「未来に向かって」

 ――異変。

 その言葉の響きは、ニコルとダージェの口から滑らかさを奪っていた。話を進めることで明らかになるものの恐ろしさの予感があったから、二人の舌は鈍くなった。


 その沈黙の重さに耐えきれなくなったように、ダージェは顔をしかめながら切り出した。


「ニコル、その話、誰から聞いた」

「ウィルウィナ様からだよ」

「ああ……フィルのあの、デカパイの母ちゃんからか……」


 ニコルは少しだけとがめるように目を細めたが、今回はゆるした。


「リルルは世界を再創世した。でも、それは完璧な形で創り直したわけじゃない。天界に住まわれていた神・オルディーン神は復活しなかったらしい」

「俺の親父のワイブレーンが復活しなかったのと同じだな……。んだが、それは対称性の話じゃない。俺の親父は竜の眷属けんぞくというだけで本物の神ではなかったが、オルディーンの方は、女神エルカリナが世界を再生させる時のきっかけとして用意した機構システム……」

「そういう意味ではオルディーン神は本物の神だった。それが復活しなかったことで、天界もまた失われた。エルフの一族、『東の森の里』が監視していた『土の世界樹』が消滅したそうだよ」

「天界がなくなったから、そこに至る橋も不要になったってことか。この世界は均衡バランスを失ったってわけだ……今まで地上を挟んで魔界と共に天秤てんびんを水平にしていたものが、一気になくなった」

「その天界が持っていた力は、他の界から見るととても美味しいものに見えるそうだね」

「ああ」


 平和が訪れた、この世界。

 それが。


「大きな角砂糖に、腹を空かせたアリたかって来るように……な」

「動乱は外からやってくるのか……」


 世界はひとつだけではない。いくつもの世界、星の数ほどある世界が平行して連なり、時に繋がりを持って人を行き来させる。他の世界で戦闘機械人形として猛威を振るっていたロシュの存在が、そのなによりの証拠だった。


「それは、いったいいつ頃になりそうな話なんだい?」

「はっきりした頃合いがわかればいいんだがな。天文学者がいうには、一年や二年の話じゃないってことだ。この世界のことが向こうに知れて行動が起こるには、早くておそらく二十年か、三十年か。もしかしたら四十年かも知れねえし、五十年経っても起こらねえかも知れねえ」

「二十年か、三十年か……ちょっと、キツいね」

「その頃にはお前も腹が出ているオヤジになってるからな。体にもかなりガタが来てんだろ」

「多分ね」


 自分の二十年後三十年後を想像して、ニコルは本当に苦笑した。


「……魔族はいいね、老化が遅くて。うらやましいよ」

「まあな。その代わり繁殖力が弱いから代替わりも遅く、世代交代が緩いんだ。生きてる奴が死んだら補充が利かないし、無能な奴の代わりにならなきゃならん新しい才能の発生がなかなか出てこないってな。だから人間が覇権をとってるんだ。ガキをポコポコ産みやがるからな」

「表現はともかく、理屈はその通りだよ」

「だからな、ニコル。腹が出た中年のお前がやらなきゃならないことは、わかってんな?」

「ああ」


 ニコルはダージェに微笑みかけた。


「若い才能を探し、発掘して鍛える……僕の代わりに戦ってくれる、新しい才能を……」

「ってことだ。お前の国はそういう意味では都合はいいなぁ。人間も亜人も一緒くたに住んでるし、あの島の遺跡・・で魔界とも繋がったし、交流はますます深まりそうだな」

「あの遺跡にあんな秘密があるなんていうのは、想像もしなかったよ」


 ニコルが治めるメージェ島、その中央に位置する円形の丘は内部が空洞になっており、人工の太陽が設置されて地中であるにも関わらず、かなりの人数をまかなえる生活空間になっていた。


 そのどこまで続いているかわからなかった底を調査した結果、魔界と繋がっていることが判明したのは、つい先日のことだった。


魔界うちが接しているところは僻地へきちだし、土地は余ってるからな。遺跡の内部はそっちの領地ということでいいぜ。地上に出たいっていう奴らがいたら受け入れてやってくれ」

「ありがとう。助かるよ。こっちはどうしても土地が狭いから」

「完全な島国だもんな。ま、お前にはやらなきゃいかんことがたくさんあるってことだ。大変だなぁ、国王っていうのも」

「国王とか陛下とかいわれるけど、実質は村の領主みたいなもんだよ。それでも僕の手に余ってる。……ヴィザード一世陛下からいわれたことがいまだ耳から離れない。部下の命を犠牲にできない僕には、一部隊の指揮官すら務まらないと……」

「ンなこと気にしてるのか。暇な奴だな。じゃあ、全部お前がやっちまえばいいんだよ」


 ダージェは明確に、快活にそういった。


「絶対無敵のフィルもいるし、あのロシュっていうマジでおっかねーお前の妹もいるし、お前も含めて三人いりゃあの島守るくらい余裕だろうが。ま、お前の器が領主には向いていないっていうのは確かだ。じゃあ、合う器を探してまってしまえばいいんだよ。間違ってるか?」

「そうだね、ダージェ……」


 ニコルとダージェは肩を並べ、眠り続けるリルルの寝顔に、それぞれの表情で視線を投げた。


「君は単純だから、本当に好きだよ」

「一応確認なんだけど、それって誉めてるんだよな?」

「ああ、美味しかった」


 寝室の扉が開き、上機嫌のティコが戻って来た。


「ダージェ様、お菓子、とても美味しかったですよ。どうして来なかったんですか?」

「この朴念仁ぼくねんじん色事いろごとのなんたるかを教えてやろうと思ってな」


 白い歯を――犬歯まで見せてダージェが笑った。


「だからさあ、さっきからいってるじゃねぇか、気晴らしにうちの屋敷に来いって。こういうクサクサした時はな、女だ。女に限るんだよ。女抱いてさ、パ~ッとやるんだよパ~ッと。俺の自慢のメイド十二人、全員抱かせてやる。なんなら一人二人持って帰ってもいいぞ?」


 ティコの後についてきたフィルフィナの眉が、危険な角度に吊り上がった。


「……素敵な話だね。でも何度も繰り返しになるけれど、丁重にお断りするよ」

「もう、そんなくだらないこと、よりにもよってリルル様の枕元でしないでもいいじゃないですか、本当にみっともない。それにだいたい、メイドのお姉さんたちはみんな出ていったでしょ?」

「あ、おい、馬鹿」


 ダージェが慌てる。


「ニコル様、聞いてくださいよ。ダージェ様ったらリルル様がお眠りになられてから屋敷でずっとお嘆きになられて、それで一人で塞ぎ込んでいるものだから、メイドのお姉さんたちはみんな呆れて出て行っちゃったんですよ。それからボクがダージェ様のお世話を一人でしてるんです」


 はああ、と大きなため息が小さな口かられた。


「ダージェ様は気分屋だしわがままだし、口も悪ければ態度も悪いし、女の人を見たら顔とおしりとおっぱいの話しかしません。でもニコル様はとても誠実で礼儀正しくて、女性の扱い方もちゃんとしてらっしゃるし、ボク、どうせだったらニコル様のお世話をしたかったです」

「ったくおめーはおしゃべりだな! 要らないことまでボンボンボンボン喋りやがって!」

「いたい、いたたた、いたいです! でも本当の話じゃないですかぁ!」

「まあまあダージェ、許して上げてよ。ティコ君なんだから」

「ったく、可愛いガキには総じて甘いんだな、どいつもこいつも」


 ティコの口の両脇に指を突っ込み広げていたダージェが手を離す。


「あいたたた……。でもニコル様、ボクのお師匠様にはなってくださいね! ボク、ニコル様から剣や色んなことを学びたいです!」

「ティコ君。僕は君が思っているほど立派な人間じゃないし、ダージェだって君がいうより本当はずっと立派な人だよ。負けまいとする心となんにでも立ち向かっていく勇気は、僕も見習いたいと思ってるくらいだ。だからティコ君は、まずダージェをお師匠と思わないといけないよ」

「えええ……このダージェ様をですか……?」

「ああ、こいつを召使いにしてもう何年にもなるのにこの認識か。我が身が情けねえ」


 ティコからの嫌そうな視線を受け、ダージェは派手に頭を抱えて見せた。


「他人はみんな自分と違うんだ。その違いの中には悪い点もあれば、いい点もたくさんある。ティコ君は人の悪い点ばかりでなく、いい点をいっぱい見つけて学べる人になってほしい。自分以外のたくさんの他人、その全員がお師匠と思えるように、ね」

「……さすが、ニコル様のおっしゃることは違います! わかりました! でもいつか本当にボクのお師匠様になってください! それまではダージェ様で我慢します!」

手前てめェはいちいち正直だな!」

「あいた!」


 またぽかりとダージェの拳がティコの頭を打った。


「まったく、賑やかなことです。ここはフローレシアお嬢さんの寝室ですよ。もう少し節度を」

「あはは。でも――うらやましいな。お兄さんと弟みたいな感じで……」


 憎まれ口が並べられ続けても、決して裂かれたりしない関係――わあわあきゃあきゃあと声を上げ続けるダージェとティコの姿を見つめるニコルの瞳には、憧憬の色がにじんでいた。



   ◇   ◇   ◇



「じゃあな、ニコル」

「お邪魔しました、ニコル様――リルル様のこと、くれぐれもよろしくお願いいたします!」

「別にお前が頼まなくてもニコルはちゃんとするだろうが、この出しゃばりが」

「あいたっ」

「ダージェ、そんなにぽかぽか叩くと発育に悪いよ。少しは加減しないと」

「加減してんだろうが。その気になりゃ首をひとぎですっ飛ばすこともできるんだからよ」

「うわあああああ!?」

「まあ、気をつけてね」


 ニコルが手を振り、ダージェとティコの二人は連れ立って門を出て行った。


「大使館はここから歩いていける所にあるのかな? 今度場所を聞いておくか……それにしても」


 ニコルは西の空に目を転じた。地表に近い空を真っ赤に燃やすようにして染めている夕日が、その足を地に着けようとしている。懐中時計を胸元から取り出してふたを開け、時刻を確かめた。


「――そろそろいらっしゃってもいい頃だけれど、少し遅いな……あっ」


 門を閉めようとしたニコルは、西の方角から響いて来たひづめの音に耳を跳ねさせた。門を開けたまま十数歩を離れる。そんなニコルが退いた空間を埋めるように、二頭の馬にかれた、重い黒に塗られた一台の立派な馬車が入ってきた。


 馬車の扉には、浮き彫りレリーフとしてあしらわれた金色の堂々とした紋章が輝いていた。

 それは左を向いた勇猛な有翼の獅子ししを象ったもの――紛れもない、ゴーダム家の紋章だった。

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