「父の帰還(その一)」

 王都エルカリナの西の海の向こうに、今日の太陽は沈んで行った。

 薄闇の中では目立たなかった王都の灯りたちがその存在感を増す。王都は巨大な正方形の宝石のようになって、陽が落ちても容易に眠らない気配をその光量で示していた。


 が、城壁から外に出れば様相は一変する。街から四方に伸びる街道には街灯など建てられてはおらず、月明かりがなければなにがうごめいているのか見通せもしない真の闇だ。そんな真っ暗闇の世界では、徘徊はいかいする野獣や山賊などが旅人の大きな脅威になる。


 そんな、危険な夜の街道の一本――王都の南から伸びる街道を、炎が燃え盛る松明たいまつの大きな群れが北上していた。


 騎馬たちの群れだった。四百騎ほどの軍馬がその背に屈強な騎士を乗せて連なり、騎士たちはそれぞれに片手の松明を掲げて赤々とした炎で周囲を照らしている。遠目から見れば、まさしく炎の列が行進していると見えただろう。


 王都の衛星都市サウ・エルカリナの脇を通過して北上を続け、コア・エルカリナ南端まであと一カロメルトを切った――そこまで接近すれば、一辺十二カロメルトを誇る王都の城壁は視界いっぱいに広がる巨大なものとして目に映った。


 城壁の内部から発せられる、人口百六十万人が生み出す文明の光。その光が夜の空の底を薄明るく照らし、星々の気配を消していることに、炎の列の先頭を行く男、エヴァンス・ヴィン・ゴーダムは微笑んだ。


「見よ、我が馬よ、あれが王都の灯だ」

「公よ、その台詞せりふはランドブルクのゲープ海峡横断成功の時のものですね」

「そうだ。私も結構軽薄ミーハーだろう」

「ええ、最近はとみにお茶目になられておられます」


 騎士団の団長でもあるゴーダム公とその副官は笑い合った。四百人の騎士たちを乗せた四百騎の馬のひづめが立てる整然とした調子の響き、鎧が擦れる金属音が心地好く耳をくすぐる。


「やっと帰れたな……いや、我が家は発ったゴッデムガルドの方なのだが……」


 ゴーダム公の目が細められた。


「帰還してきた民の世話で時間を食ってしまった……。もう半月も経ってしまったとは」

「公もご家族と一日も早くご対面を成し得たがったでしょうに。上に立つ者の辛さですな」

「そうだ。私は偉い。もう公爵家も片手で数えるくらいしかない。いや、元々が多すぎたのだが」

「貴族を細分化して個々の力を削ぐ、歴代王家の方針でしたな。――で、新しい国王陛下ですが」

「コナス一世陛下か。昔、ちらと噂で聞いたくらいだが、凡庸ぼんような人物だと聞いていた……が、しかしこの権力の空白時に瞬く間に中枢を固めて王位を獲得してしまった辺り、相当のやり手だな。それとも、よほど優秀な参謀を抱えているのか」

「そんなやり手が友好的なのはありがたい限りでしょう」

「私は政争関係はからっきしダメなのだ。私についていても目はないから、コナス陛下に鞍替えしてもいいぞ」

「なにをおっしゃる。そんな素朴な公だから我々は着いてきているのです。公よ、共に貧乏くじを引きましょう」

「なにを無礼な、手打ちにしてくれるぞ」


 ははは、と二人の間で笑いが弾けた。喜びも苦労も、なにもかもをも長年共有し合った者同士の笑いだった。


「――しかし、もったいないことをしました……。我等ゴーダム騎士団の最期さいごの勇姿がなかったことになってしまった……。あれは軽く三百年は語り継がれる突撃だったのに……」

「それをいうな。皆にも徹底しただろう。自慢気に話すことは禁ずる、と」


 ゴーダム公爵領の外れに前哨地を建設し、大規模な転移の魔法陣を築いて大規模な橋頭堡きょうとうほを築こうとした数万規模の魔界の先遣隊を、たった七百騎で相討ち同然に粉砕した、ゴーダム騎士団最期・・の突撃――。


「エルカリナ王国は魔界と友好関係を結んだ。もう魔族は敵ではない。味方だ。そんな味方と派手に殺したことを吹聴ふいちょうするわけにはいかん」

「ええ、それに異論はありません。ただ……あまりにも惜しいなと……。あんな勇猛な場面はもう二度と再現できないと思うと……」

「わからんぞ。これからどんな事態になるか知れんのだ。騎士団の活躍が求められる時が来る可能性は十分にある。その時はまた大いに突撃し、大いに全滅しようではないか」

「いえ、やはり結構です。生きているというのは素晴らしいことです。公だけでどうぞ」

「いやいや、私も遠慮したい。やはり私も死ぬのが怖い」


 また大きな笑い声が弾け合った。そんな二人の軽口に代表されるように、騎士たちの顔にも笑みが漂っている。平和によくすることができるありがたさを噛みしめている顔だった。


「しかし、変な時間の到着になってしまった。こんな暗い時間に着くのは少しマズかったかな」

「仕方有りません。予定では明日の午前だったのですから。思わず足が速まってしまいましたな。予定が繰り上がるという連絡は着いているはずですが……公よ、城壁の辺り、門の周りに」

「むん?」


 副官の指摘にゴーダム公は馬上の体を前に傾けた、王都の南壁に築かれた門のひとつ、それがいつもよりきらびやかにも見える輝きに照らされている。東隣の門とは一段違う明るさだ。その明るさが伝えてくれる活気に、騎士団の騎士たちがざわとざわめきたつ。


「よかった。出迎えがあった、なかったら泣くところだった」

「あっても泣くことになるでしょう。ほら」

「父上――――!!」


 青白く輝く光点が前方から駆けてくる。それがなにかを目視で確認する前に、闇を突き刺すように轟いた少年の声に全てがわかって、公と副官の両方の顔に微笑が浮かんだ。


「すまんが、私の松明を頼む」

「どうぞ。私は照明役になります。私の家族はゴッデムガルドですからここでの出迎えはありまません。私にお気遣いなく、ご存分にお泣きになってください」

「泣くと決めつけられているのか、私は。まあ、多分泣くだろうがな」

「全部隊、街道から右に外れろ! ここで歓迎部隊を迎撃する!!」


 副官が腕を上げて怒鳴り、騎馬の群れは一糸乱れぬ動きでそれがひとつの生き物のように進む向きを変えた。今まで占有していた街道からぞろぞろと離れていく。そんな騎士団に、もう間近となった門から人の波が飛び出して押し寄せてくるのが見えた。


 その出迎え部隊の先陣を切るようにして――ニコルが、栗毛の馬・ロシュネールを駆りゴーダム公の元に飛び込んでいた。


「父上、お帰りなさいませ!」

「息子よ!!」


 血の繋がらない子と父が同時に馬から飛び降りる。炎の赤さに照らされた頬を紅潮させてひざまずこうとしたニコルは、膝を曲げる前にゴーダム公のたくましい腕に捕らえられていた。


「ちっ……ち、ち、父上!」

「ふ、ふふ! ニコル――いや、これは失礼か、ニコル一世陛下! お目にかかれて光栄で――」

「父上までおからかいになる! お願いですからおやめください! 体中がかゆくなります!」


 頬の全部を照れさせて赤く染めたニコルが恥じらう。そんな少年の可愛さに、ゴーダム公の笑いが爆発したように炸裂した。


「は、はははは! すまんすまん! しかし一度はやっておかんとな!」

「うわああああ」


 大柄なゴーダム公に、小柄なニコルの体が抱き上げられた。足裏に地がつく感覚が消え、代わりに来た浮遊感にニコルが不安と焦りの色を冷や汗と一緒にして顔いっぱいに浮かべる。


「お前のことは、コナス陛下からもあらかた書面で聞き及んでいる。お前はなんという奴だ……私が望んだ高みをぐんと超えて高く空に飛んでいく。こんな立派な有翼の若獅子を息子に持てたことを、私は本当に嬉しく、誇りに思うぞ……!」

「いえ、僕の力など……。全ては、僕の周囲の人々の力によるものです。一人として助力が欠ければ、今回の結果などあり得ませんでした」

「は、ははは! まったく、お前の口からは謙遜けんそんしか聞こえてこないな! ニコル、謙遜は美徳だが、それも過ぎると嫌味というものだ。誇れ。もっと誇れ。お前はそれに相応しいことをやってのけたのだ」

「よう! ニコル、元気だったか!」

「お帰りなさい! 先輩方もご壮健でなによりです! お疲れ様でした!」

「ねえ、エルグー、エルグーはどこーっ!?」

「ここだぁ――!! オルファヌ! 俺はここにいるぞ――!!

「お帰りなさい、ランガー! よく、よく無事で!!」


 後続の騎士たちの家族や知り合いたちの波も到達し、松明やランプの光を掲げ合って目的の顔を探し合う大混乱になる。秩序や整然さなど一気に吹き飛んでしまったのに、副官が声を上げた。


「これはもう収拾がつかんな。よーし、今回の進軍はここで解散とする! 各々、明朝屋敷にて集合せよ! それまではなにをしてもいいぞ! 明朝は二日酔いも許す! ただし女房や恋人は置いてこいよ!」


 わはははは、と笑いが湧き上がった。目当ての顔と巡り会えた騎士たちが一人一人と離れて王都の方に消えて行く。その人の雑多な流れをかき分けるようにして、取りわけ目立つ一団がニコルとゴーダム公の元に向かって進んでいた。


「あなた!」

「お父様ぁ!」 


 抱き上げたニコルを振り回して焦った声を上げさせていたゴーダム公が、背後から浴びせられた声に振り向く。

 厚いコートに身を包んだ二人の淑女しゅくじょの姿に、ゴーダム公の頬が緩みきった。


「――エメス、サフィーナ!!」

「あなた――あなた、生きて、生きてお帰りに……!!」

「お父様、お会いしたかった!!」

「おっととと」


 ニコルを降ろして向き直ったゴーダム公の胸に、エメス夫人とサフィーナが遠慮のない体当たりを浴びせるように抱きつく。


「はははは、大げさだな。帰ってきただけではないか」

「一度死んで帰ってきたのだから大騒ぎもします! あなたが死んだと聞かされた時、私がどんな想いをしたのか知らないでしょう! もう、馬鹿! 馬鹿馬鹿! 馬鹿エヴァンス!」

「エメス、みっともない。仮にもお前はゴーダム家の直系。こんな時にも涙を見せてはいかんぞ」

「男のくせに涙ぐんでるあなたにいわれたくありません! 今は黙って抱きしめられてて!」

「はは、いわれてしまったな。――サフィーナ、まだやんちゃ快傑令嬢をやっているのか。私のいないところでは困るぞ」

「お父様がなかなか帰ってこないからでしょう! お父様が亡くなられたと聞かされてから、私がどんなに心細かったのかお父様は全然わかっていないのです!」

「まあ、死んでいたからな。はははは。――ニコル、なにを遠慮している。こっちに来るがいい」

「で、ですが……」


 妻と娘と感動の対面を果たしているところに水を差していいものかどうか――それを真剣に悩んでいるニコルに、ゴーダム公は涙でうるみきった目を向けた。


「すまんが、私の腕にも長さに限界がある。三人を一度に抱きしめることはできんのだ。横着で悪いがニコル、私の背中を抱きしめてくれ。それで私の願いは完結する」

「は、はい、では失礼して――」

「父と息子の抱擁ほうように失礼もなにもないだろうが。愚か者め。さあ、がばっとやれ」

「わかりました。がばっと行きます、父上」

「おう、勢いよく来るのだぞ」


 ニコルは父の偉大な背中に抱きついた。ぬくもりの伝わって来ない金属の鎧の背中だったが、これが騎士公爵エヴァンス・ヴィン・ゴーダムの背中なのだという認識が、ニコルの心を温めた。


「いい、いいな……私は、本当に幸せ者だ。やはり、誠実に生きていればいいことがある。エメス、サフィーナ、ニコル……私に、家族をありがとう。血が繋がっているのは私とサフィーナだけだが、心はみなと繋がっている……やはり家族とは、いいものだ……」


 抱きしめるふたり、抱きしめてくる一人に三方を囲まれ包まれながら、いつしかゴーダム公の頬は滂沱ぼうだの涙に濡れていた。そんな静かな男泣きを揶揄やゆする者など、この場には一人としていない。


 ふたつの松明を掲げ、幸せな場を炎の光で演出する副官と、馬のロシュネールを軽く押さえてこの場の全てを記録に刻み込むロシュが肩を並べ、この心をくすぐってくる光景の意義を噛みしめながら、この時間ならば永遠に続いてもいいと思い、願った。


 騎士たちも、それを迎えに来た家族たちも、この偉大な騎士公爵が流すあたたかい涙に、微笑みを誘われるだけだった。

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