒られたじゃねぇか」

「ダージェ様もいけないんですよー」


 そういったティコは寝室の扉の前で立ち止まり、失礼します! と折り目正しい礼をしてから扉を開けた。


「それでは、わたしはお茶の用意にでも……」


 と、居間を出ようと足を向けたフィルフィナの耳に、玄関がバン! と荒々あらあらしく開けられる音が聞こえた。

 髪の中にもれた耳の先端せんたんがぴくり、とねる。近づいてくる足音の短い調子のそれは、全速力で走っているものと知れたが、それが誰のものであるかも識別しきべつできていた。


「ニコル様……?」

「フィル!」


 声と共に廊下ろうかと居間をへだてる扉が開けられ、顔にあせりを張り付けたニコルが姿を見せた。


「すまない、さわがせて! フィル、緊急事態なんだ、すぐに来てくれ!」

「ニコル様、それは」


 フィルフィナはいいかけて、言葉を飲み込んだ。ニコルがここにいるということは、物置に設置した転移鏡てんいかがみを使ってメージェ島から一瞬で移動してきたということであり、自分が呼ばれているということは、自分でしか解決が困難こんなんな問題が発生したということだ。


 単に、大勢力がなにかが襲撃しゅうげきをかけてきたのではない。

 力だけでは解決しないような問題――。


「なんだ、め事みたいだな」


 ニコルの剣幕けんまくするどさに、奥に消えていたダージェとティコが顔をのぞかせた。


「ダージェ、来てくれていたのか」

「フィルフィナさん、安心してください! リルル様はボクが命にえても守ります! フィルフィナさんが留守るすの間、ダージェ様にはリルル様に指一本れさせません!」

手前てめぇなぁ!」

「わかりました、よろしくお願いします」


 フィルフィナの目がキッ、と細められた。久しぶりの戦う自分の目だった。


「ニコル様、事情は向かいながらうかがいます。走りましょう」

「うん」


 ニコルとフィルフィナは部屋を飛び出した。

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