「恋人たちの事情」

 ――王都の正午。

 北から南に流れて都市を東西に二分にぶんする大運河だいうんがを望む、今までに洪水こうずいによる被害ひがいを防ぎ続けてきた鉄壁てっぺき大堤防だいていぼう


 その上に築かれた公園では、う人の骨をしんからて付かせるほどの木枯こがらしが勢いよく吹いていて、人通りはほとんどなかった。

 春の陽気ようきおとずれれば、この時間でも遊ぶ子供たちやひまつぶす老人たちでにぎわいもするが、今日のような寒さでは寄りつく人もいない。


「う、う、う、う――――ぶるぶるぶる!」


 堤防に沿っていくつもの長椅子ベンチえられているが、防寒着ぼうかんぎを着込んでいても震え上がるこんな寒さの中では、そんなものはひとつだけしかまっていなかった。


「さ、さささ、寒いよ、シーファ」


 羽毛をまとっている体を羽根が付いている腕で自ら抱きしめ、その上から厚手のマントを羽織はおっていてもなおぶるぶると震えている半人半鳥ハーピーの少女、メイリアが顔から血のを完全に引かせ、奥の歯を打ち鳴らしていた。


「なんでこんな寒い日に、こんな寒い場所で人待ちしているのさぁ?」

「ここを待ち合わせ場所に指定されたからだ。仕方ない」


 対称的たいしょうてきにまるで動じていない顔の女性が、その声に少しの震えも感じさせずにいった。顔にのぞかせているへびうろこを思わせる皮膚ひふ半人半蛇獣人ラミア想起そうきさせるその女性もコートを羽織はおっているが、隣に座る幼い容貌ようぼうのメイリアと比べれば薄着うすぎに見えた。


「ってそもそも誰と待ち合わせしてるの? なんのための待ち合わせなの!?」

「それはどれもわからない」

「なにさそりゃあ!?」

「ただ、政府の関係者のお呼び出しらしい。こんな場所を選んだ理由はわからないでもないな。密談みつだんにはもってこいだ」

「見渡す限り誰もいないからねぇ!? あー、もう、地下新聞に書くネタがなくなって仕事ないのは楽でいいけどさぁ、仕事なさ過ぎるのもそれはそれで気分良くないなぁ」

「ネタがないのに新聞は発行できないからな。それに暮らしの方は心配ない。ちゃんと大株主様フィルフィナから生活費せいかつひ支給しきゅうされてる」

「ホント、書くこと少なくなったなぁー」


 エルカリナ王国政府――特に王都の各区域を管轄かんかつする役所の不正や腐敗ふはいあばき、世に知らしめることで政治の浄化じょうかを目指している地下新聞の記者である二人は、この二週間、ほぼ開店休業状態だった。ネタにするべき不正や腐敗のうわさが流れてこないのだ。


「新しい国王になってから途端とたんに少なくなった。前の国王も優秀ゆうしゅうだったが、書くべきことはそれなりにあった……」

「そのうちあたしたち失業しつぎょうするんじゃない? ゴーダムの旦那だんなからもパッタリお呼びがかからないしさ」

「失業については心配してない」


 シーファはいった。


「多分、この待ち合わせは、そのことについてだと思う……」

「ふへ?」


 大運河を中型の輸送船が左から右に航行こうこうしていく。川の流れに逆らって北に進むその船は、王都の上流側に生活物資を運んでいく船だろうか――。

 体をちぢめ、歯を食いしばって寒さに耐えるメイリアが人の気配に気づいたのは、そんな時だ。


 コートで着ぶくれた人間の男がひとり、ひょっこりと堤防に上がり、どこか愉快ゆかいそうな足取りで歩いてくる。毛糸けいと帽子ぼうし目深まぶかかぶり、その人相にんそうもうかがえないが――やけに丸い男だった。


「あたしたち以外にも物好ものずきがいるんだ――ああっ!?」


 のんきに構えていたメイリアは次の瞬間、おどろいた。その男がいきなり長椅子の隣に座ってきたからだ。

 老朽化ろうきゅうかしている木の長椅子がミシッという不吉な音を立てたのも、不安に不安を重ねてくれた。


「なになに、あんたちょっと不躾ぶしつけ過ぎっしょ! 亜人だからってナメてくれちゃこまるんだ! いきなりなんの挨拶あいさつもなしに女の子連れの隣に座るとかどういう神経してんの!」

「メイリア、やめろ」


 シーファは動じずにいった。


「待ち合わせの相手だ」

「んひゃあっ?」

「そうだよ、フローレシアお嬢さん方。お待たせしたね」


 毛糸の帽子を脱いで男は挨拶あいさつした。その人相があらわになった途端とたん、平静をたもっていたシーファの目に動揺どうようが走った。


「あ……あなたは…………!!」

「そうだよ。僕が政府の関係者さ」


 丸顔の男――国王コナス一世は、目尻めじり限界げんかいまでゆるませた満面の笑みでいった。


「へ? 誰?」

「馬鹿! お前は国王の顔も知らないのか! それでも新聞記者か!」

「ええっ!? このおっさんが国王陛下!?」

「わははは」


 おっさん、という言葉ワードをむしろ楽しむようにコナスは笑った。


「寒い所に呼び出してすまなかったね。じゃあ早速本題と行くよ。我が王国では近々、亜人あじんたちを正式に市民として認める法律を制定する」


 コナスは自分の言葉通り、本当に早速本題に入っていた。


「その前段階として、亜人を公務員こうむいんとする実績じっせきを作っておきたい。まあ、勧誘スカウトだよ。君たちのことはだいたい調べさせてもらっている――シーファ嬢?」


 コナスは懐からそこそこ分厚い書類を取り出し、ペラペラとめくり始めた。


「君は人間とラミアの間に生まれた身らしいが。へび属性ぞくせいを受けげなかったので異端いたんとして故郷こきょう追放ついほうされ、王都に出て来た――合ってるかな?」

「……私の生まれまで、調査ちょうさが入っているのか……」

「うちの諜報部ちょうほうぶは優秀でね。でまあ、君も戦士として、取りわけ斥候せっこうとして特に優秀と聞いているよ。去年の春、僕がらみの事件でも活躍かつやくしてくれたらしいね――すれ違いで、顔は合わせなかったけれど」

「ああ、確か……あなたはその時……。私とメイリアは見た、あなたの葬儀そうぎを……」

「ははは。お恥ずかしいところを見られちゃったね。変な話ではあるが、ははは――と、まあ手早くぶっちゃけると、その優秀な諜報部をさらに優秀にしてほしいのさ。今はしつ担保たんぽされているがまだその規模きぼは小さい。とはいえ、むやみに人員を入れても質は下がるだけだ」

「私たちに、間諜かんちょうになれと……」

「仕事は新聞記者みたいなものだ。情報を精査せいさして正しく報告ほうこくする。ただまあ、あつかうネタの危険度が馬鹿高いかな」

「――そして、私が持つ人脈も利用したいと……」

「君は亜人の組織網そしきもうに通じているらしいからね。――悪い話ではないだろう? 亜人の権利向上、それこそが君が望んできたことだ。そして、人間と亜人との橋渡しになること。自分が人間と亜人の狭間はざまに生まれたがために、ね」

「なにもかもお見通しっていうことか。少し見透みすかされ過ぎているのが気持ち悪いかな……」

「僕はこの国をより良くしたい。今までの国王たちは亜人の力を利用するためその存在を黙認もくにんしたが、それでは権利として不十分だ。亜人に権利と責任を。法律の下で人間と同じに。そのための第一歩さ」

「…………」


 メイリアが不安な視線を送る中、シーファは黙考もっこうした。

 凍てついた風が空気を切りく音が三回した後、シーファは、そのうすくちびるを開いた。


「少し、考えさせてくれ……一日だけ、時間が欲しい……」

「返事はどういう形でくれるのかな?」

「明日、この時間のこの場所で……そちらの都合つごうは?」

「まあなんとかなるかな。こちらも無理な相談に乗ってもらっているんだ。それくらいの都合はつけさせてもらうよ――ではシーファ嬢、メイリア嬢、いい返事を期待しているよ」


 コナスは毛糸の帽子を再び被ると、体型に似合わぬ軽快な足取りで堤防を降りていった。


「就職のご案内だったな……」

「シーファ、どうするのさ? なんかのわなかも知れないよ?」

「私たちふたりをおとしいれるのに、わざわざこんな手の込んだことはしないだろう」


 シーファは立ち上がった。これ以上ここにいる理由もなかった。


「外からこの街を改革かいかくしようとしていたが、中にもぐり込むというのも悪くはない。問題は目的が遂行すいこうされることで、なにを手段とするかは二の次だ……」

「えええ……政府のい犬になるっていうことでしょ? あたしは気分よくないなぁ」

居心地いごこちが悪ければまた野良犬のらいぬになればいい。私たちは自分のくさりくらい引きちぎれる――行こう」

「ああああ、待って待ってシーファ、あたしを置いてかないでよ」


 堤防を下りだしたシーファを追って、メイリアも斜面しゃめんを走り出した。

 一度、二度とつまずいて転びそうになっている愛すべき相棒あいぼうの気配に微笑ほほえみながら、シーファは自分に言い聞かせるように、その唇のはしで音を刻んだ。


潮目しおめは変わったな、完全に。ここからどういう流れになるのかは、この目で確かめないと……」



   ◇   ◇   ◇



 冬の陽が西に大きくかたむき、太陽が最後の残り火とするかのように発するオレンジ色の強烈な光が、西向きの窓から嫌になるくらい強くし込んでいた。


「さぁ、暗くなる前に下書きだけでもやっちゃおう」


 画架イーゼルせた帆布キャンバスを前にして、顔の半分をかくすような大きな丸メガネに三つ編みといった――お世辞せじにもあまり洗練せんれんされている風貌ふうぼうとはいえない若い女性――ミーネが、背もたれもついていない小さな椅子いすの上で気合いを入れた。


「ウィル、寒くない? 暖房だんぼう、入れようか?」

「いいわ。私、寒いのは平気よ。それに暖房代も安くないしね」

「そうそう、節約せつやくしなきゃ……でもゴメンね、あたしに甲斐性かいしょうがなくて」

「なにいってるの。生意気なね」


 ミーネが真正面にした寝台ベッドの上に、一糸いっしもまとわぬ身となったウィルウィナが腰を下ろし、右脚をばしながら立てた左膝ひだりひざを両腕で抱きしめるようにして体を丸めている。いやおうにも人の目を引く見事なまでに大きな乳房ちぶさが、左膝と胴体の間でつぶされていた。


「早く仕上げて、夕飯にしなくちゃ」

「急がなくてもいいわ。遅くなってもかまわないし。それにミーネ、あなた、昼間のお仕事で疲れているでしょ……外で食べてもいいのよ? 私、おごるわ」

「だーめ。ウィルに奢られれるとあまえちゃうもの。自炊よ自炊。自炊が安いの。節約しなきゃ。でもウィル、いつかあたしも売れる画家になってみせるから。題材モデルはいいのに絵が売れないのは、あたしの技量ぎりょうがまだまだということなのよね。もっと練習しなきゃ」

「ミーネ、その話なんだけど」


 緑の長く豊かな髪が白い背中をおおっている。森妖精エルフとしては規格外きかくがいの肉感的な肢体したいと、その細く長い耳が放つ違和感ギャップが、このウィルウィナを特異とくいな人物にしていた。


折半せっぱんで半々にしていた生活費、私が全部出してもいいわ」


 帆布の上に木炭で線を引き、当たりをつけていたミーネの手が、止まった。


「それくらいのお金はいくらでも都合つごうできるもの。そうすればあなたは一日中、絵を描いていられる。生活費をかせぐためのお仕事もしなくていい。あなたをいい絵の学校に入れてあげることも……」

「だーめ」


 ミーネは、微笑ほほえんだ。


「ウィル、忘れないで。あたしたちは対等な同居人なの。ウィルに全部お金を出してもらったら、あたし、ただのウィルのかこい人になっちゃう。ただの人間の娘のあたしがいうのは生意気だろうけれど、そうしないとあたし、ウィルを真正面から愛せない。――だから、これがいちばんいいの」

「ミーネ……」

「それにあたし、めぐまれたら堕落だらくしちゃう。ウィルと自分のためにがんばる。がんばって、こんな日当たりのよくない、せま二間ふたまの部屋から引っ越すの。ウィル、少しだけ待ってて」

「――私、この部屋、好きよ」

「こんなボロアパートが? エルフの女王様なのに?」

「この狭い部屋が好き」


 ウィルウィナは、膝小僧に乗せた顔を艶然えんぜんほころばせて、いった。


「画材のにおいと、私とあなたの匂いでいっぱいになる部屋が。私とあなただけで満たされる部屋が好き。それに広い部屋に移ったら寝台を大きいものに買いえるでしょ。ひょっとしたらふたつ買うかも知れない――この狭い寝台で、あなたとひとつになれるのが、好きなの」

「……やぁだ、その台詞セリフはもっとが落ちてからにしてよ。ドキドキして手元がくるうじゃない」

「うふふ」


 そして、二人はだまった。木炭が帆布をこする音だけが鳴り続けた。


「ウィル、前から気になっていたんだけど……」

「なぁに?」


 部屋の照明がともされる。西からうるさいくらいに射し込んでいた太陽は、もう、明日の領域にすべり込んでいた。


「どうしてあたしなの? 自分でいうのもなんだけど、あたし、そんなに見目みめ、よくないよ。周りにあたしより綺麗きれいな女の子いっぱいいたし、このそばかすもずっと気にしていたし……」

「――ひとみよ」

「瞳?」


 ミーネがまばたき、ウィルウィナはにっこりと笑った。


「あなたが初めて私に声をかけてくれた時、絵の題材になってほしいっていって興奮こうふんしたあなたが街角まちかどで手を取ってくれた時、私、その目の輝きに一瞬で参ってしまったわ……」


 ウィルウィナの目が細められた。過去をる目だった。


「私はたくさん恋をした。その相手のみんなが綺麗な目をしていた……。綺麗な目は、時間がっても永遠なの。いたとしても綺麗に輝くわ……ミーネ、あなたの目も、とても綺麗。あなたが死んだら目だけ残しておきたいくらい」

「やぁだ。生きてる間に目だけ取られそう」

「目以外も、好き」

「やめてったら。まだ早いし」


 再び素描が始まる。白い帆布の上で、ウィルウィナの陰影が形となって再現されていく。


「……ミーネ、私、あなたにいっていなかったことがあるわ……」

「ウィル?」

「私ね、結構若作りしているから、そうは見えないかも知れないけれど……。エルフとしてもそろそろ、おばあちゃんなの……」


 ミーネの手が、止まった。

 寝台と帆布を往復していた目が止まり、寝台の上で表情をくもらせているはだかの女王に向けられた。

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