「ニコルと、リルルと、サフィーナと」

「――リルル、起きなさい! 起きなさいってば!! いつも私があなたの前でニコルにちょっかい出したら、あなたはいつだって涙目で抗議するじゃないの!! なのにどうしてそんな寝たふりできてるのよ!! ニコルと子供作って結婚するってまでいってるのよ! 少しは焦りなさいよ!!」

「サフィーナ」

「どうせリルル寝入りしてるんでしょ! わかってるんだから!」


 サフィーナは立ち上がり、眠るリルルの両肩をつかんで激しく揺らす。瀕死ひんしの人間でもうめき声を上げそうなその荒っぽい揺らしに、リルルは表情も崩さず吐息も漏らさなかった。


「ほら! いつものように私に食ってかかりなさいよ! 『サフィーナ、ニコルといちゃいちゃしないでよ!』って! なにをグズグズしているの! お願いよ! リルル、お願いだから、お願いだから目を覚まして……お願い……お願いだから……」

「サフィーナ……」


 リルルの肩をつかむ気力すらえ、その場に座り込んだサフィーナの肩に、フィルフィナが優しく手を置いた。


「もう、それくらいにしてあげて……あなたも、それくらいにした方が……」

「フィルぅ……」

「あなたも、お嬢様が……リルルが目覚めなくなって、眠り続けたままになって、傷ついている人のひとりですものね……。ありがとう、サフィーナ。そんなにリルルを愛してくれて。わたしは……わたしは、その気持ちだけで嬉しいです。リルルに、こんないい友達がいてくれることが」

「フィルぅぅ……!!」

「ああ、よしよし」


 弾かれたように後ろを向いたサフィーナがフィルフィナの白いエプロンに顔を当て、顔の一面を洗っている涙の全部を押しつけ、新たに湧き出す涙もまたそれに含ませた。そんなサフィーナの頭を優しくでながら、フィルフィナも目頭を熱くする。


「どうして……どうしてこんなことになってしまったの……。私がニコルにちょっかいをかけ続けるから、リルルが怒ったの……? やっぱり私は、リルルにとって邪魔者なの……?」

「サフィーナ、しっかりして。お嬢様が、リルルがそんなことを思うはずがないでしょう」


 サフィーナよりも頭半分低い小柄な妖精族ようせいぞくの少女が、母親の顔を見せていった。


「あなただって理解はしているでしょう。リルルがそんなことを思うはずがないと。そんなことを思うはずがない女の子だから、あなたはリルルを好きになったのでしょう? リルルと生死を共にして戦ったあなたがわからないはずはないでしょう……?」

「う、うう、ううう…………」

「リルルはあなたを、家族と思っていたのですよ……。リルルとあなたが家族なら、私にとってもあなたは、ニコルやロシュにとっても家族なのです。サフィーナ。気を取り直して」

「そ……それでも……それでも……」


 サフィーナはフィルフィナのエプロンから自分の顔を引きがした。


「それでも、リルルの思い違いは許せないのよ……!」

「思い違い……?」

「そうよ!」


 サフィーナは再び振り返り、リルルに向き直った。


「リルル! あなたが考えていることは、あなたが世界を創り直した時、私にも伝わって来たわ! その時、あなたはこう考えていたでしょ! 自分が眠ることになっても、私とニコルはふたりがくっつくから幸せになれると! ――そんな馬鹿なこと思ってるのが許せないのよ!」


 サフィーナがえるように叫んだ。怒った顔もまたすぐ涙に濡れた。


「馬鹿! 馬鹿リルル! あなたね! あなたがいなくなった世界で、あなたが眠り続けている世界で、私とニコルがくっつくことができる、そんなわけないじゃない! 幸せになれるわけないじゃない!! ずっとあなたのことを思って沈んだ気持ちでいるのよ!! なんでわからないの!!」


 目をいたフィルフィナがたじろいだ。それだけの威力があった。


「誰があなたの安い思惑なんかに乗ってあげるもんですか! 私の話を聞いて驚いたでしょうけれどね、子供ができたのも結婚の話もみんな大嘘よ! ふん、だまされたでしょう!」

「……サフィーナ。うちのお嬢様はさすがにそこまでアホではないですよ……」

「アホリルル! 馬鹿リルル! あなたが眠っている限りね、私とニコルは不幸なままなのよ! ごめんなさいと思うのなら今すぐ起きなさい! こんな世界どうなってもいいんだからぁ!!」


 サフィーナは立ち上がった。スカートをめくり上げて下から手を突っ込むという、おおよそ公爵令嬢にはあるまじき格好をし、自分のお腹を膨らませているものを抜き出した。


「このねぼすけリルル! もう知らないんだから! あなたなんてもう友達でもなんでもないわ! 絶交よ! 死ぬまでそこで寝てるがいいのよ、このぼけぼけリルル!」


 抜き出し引っつかんだものをリルルの顔に向かって投げつける。全力で投げつけられたはずのそれはあまりもの軽さとやわらかさに、リルルの顔でぽふっと弾んだ。


「リルルのぺちゃぱいっ」


 捨て台詞を残し、寝室の扉の蝶番ちょうつがいが弾け飛びかねない荒々しさで開け、サフィーナは寝室を飛び出していった。そのもの凄い速度に、無言で見守っていたロシュとすれ違う瞬間、風圧の壁ができたくらいだった。


 バン! と扉が叩き閉められる。嵐が吹き荒れていった寝室に取り残されたフィルフィナは、ふう、と息を吐き、リルルの顔にぶつけられて床に落ちたものを拾い上げた。


 亜麻色の長い髪に琥珀こはくを煮詰めたような美しい茶色の瞳――サフィーナの姿に似せたぬいぐるみだった。


 顔にぬいぐるみをぶつけられたリルルは、やはり微笑んでいる表情を変えていない――。


「まったく……サフィーナにも困ったものですね……」


 あまり困っていない顔で、むしろ微笑みを浮かべながらフィルフィナはいった。サフィーナのぬいぐるみを眠るリルルと掛布団の間に挟む。右からロシュ、ニコル、女神エルカリナ、フィルフィナ、サフィーナという順番で、リルルは小さなみんなを抱いていた。


「ですが、リルル……サフィーナがいっていることも間違いではないのですよ……。わたしもサフィーナに賛成です。あなたは昔から、ちょっと考えが足りていないところがありましたよね。そこを気をつけるように、いつもわたしが注意していたのに…………んん?」


 ド、ドドドド……と遠くから近づいてくる、雪崩が押し寄せてくる前兆に似た音にフィルフィナの耳が跳ねた。それをいち早く正確に察知したロシュが四歩、下がる。フィルフィナが危機を察知したその瞬間には、またも荒々しく扉が開かれ、今度は酷使に耐えかねた蝶番が裂かれた。


「リルル、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!!」

「ぶはっ」


 ロシュが退いた場所に外れた扉の一枚が倒れ込み、それを踏み越え、顔中涙まみれのサフィーナが旋風の勢いで駆け込んで来た。体当たりされたフィルフィナの体が弾け飛んで床に倒れ込む。


「ごめんなさい、ごめんなさいリルル!! 絶交なんて嘘なの!! 酷いこといってごめんなさい!! リルル、リルル、リルル! 私を許して! お願いよリルル!! リルル、リルル!」


 先ほど自分がひざまずいていた位置に膝を正確に乗せたサフィーナがリルルの寝台にすがりつき、わあわあと号泣しながら謝罪の言葉を並べだした。


「ねえ、怒ってるからなにもいってくれないの!? ごめんなさい、ごめんなさい……! お願いだから、『そんなこと気にしないで』っていってよ……! いつだっていってくれたじゃない……! 私、あなたのその言葉に甘える時が、いちばん幸せだったんだからぁ……!!」


 涙を撒き散らしながら泣き叫ぶサフィーナの熱い言葉の羅列は、そこから最早もはや意味をなくしたように喚きだけになっていく。その発する意味を正確に理解できるロシュが沈鬱ちんうつな表情であごを下げ、サフィーナの愛情と優しさに頭を垂れた。


「――サフィーナ」


 倒れた時に軽く家具に頭を打ってこぶを作ったフィルフィナは、優しい笑顔を浮かべながら立ち上がった。サフィーナの肩に手を置き、少女の耳元に口を寄せて、慈愛じあいに満ちた声で、ささやいた。


「扉の修理代は、ゴーダムの家で負担してくださいね……」



   ◇   ◇   ◇



「ああ、すごかったなー。さすがサフィーナお嬢様だね。本当にリルルお嬢様を愛してるんだなー。自分が惚れてる相手とその恋仇こいがたき、両方愛してしまうなんてある意味不幸っていう気もしないでもないけれどさ。――ね、スィル、なんかあんたも一言いいなさいな」

「……………………」

「あ、感動して泣いてる。あんたも結構感動屋だね。王都に来てスィルもちょっと変わった? 少し前は無感動無表情に手脚と耳がついて歩いているようなエルフだったのに。……おーい、ニコルきゅん、そろそろ起きてもいいよ」

「…………さっきから起きてる」

「そうなんだ」


 気絶したまま倒れていたニコルが、いつの間にか目を開けていた。


「すごい見物みものだったのに。もったいない。ニコルきゅんも見ればよかったんさ」

「見られるわけないじゃないか……自分がらみのことなのに……」

「あはは。まあニコルきゅんらしいねー。……これでぱっとリルルお嬢様が起きてくれてそれでなにも起きなきゃ、すべて世は事もなしって感じで万々歳ばんばんざいなんだけど、上手くいかないねぇ……」

「……そうだね」


 ニコルは立ち上がった。スィルスィナがそのニコルからついた砂や土を叩いて払った。


「ここまで上手くいって世界は戻ったんだ……。リルルひとりの犠牲を僕たちは甘受かんじゅするべきなのかも知れない……でも……」


 まだ耳に届いてくるサフィーナの涙声を聞きながら、ニコルは薄闇色に染まり始めた西の空に目を細めた。


「リルル……サフィーナ様のお気持ち、僕も同じだよ……。君が目覚めてくれたら、どんなに簡単に丸く収められるか……」

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