「サフィーナの強襲」

 フォーチュネット邸のそれほど広くない庭を進み、玄関に続く砂利の道を低速で走っていく馬車をニコルは、門を閉めてから小走りで追った。

 玄関の前で停車した馬車の扉が開くのと、ニコルが馬車に近づいたのとはほぼ同時だった。


「あ」

「あ」


 馬車のステップを踏んで降りようと顔を見せたサフィーナがニコルの存在に気付き、驚きの顔を見せて――馬車に引っ込み、バタン! と音を立てて扉を閉めた。

 その様子に首を傾げたニコルの耳に、馬車内からひそひそとした会話が聞こえてくる。


「――外にニコルがいるじゃない!」

「そりゃいるでしょー。リルルお嬢様のことが心配なんだからさー」


 舌っ足らずな少女の声がする。サフィーナと話しているのはクィルクィナのようだった。


「サフィーナお嬢様さ、それはやめておいた方がいいと思うなー。自爆にしかなんないっしょ」

「――いいの! これくらいのことやらないと効き目がないんだから! 作戦は続行します!」

「まーいーけどさ、責任はサフィーナお嬢様がとってよ。あたしはいわれてやるだけなんさ」

「いいから! スィル、ニコルを引きつけて!」

「……了解」


 首を捻り続けているニコルの前で、今度は反対側の扉が開き、スィルスィナが跳ねて降り立つ。


「や、やあ、スィルスィナ」

「……やあ」


 相変わらず半分以上まぶたが開かない重たい目を見せて、スィルスィナが片手を挙げた。


「どうしたの? サフィーナ様がお顔を見せた途端に引っ込んでしまわれたけれど……」

「……ニコル」


 とてとて、とメイド服姿の小柄な体が小さくニコルに近づき、少年の手をぎゅっと握った。


「――ス、スィル?」

「……あそこの物置に行こう」


 スィルの指が、庭の隅で息を潜めるようにして建っているやや大きな物置を示した。庭いじりのための道具などを置いくためのものだ。


「行って、どうするんだい?」

「決まっている」


 スィルは顔色も変えずにいった。


「子供を作る」

「スィル――っ!!」


 神速の反応で再び馬車の扉が開き、重いコートを羽織ったサフィーナが馬車から飛び降りる。


「誰がそこまでしてニコルを引きつけろといいましたかぁっ!」

「……五分くらいは時間が稼げると思って」

「いくらなんでも早過ぎない? それってさー」


 サフィーナに続いてクィルクィナも降りてくる。


「……じゃあ十分くらい?」

「ああ、もう! とにかくスィルはそこでニコルを捕まえておけばいいのです! あ、ニコル、こんにちは!」

「こ……こんにちは、サフィーナ様……」


 喚き散らされる勢いに飲まれているニコルを尻目に、いい加減に挨拶あいさつをしたサフィーナは駆けるようにして玄関に向かっていった。まるで自分の家のように扉を開け、そのまま入っていく。


「スィル、サフィーナ様はどうしたんだい? ああクィル、お母様は? 一緒じゃないのかな?」

「エメスの奥様なら、お疲れで馬車の中でおやすみだよー。このところ色々雑事続きで眠れてないっていうから、起こさないのさ」

「そうか。ゴーダムのおいえも大変だよね……それも今日までだと思うけれど。と、サフィーナ様を追わないと」

「……サフィーナお嬢様は、ニコル抜きでリルルお嬢様と話がしたい」

「ええ? 僕抜きで?」

「まーたうちのお嬢様がロクでもないこと考えてるんだよ。あたし頭痛くなっちゃうなー。まあサフィーナお嬢様だから付き合うけんどさ」

「でも、まあ」


 スィルスィナは表情も変えずにいった。


「部屋の様子をこっそりのぞき込むのは、いいかなと」



   ◇   ◇   ◇



「いや。フローレシアお嬢さんの寝室、内緒の話に聞き耳を立てるのはマズいんじゃないかな……」

「いいじゃん、見つかんなかったらいいんだよ」

「……私は興味がある」

「ぼ、僕は騎士の立場として反対だよ。そんな紳士としてもあるまじき行動は……うわあ」


 双子のエルフメイドに背中を押され、ニコルは屋敷――リルルの寝室の窓に向かって体を追いやられていく。


「ほらほら、本当に嫌だったらあたしたちを突き飛ばせばいいじゃんか。ニコルきゅんの上の口はそういっていても体は正直なんだからねぇ~?」

「……上の口しかないと思う」

「いや、だって君たちフローレシアを投げ飛ばすわけにもいかないじゃないか!」

「あー、うるさくしてたらお嬢様たちに気づかれるよ。お静かにお静かに」

「…………お口閉め閉め」

「うぐ」


 スィルスィナが取り出した粘着性の貼りがニコルの口に貼られる。


「お、スィル、いいもん持ってるじゃんか」

「むぐぐぐぐ!」

「……私の趣味には、必須」

「ロクな趣味じゃないけれどねー。さー、ニコルきゅん、観念してお座りお座り」

「……むぐー」


 細目で不満を訴えながら、ニコルはクィルクィナが頭を押さえてくるのにあらがえず、その場で膝を着かされた。

 寝室の扉が開き、フィルフィナが入って来る。その後にサフィーナ、ロシュと続いて入室した。


「ダージェとティコ君のぬいぐるみはここに置きましょうか。しかしこれで、特に親しい方々でまだぬいぐるみを持ってきてもらっていない方は、サフィーナと……なんですか、それは」


 いくつもの棚を埋めるようにして並んでいるたくさんのぬいぐるみの列、その一角を無理に空け、ダージェとティコの姿に似せたぬいぐるみを置いたフィルフィナの顔が、固まった。


「あ、やっぱりわかった?」

「…………そりゃあ、わかります、それはいくらなんでも。わかるから聞いているのですが……」

「んふふ」


 ロシュの手によってコートを脱がされたサフィーナは艶然えんぜんと微笑んで見せた。

 コートの下から現れたゆったりとしたドレスのお腹は、はっきりとわかるくらいに丸く膨らんでいる。その危険な丸み具合に、フィルフィナの片眉かたまゆが大きく傾いた。


 そして、表情が激変したのは、フィルフィナだけではなかった。


「むっ!? む、むむむ、むむむ!?」


 ニコルが二度三度瞬き、袖で眼を拭う、しかしそれを三度繰り返しても、目の前の状況が変わってくれるものでもなかった。


 フィルフィナの警戒を漂わせる視線を敢えて体の前面で浴び、サフィーナは自分のお腹の丸みを愛おしげにでながらリルルの側に近づく。そのリルルは――起きる気配はない。親友にして相棒の公爵令嬢が側に来ても、優しげな微笑みを浮かべながら眠り続けていた。


「ああ、もう、重くて重くて苦しい苦しい。でもこの重みが貴重なのよね……。――リルル、リルル。見てみて。このお腹。もう立派に大きいでしょう」


 リルルは表情も変えない。調子も変わらない寝息を立て続け、眠りの世界に続けている。

 そのリルルの無反応にサフィーナの表情に微かな険が走ったが、一瞬で微笑みにき消えた。


「――ねえ、リルル。このお腹の中になにが入ってるのか、わかる?」

「…………お嬢様は当然答えることができないので、わたしが代わりに聞きますが……」


 震えるこめかみを指で押さえ、まぶたの重みに耐えながら、気力を振り絞りフィルフィナは問うた。


「そのお腹の中には、なにが入っているのですか……?」

「んふふふ。そんなの決まってるじゃない」


 当然のようにサフィーナが寝台脇の椅子に座り込む。お腹の丸みを整えるように何度も何度も撫で、ややうつむいた顔からの不敵な上目遣いで、リルルにいってのけた。


「このお腹の中には、私とニコルの赤ん坊が入ってるのよ」

「むふっ!」


 窓枠にしがみつくようにしていたニコルの体が、その場に崩れ落ちた。


「しかも! もうこんなことになってしまったからね、来月にはニコルと結婚式を挙げるのよ!」

「むぐぅ!」

「あ、死んだ」


 悲鳴を上げて気を失ったニコルを見下ろし、クィルクィナはひとつため息を吐く。そんな窓の気配に、呆れ顔のフィルフィナだけがちらと視線を向けた。


「まあ、これが自然な成り行きというものよね! だって、もうリルルは目覚めないんですもの! ニコルもこれからのことを考えなきゃいけないし、そうなったら、好き合っている私とニコルがこうなってしまうのは当然至極というものよ! そうでしょ、リルル!」


 サフィーナの声が明るく弾む。

 それを受けるリルルは――答えない。


「そうそう。これがいちばんいい形なのよ。どこかのわけのわからない女とニコルを結ばせるわけにはいかないんですもの! リルル、あなたのニコルは私がちゃんと愛するから、というか愛し合ってるから、安心して眠ってね! ねえ、リルル、リルル、聞いてる?」


 ほがらかに歌うようにいうサフィーナの声に、リルルは――答えない。


「ねえ、リルル。ちゃんと答えなさいよ。私、ニコルと結婚するっていってるのよ? 嘘でも冗談でもないのよ? ねえリルル――どうして答えないの。答えなさい。答えなさい――今すぐ答えなさいよ、リルル……! 答えなさいっていってるじゃないの……!!」


 楽しげなさえずりの響きに、いつしか苛立ちの旋律が混じっていく。

 そんな、次第に臨界に近づいていく少女の感情の膨らみをまるで意に介さず、リルルは微笑を保ちながら眠り続けた。

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