「ロシュとロシュ」

「だからいったじゃん、自爆になるって」

「でも、でも、でも、リルルに起きて欲しかったんだもん! 黙ってられなかったんだもん!」

「あー、もう、このお嬢様は子供返りしちゃって。しょーがないんだからなぁ」

「……よしよし」


 双子のエルフメイドに慰められながらサフィーナが、フォーチュネット邸の中庭に停められた馬車に乗り込む。


「でもいいじゃん。これから嬉しいことあるんだから」

「だってぇ……」

「だってじゃないよ。今夜は一緒に寝てあげるからさぁー、機嫌直しなよ。笑顔作って、笑顔」

「……スィルも寝てくんないといやぁ……」

「えー、あの寝台で三人は狭いんじゃにゃ? でもま、いっか。スィルー、今夜はあんたが抱きしめられる役ね。あたしこの前首根っこにお嬢様の腕入って抱きしめられたから、死にそうになったんさ」

「……それはクィルの役目」

「やれやれ」


 ばたん、と馬車の扉が閉まるのをニコルは小さく笑って見送り、後ろのロシュに振り向いた。


「じゃあロシュ、ロシュを連れてきて」

「ロシュはここにいます、ニコルお兄様」


 これ以上はないという真顔でロシュがいう。


「あー……。い、いいにくいな……。じゃあロシュ、ロシュネールを連れてきて……」

「それは私に、ここで快傑令嬢ロシュネールになれといういいつけですか?」

「あああああ」


 軽い頭痛にニコルは頭を抱えた。


「う、馬のロシュネールを連れてきて。今すぐここに。それと夜間行軍用のランプも持ってきて」

「わかりました」


 ロシュの足が正確に直角に曲がり、庭の外れの方向に向かって歩いて行く。屋敷からやや離れた場所に、小さいが真新しい厩舎きゅうしゃがあった。壁が石造りの丈夫なその厩舎は、今までフォーチュネット邸にはなかったものだ。


 ややあって片手に大型のランプをぶら下げたロシュが、一頭の馬の手綱を引いて戻ってくる。


のロシュネールを連れてきました」


 ことさらに『馬』を強調しているのは気のせいかとニコルは思ったが、どうやら気のせいではないらしかった。


「あ、ありがとう。じゃあ、ロシュの首にランプをぶら下げて」

「はい、ニコルお兄様」


 瞬間、ふたつの力が交錯した。

 自分の首にランプをぶら下げようとしたロシュと、そのランプのひもに横から伸びてきた馬が噛みつく。一瞬の硬直があって、次には軽い引っ張り合いになった。


「ロシュ、あのね……。ひょっとして、わざとやってる?」

「やっています、ニコルお兄様」


 珍しく反抗的な色をその瞳に載せてロシュがいった。


「今日こそ結論を出していただきます。『ロシュ』という名前が、私か、この馬のロシュネールのものか、どちらなのかを」

「ぶるるるるる」


 栗色のやや歳のいった馬がそれだけには賛同だというように口を震わせた。そのひとりと一頭のとがめるような視線をまともに受け、ニコルの足が一歩たじろいだ。


「そ、それは、その場の文脈で判断してもらえばとしか」

「そんな曖昧あいまいな結論は許されません! 名前は記号に過ぎませんが、個人を個人たらしめる大事なものだと認識します! 名前ひとつ変わるだけで本質が変わってしまう可能性だってあるのです! ニコルお兄様、尋常にお覚悟なさってください!」

「ぶるるるるるるる!」

「と、と、とにかく今は議論している場合じゃないんだ! ここは人を待たしているんだからさ、僕を困らせないでくれ! お願いだよ!」


 ニコルは喚きながら両手を合わせて頭を下げ、「頼むから!」ともう一段深く下げた。


「……わかりました。約束を守ろうとするニコルお兄様の誠実さを信じます」


 不承不承ふしょうぶしょうといった空気を残しながらもロシュは馬の首にランプを取り付け、点灯する。薄闇の中で明るい光源が生まれ、中庭の一角を照らした。

 取り敢えず一息を吐いたニコルは馬に近づくとあぶみに足をかけ、そのままくらまたがった。


「ああ、もう、ややこしいことになっちゃったなぁ。いやまあ、嬉しいことが起きたからややこしいことになっちゃったんだけどね。――ロシュ、僕のことを恨みがましい目で見ないでおくれよ。僕は君が生き返るだなんて可能性を全然考えてなかったんだから……」

「ニコルお兄様、私のことですか?」

「違う違う、こっち・・・のロシュのこと。ロシュ、最近は意地悪をするようになったんだね……」

「なんのことかわかりません」

「あはは。日に日に人間らしくなっていく妹を持って、僕は幸せだよ……」


 ニコルは馬の腹を軽く蹴る。口取りとしてロシュが綱の一端を握ったまま共に駆け出し、二人と一頭は閉ざされた正門に向かった。それを合図にし、ゴーダムの紋章を刻んだ馬車も動き出す。


 騎乗された一頭の栗毛の馬、そして二頭立ての馬車が道路に出、大通りを目指して東に道を行く。門を閉めるために残ったロシュが、汗ひとつ浮かべず息ひとつ乱さないすまし顔で人間の全速力を駆けて来て、悠々とニコルが乗る馬に追いついた。


「ありがとう、ロシュ」

「どういたしまして」

「ぶるるるる」

「あー……。ね、君もとっても賢い馬なんだから、僕に意地悪をするのはやめてよ。ね、ロシュ」


 馬が少しだけ首を振り、大きな黒目でぎょろりとニコルを見据えた。『私の名前を他人にくれてやったあなたが悪い』とその目が能弁のうべんに語っていた。


「仕方ないじゃないか。ロシュとロシュが並ぶなんて思ってもなかったんだから、さ。……でも、君まで生き返ってくれたのは本当に嬉しいよ。これも、僕をできるだけ寂しがらせまいとする、リルルの思いやりなんだなってさ……そう感じるよ……」


 ニコルは愛馬のたてがみを優しくで、その感触にいっぱいの微笑を浮かべた。


 約十一ヶ月前、ゴーダム公領から二年ぶりに帰ってきたニコルを待っていた、想い出の馬・ロシュ――本名、ロシュネール。ニコルが幼少の頃、騎士に必須な乗馬の経験を得たいがために、貸し馬屋のジャゴじいさんに頼み込み、苦労の末に乗ることを許された馬。


 十四歳で故郷を離れる数年間、ニコルは暇を盗むようにしてこのロシュの世話をし、跨がり、走り、共に厩舎で眠ることも毎日のようにあった。気性が荒く最初はニコルを拒否していたロシュも、すぐにニコルと打ち解けた。人間と馬という生態の違いを乗り越えて、心を通わせた。


 ニコルがゴーダム公領で一度として帰郷せず騎士修業をしている間、ロシュは去ってしまった少年を思いながら老境の時を寂しく過ごしていた。そして死期の間際を感じ、明日明後日にも死んでしまうという死の気配を悟っていた時に、少年は帰ってきた――。


「最後に君と走った時のこと、今でもよく覚えている……夢にも何度も何度も見たくらいだ……。そして見た後に必ず泣いちゃって……それでもまた、何度も何度も見て……。君が死んだ後、僕がどれだけ悲しく寂しい想いをしたか、わかるだろう? ロシュ」

「――――」


 妹としてのロシュは、もうなにもいわなかった。兄の優しい心に目を細めるだけだった。


「――生き返って少し若返ったといっても、君はやっぱり年寄り馬だからね……。思い切り長くて十年、早ければ三年か四年、もしかしたらもっと早く……また、お別れの時が来るんだろう。その時が来たら、僕はまたきっと心を引き裂かれて泣くんだろう。もう、次に奇跡はない……」


 それは確定的な運命だ。避けようのない、定められた軌道レールだ。

 回避しようとするなら、その運命の軌道から自らが脱線するしかない――。


「でも、いいよ、それでも、僕は。僕はそれでもいい」


 馬のロシュが前を向いた。首元のランプの灯りに照らされるその瞳に、微かな涙が浮いていた。


「君が生き返らないから悲しみが生まれないのより、君が生き返ってくれたがための悲しみを、僕は選ぶよ。その時が来るまで、君と一緒にいる。なにもないよりも、嬉しさとよろこびがあって、悲しさがある方が百万倍いいんだ。最後に、想い出が残るからね。……ロシュ、生き返ってくれてありがとう。僕は君が大好きだよ」


 馬のロシュはなにもいわなかった。丸い黒曜石こくようせきのような瞳から、親指大ほどもある大きな粒の涙をほろりと流して、それを口元に伝わせた。


「ニコルお兄様……」

「なんだい、ロシュ」


 妹のロシュもまた、いつしか静かに泣いていた。自分と同じ名前の馬の心がそのまま移ってしまったように、ほろほろと透明な涙を零していた。


「あの……さっきの、私たちの詰問きつもんは、忘れてください……」

「えっ? いいの?」

「はい、いいです。……私たち、二人ともロシュで構いません。いいえ……多分、ふたりでロシュなんです。忘れていました……私はこのロシュの心を複写して、この心になったんです。私たちは、一人と一頭で、ひとつです。だから、両方ともロシュでいいんです」

「そうか。……うん、好きな解釈だよ。いいね、ロシュ」

「はい。……ロシュ、ケンカしてごめんなさいね。私は、私よりかまわれていたあなたに嫉妬しっとしていました。でも、そんな必要は全然なかった。私はあなた、あなたは私なんですから」

「…………」


 ぶるる、と馬のロシュがうなずいた。その大きな瞳の下にハンカチが当てられる。


「私は、あなたの名前をもらって光栄だと思っています。ロシュ、私からもよろしくお願いします。ふたりで一緒に、ニコルお兄様の側にいましょう」

「あはは、よかった」


 一行は大通りに出、暗くなった住宅街を南に向かって右折する。街灯の明かりがきらめく街、今まで静かだった雰囲気が大通りに出ると一変して、人や馬や馬車、自転車などの通行量が多い、王都エルカリナらしい賑やかさが漂ってきた。


「ちょっと急ごう。遅れ気味だからね。お待たせしてはいけない。行くよ」

「はい、ニコルお兄様」


 車列の中に紛れて、ニコルが乗るロシュとそれに追随ついずいする馬車も速度を上げた。通行人達が、馬の綱を握りながら人間のものとは思えない速度で走る少女を見て仰天する。


父上・・たちの凱旋がいせんだ。息子の僕がお出迎えしなくては、失礼に当たる――」

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