「第08話 過ぎ行く冬」

「ある日の、なんでもない王都の朝」

 冬の太陽が地平線からようやくその重い腰を上げた早朝――午前七時ちょうどをかべの大時計が差した瞬間、建物の柱という柱を揺るがすほどの大きなかねの音が、ビルディングの大広間に響き渡った。

 十五秒ほどでそれが鳴り終わり、へばりつくような残響ざんきょうを誰もが耳に残す中、砲声ほうせいのような大音声だいおんじょうが張り上げられる。


「いいかァ、手前てめェ等ァ!!」


 ぎゅうぎゅう詰めにすれば五百人は入れられそうな部屋、そんな広い空間は手狭てぜまだといわんばかりのすさまじい響きの声に、居並いならぶ真っ白い背広せびろとズボンに身を包んだ男たち――種族は本当にまちまちだが、どれもこれも亜人あじんだった――の背が、電撃に打たれたごとくにびた。


 昨日まで、全員が真っ黒い背広とズボンに身を固めていた男たちだった。


「ティーグレ組は昨日で解散したァ!! ややこしい組織改編そしきかいへんて、俺たちは今日から新しい組織として生まれ変わったァ!! 全員、その名前を頭にたたき込んでるだろうなァ!!」

「へい、組長!!」


 体格のいい三百人ほど、それぞれに目立つ傷がきざまれた顔ばかりの亜人たちが一斉いっせいに声を出す。その声の集まりをたったひとりでね飛ばすほどの応射を、黄金の毛を顔と手にのぞかせて一同に正対する巨漢きょかん虎獣人とらじゅうじんが放った。


「組長じゃねェ!! 俺たちはもう暴力団ぼうりょくだんじゃねェ、堅気かたぎの集まりだ!! 手前ェも、身なりと礼儀れいぎから堅気らしくするんだ!! わかってるなァ!!」

「へい、組合長!!」

「じゃあうちの四箇条よんかじょう、いってみろォ!!」

「ひとつ!!」


 一分のみだれもない唱和しょうわが始まった。


「いつもニコニコ笑顔で挨拶あいさつ!!」

隣三軒となりさんげんき|掃除《そうじ

》!!」

「助け合い話し合いよりよい社会!!」

拳骨げんこつ振るう子悪い奴!!」

「おお、なかなか決まったじゃねェか」


 虎獣人――亜人街あじんがい随一ずいいちの実力者と周囲からもくされる、特注の背広とズボンが中から押し上げてくる筋肉ではち切れそうになっている大男、ティーグレがきばをのぞかせて笑った。


「今日から俺たちは『ティーグレ共愛互助組合きょうあいごじょくみあい』だ!! もうあと数年もすれば、俺たち亜人にも正式な市民権が与えられる!! その時のために俺たちはそれに相応ふさわしい身になってなければならねぇ! 法律を守れ!! 人間たちと仲良くしろ!! 身内みうちはじは自分たちで始末しまつするんだァ!!」


 ヘイ!! と声がそろう――中、悲劇は起こった。


「ふわあ」


 不運にもあくびにおそわれた蜥蜴とかげ獣人が発した声に、周囲の全員が背筋に氷柱ひょうちゅうを突っ込まれたのに似た寒気に怖気おぞけ立った。

 蜥蜴獣人の大口から、さらに目を引く赤い舌がチロチロと伸びてしまったのが、不運に不運を重ねていた。

 ――風が吹いた。


「なんだァ手前ェ!!」

「ぐぇェェッ!!」


 大型投石器カタパルトで放り投げられる巨石きょせきを超える勢いで飛び出したティーグレ、彼の鉄塊てっかいと変わらぬ拳が、文字通りに風を巻いて蜥蜴獣人の頬骨ほおぼね炸裂さくれつしていた。


「この輝かしい発足ほっそく初日にあくびなんかで水を差しやがってェ! 手前ェやる気あんのかァ!!」

「組合長、組合長!!」

「拳骨振るう子悪い奴、拳骨振るう子悪い奴!!」


 蜥蜴獣人に馬乗りになり、隕石いんせきが雨あられと降りそそぐに等しい拳打けんだ釣瓶つるべ打ちを食らわせるティーグレに、周囲の背広たちが必死にむらがった。左右で合計八人に両腕をかかえられてもなお拳を振り回していたティーグレが、はっと興奮状態こうふんじょうたいからわれに返った。


「い、いけねェ、いけねェ、俺としたことが……おい、ガラリス! 大丈夫か!!」

「だ……大丈夫だ、あに……組合長……」


 顔の形が明らかに変形しているガラリスが必死にしぼり出したきしんだ声に、周囲の背広たちがその顔の全部をゆがめた。見ているだけで痛さが伝わってきた。


「すまんな、つい興奮しちまった。俺を許してくれ」

「お……俺が悪いんだ……いいってことよ……」

「おい、ガラリスを魔導医院まどういいんに連れていって、いちばんいい治療ちりょうを受けさせてやれ――これは治療費だ。ガラリス、釣りは取っとけ。びの印だ」

「…………」


 ティーグレがふところから分厚ぶあつ札束さつたばを取り出し、ガラリスの背広のポケットにねじ込んだ。それ以上なにかをいうのも無理そうなガラリスを周囲の二人がれた手つきで手早てばや担架たんかに寝かせ、大部屋を出て行った。


 周囲の組員――いな、組合員たちは幻痛げんつうを覚えながら横目でそれを見送る。折れた歯や骨折こっせつも二日でなおしてしまう魔導医院だが、治癒魔法ちゆまほうがその傷を回復させる際、傷ついた時の数倍にあたいする苦痛をともなうことは、全員が文字通りの骨身ほねみみて知っていた。


「見苦しいところを見せちまったな」


 ティーグレが再び一同を前にする。その白い背広に赤い染みが点々と付いていた。


「俺もまだ未熟者みじゅくものだ!! 今見たように間違まちがいは盛大せいだいにやらかす!! その時は遠慮えんりょなく俺に進言しろ!! 法とおきて、そしてなにより会長・・がこの組合と亜人街を支配する!! この下では俺たちは全て平等だ――会長はいちばんえらい!! 神のような存在、いや、神だ!! わかってるな!!」

「ヘイ、組合長!!」

「よし!! では全員、会長の御真影ごしんえいに礼!! 全力で挨拶!!」


 ティーグレが百八十度振り返り、天井が高い部屋の奥、広いかべの一面に堂々とかかげられた、一枚の大型テーブルの天板ほどありそうな写真に向かい、正確な直角の最敬礼さいけいれいをした。


「フィルフィナ会長、おはようございます!!」

「会長、おはようございます!!」


 三百人の男たちに一斉の礼をされた写真――メイド服のフィルフィナが椅子いすに座った姿、その上半身を切り取った像が優しげに微笑ほほえんでいた。



   ◇   ◇   ◇



ばあちゃん、いい加減に意地張いじはらないで、いうこと聞いてよ」

「あたしゃ意地なんか張ってないよ。嫌なものは嫌なんだよ。どうしてそんなとこに移らなきゃならないんだい」


 早朝のアーダディス家――平民住宅街の一角、お世辞せじにも綺麗きれいとはいえない、築半世紀ちくはんせいきむかえようとしているのではないかという古びた住宅が軒を連ねる界隈かいわい一軒家いっけんやで、若き国王とその祖母が延々えんえんと議論していた。


 四人以上は住むのは無理そうな小さな家の軒先のきさきで、栗毛の馬が一頭、適当につなれている。その馬と一組になっているように栗毛くりげの髪の少女が並んで立ち、冬の寒風もなんのそので外にり出している子供たちが馬――ロシュに触ろうとするのを、少女――ロシュがやんわりと防いでいた。


「この家ももう建て付けがかなりあやしいじゃないか。隙間すきま風もひどいし、この前は雨漏あまもりだってしていたよ。ね、フォーチュネットのお屋敷に移ろうよ。快適だよ」

「雨漏りはこの前ロシュに直させたし、隙間風なんかは端材はざいでも詰めとけばいいのさ」


 小さなメガネを使い新聞を読む祖母――ローレルが、ぎらりとするい目を新聞からのぞかせた。


「いいかい、ニコル。この家はあたしが嫁入りした時、旦那だんなと一緒に借金して建てたものなんだよ。その後の返済へんさいのためにも一生懸命いっしょうけんめいに働いた。お前にとってはボロ家かも知れないけれどね、あたしにとってはどんなお屋敷よりも価値があるものなのさ」

「それは知ってるけれどさあ」

「それに、だ」


 そばではニコルの母のソフィアが、いつもと変わらぬ顔でお茶の片付けをしていた。三人がテーブルにつどえば狭苦せまくるしい一間ひとま――玄関げんかんなどはなくとびらを開ければすぐ道に面しているし、小さいが三つも寝室をねた個室があるのがまだ恵まれている方だという、なんでもない平民階層の部屋だった。


「人間には中身とうつわっていうものがあるんだ。中身の小さな者が、いきなり広い器に入ってみな。自分の中身はその器ほどあるんだって勘違かんちがいする人間がだいたいなのさ。身の程をわきまえなくなった、失敗はそこから始まるんだよ」

「僕は勘違いしているかい? 婆ちゃん」

「お前は……………………街の男衆おとこしゅうたちにも自分から頭下げて挨拶しているし、まあ、大丈夫だとは思ってるよ。というか、お前の年頃でそんな立場になっちまったら、勘違いしない方がおかしいと思うけれどね」

「ニコルはかしこい子ですから」

「そうだった。あたしの孫なら当然か」

「婆ちゃんだってそこまでわかってるなら、勘違いなんかしないよ。婆ちゃんだって昔からずっと苦労してきたんだ。ここからくらい、楽に暮らしたっていいじゃないか」

「まだわかってないのかい、お前は」


 ローレルは新聞をえた。


「あたしゃ今で十分幸せなんだ。寝る家もある、着る服もある、三食食べられてお茶までできてる。こんな恵まれてるのに、他になにを望むんだい?」

「だから、もっといい家で、もっといい服で、もっといい食事をしたって」

「今で十分りてるのに、その上を目指し始めたらキリがないんだよ。ニコル、覚えておきな。不幸は欲しがることから始まるんだ。あないてる器をそそぐ水で満たそうとしたら、お前はまずどうするんだい」

「それは……器の穴をふさいで……」

「だろ。お前でもすぐわかる理屈なのに、世の中の連中ときたら、穴を塞がずに必死になって注ぐ水を増やすんだ。それでいて、水が穴からダダれになってることには全然気が付かない。ニコル、繰り返しいっておいてやるよ。足るを知るんだよ。お前はこれからどんどん大きくなるから、それを頭にきざんどきな」

「母さん……」

「ニコル、お義母かあさんの、お祖母ばあちゃんのいう通りだよ」


 助けを求めるように視線を向けたニコルに、ソフィアは微笑んだ。


「あたしたちはこれで十分。お前という子を持てて幸せ過ぎるぐらいだよ。これ以上なにかを望んだら本当にバチが当たっちゃう。ニコル、お前はお前のこと、お前をしたってくれる人たちのことを考えるんだよ。あたしたちに気をつかうことはないからね」

「うん……」

「それにフォーチュネットの屋敷なんかに移ったら、服や身なりも上等にしなきゃいけないし、言葉遣いだって変えなきゃならんだろ。ああ、うざったい。あたしは今が気楽でいちばんいいね。ソフィア、お前だってそうだろ?」

「ええ。あたしには気楽な服とエプロンが似合ってますから」

「そういうことだ。これがあたしらの中身で器なんだ。ま、ニコル――お前の中身はあたしらと違って大きいから、お前はもうちっと器を大きくしな。狭すぎる器も考えもんだ。かといってこの近所に王様らしい格好で来るんじゃないよ。王冠おうかんなんかかぶって来たりなんかしたら、その場でしばくからね」

「ニコル、旦那様だんなさまによろしくね。……良かったね、お前の父さんになってもらえて」


 フォーチュネットの屋敷に乳母うばとしてやとわれ、リルルが乳離ちばなれした後はしばらく下女げじょとして働いていたソフィアの言葉に、ニコルはようやく笑顔を作ることができた。


「うん。――フォーチュネットの父さんもようやく目が覚めてくれたんだ。本当良かったよ……」

「あんのクソ旦那かい。若い頃苦労したといっても、根は貴族様だったわけだ。しょうがないね」

「お生まれがお生まれだし、調子が良かった頃のフォーチュネットの家を幼いころに見ていらっしゃったわけですから、憧憬どうけいがおありだったんですよ。時折ときおり会うたびに決まって、『リルルを良家に嫁がせてフォーチュネットの領地を取り戻すんだ』とおっしゃっていたくらいですから……」

「そんなんだから今頃バチが当たって、リルルがあんなことになったんだ。まったくクソ親父だ」

「婆ちゃん、いい過ぎだよ」

「……まあ、今頃とはいえ改心できただけでも、マシだったと見るべきかね。――なんだいこの新聞、昨日と同じようなことしか書いてないじゃないか。まったく面白くない新聞だ」


 孫のとがめる視線を新聞越しに感じたように、ローレルは声の調子を下げた。


「ニコル。お祖母ちゃんはいうほど旦那様を嫌ってないよ。誤解しないでくれよ」

「わかってるよ。婆ちゃんは嫌いな相手のことを口にしたりしないんだ」

「さ、そろそろ仕事場に行こうかね。まったく島の女どもときたら、あたしが目を光らせてないとたるんでいけないよ。すぐに仕事をなまけるんだ」

「お義母さんが来ると三倍の勢いで働かないといけないから、その間休んでいるんですよ」

「ふん。じゃあ最初から最後まで三倍働かせるとするか――ソフィア、先に行ってるよ」


 ローレルは歳に似合わぬかくしゃくとした動作で椅子から立ち、部屋の隅に立てている姿見スタンドミラーに体を突っ込ませた。一瞬のあわい輝きを見せ、鏡面きょうめんは固体の水面であるかのようにローレルの体を飲み込み、その体の全部を中に取り込んだ。


「大丈夫かな……。婆ちゃんの嵐のような小言こごとえかねて、島を逃げ出したいっていう人が出なきゃいいけど」

「心配ないよ。みんなにかれているから」


 そんな母の明るい顔は、ニコルの不安を吹き飛ばすのに十分だった。


「怒られたらちゃんと納得できることに怒って理不尽りふじんな怒り方はしないし、怒ったあとはネチネチせずカラッとしてるし、める所はちゃんと誉めるし、贔屓ひいきは絶対しないんだよ。だからあたしも好きになったんだ。ニコル、まだまだ人間観察が足りないよ。お前の悪いくせだね」

「……がんばって勉強するよ……」

「さ、あたしも怒られないうちに行かなきゃ。ニコルも王様業、がんばってね――リルルのことも忘れるんじゃないよ?」

「うん。母さん。婆ちゃんのことよろしくね」

「あいよ」


 ソフィアもまた、エプロン姿のまま転移鏡てんいかがみに入っていった。


「婆ちゃん、この新聞、昨日の日付だよ。こまったらすぐに、新聞読むフリするんだから」


 ニコルは小さく笑うとテーブルの上の新聞をたたみ、扉を開けて外に出、かぎを閉めた。

 にぎやかだった居間いまはあっという間に静かになり、さびしさだけがそこに残った。

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