「歓談と、密談」

「やあ、ダージェ大使。ご機嫌いかがかな」

「まあまあうるわしいぜ、デブ陛下」

「そりゃよかった」

「ニコルもいるのか。まあお前はいて当たり前か。リルルの側にいてやらなくっちゃな……どうした、固まってるぞ。血管にゴミでも詰まったか」

「い、いいや……ダージェ、こんにちは」


 ニコルは額の汗をさりげなく拭った。ダージェがコナスに対して実に無礼な言葉を放ったのを、コナスは全く意に介せず受け流して見せたという構図を、どう評価していいのか迷った。


「先日のモーファレット女王陛下との謁見えっけん、骨を折ってもらえて助かったよ」

「あんなくらいならお安い御用だ。と、これを渡しに城に寄る手間が省けたな――ほい、国書」

「お早い返事はありがたいね」


 コートの裏からダージェが気軽に投げた筒を、コナスが受け止めた。


「内容については城に帰ってからゆっくり読ませてもらうよ。返信あれば速やかにお渡ししよう。しかし、謁見の場ではモーファレット女王陛下はヴェールの向こうに隠れられて、お声も聞かせてもらえなかったけれど、こちらが一方的に喋った内容に対してこんなに返事がお早いとはね」

「ああ……それについてだけどな……」


 ダージェが考え込むような口ごもりを見せたのに、ニコルの首がかしげられた。


「姉貴からは、同時に私信も預かってる」

「私信?」

「ほれ」


 二本の指につままれたそれがぴっ、とコナスに差し出される。小さな封筒だった。淡い薄桃色に彩られ、封として可愛い模様の封印紙シールが貼られている。

 コナスもニコルもふたりそろって、その封筒の異様さに息を飲んだ。


「どうした、受け取れよ」

「……いや、失礼。少しびっくり……度肝どぎもを抜かれたもので」

「……魔界では、こんな色合いの封筒を普通に使うのかい……?」

「いんや。思春期のメスガキがオスガキにしょーもない恋バナを伝える時に使うやつだな」


 コナスとニコルは再び沈黙した。


「おいおい、早く受け取ってくれよ。いつまでこの格好でいさせる気だよ」

「…………ダージェ、僕は陛下と女王陛下、その謁見の様子を見ても聞いてもいないからしかとはわからないけれど、その…………女王陛下が、お声も出されなかったというのは……」

「俺も中身は読んでないから断言はできねぇけど、姉貴がこれを俺に渡した時の様子からしたら、九割九分九厘、恋文ラブレターだぜ」

恋文ラブレター……」


 心なしか――いや、完全に震えた手でコナスはそれを受け取った。受け取った後も震えていた。


「国書の前に読んだ方がいいな。返事も明日にはほしい。いつあんたが返事をするのか姉貴に一時間ごとに聞かれるのは鬱陶うっとうしいんでな――念のために聞いとくけどあんた、独身だったな?」

「あ、ああ、そうだよ。離婚歴は四回あるけれどね……」

「不倫にならなくて安心したぜ」

「…………と、とにかく、僕はこれで失礼する。ダージェ大使、また」

「それ読んで心臓ひっくり返すなよ」

「あ、ああ」


 コナスは中庭に停められている馬車に向かってよろよろと歩いていった。言葉をなくしたニコルと苦虫を噛みつぶしたような顔のダージェがその姿を視線で追う。

 コナスが馬車に乗り込み、それが動き出そうとした瞬間、大きな悲鳴と共に馬車が横に揺れた。


「ったく。女心はわからんもんだ。あんなデブで不細工な陛下のどこがそんなに気に入ったのか」

「コナス様は素晴らしい人物だよ。見た目で誤解されやすいが、リルルも尊敬する方だ。一時期はリルルの婚約者であられたこともあった」

「なんだそりゃあ!? そんな話聞いてねえぞ!?」

「今初めて話したからね」

「……ま、地上に報復をするとか息巻いていた復讐の鬼が、愛のとりこになったのは悪いことじゃねぇと思うぜ。デブ陛下が姉貴をフッたら、また復讐の鬼になりそうだがよ?」

「……コナス様には悪いけど、生贄いけにえになってもらうしかないか……」

「ひでぇこというな。俺の姉貴は美人だぞ、お前も知ってるだろ」

「そうだったね」

「まあ、それは一応置いといて。いつまでこんな玄関先で立ち話させてるんだ。さっさと中に入れてくれや。寒いだろ」

「ああ、失礼したよ。どうぞ――僕の屋敷じゃないけれどね。――それと」


 ニコルは、今までダージェの背中に隠れて気配も見えなかったその小さな人物に、微笑んだ。


「いらっしゃい、ティコ君。今日も来てくれて、本当にありがとう」

「は、はい、ニコル陛下! 本日もご尊顔を拝し奉り、恐悦至極でございます!」


 人間でいえばまだ十歳に届くか届かないかという幼い容姿を、硬い様相の立派なコートに包んだ魔族の少年、ティコが本当に愛らしい声を弾ませた。



   ◇   ◇   ◇



「リルル様、リルル様! ティコが、ティコが来ましたよ! リルル様、ありがとうございます、ありがとうございます! ありがとうございます! こんなチビでクズでのろまなボクを忘れずに生き返らせてくれて、本当にありがとうございます! リルル様、リルル様!!」

「お前な」


 リルルが眠る寝台、その枕元にティコがすがりついてわめいているのを、苦虫を噛みつぶして咀嚼そしゃく反芻はんすうしているような顔でダージェがいった。


「顔合わすのは三回目だろ。いい加減その大感激するのやめろ。それにな、お前は生き返らせてもらえる名簿リストの一枚目だぞ。俺より優先順位高いくらいだろうが」

「ティコ君は可愛いからね」

「リルル様、リルル様。ティコは大使様になったダージェ様のお付きとして、この王都に通うことになりました。これから毎日リルル様のお顔を見に来ますから。決してリルル様をさみしがらせたりしません! 面白いお話をいっぱいお聞かせして差し上げます!」

「なに恩着せがましくいってんだ。お前が単にリルルに会いたいだけだろうが。おい、フィル、こいつになんかいってやってくれや」

「いいんじゃないですか?」


 フィルフィナは微笑んだ。


「お嬢様も微笑わらっておられます。きっとティコ君が来ているのがおわかりになっているのでしょう。ティコ君、暇を見つけては足を運んでください。美味しい紅茶とお菓子を用意して待っていますよ。ああ、そこの不良大使は来なくていいですから」

手前てめぇなぁ!」

「ニコル様、リルル様の……その、お顔に手を触れても、いいですか?」

「ああ、いいよ、ティコ君。頬を触ってあげてよ」

「ニコル様、リルル様の……その、おちちに手を触れても、いいですか?」

「ああ、ダメだよ、ダージェ君。屋敷を出禁にするよ」

「ちっ。魔族を差別しやがって」

「ダージェ、あなたを差別しているですよ。ティコ君は差別しません」

「かー、クソ面白くねぇ!」

「リルル様、リルル様。明日はリルル様のためにお花をいっぱい持ってきてあげますからね。……リルル様、お目覚めになりましたら、ティコの頭をいっぱいでてあげてください」

「なにぼかしていってるんだ。また一緒にお風呂に入ってくださいってお願いしろよ」

「え?」「ええっ?」「ああっ、ダージェ様、それは――!!」


 ニコルとフィルフィナの目が縦に伸び、リルルの頬を撫でていたティコが一瞬で自分の冷や汗にずぶ濡れになった。


「こいつな、俺がリルルを俺の屋敷に預かっていた時、リルルと一緒に風呂に入ってたんたぜ。ニコル、許せるか?」

「へええ……そうなんだ……」


 ニコルの目が、剣呑けんのんな気配に細められた。


「それは、ちょっと聞き捨てならない話だね……」

「ニ、ニコル様、ボ、ボボボ、ボクは誓ってリルル様とはなんでもありません! 本当です! 信じてください!!」

「当たり前だこの馬鹿!」

「んきゃっ!」


 ダージェの拳がティコの頭をぽかりと打った。


「手前ぇが精通もしてねぇし手前ぇの子ティコが大っきくなったりしねえからリルルの身の回りの世話をさせてたんだ! そうでなければ子ティコついてる奴をリルルの側に着けるか、馬鹿!」

「いたい、いたい、いたい! ニコル様、助けてください!」

「ダージェ、それくらいで勘弁してあげてよ」

「いいのか? なんだったらこの場で子ティコを切り取ってやってもいいんだぜ?」

「やめてください。まったくもう。お嬢様が呆れられているではないですか」


 ダージェの拳の回転とティコの悲鳴が止む。無言で側に控えていたロシュが頃合いを見たかのように窓に歩み寄り、薄いレースのカーテンを引いて窓を開けた。寒風が窓の隙間から入り込み、こもっていた空気が入れ換わる。


 目を閉じそよ風に髪を撫でられるリルルは、変わらない微笑みを浮かべていた。


「――こういう時にリルルの声が聞けないっていうのは、寂しいもんだな」


 騒がしく盛り上がっていた気持ちを冷まされたようにダージェがいう。


「なんだかんだでうるさい奴だったからな、リルルは」

「ダージェ、過去形になっているよ」

「あ、すまねぇ。そうだよな。リルルは息もしてるし頬もあたたかいし、生きているんだよな」


 悪かった、とダージェは直裁ちょくさいび、ニコルは微笑んだ。


「そうだよ。リルルは眠っているたけなんだ。フィルが手を焼くお寝坊さんだからね」

「あれだけのことがあったのです。お疲れなのでしょう。起きていただくのは、とても時間がかかりそうです……」

「早く、目が覚めてくれるといいのにな」

「リルル様がお目覚めになられたら、旅行へでも行きましょう。ティコがお供をしますから」

「いいね。みんなで遊びに行こうか……」


 言葉が尽きて、静寂が降りた。あかね色に染まりつつある気配が西の空から漂ってくる。部屋の空気が冷たく冴えたものに入れ替わったのを確認したように、ロシュは窓を閉めた。

 ニコルがフィルフィナに目配せをし、フィルフィナがうなずいた。


「――ティコ君、少しお腹が減ったでしょう。珍しいお菓子がありますよ。食堂に行きましょう」

「わ、ありがとうございます!」

「フィル、私も手伝います」

「お願いします」


 リルル様失礼しますとティコは丁寧ていねいに一礼し、寝室を出たフィルフィナの後を追う。その後にロシュが続き、頭を下げてから扉を閉めた。

 寝室には眠るリルルと、その脇に立つニコルとダージェが残された。


「話があるんだろう、ダージェ」

「よくわかったな。まあ、ティコみたいなガキには、まだ聞かせる話じゃねぇからな。――これは、魔界うちの天文学者がいい出した話なんだけれどよ……」

「異変が近づいている」


 ニコルの呟きにダージェがぐべき言葉を失った。

 横顔に注がれるダージェの視線を受けながら、ニコルは眠り続けるリルルの顔を見つめ続ける。

 頬を微かに赤らめ、楽しく幸せな夢を見ている少女の笑みが、少年の瞳に映っていた。

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